幼馴染はどうしたいのか③
一人になった夜空の下。
空きになったベンチがまだ仄かに温かい。
けれど春といえども山の夜は少し寒い。
一陣の風が吹き、身震いする。
これ以上は体調を崩すかもしれないとテントに戻る。
一人一台支給された懐中電灯を手に夜道を歩く。
整備されて街灯のような物もあるが、テントのある地帯は木々で光を遮られて心もとない。
木々が揺れる、枝がしなる、葉が擦れる音。
どれもが不気味に変わり、不安を煽る。
恐怖でドキドキしながらもテントが複数立ち並ぶ場所が見えると安堵する。
どのテントもうっすらと光っていることから、まだ誰も寝てないようである。
「おかえり藍浦」
「あぁ」
ファスナーを開くと多分にもれず石井もまだ寝るつもりはないのか、電気ランタンをテントの天井にひっかけ、文庫本を片手にしている。
「いい顔してるね。何か良いことでもあったかい?」
「突然どうした?」
「いや、少しだけ藍浦の表情が明るいものだったからね」
「……そうかも」
不安はあるが、円香に言われたことは嬉しくもあった。
石井に言われるまで気づかなかった。
「それはよかった」
「あぁ」
「突っ立ってないで寝袋の中にでも入ったらどうだ? 外は寒くなってきただろ」
「うん、そうするよ」
緑色の寝袋に包まれる。
頭まで被ると、イモムシみたいだな。
「石井はまだ起きてるのか?」
「すまない。ランタンの明かり消そうか?」
「俺は明るくても平気だから石井に任せるよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて暫くこのままにさせてもらうよ」
「おう」
こうして林間学校の一日目は終了した。
バスでの出来ことはどうなるかと思ったが、振り返ってみると良い一日を過ごせたんじゃないかと思う。
円香の想いを聞いた翌日。
彼女は普段通りの姿を見せた。
わざわざ男子のテントまで赴き、昨日借りたまま放置している椅子にどかっと座る。
「おはよっ、藍浦くん。あと石井くん」
「相変わらず僕はオマケなんだね」
「あははー」
笑って誤魔化すな。
顔見るまで存在を忘れていたって顔だ。
「あれ? 鬼怒川さんは?」
「今、着替えてるよー。何々? きぬちゃんに興味津々だね?」
「いや、鬼怒川さんが居ないと朝食に行けないだろ」
「なんてねっ」
……。
もはや何も言うまい。
「でももうすぐ来ると思うよ」
「そっか、じゃあ僕は今のうちに雉撃ちでもしてこうようかな」
「行ってら」
石井が離れて行き姿が見えなくなる。
円香は座ったまま、首を傾げた。
「この山って雉が出るの?」
「さぁ? もしかしたら出るかもしれないけど」
「ん? でもどうやって撃つの?」
今日日聞かない言葉ではある。
相手は円香だし、答えることにした。
「男のトイレのことだよ」
「おー、そういう意味っ。って、いーちゃんっ」
「知らないお前が悪い」
「男の人も花摘んでくるって最近言うじゃん」
「まぁ、言うな」
俺もトイレ掃除の事を考えると座ってするし。
学校とか施設なら、その限りではないが。
「男はみんなピストル持ってるし」
「あははっ。もうサイッテー」
話しの内容はともかくとして、昨日のことが嘘みたいに笑いあえる。
どんな話しでも笑ってくれる女子。
なるほど、そりゃモテると思ったのは内緒だ。
「って痛ぇよ。そろそろ叩くのやめてくれ」
「いーちゃんが悪いんだからね」
「そりゃすまんかった」
「じゃあ、帰ったらハンバーグ」
「おっけ」
子供みたいな要求にくすりと笑ってしまう。
さらに彼女を怒らせることになってしまったが、まぁいいだろう。
「いーちゃん、皆来たみたいだよ」
「あぁ、行こう」
「うんっ」
同年代の誰かが見ている中で二人並んで歩く。
突き刺さるような視線は未だに気持ち悪い。
けれど昔のように無垢だった自分達を思い出して、悪い気はしなかった。
しかし、これを受けて自分がどうしたいのか。
聞かなかったことにして切り捨てるのは簡単。
でも、アイツは頑固だし、一度決めたことはやり遂げる。
※
朝食はビッフェスタイル。
食べ切れもしないのに余計に持って来てしまったりする。
主に円香が。
俺は白米に味噌汁。
焼き鮭、小松菜のおひたしと卵焼き。
完全に和食選んで取ってきた。
量としては少なめでもある。
予想通りにトレーの上にこんもりと積まれたオカズ達。
主食となるパンですら、クロワッサンにバターロールとよくある物から、変わり種も数種類運んでいる。
おかずはソーセージ、オムレツと洋食をメインにして、スイーツもおかずにも負けない程。
