幼馴染の立ち位置
二日間行われた林間学校が終わり、振替休日の翌日。
朝、明るくなる前から起きて、弁当と朝食の準備をし、そのどちらの準備も終わる頃に円香が家に上がり込んでくるいつもの日常。
彼女が朝食に手を付けた頃には家を出る。
春らしい彩りのなくなった通学路を進む。
あっという間に夏になりそう。
そしてたどり着く教室。
クラスには僅かに違和感のような物を感じた。
学校側のイベントが功を奏したのか、以前よりもクラス内の雰囲気が良く、あまり交流のなかったような人らも気軽に挨拶を交わしている。
三十分過ぎたあたり円香も鬼怒川さんも登校してくる。
その証拠に。
「おはよーっ。藍浦くんっ」
「おはよ。藍浦、石井」
円香が挨拶をしてくるのはいつも通りだったが、林間学校以前は目の前を素通りしていた鬼怒川さんもこうやって挨拶をしてくれるようになった。
返事をすると何気ない笑顔を見せて鬼怒川さんは自分の席へと向かっていき、荷物を机に置くなり所謂円香のグループの元へと歩いていった。
鬼怒川さんを視線で追っていたためか円香と目が合う。
当たり前の話だが、円香の元にグループが集まる。
自然とそこにいるのだから目が合うこともあるだろう。
手をひらひら振る彼女の姿。
すると、そのまま円香がこちらに歩いてくる。
対面に移動してくると机に手を添えて、その場でしゃがむ。
なんでお前がこっちにくるんだよ。
という言葉が口から出かかったが、ぐっと堪える。
「どうしたの立花さん」
「ん?」
ニヤッと、ちょっとムカつく笑顔を浮かべる円香。
「藍浦くんと話をしにきただけー」
「なんだこいつ」
「声に出てる出てる」
呼び方や仕草なんかは学校で見るそれだけが、表情は家でのまんま。
違和感があって妙にやり難い。
「で、結局なんの用?」
「特になにも。ホームルーム前の朝なんて、ただ誰かといるだけって感じだし。今日はたまたま藍浦くんと一緒にいようかなーって」
「あ、そう」
言われてみれば確かに暇を潰す意味で誰かと話す。
俺も石井が席の後ろだからという理由で良く話す。
「藍浦くんは昼食どうするの?」
「あー、その時の気分次第」
屋上だったり、中庭だったり、誰も居ない校舎裏だったり。
「じゃあ一緒に食べない?」
「嫌だ」
「あははっ。藍浦くん、即答じゃん」
「藍浦、あたしらとご飯食べるの嫌な訳?」
「……鬼怒川さんまで」
「折角仲良くなったんだし、いいじゃん。円香もこう言ってるんだし」
「えーっと……」
非常に不味い。
どうにか逃げ道を探そうと考える。
「石井はどうする?」
「僕も僕で特定の人と食べる約束しているのでね」
味方はいないらしい。
昼休みになるといつも姿が消える謎はなくなったが。
「石井が行かないなら俺も」
「あたしは別に石井は誘ってないから、藍浦だけ誘ってる」
「じゃあ、その誘い僕も混ざって良いかな?」
どこからやって来たのか、クラスでもイケメンと名高い速見。
どこからって後ろからなんだけどね。
「速見も誘ってないよ」
「そんなこと言わないでさ、僕にも藍浦くんを紹介してくれよ」
「こちら藍浦……、えっと……下の名前なんだっけ?」
自己紹介らしい自己紹介してないもんな。
クラスが決まった時なんか誰も聞いてやしないだろうし。
「伊月だよ。きぬちゃん」
「あー、そうそう」
思い出したかのように鬼怒川さんは頷く。
絶対、知らなかったろ……。
「藍浦伊月よ。じゃあ紹介したから」
「そんな事言わずに頼むよ、鬼怒川」
「わーかった、わかったから。しつこい」
鬼怒川さんが仕方ないといった感じで了承し、円香は特に何も考えてなさそうな顔をしている。速見は安心と喜びの混じった表情を浮かべながら、俺の肩に手を添えている。
