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ブラッディ・ライフ(Bloody・Life)  作者: 逃亡の迅矢
理想と現実
3/3

再臨の兆し

キリヤは薬品の臭いが鼻につーん、とする廊下を歩いて、動かぬボロボロの自動ドアを手動で開け、くぐり抜ける。

すると、風景が一変。

辺り真っ白な部屋へとたどり着く。

薬品の臭いはさらに強さを増し、思わず手で鼻を塞ぐ。しかも何故か焦げ臭い。

「先生…………生きてるか?」

返事はない。とりあえず奥へと進む───と。白衣をぱたぱたとしている女性が一人。

「なんだ先生。いるなら返事してく……れ…………よ?」

声をかけて女性に寄ると、焦げ臭いのがさきほどより増しているのに気がついた。

「ああ、君か。うっかり躓いて薬品に火がついちゃってね。申し訳ないが、助けてくれ」

思わず絶句した。

「何やってんだよ!いい歳してドジっ子!?残念美人にプラスしてまだ増やすか!?誰に支持される属性だよ!」

「いやそんなつもりはないのだが……とにかく助けてくれ─────あっ、白衣に火が……」

「ああ!クソッ!先生どけ!」

横にある消火器使え、と思いながらそれを手に取る。

女性を退けると、消火器を火に向けて放射。

数秒で火は消えた。

「先生……すぐそこに消火器あるんだから使えよ」

「すまないね。焦ると周りが見えなくなるんだ。私は……」

「よーく知ってますよ。あなたとどれぐらい一緒にいると思ってるんですか。人生半分くらいは一緒に過ごしてますよ」

「ああ、そういえば君と私が出会ってから16年か……私だけが随分と歳を重ねてしまったな」

「寝てたんだから仕方ないじゃないですか。おれだってびっくりしましたよ。起きたらあんなに綺麗だった先生が残念美人になってますし……」

「当時私は20歳、君は5歳。そして、三年間親子のように一緒に過ごして君が眠り、5年経って君が目覚めたときに私は28で君は8歳。さらに7年もの時が経って、いまでは35と15。20も君と離れている。ずるいな」

ムスッと女性は頬を膨らませる。

「そんなこと言われても、そうしたのは先生じゃないですか……あ、これ。いつも手作りのもので悪いけど差し入れ」

「ああ、ありがとう。君の作るものは健康に良くて助かるよ。最近……カップ麺しか食べていなくてね」

確かに、女性の後ろには大量のカップ麺の残骸と割り箸が散らかっていた。

これが─────(たちばな)楓華(ふうか)。5歳の頃から世界の誇る天才科学者だということが驚きである。

天才科学者は変人が多いと聞くが彼女は天才としても変人としても特にずば抜けている。

「でもまさか、本当にここに来たんですね」

「君がいるところに私ありだ。私は君を管理する責任がある。君が海上都市に住めば私もこちらに来るさ。今回の拠点はここだ。どうだ?綺麗な場所だろ?」

「こんなにもの散らかして……どこが綺麗と?いや、このまえの場所よりは綺麗ですけど……それ時間が経ってないからだけだろ……」

「なら私のところに来るたび掃除してくれ」

「お断りします。自分でやってください。それよりおれをここに呼び出した理由を教えてください」

楓華に注がれたコーヒーを受け取り席につく。楓華はマッサージソファに深く腰掛けるとパソコンと同時にマッサージ機の電源ボタンを押す。

「はあ、そうだな。君を呼び出した理由。私の話し相手になってもらいたいと思ってね。未来ちゃんはどうしたのかね?」

「置いて来ましたよ」

「そうか───と、忘れてた。注射もしなければいけないね。腕を出したまえ」

そう言って近くにあったケースから取り出したのは四本の注射器。赤と緑の二色が2本ずつ。それを束ねて一気に刺す。本来感じるチク、とした痛みとは違うズキっとくる激痛に片目を瞑る。

