2 エリスとの出会い
ウィズは歩き続けた。近くの町に寄ることもなく、ただ歩き続けた。
アレフ・ブレイブが住んでいた屋敷から、とにかく遠ざかりたかったのだ。近くにいると過去のアレフ時代のことを思い出してしまいそうで、嫌だった。
だからウィズは歩き続けた。夜から朝に代わり、また夜になっても歩き続ける。
途中、獣に襲われようとも、ウィズが開発した風魔法『崩壊の大嵐』で瞬殺した。
そうやって三日三晩歩き続けたウィズはついに体力が尽き、地面へと倒れた。
「……」
足がもう動かなかった。それだけあの屋敷からは離れられたということ。それを思うと何だか妙な安心感があった。
もう厳しい剣技の稽古を受けなくていいんだ――そんな安堵感と今までの疲労が同時に睡魔としてウィズを襲う。
(……もう、眠っちゃおう……)
ウィズは獣道の真ん中で目を閉じた――。
「……」
眠りに落ちる直前に、少女の声が聞こえた気がした。
◆
ウィズは眠りから目が覚めた。
見えるのは木製の天井。背中に感じるのは少し硬いベッドの感触。これでも屋敷にいた時の藁のベッドよりは快適だった。
「あ、起きたんですね」
そう言って駆け寄ってきたのは、まだ少しだけ幼い面影がある栗毛色の髪をした美少女だった。ウィズは目をパチクリさせる。
「君は……? ここどこ?」
「私はエリス。ここは私の家兼、ギルド『憩いの窓辺』の本拠地ですよ」
綺麗な赤い瞳でそう笑いながら、その美少女――エリスは言った。
『ギルド』とは、人々の様々な依頼をこなして生活をしていく団体のことを言うらしい。ウィズは話に聞いたことがあった。
エリスは水の入ったコップをウィズに渡す。
それから、服の上からでも分かる、ふっくらとした大きめな胸の前で手を組みながら、エリスは嬉しそうに言った。
「貴方、道の真ん中で倒れてたんですよ。無事でよかった。お名前はなんていうんですか?」
「助けてくれたんだ、ありがとう。僕の名前はアレ……いや、ウィズだ。ウィズっていうんだ。歳は16……だったかな」
アレフではない、ウィズは笑みをこぼしながら答えた。
エリスからコップを受け取って、中の水を一口含む。そういえば三日三晩ずっと歩いていたせいで、全く水分を補給していなかった。道理で喉がいがいがするわけだ。
「へぇ、ウィズっていうんですね。かっこいい名前です」
エリスはとても楽しそうに笑った。
彼女は腰まで届く綺麗な長い髪で、瞳は大きい。しかし背は小さめで、恐らくウィズよりも一、二歳年下だろう。
ウィズは辺りを見回しながら、エリスに聞いた。
「ここ、さっきギルド『憩いの窓辺』の本拠地って言ったけど……。見る限り……」
そこから先の言葉は言いづらくて、ウィズは押し黙った。
周りを見渡しても、今いるこの場所は"ギルドの本拠地"と呼べるような場所ではない。何故なら、木製の小屋にしか見えなかったからだ。
四隅には外を覗ける窓があって、その一辺一辺にそれぞれ粗末な台所やらタンスやらが置かれている。他に部屋はなく、この一室しかないようだ。
これなら、"アレフ"の家族が住んでいた屋敷の一室の方が広かった、とウィズは思う。
「……うぅ……。……それでも、ここは『憩いの窓辺』の本拠地なんです……」
ウィズの言葉にエリスは肩を落として、悲しそうに言った。赤く綺麗な瞳は悲しみで潤んでいた。
ウィズは慌ててベッドから這い出て、彼女を慰める。
「ご、ごめん! 見た目が全てじゃないよ! そうだ、他のギルドメンバーはどうしてるの?」
「……『憩いの窓辺』はこの地に引っ越してきた私の父と母が創設して、メンバーは私たち家族三人だけなのですが……。三人だけではギルド経営はうまくいかず、だからといってメンバーも増えなくて……」
ウィズの質問を聞いて、さらにエリスの表情は暗くなってしまった。彼女は続けて言う。
「その……父と母は……一年前に『遠く稼ぎに出る。すぐ戻る』と言って出て行って、それから……」
「あっ……」
ウィズは言葉を詰まらせる。彼女の様子からして、まだ両親は帰ってきていないのだろう。
早く帰ると告げたまま、一年も帰ってきていないという事実。つまり、彼女は両親に捨てられたということだろうか。
