第18話:第七局-1
4月第1青の日。
昨日一日でクロの身なりを整えた俺は、クロを連れて職場である『ヨル・キート調査局』第七局へとやってきていた。
人気の少ない石造りの三階建ての建物は普段通りで、屋上から地面に向かって垂れ下がっている茶色の大きな飾り布も同様。
だが、俺もクロも一昨日と比べて明らかに緊張した面持ちで、衛視が守る正門を抜ける。
「すぅ……『ヨル・キート調査局』第七局局員アストロイアス=スロースです。入室してもよろしいでしょうか?」
そして、誰ともすれ違う事なく独特の足音を立てつつ第七局の中を歩いていき、俺は『局長室』と書かれた札が提げられた扉の前に立つと、軽くノックをしてから入室の許可を求める。
「入りたまえ」
「分かりました。失礼いたします」
中から俺たちに対して入室許可を与える声が聞こえてくる。
俺はドアノブをゆっくり回して、局長室の扉を開く。
それから先に俺が局長室の中に入り、続けてクロが静かに局長室の中に入る。
「入室許可、ありがとうございます。局長」
「うん」
部屋の中には三人の男性が居た。
三人とも俺の知り合いであり、その人柄は把握しているが、場に合わせて相応しい態度を取れる事は知っているし、その目が正確な事も知っている。
だから俺は緊張を保ったまま、必要な事を必要な量だけ口にする。
「世辞の類は面倒だから無しにしよう。さて、用件は何かな? アストロイアス君」
中央の男性、若干後退気味の茶髪に青い目、それとちょび髭が特徴な男性。
レジンスア=エンシェト第七局局長が肘を机に置いて、両手を組むことで口元を隠しつつ尋ねる。
「本日より私が従者を連れて活動するため、紹介に参りました」
「後ろの子がそうか?」
「その通りです。スインツテア=クックア様」
続けて口を開くのは、左手側の机に着いている桃色の髪に赤い目を持った男性。
実質的な第七局の副局長であるスインツテア=クックア様がクロへと視線を向ける。
「クロ、自己紹介を」
「はい」
俺に背中を押される形でクロが一歩前に出る。
「先日よりアストロイアス=スロース様の従者を務めさせていただく事になりました、クロエリアと申します。侍女として不慣れな身の上であるために皆様に多くの迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが、何卒よろしくお願いします」
クロは自分の名前を名乗った上で、綺麗なお辞儀をしてみせる。
そしてクロが顔を上げたタイミングで……
「うん、合格だねー。急ごしらえでも教えられたとおりに挨拶とお辞儀が出来るなら大丈夫そうだ。いやー、安心したよ僕は」
「局長に同感だ。これならばきちんと教えれば、外に出しても大丈夫だろう。アストはいい子を連れてきた」
「あ、ありがとうございます!」
「ありがとうございます」
局長もスインツテア様も笑顔でクロを受け入れてくれた。
「zzz……」
なお、同時にこの部屋に居て、まだ声を発していなかった男性、白髪に茶色の目を持つ老人、ウォルカタ=ソマスティア様はイビキをかき、鼻提灯を膨らませ始めた。
どうやら、得物である剣を抱えたまま寝ていらしたらしい。
まあ、平民なら人生50年、貴族でも60年ちょっとと言うこの世界で、70を過ぎて80に近いウォルカタ様は生き字引と言えるほどの老人。
このまま寝かせておくべきだろう。
「では改めて、僕は『ヨル・キート調査局』第七局局長のレジンスア=エンシェトだ。現エンシェト羊爵の弟になる。これからよろしくね」
羊爵と言うのは綿爵の上で、所謂領主と呼ばれる地位にある貴族であり、エンシェト羊爵は『ヨル・キート王国』の中でも南の方に領地を持っている。
局長はそのエンシェト羊爵の弟なので……まあ、俺のような麻爵の三男坊とは比べ物にならない程に偉い。
「では俺も。俺は『ヨル・キート調査局』第七局局員のスインツテア=クックア。クックア麻爵の弟になる。兄貴の事は……まあ知らないだろうし、別にいいか」
スインツテア様の兄上は王宮で王家の方々の為の料理を作っているらしい。
平和な『ヨル・キート王国』であっても常に毒殺やら暗殺やらに警戒する必要がある王家の料理を作る事を許されている、それだけでもクックア麻爵家の重要性が窺えると言う物である。
ヨリート河の管理を任されているヨリート綿爵家……ディックの家と同じで、限りなく羊爵に近い綿爵とでも言えばいいのだろうか。
何にせよ、俺とは別格なのは確かだ。
「zzz……」
「そっちで寝ているウォルカタ老は元王家の剣術指南役だった方だよ。まあ、今は寝かせておいてあげてね」
「わ、分かりました」
局長の言っている事は正しい。
が、それだけでなくソマスティア綿爵家は代々王家の剣術指南役を務めている家系であり、王家の権力を用いることは無いが、その気になれば王家に物申す事も出来ると言うのだから、とんでもない話である。
「ようこそクロエリア君。『ヨル・キート調査局』第七局は君を歓迎する。色々と学んでもらう必要はあるだろうが、君の存在が王国にとって不利益しかもたらさない存在にならない限りは、第七局の名誉にかけて君を守るとしよう」
「あ、ありがとうございます!」
さて、これからクロは第七局の中で保護されつつ、貴族に仕える侍女として必要な技術を学ぶことになる。
それはきっと厳しいものになるだろう。
だが、クロならばきっと局長とスインツテア様のお眼鏡にも叶う事だろう。
それだけの頭の回りの良さは俺に見せてくれているのだから。
ただ、一つ教えておくならばだ。
「そうだ。局長、スインツテア様、クロですが四則演算とお金の両替は問題なく出来そうです」
「ご主人様?」
俺の言葉に局長とスインツテア様の目の色が微妙に変わる。
「絶対に確保しよう。スインツ君、アスト君」
「心得ました。局長」
「ありがとうございます。局長」
「えと?」
クロの価値はクロが思っているよりも高いと言う事である。
なにせ、この世界には貴族や商人であってもマトモに計算が出来ない者が居るくらいなのだから。
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