恐ろしいほどに運命的に
「おおきくなったら、けっこんしようね!」
「うん。約束だよ」
小指と小指を絡め合った幼少期の記憶は、綺麗なままで、俺は高校生になった。
***
高校生になって約一ヶ月、クラスにもすっかり馴染んで友達も出来た。
異性の友達は、目を引き焼くような真っ赤な長い髪をした子だ。
「あ、辞書忘れた」
隣でカバンをひっくり返しながら言う、その赤い髪の友達は、絵崎 美緒ちゃんといい、あだ名はMIOちゃんだ。
何でローマ字表記なのか聞いたところ、不思議そうに首を傾けられ「それがペンネームだから」と言われてしまった。
曰く、MIOちゃんは写真のコンクールで何度も入賞を果たしているようで、それも学校の部活からではなく個人で出したもののため、ペンネームを使っていたとか。
声をかけられる時に、何となく意識の切り替えが出来て良いんだ、と話していた。
「……辞書なきゃダメかな」
「ダメだと思うよ。今日は絶対使うって言ってたし」
現代文で使う辞書を忘れたらしいMIOちゃんは「だよねー」と間延びした声を上げる。
「誰か借りれる人とかいないの?MIOちゃん、他のクラスに友達いそうだけど」
「えー?友達って言うか、幼馴染みいるよ」
幼馴染み、MIOちゃんから初めて聞いた単語に、目を丸くする。
鼻筋に沿って落ちてきた眼鏡を押し上げ、そうなの?と問えば軽く頷くMIOちゃん。
ブレザーのポケットから取り出されたスマートフォンは、真っ赤な地に大きな黒猫が描かれたカバーが付いている。
すいすいと動く指先は、緑のアイコンを押して誰かに連絡を取っていた。
軽快な通知音が止まると、MIOちゃんは俺の方へと体を寄せ「会ったことなかったよね」と笑う。
元々下がり眉にタレ目のMIOちゃんは、笑うと糸が切れたように溶けたような感じだ。
「うん。ていうか、同じ高校なんだ」
「そーだよ。四人一緒」
目の前に突き出されたピースサインに「えっ」驚きの声が漏れた。
「あ、私も合わせて四人だから」
目の前で振られるピースサインに何とか頷くが、三人もいる幼馴染みが本人も合わせて四人揃って同じ高校なんて珍しい話だ。
よっぽど仲が良いのか、そう思っている間に、音を立てて教室の扉が開かれる。
朝のホームルームまで十五分は時間があるので、生徒の誰かだ。
「あ、来た来た」
体を寄せたまま顔を上げたMIOちゃんは、開いた扉の方へと手を振る。
すると二つ分の足音とともにやって来たのは、一組の男女だ。
女の子の方は、黒縁眼鏡を掛けた癖のある髪を胸元まで伸ばした子。
男の子の方は、長い前髪で片目を隠した中性的な子。
どちらも綺麗、という表現の似合うタイプだ。
「えっ、何でどっちも辞書持ってないの」
「俺使うし」
「私も使う」
「授業時間違うじゃーん!!」
端正な顔立ちをそのままに、二人揃って同じ回答をするMIOちゃんの幼馴染み。
不満そうな顔をしたMIOちゃんはその顔のまま俺を振り向き、二人の紹介をし始める。
女の子の方は文ちゃん、男の子の方はオミくんというらしい。
本名は文崎 美生に創間 緒美だということは、本人達の補足によって知る。
しかしそれを聞いた俺が首を捻れば、MIOちゃんが察したように両手を打つ。
「そう言えば作ちゃんは?」
「寝てたわね。一応は起こしたわよ」
一応は、と再度強調する文崎さんこと文ちゃん。
MIOちゃんもそうだが、どうにも幼馴染みの二人もあだ名で呼ばれることを望むらしい。
そのことに対して、俺が何か進言出来るわけもなく、そのままあだ名で呼ばせてもらうことにした。
「……呼んだ?」
ぺったり、小さな足音が聞こえ、MIOちゃんの目の前に辞書が現れる。
分厚い辞書は何をどう見てもどこからどう見ても、紙媒体の辞書、辞典だ。