「ほら、終わりだ。拒絶反応はないようだね。相変わらず君は面白いな」

「それでも……チョーッ痛いんですけど!」

「そうか。だが、これも週一回だ。我慢するんだね────と、ようやく私のパソコンもお目覚めか…………」

ちょうどパソコンが起動したらしく長ったらしい三重のパスワードを手馴れた手つきで入力するとファイルを開いた。

「これを見て欲しいんだがね」

楓華が指さしたのは一つの論文。

『幻想獣の再出現についての可能性』。楓華と同じ世界が誇る天才科学者の一人、アリウス博士の論文だ。

「これがどうかしたんですか?」

「いや、実に興味深い論文だったものでね。結論だけでも見て欲しい」


・幻想獣が再び現れる可能性はほぼゼロに等しい。


また現れると書いてあると思ったキリヤはほっとした。しかし、何故か楓華はため息をつく。

「私とは真逆の結論だ。私はそう遠くないうち、いやもうそろそろ現れる頃なんじゃないかと思っていてね」

楓華の言葉にごくり、と息を呑む。

「先生……それはどういうことですか?」

「これは世界で私と君だけが知ってることだが……」

楓華は数秒目を瞑り、黙ると続ける。

「幻想獣の『トイフェル因子』とそれに侵食されないための『抗体因子』。それを体内に1対3で宿したのが彼ら異能力者だ。異能力者が生まれる理由は母体の体内にトイフェル因子が入り込んだ場合だ。それは様々なルートで感染する。多くの場合はトイフェル因子に感染した者の輸血……血液感染かそういった者との性行為……性的感染。そして母親が異能力者……母子感染だろうな。似たような感染症で例えるとHIV、エイズ。そして、トイフェル因子は強ければ強いほど異能力者としては強く、そして人から離れていく。それが未来くんのようなSランクの異能力者だ」

「…………知ってますよ。幻想獣が残した呪い。それが異能力者だってこと……これが知られれば異能力者への差別はさらに悪化することも……先生が言ったことは全部覚えてる」

「さすがは私の教え子だ。どうだい?将来私の跡継ぎにならないか?」

「丁重にお断りしますよ」

「そうか……残念だ」

楓華はコーヒーにミルクを大量に入れると、黒と白が調和していくところを眺めた。キリヤも釣られて自分のコーヒーを見る。黒い。

「砂糖とミルクはいるかい?」

「いえ、いつも通りブラックのままで大丈夫です」

「そうかい。では話を続けよう」

「それで?そのトイフェル因子と抗体因子。異能力者が生まれる理由といい。その話のどこが幻想獣が再び現れることに繋がるんですか?」

「ふっ、これを見たまえ」

カチカチという音の後にパソコンの画面が切り替わる。

幻想獣の生態系資料だろうか。何やら細かい字がぎっしりで全くわからない。

「異能力者は何故、いまも増え続けると思う?」

「先生が言ったことじゃないんですか?」

血液感染、性的感染、母子感染。昔、エイズ感染者が年々増加していったようにトイフェル因子もまた、同じように感染する者が年々増加したからで────

「それもあるが違うな」

楓華はキリヤの考えを一蹴りした。

「言っただろう?多くの場合は、と。感染理由は他にもあるのさ」

画面に棒グラフが映る。

10年前から去年までの異能力者を産んだ母親の増加傾向を表したグラフだ。

「…………これって」

「気づいたかい?今まで穏やかだったグラフが去年、二年前の1.5倍ほど増加したんだ。これはもう一つの感染理由。幻想獣がまだ健在のときによくあった例、知らぬ間に幻想獣に因子を植え付けられた……だ。幻想獣は滅んじゃいない。休眠状態だ。それを兼ねて、私が出した答えは……」

楓華の人差し指がEnterキーをピアノのように弾く。

そしてキリヤは映しだされた文字を見るや絶句した。

『一年以内の幻想獣再出現確率99.9パーセント』

「それが私の結論だよ」

ふと、未来の笑顔が脳裏に浮かぶ。

ちゃんとあいつを守れるのだろか。

否だ。

守れるじゃない。守らなければならないのだ。

─────デモ、ドウヤッテ?