……うぷっ。見ているだけで胃もたれしそう。
誰も見てない隙をみつけて、円香に寄り添い耳打ちする。
「お前それ食べ切れるのか」
「いけるいける」
「辛くなったら言えよ」
「うんっ。ありがとっ」
先に指定されている席にトレーを置いてから移動。
石井と鬼怒川さんはまだオカズを吟味しているようで、俺は人数分のコップとお茶の入ったポットを用意する。
オレンジジュースとか牛乳なんかも用意されているが、使わないなら使わないで良い。しかし彼らを見た感じ、それらを手に取る様子がないし用意しておいて損はないだろう。
少なくとも俺と円香は食事中はお茶を好む。
一番最初に席に着いたのは俺で先に食べ始めていた。その次は鬼怒川さんが到着し、斜向いに着席した。
トレーの中身が俺に似通っている。
「あ、お茶用意してくれたんだ。藍浦、ありがと」
「ううん。……」
なんとか首を振ったが咀嚼中で、なんとも言えない顔をしてしまった。
「ははっ、無理に喋ろうとしなくていいよ」
手だけでどうにかお礼を伝えると、鬼怒川さんは何故か「ぷふっ」っと吹き出してしまった。
何が面白かったのか首を傾げる。
「ごめんごめん。藍浦があまりにも慌ててたから、ちょっと面白くて。あー、うん。あたし結構藍浦のこと気に入ったかも。気が利くし、さり気ないところで優しいし、ついで何か面白い」
なんかとはなんだ。
こちらとしては大真面目だ。
「えー……。ありがとう?」
「あははっ」
「でもそんなこと言ってていいの? 彼氏とかに誤解されない?」
「んー? あたし今のところ彼氏なんていないけど。なんでそう思った?」
「いや、鬼怒川さんってクラスで見ても可愛いし。ほら、速見くんとかその辺の男子と絡んでるのよく見るからさ」
速見とはうちのクラスで一番のイケメン君である。
名前と見た目しか知らないけれど、円香のグループだしそういうこともあるのだろうと勝手に予想をしていたが。
「あー、なるほどね。速見たちか。仲が良いと言えば良いけど、ただ一緒いることが多いだけ。あいつら明らかに円香狙いだし」
「立花さんか」
円香はどうなんだろうな。
気付いているのだろうか。
「ってか、藍浦」
「え、なに?」
「あたしのこと狙ってる?」
「なんで?」
「普通に可愛いって」
「……、そういうつもりで言ったわけじゃっ!」
一気に身体が熱くなり、顔が火照る。
そりゃそうだ、口説いているようにとられてもおかしくない。
深呼吸をして心を落ち着ける。
それでも心臓はバクバクだ。
「聞かなかったことには?」
「駄目。いやぁー、いいね。人から可愛いって褒められるの」
「褒めたといえば褒めたことになるのか」
「あはは、冗談だって。普通に褒め言葉として受け取ってるから。藍浦の反応が面白すぎて、ついからかっちゃった」
「くっ」
石井が隣に座り、最後に円香が対面に座る。
円香が俺の顔見るなり。
「どしたん?」
「……なんでもないよ」
「きぬちゃんもなんか楽しそうだし」
「んー。藍浦って面白いねって話」
「そっかー。うんうん、藍浦くんいい人だよね」
何か誤解しているようだが、訂正するつもりは毛頭ない。
「円香って藍浦のことめっちゃ褒めるじゃん」
「そうかなー? そうかもー。でも人を褒めるって良いことじゃん」
「ま、確かにね~。ね、藍浦」
「そこで俺に振るのは、鬼怒川さんいい性格してるよ、ほんと」
「褒められても何もでないよ」
「褒めてないっての……」
時には雑談を交え食事を楽しむ三人だったが、一人だけ暗雲立ち込める。
最初はパクパクとハイペースで消化していく円香だったが、次第にスローペースになり、結果手が止まった。
言わんこっちゃない。
円香の歯型が残るクロワッサンに手を出そうとして、一度引っ込める。
「立花さん、手伝うよ」
「うん……、ありがとう」
クロワッサンではなく、まだ手のつけられていないバターロールに手を付ける。
鬼怒川さんも、石井も手伝ってくれて、どうにか円香の眼の前の皿は綺麗に空になった。
「みんな、ありがとう」
「いや、こんなことになるかと思って少なめにしておいて良かった」
付き合いのある鬼怒川さんは察していたようだ。
本当に仲が良いんだろうな。
「きぬちゃんもありがとう」
「はいはい」
「食べすぎて動けぬ……」
「「「……」」」
アホすぎて俺ら三人黙ってしまった。
なんでこんな奴がモテるんだろう……。
「うん、鬼怒川さん連れて行ってあげて。俺が食器片付けとくから」
「いいの? じゃあ、お願いね」
「立花さんの事よろしくね」
「ん? うん。わかった」
鬼怒川さんは円香を連れ添ってレストランから姿を消した。
