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叔父さん、私をちゃんと見て。

作者: 真宮。





 私には前世の記憶がある。










「ミリアは優秀だね」


 私の成績表を見た叔父さんは、優しく私の頭を撫でた。


 二度目の人生に、優秀もなにもあったものではないというのに、そんなこと知るすべもない叔父さんは嬉しそうに嬉しそうに笑っている。


「フローラさんも、昔からすごく優秀だったし。ミリアはお母さん似だね」


 どこか切なそうに目を細めて呟いた。




 この人は、私の母さんを愛している。


 結婚適齢期をそろそろ迎えようという彼に浮いた話がないのも、用もないのにうちへ訪ねてくるのも、私の母さんを愛しているからだ。


「叔父さん」


  私が彼を呼ぶと、彼は柔らかい眼差しを浮かべて私を見る。


 まるでいとおしいなにかを見るような目で私を見る。


 私は、愛する母さんの半身。




 そう考えて、ゾッとした。






「結婚、しないの?」


 私の言葉に叔父さんはひゅっと息を吸って、静止した。




 こんなこと、不毛だ。


 母さんは父さんをちゃんと愛しているし、不貞を働くようなことはあり得ない。


 叔父さんが幸せになろうがならなかろうが、母さんは多分幸せで、父さんも多分幸せで。


 でも、それなら。


 彼自身の幸せはどこにあると言うんだろう。



「叔父さんモテるでしょ。こないだのパーティーでも伯父さんに声かけようとしてた女の人いっぱいいたよ」


 叔父さんはモテる。


 スラッとしたスタイルに、僅かに甘さを携えた顔、柔らかい表情。


 稼ぎもいいし、人当たりも悪くない。


 文句なしの優良物件だろう。


「こんなとこ来てないでもっとやることあるんじゃないの」


 こんなところで、母さんの面影なんか追っていてもきっと叔父さんは幸せになれない。


「どうして、そんなこと……」


 叔父さんが呆然と呟いた。


 ごっそりと表情が抜け落ちてしまったような顔が次第に歪んで、じわじわと目に涙が溜まる。


 きっと彼は、もうどうしたらいいのか自分でもわからないのだと思う。


 母さんの事が好きで、でも父さんを裏切ることもできなくて、どうしたらいいのかわからず彼は歩みを止めてしまった。


 私を見る彼の目は、きっといつだって、私の奥にいる母さんを見つめている。


「叔父さんのまわりだけ、時が止まってしまったみたい」


 思わずこぼれた言葉と同時に、叔父さんの目からぽとりと涙が落ちる。


 しばらくしてハッとしたように立ち上がった叔父さんは一言、ごめん、と呟いて駆け足で家を出ていった。








「さっきまで叔父さんが来ていたの?」


 買い物から帰ってきた母さんは、叔父さんが持ってきたケーキの箱を見つけて微笑む。


 艶やかな人だ。


 年齢を感じさせない若々しさと、母性を感じられる表情。


 私のお母さん。


 あの人が、ずっと愛している人。


「ねえ、母さん。叔父さんはどうして結婚しないのかな」




 母さんの手が、止まる。


 その顔に浮かぶのは、罪悪感だろうか、憐憫だろうか。


「叔父さんのまわりだけ、時が止まってしまったみたい」


 もう一度呟くと、母さんは恐ろしいものでも見たように私を目に写す。


「ミリ……ア……それ、叔父さんにも……?」


 震える母さんの声が、私の神経をさわさわと撫でる。


 母さんは、もしかしたらすべて知っているのだろうか。


 あの人の気持ちも。


 知っていて、あの人をここに縛りつけているのだろうか。


 強い目で母さんを見つめると、母さんの瞳が揺れる。


「あの、人は……」


 どこか熱に浮かされたように、母さんの口が開いた。


「死のうとしていたの……」


 頭を後ろから殴られたかのような衝撃に、眩暈がした。


「ミリアが生まれるまで、彼は、きっと、死ぬことしか考えていなかった」


 冗談だと笑い飛ばそうとして、失敗する。


 母さんの声が、表情が、目が、なにかを恐れるように強張っていく。


「泣きもしない、怒りもしない。なんの感情も浮かばないような目で、彼はただ死ぬことだけを考えていた。私も、リヒトさんも、どうしたらいいのかわからなくて……」


 懺悔のように紡がれるその言葉がだんだんと水気を帯びて、ぼたりと落ちる。


 ぼたぼたと涙を流しながら母さんは、私ではないどこか遠くを見ていた。


「でも、彼がミリアを初めて見たとき」


 母さんが、細長く息を吐く。


「彼、泣いたの」


 母さんの目がいとおしげに細められて、まるで大切な宝箱でも開けるかのように丁寧に呟いた。


「子供みたいに、わんわんわんわん泣いたの」


 母さんは、本当に叔父さんを愛していないのだろうか。


「初めて、泣いたの」


 

 こんな顔をして、こんな声をして、本当に?