「じゃあ、そういうわけだからよろしくね。藍浦」
「あぁ……」
イケメンを前にすると、苦笑いが自然発生してしまうようだ。
言い訳を考える時間もなく昼休みをこの四人で過ごすことになる。
授業が始まると緩かった空気が幾分か締まり、あっという間に昼休みとなった。
早速円香が弁当を片手に俺の元に走ってくるなり腕を掴む。
「お昼だよ」
「お昼だな」
「迎えに来たよ~。きぬちゃんは先に行って席を確保してくれてるみたい」
「わざわざ迎えに来なくても」
「だって、いーちゃん逃げるじゃん」
「……」
周りには俺らしかおらず、円香はあだ名で俺の事を呼ぶ。
彼女は何も見てないようでしっかりと見ているようだ。
「ほーら見たことか、こうでもしないといーちゃんすぐに消えるんだからさ」
「わかったから腕を離せ。人がいない訳じゃないんだから」
「へ~い」
唇を尖らせ不満を表しながら円香が離れる。
やれやれと言いながら立ち上がった。
「あれ? いーちゃん、お弁当は?」
「お前と一緒に食えるわけねーだろ、学食で注文するわ」
「えー? なんでー?」
わかってて言ってるなこれ。
顔がニヤついている。
どうリアクションをとっても楽しませる結果になるのが見えている。
無視して教室を出て学食へと向かう。
この態度は円香の中では、満足いかなかったようで俺は軽くほくそ笑み、本人は俺の顔を見て誰にも見えないようにこっそりと脚を蹴ってきた。
文句を言いたいのはこっちなんだけどな。
「大体なんで急に昼食に誘うんだよ」
「言ったじゃん。学校でも一緒にいるって」
「本気だったのか」
「本気の本気だよ。高校生活って青春で一番楽しい時期じゃん? それなのに一番仲が良い、いーちゃんがいないのって有り得なくない?」
「そうなのかな」
どうなんだろう。
考えたことはなかった。
「それでいーちゃん、お弁当はどうするの?」
「二つ食べる気か」
「流石に入らないよ」
「それもそうか……。まぁ、俺の夕飯だな」
「ふーん」
「ちなみに円香の夕飯はカップラーメンな」
「……えぇっ!?」
「急に誘ってくるお前が悪い。ペナルティな」
「そんなぁ~……」
夕飯に一撃を食らったことで、円香は俺の後ろをとぼとぼと歩いて着いてくる。
学食に着いた頃には鬼怒川さんが妙な顔で円香を心配していた。
※
問題もなく無事に皆で食べる初回の昼食を終えた。
初回というのは、また円香が誘ってくるだろうと予想している。ペナルティもらっても、一度言い出したことは絶対にやり遂げるという性格を知っているからだ。
そして食器を返却し、学食を出ようとしたところに声が掛かる。
円香や鬼怒川さんではない。
「藍浦、ちょっといいかい」
同席していた速見である。
慣れた仕草で前髪を掻き上げ、爽やかな笑顔でこちらの懐疑的な目を無視する。
一緒の卓に居たというのに食事中も一切会話をしなかった。
彼は鬼怒川さんが言う通りに円香狙いなのが一目瞭然で、冗談抜きで会話の七割を円香に話を振っていたし残り鬼怒川さんと話していた。
完全に彼が会話を回し、俺は置物になっていた。
楽だからいいんだけど。
そんな奴が関わりのない俺に話しかけてくるということに警戒しないわけがない。
「それで、何か用か?」
「大したことじゃないんだけどね。ちょっと男同士で話しでもって思っただけだよ」
「ふーん?」
「まぁ、そんな嫌そうな顔しないでくれよ」
「悪いな、元々目つき悪いんだよ」
「そういうことじゃないんだけどねー」
俺の態度を見ても爽やかな顔は崩れず穏やかなまま。彼が場所を変えようと提案し従う。