「ねぇ、作ちゃん」
「何」
「電子辞書はないんでしょうか……」
「それは家で使ってる。大体授業で使うならこっちの方が良いよ」
抑揚のない声音は淡々と紙媒体の良さを語り、MIOちゃんが生気を吸われるように徐々に元気がなくなっていく。
それを見る文ちゃんもオミくんも、小さく息を吐き、淡々とした言葉が途切れると同時に声の主の肩を左右から掴んだ。
ふわりと揺れる黒髪は癖があり、肩に触れる長さまで伸ばしっぱなしだった。
その髪の持ち主は、小綺麗な顔立ちで、僅かに眉を寄せて左右に控えている文ちゃんとオミくんの顔を見比べる。
俺も俺で、その子の顔を見つめた。
「私の三人目の幼馴染み。作ちゃん、作間っていうの」
何故か苗字だけ紹介してくれるMIOちゃん。
その手にはしっかりと借りた辞書が握られており、俺はそれと作ちゃんの顔を見比べる。
そうしていると、俺と目が合った作ちゃんは、不意に真っ黒な目を細め、腰を屈めるようにして俺の顔を覗き込む。
突然の行動に腰を引けば、更に近付く。
不思議そうな三人の声が聞こえた。
「かなちゃん?」
抑揚のない声が確かにそう言った。
「……さくちゃん?」
喉を引きつらせながら俺が言う。
彼女、ならぬ彼の背後にいる三人は不思議そうな顔のままお互いの顔を見比べ合い、俺は記憶の中の姿を引っ張り出して照らし合わせる。
勿論、目の前の彼女ならぬ彼も、同じことをしているのだろう。
唇を撫でる節立った指先が忙しない。
今よりも確実に小さな小指と小指を絡めた時、その相手はショートカットと呼ばれる肩に触れるか触れないか程度の髪の長さだった。
大きな黒目は、長いまつ毛に縁取られており、着込んでいた服も外遊びには不向きと思えるシャツにスラックス。
それでも、それでも雪のように白い肌に、きゃらきゃらとした高い声。
あれ、でも、あれ、ぐるぐると目の前が回り始めた頃、唇を忙しなく撫でていた指先が俺の方へと伸びてくる。
「男、だったんだ」
心底驚いた、というように目を丸める彼女ではなく彼に、俺は失神しそうになった。
***
「……つまり要約すると、子供の頃に会ってて結婚の約束をしたと」
「うん、そうなるね」
ハハッ、と笑い声を上げるさくちゃんこと作ちゃんの顔はこれっぽっちも笑っていない。
無表情で笑い声だけをわざとらしく上げており、俺も口元を引きつらせる。
小指と小指を絡め合った幼少期の記憶に間違いはなく、間違っていたのは俺達のお互いに関する認識だ。
俺は作ちゃんを女の子だと思い、作ちゃんは俺を女の子だと思っていた。
単純に言葉にすれば、あまりのバカバカしさに涙が出る。
鼻を鳴らせば、MIOちゃんが「どんまい」と俺の背中を撫でてくれた。
若干というかほぼ確実に口角が上がり、体が震えているので笑っているが。
「子供でも何となく分かるだろ……」
「いやほら、ボク小綺麗な顔してるし。かなちゃん可愛い顔してるし」
ほら、と自分の顔と俺の顔を指差す作ちゃんに、肩が跳ねる。
それを見ていたオミくんが、疲労感を滲ませた溜息を漏らす。
俺も衝撃の事実過ぎて疲れてるけど。
冷や汗を流しながら笑い声を上げれば、引きつったそれにも関わらず作ちゃんは俺に顔を近付ける。
幼少期と変わらず、黒い髪と黒い目は健在で、長いまつ毛は量が増えていた。
シャンプーか柔軟剤かの匂いに目眩がしたが、作ちゃんは俺から視線をずらさずに、丸みを帯びた爪で頬を突く。
かなり爪が肉に食い込んで痛い。
「まあ、ボクは性別の概念に囚われないから。かなちゃんが約束を果たすつもりなら、いつでも結婚しようね」
ミリ単位で上げられた口角に合わせて、ミリ単位で下がった目尻。
思いの外しっかりとした喉仏の浮く首を傾げた作ちゃんに、俺は処理落ちして、今度こそ失神した。