「あなたの存在が、彼を生かしている」


 母さんは、涙を流してすがるように、しかし突き刺すような声で私を呼んだ。


「ミリア」






「どう、して……」


 どうして、そんな目で私を見るの。


 私の痛みを、悲しみを、誰も知らない。


 母さんだって、父さんだって、叔父さんだって。


 誰も、誰も、誰も知らない。


 私にはなんの力もない。


 そんな目で見られたって、私は母さんにはなれない。


 そんな現実が何度も私を打ちのめして、私は何度も絶望する。


 母さんに、なりたかったよ。





 私が、母さんだったら。


 叔父さんの手をとって、愛を囁いて、抱き締めて。


 私が、母さんだったら。


 でもきっと、私が母さんだったら、あの人が愛するのは私じゃなかった。







 ねえ、どうして私、彼を好きになってしまったんだろう。


 彼が私を愛さないと、知っていたのに。


 母さんを愛している彼に、愛を伝えることさえ、できないのに。


 ねえ、どうして。










「ミリ、ア……?」


 叔父さんの家を訪ねると、思い詰めたような顔をした叔父さんがよろよろと家から出てきた。


 弱い人。


 弱くて、優しくて、臆病で。


 そんなあなたが、私はずっと好きだった。


 ずっとずっと、好きだった。



「傷付けたかったわけじゃないの」


 嘘をついた。



 本当は、少しぐらい傷付けてやろうと思った。


 いつまでもいつまでも母さんを見て、私を見ているようで私を見ない。


 私を見てほしかった。


 ずっと、ずっと。


 だから、私を見ないあなたなんて少しぐらい傷付いてしまえばいいって思った。


 なんて醜い心だろうか。


 むなしくて、惨めで、嫌になる。


「ごめんなさい」





 ごめんなさい、母さんの代わりになれなくて。


 ごめんなさい、私を見てほしいだなんて思って。


 ごめんなさい、あなたを愛してしまって。


「ごめんなさい」







「ミリアの言ったことは、多分、正しい、よ」


 叔父さんの震えた声が、私を追いたてる。


「僕は、いつも間違った選択をしている」


 ぐっと彼の真っ白い手が握りしめられるのを見ていた。


「フローラさんにも、兄さんにも迷惑をかけているってわかってるんだ。ミリアにだって」


 彼の目が切なげに細められる。


 その目に私を写した叔父さんは、泣きそうに顔を歪めた。


 でも、泣きたいのは私のほうだ。


 だって、今もあなたのその目に写っているのはきっと私じゃない。


「私は、代用品じゃない」


 思わずこぼれた私の声は、無様に震えていて自分でも驚いた。



 

 私の声を聞いた叔父さんはひゅっと息を飲んで、壊れた人形のように首を振る。


「ち、がう……」


 消え入りそうな声が聞こえて、泣きたくなる。


 けれど、それよりも、言葉にしてしまった思いが、あふれ出してしまって止まらなかった。


「私は、代わりにはなれない」


 私は、母さんにはなれない。


「なりたくたって、なれない」


 なりたくたって、なりたくたって。






 なれない。





 叔父さんは信じられないものでも見たかのように、目を見開いた。




「ミ、リア……」




 叔父さんは、まるで初めて私がここにいることに気が付いたような目で私を見ていた。


 彼と目があった瞬間、カッと身体が熱くなって、目の奥が熱を持ち、なにかがぶわりと沸き上がり、流れる。


 ぼろぼろと止まらない涙で、叔父さんの顔が見えなくなって。


 次の瞬間、私の身体はあたたかいものに包まれた。



「ごめん、っ、ミリア。ごめん……っ」




 耳元で叔父さんの声がする。


 今にも消えてしまいそうな震えた声。


 私の肩が、彼の涙で濡れていく。



 私は夢中で目の前の小さな身体を掻き抱いた。



 切なくて、寂しくて、でも、抱き締めた身体はあたたかくて。




 こんなの馬鹿みたいだと思った。






 どうして。





 どうして私は、またこの人を好きになってしまったのだろう。











「ミリア……」



 あなたが私の名前を呼ぶ。




 なにかにすがるような、なにかに祈るような声は、呪いのようでもあって。



「……私たち、どこへも行けないね」




 こんなのまるで心中だ。






 私の言葉に、彼の腕の力がきゅっと強まった。






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