その事実に、なんだか自分と近しいものを感じた。もっとも、エリスの両親が出ていったのに対し、アレフの両親はウィズを追い出した、という奇妙な逆の関係にあるのだが。
「エリス……」
それでも、その悲しみはウィズも知っていた。たとえうまくいっていなかったとしても、肉親には変わりがないのだ。そんな人たちに捨てられた悲しみは、ウィズは知っている。
しかしエリスは拳をギュっと握ると、静かに笑ってみせた。
「きっと……きっと! 帰ってこようとして迷子になっちゃってるだけなのです! 私の母と父は、ちょっとおっちょこちょいなところ、ありましたから……」
「……っ」
それが本心なのか、それとも自分を偽っているのか、ウィズには分からない。けれど、その姿を見ていると胸が痛むのは確かだった。
彼女が言う、両親が迷子になって帰ってこれない、という可能性はゼロではないだろう。しかしそれはゼロではないだけで、ゼロに限りなく近い小さな可能性には変わりがない。
「だから私は、ずっと待ってるんです。この家で、二人の帰りを」
「……そうなんだ」
今度はウィズが目を伏せた。
それからその小屋はしんと静まり返る。ウィズはその沈黙がとても痛くて、どこか悲しくて嫌だった。
だから、無理やりにでも話題を見つけて口を開く。
「そ、そういえばこの辺りに村とかあるかな?」
「……村、ですか。確かにすぐ近くに『コーラル』という村がありますが……」
エリスは人差し指を顎にあてて、可愛らしく顔をちょっと傾けて言った。ウィズは話題を繰り出せた安心感と共に、エリスへ頼み込む。。
「案内してくないかな? 僕はその……訳あって一文無しでさ、お金が欲しいんだ。冒険者とかギルドが請け負う依頼が集まる役所なんかを見に行きたいんだけど……」
王国の王族から認めてもらっている村や町には役所という場所があり、そこには冒険者だったりギルドが受注できる依頼が置いてある。
ウィズは冒険者というわけではないが、無一文であることには変わりない。これから生きていくためにも、その役所にある依頼を解決して、ちょっとした路銀を稼いでおきたかったのだ。
「あ、案内ですか……」
エリスは少し困ったように口ごもる。ウィズはその様子に疑問を感じながらも、エリスへと頭を下げた。
「お願いできないかな? エリスみたいに村を知ってる人に案内してもらえれば、大分助かるんだけど……」
「助かる……ですか。なら、案内してあげてもいいんですけど……」
「あっ、本当!? ありがとう!」
「わっ……!」
ウィズはエリスの両手をつかんで、にっこりと笑う。
実のところ、ウィズは軽度の方向音痴だったのだ。ここでエリスに案内して貰えるとなれば、とても心強い。
エリスはウィズに喜ばれてちょっと照れながらも、あまり乗り気ではないようだった。言いにくそうにエリスは告げる。
「……その、迷惑になったらごめんなさい……」
「迷惑……? 大丈夫だよ、本当にありがとうね」
この時、そう言ってウィズはエリスを励ましたが、彼は知らなかった。
――彼女の言う"迷惑"がどのようなものかを。
◆
エリスに連れられて、『コーラル』という村に訪れたウィズ。
その村の風景自体はよくある村だったのだが、そこでウィズが目にしたのは目を瞑りたくなるようなものであった。
「……くっさ」
二人で歩いている中、すれ違いざまにエリスへ暴言を吐いてくる村人。
エリスは言われる度にビクリと肩を震わせ、「すみません……」と震えた声で告げる。
「どけよ! 邪魔なんだよ、部外者!」
中にはわざわざエリスにぶつかってきては悪態をつけてくる村人もいた。
「なんだよ……ここ……!」
そんな村人たちばかりだった。温厚なウィズもこれには怒りが湧いてくる。
そんな村人たちに対し、ウィズは何度か一言も二言も抗議してやろうとしたが、よりによってエリス本人がそれを止めた。
「だ、ダメです……! ウィズさんも迫害されちゃいます……!」
「だけど……! こんなのあまりにも酷いだろ……!」
ウィズが屋敷を出て初めて訪れた『コーラル』という村。その村の印象は『最悪』という一言に尽きる。
「どうしてこんなことになってるんだ……?」
「……」
隣で歩くエリスに、ウィズは苛立ちを隠せない様子で問う。
エリスはポツポツと、その理由を話し始めたのだった。