昼食の後ということで人の減った中庭まで移動してきた、速見にジュースを奢られベンチに腰掛ける。
プルタブを開け、炭酸のしゅわしゅわという音に耳を傾ける。喉を潤すと同時に炭酸独特の刺激が心地良い。
「藍浦は立花の事好きなのかい?」
やっぱりそう来るか。
さて、どう答えるべきか。
「僕は立花のこと好きだよ。一目惚れと言ってもいいし、関わってみたら彼女の真っ直ぐな所に惚れ直した」
「別に速見がどう思っているかなんて聞いてないんだけれど」
「まぁ、こっちが一方的に聞くのはフェアじゃないからね、僕の胸の内をさらけ出すの礼儀かなって」
「それで俺が答えるとでも?」
「さぁ? でも、牽制することはできるよね?」
「そうかもな」
自分がどう思われているのかというのを理解しているのだろう。
イケメンがこう言おうものなら、ただの凡人、フツメンなら勝ち目がないと悟る。
「それに立花を好いているの僕だけじゃないからね。クラスの男子の二割は差があれど立花のことを好ましく思っている」
「だろうな」
それだけ見た目がいいのだ円香は。
こっちが臆する程度に。
「藍浦はそんな男子から注目を集めているんだよ」
「……」
「林間学校中から君たちは仲が良くなって、入学から大した時間は経ってないが、明らかに君が何歩もリードしているように見えて、僕も含めて気が気じゃない」
最近の円香の様子に戸惑っているのは俺だけじゃないってことか。
それだけ影響力がでかい。
「別に立花さんのことは良い友人だと思ってるよ。向こうがどう考えているか知らないけど」
「そっか。それを聞いて安心した」
心の底からそう思っているのか、ようやく速見の顔が少し崩れる。
が、それも一瞬だけで真剣な眼差しをこちらに向けた。
「といっても、藍浦が本気になっても僕は負けるつもりはないけどね」
「なら最初から聞かなくていいだろ」
「警戒する必要がなくなるってだけでもアドだよ」
「あっそ。好きに頑張ってくれ」
「ああ」
短い会話。
単刀直入に知りたいことを聞いて、速見はまた爽やかな笑顔を貼り付けて手を振って去って行った。
ま、俺が決めることじゃない。
円香次第。
少なくとも悪いやつじゃなさそうだし、見た目だけを取ればお似合いでもある。
ただ速見との会話を経て、さらに思うことがある。
円香が言っていたことも本当かもな。
高校生になったことで、俺の考え過ぎで警戒し過ぎだったということ。
俺と円香の仲を見て、ただこれだけで済む。
迫害される訳でもないのならば、こちらから歩み寄るのも一つの選択肢になる。
正直に言えば、俺も円香と一緒にいるのは嫌いじゃない。
楽しいとさえ思っている。
じゃなければ、あんな面倒な奴と一緒にずっと過ごしてきていない。
「いーちゃん隣いい?」
「趣味悪いぞ」
「えへへ、心配で」
「特に問題ないぞ」
「話しの内容までは聞こえなかったけど、そんな感じしたね」
嘘は言っていないらしい。
彼女が嘘をつく時、左の小指を右手で握る癖がある。
俺だから知っている彼女の癖。
「速見くんと仲良くなれた?」
「さぁーな。敵対はしてないと思うけど」
「あははっ、何それ」
「まぁ、円香が心配するようなことは何もなかったよ」
「うんっ。きぬちゃんも何か心配してたみたいだし、一緒に教室に帰ろっかぁー」
「そこまで一緒に居なくても」
「いいのいいの。私が楽しいんだから問題ない」
「ガキ大将かよ」
「それはいーちゃんだったけどねー」
昔の話だ。
昼休みの時間をいっぱいに使って抵抗したものの、結局二人揃って走って教室に戻ることになった。
確かに男子たちの俺たちを見る目。
速見に言われなければ気づかなかったかもしれない。