第26話:二つ目の事件-3
「と言う訳で、性的な意図は存在していない」
事件現場であるチットウケ商会に向かう道すがら、俺は昨晩クロにしたことについてに説明をネーメにした。
勿論、クロ自身にもまだ話していない話……圧倒的な量の魔糸を保有している事は話さないが。
「そう、なら良かったわ。流石に月の物が来ているのかも怪しい子に手を出すような男だったら、エクスキュー麻爵家の後継ぎとして縁を切る事も考えないといけないところだったわ」
「そんな見境の無い真似をする気は無い」
とりあえずネーメには俺がやったことは理解してもらえた。
白い目は相変わらず向けられているが。
「何が不満なんだ?」
「不満と言うか相変わらずの理不尽さだと思っただけよ。魔糸と魔糸を繋ぐのはともかく、それを体外にまで引き出す事で目覚めさせるなんて、そんなの普通はやりたくても出来ない技術よ」
「そうなんですか?」
「ああ、その事か」
どうやら、白い目と言うか呆れているらしい。
「クロエリア。魔糸ってのはね、普通は集中が途切れると直ぐに切れてしまう物なのよ」
そう言うとネーメは白くて細い絹のような見た目の魔糸を指先から出してクロに見せる。
しかし、ネーメが指を動かして何度か魔糸を振ると、ネーメの白い糸は途中で切れて、切れた先は消えていってしまう。
うん、普通の魔糸だな。
「だから、簡単には切れないように普通は魔糸を太く太くしていくわけだけど……」
今度はネーメの指先から太さが何倍にもなった白い糸が現れる。
いや、此処まで太いと糸と言うよりは紐に近いかもしれない。
で、先程と同じように振って見せるが、今度は切れずに波打ち続ける。
しかし、俺に言わせてもらうならばだ。
「魔糸は物理的実体を持っていないからな。魔糸の力を強力にしたいのなら、別に見た目からして太くする必要なんてないだろ。細い方が細かく弄れて便利だし」
魔糸は精神的な存在だ。
細くても別に困ることは無いし、注ぎ込む力の量に支障が生じると言うのなら、密度を上げるなり、流速を増やしたりで対応すればいいだけである。
むやみやたらと太くする意味はない。
人を楽しませるために動物の形にするのならともかくとして。
「こんな感じに常識を無視して独自の道を進んだ挙句に理解しがたい現象を起こすのがアストロイアスと言う男なのよ。私も多少の恩恵は受けているから、悪く言う気はないけれど」
「えーと、とりあえずご主人様が常識外れだって事は分かりました」
「……」
ネーメが溜息を吐き、クロが俺の方を見ながら同意する。
まあ、俺の魔糸の扱い方が常識から外れているのは否定しないが。
「で、話をクロエリアの件に戻すなら……糸使いとして目覚めておらず、魔糸を操れない人間の体から切れないように魔糸を取り出すってのは、それこそ目で見えるかどうかってぐらいに細い魔糸でも使わないと無理な行為なの。細い魔糸だけでも無理だけど」
「まあ、誰にでも出来る事ではないな」
「ご主人様は凄いんですね」
「ついでに言えば誰に対しても出来る事ではないな。他人の体内の魔糸に干渉するのは危険を伴う行為だし」
なお、今回クロの魔糸を引き出すことに成功したのは、クロの魔糸が持つ異常な粘性と、それに伴う切れづらさによるところも大きい。
恐らくだが、普通の人間や糸使い相手に同じことをやろうとしても、途中で魔糸が切れてしまうだろう。
「それで、クロエリアの魔糸はどんなものなの?」
「こう言うのです」
クロが掌から紫がかった黒い魔糸を体外に出す。
ただしだ。
「それだけ?」
「はい、どうしてかこれ以上体から引き離せないんです」
現れた魔糸はクロの皮膚から数ミリメートルほどしか離せず、それ以上は離そうと思ってもクロの皮膚の表面を這うようにしか動かせない。
「また厄介な特性ね……」
「まあな」
「特性?」
クロの目が俺とネーメの二人に向けられる。
「魔糸の中には、時々妙な性質を持ったものがあるのよ。金属に繋げると変な力を纏い始めるとかね」
ネーメの視線が俺に向けられる。
確かに俺の魔糸は特性を持っている。
金属……特に鉄に繋げると電気を纏うようになると言う性質だ。
この電気は俺の意志に依らず、物理的法則に従って動くため、気を付けて扱わないと自分自身が感電してしまう危険な性質である。
それでも俺は使い物になるようにと、今世と前世の知恵を総動員する事で、スタンガンのように扱うなどの有効な使い方を幾つか見出したのだが。
「それじゃあ私のこれも……」
「特性でしょうね。体から殆ど離せないってところかしら」
「たぶんな。それと、この特性のせいで糸使いとして今まで目覚めることも出来なかったんだ」
クロの魔糸の特性は……体から離せない事もそうだが、自分の魔糸に触れた他人の魔糸を奪うのもそうだろう。
扱い方によってはクロ自身にも危険が及ぶ可能性がある特性だ。
いずれ、きちんと調べると共に、安全な扱い方や超えてはいけない一線を一緒に考える必要があるだろう。
「ま、特性ってのは使い方次第だ。気を付ける必要はあるが、悲観する必要は無いから安心しろ。クロ」
「はい、ご主人様」
「そうね。他の糸使いなら無理でも、アストならその辺りも含めて教えられるでしょうし……むしろ丁度いいのかもしれないわね」
さて、こうやって話をしている間に俺たちは目的地である平民街の一角、チットウケ商会に近づいている。
人通りは確実に増え、事件についての噂をある事ない事囁き合っている。
俺はクロに魔糸を出さないように伝えると、少しばかり周囲に注意を払ってみる。
「どうかしら? アスト」
「見られている感じはあるな。ただ、どういう理由かも分からないし、放置するしかないな」
フルグール孤児院の時と同じようにこちらを窺っている感じはある。
ただそれが、事件を追う俺たちを警戒しての事なのか、平民街に貴族が現れると言う状況を警戒してなのかは分からない。
「とりあえずは事件現場を見てしまおう。日が暮れるまであまり時間がない」
「そうね」
「分かりました」
まあ、現状では警戒するに留めよう。
今はまず、俺たちの敵であると断言できる者たちが居た、チットウケ商会の調査からだ。
そうして俺たちは現場を封鎖していた衛視に断りを入れてから、石造りの建物であるチットウケ商会の敷地に踏み込んだ。