残された俺と石井。
「石井もやることあるなら、俺がやっとくけど」
「そこまでは任せられないよ。同じ班として僕もちゃんと手伝う」
「さんきゅ」
「これでお礼言われるのも変な感じだね」
「それもそうか」
重ねたほうが楽という理由で俺が皿をまとめ、石井が割り箸などのゴミを処理する。
大した手間ではないのですぐに片付け、テントへと引き返した。
「二日目は普通に宿泊施設なんだってね」
「らしいね」
「僕としては二日目もテントで良かったんだけれど」
「それは俺も同意だ」
昨夜だけテント。
翌日は十二部屋。
二段ベッドが左右に三つずつある、あの部屋である。
「テントのほうが気楽だよなぁ……。寝袋も慣れるとそんな不都合はないし」
「そうだね」
「言ってても仕方ないか」
三〇分ほど経過して、鬼怒川さんが僕らのテントまでやってくる。
「石井ー。いる?」
「あぁ、いるよ」
「テントの片付けはあたしらペアだから」
「了解」
二人の話を聞いて、俺は荷物を持ってテントから出る。
借りた椅子も道中返却しておく。
「じゃあ、そういうことなら俺が向こうに行けばいい感じ?」
「うん。頼むね」
ニコッと笑う鬼怒川さんに手を振って別れる。
さて、女子のテントはどこだっただろうか……と。
う~ん。
どうしたものか。
目的のテントはあっさりと見つかった。
が、テントの入り口付近。
円香が数人の男子に囲まれていた。
聞き耳を立てると、手伝うよっていう内容ばかり。
彼女に近づきたい、という気持ちがわかりやすい。
ゆっくりと歩いて聞いているだけなので、円香に見つかる。
「あっ、いー……」
彼女も困惑していたのだろう。
あだ名で呼ぼうとして、途中でハッとした顔になり、咳払いをした。
「うらくん。こっちこっちっ」
ちょっと不自然ながらも、誰も気付いてない。
手をひらひらと振って見せて彼女の元へ。
「何このチビ」とか言われているが気にしない。
……誰が豆粒だ、この野郎っ。
「もう藍浦くんが来てくれたから手伝いは必要ないよー。みんな、ありがとうね。気持ちだけは受け取っておくよっ」
円香には聞こえず、男子が俺とすれ違いに舌打ちを聞かせてくる。
「お前も大変だな」
「私もまさかこんなに男子だけで集まられると、流石にちょっと怖かった。いーちゃんが来てくれてよかった」
「いっちょ締めとくか」
「どうやって?」
「円香のおじさんに告げ口」
「あははっ。確かに、もう二度と声掛けてこないかも」
「ま、洒落にならないから言わないけどな」
おじさん円香のこと溺愛してるしな。
「その方が良さそうー」
「で、腹は?」
「お世話様でした」
「ほんと、何度言っても無駄に持ってくるんだから」
「仕方ないじゃん。あれもこれも食べたいんだから。ご飯が誘惑してくるのが悪いっ。あと、いーちゃんも悪い」
「なんでだよっ」
「昔良くおじさんとおばさんが連れて行ってくれたでしょ? 私が選んだのをいーちゃんとシェアしてたじゃん」
「そう言えばそうだな」
母親が仕事に出るようになるまで、月に一度ぐらいは食べ放題に連れて行ってもらっていた。
次々に嬉々として持ってくる円香に、当時は仕方ないなぁーと笑いながら、彼女が選んできた物から食していた。
単純に今は食い意地が張ってるだけだが。
「私を甘やかすいーちゃんが悪い」
「あ、思い出した」
「何をかな?」
「昨日、俺のパソコンの中身がどうのって」
「そんなこと言ったかな?」
何も答えず、円香の目をじっと見つめる。
こういう獣と目を合わせたら、逸したほうの負けである。
「あー、あはは……、なんのことかな?」
「円香」
「なんでしょう」
「二人っきりだね」
「そういう言葉は好きな人に対して言うものだよ、いーちゃん?」
「そうかもな」
「……というわけで逃げるが勝ちっ」
溜めも作らず脱兎のごとく逃げ出す円香。
が、彼女が振り返った瞬間に俺も駆け出す。
「っていーちゃん足早っ」
「体力はないが、運動が出来ないって訳でもないからな」
「うぅ舐めてた……」
俺らがアホなことをやっているせいで片付けは進まず。
教師に見つかり、何故か俺だけが怒られるのだった。
良くある言い方だけど、解せぬ……。
「やっぱりいーちゃん馬鹿だ」
「てめぇ……」
「あははっ、やっぱり一緒にいると楽しいっ」
そんな笑顔で言われたら、何も言えなくなるじゃないか。
今はまだ非日常的空間。
周りの目もあまり気にならない。
浮かれているとも言える。
これが良いことなのか、良くないことなのか、今の俺には判断出来ない。
ただ円香がどうしようと、それを止める権利もない。