すっ、と楓華の温かい手がキリヤの左頬に触れ、現実へと引き戻される。

「君はいま未来くんを思い浮かべたね。そしてどうやって守り抜くか考えたな」

心の中を読まれた上に楓華の顔が近い。表情を伺っていたのだろう。恥ずかしさを隠してキリヤは思わず苦笑を返す。

「未来くんは効果領域内の生命体全てのバイタル情報を読み取ることができる異能力者だ。それを応用することによって次の動きを察知……つまり未来が見える。君が名付けた通りの能力だな。そんな子の心配をするなら自分の心配をしたらどうだい?」

返す言葉もない。

いまの自分に何ができる?

死なないことを努力することだけだ。

「もう行くのかい?」

「ああ、もう行くよ。未来がお腹空かして待ってるだろうし」

「すまない」

キリヤがドアに手をかける刹那、楓華の一言がキリヤの動きを止める。

「私が君にしたこと……あれは到底許されることではない。恨んでもらっても構わない」

それはあまりにも暗い声だった。振り返ると楓華は何も無い地面を見て俯いている。

「先生顔を上げてください。おれは感謝しています。恨むなんてことできませんよ」

そう言ってキリヤは部屋を出た。


✤✤✤


「エーリーカ、エーリーカ、マジカル魔法少女エリカ!」

とある家電量販売店に未来の声が響く。

「こら未来暴れるな。他のお客さんに迷惑だろ」

「はーい。ごめんなさーいなのだ」

見るからに反省していない未来を見てキリヤはため息一つ。

彼女のテンションが高い理由は二つ。

一つは、未来が大事そうに抱え込むBlu-rayBOX。

ピンク色の丸っこい字で『マジカル魔法少女エリカ』────という未来の大好きなアニメの54話収録もの2万6500円(税抜き)を海上都市での生活に必要な家電製品を買うついでに転入祝いとして買ってもらうことになったこと。

後は、単純にキリヤと買い物というデートを楽しんでいたからだ。

洗濯機や冷蔵庫、電子レンジなど必要最低限の家電製品を購入し、サービスカウンターにて届け先を書いたキリヤは再び、レジへと並んだ。未来が大事そうに抱え込えていたBlu-rayを買う際、女性店員に変な目で見られたのは気のせいでありたい。

「キリヤ……テレビとレコーダーはどうした?我の記憶だと買ってないぞ?」

店を出かけたとき、未来が買い忘れに気づいたのか、キリヤのブレザーを引っ張る。

こんなことを言われると予想していたキリヤは空間ウィンドウを展開、あらかじめ用意していたページを未来に見せる。

「なんだこれは?」

「大手インターネット販売会社のWebページだ。テレビとBlu-rayレコーダーなんて有名な企業のやつならどれも変わらねーし。今日ここで買ったら届くの明日だろ?早く見たいって言うとだろうから先に買っといた。おれらがマンションにつく頃には届いてるよ」

「おお!さすが我のキリヤだな!」

むぎゅう、と抱きつこうとする未来の頭を押さえながら歩いた。


改札口を過ぎ、二人は発車目前だったモノレールに飛び込むように乗り込むと、ちょうど二人分空いていた席に腰掛ける。

「はあ、あぶねぇ、もう少しで終電に乗り損ねるところだった」

「危なかったのだぁー!もう、キリヤが遅いから……」

「どう考えてもおまえだろ。アイスを落とすわ、コーヒーを服にこぼすわ。それで新しい服を要望するわ!気がついたら終電の時刻じゃねーか。ああ、せっかくの休日が……」

「うっ……そ、そんなこともあったなぁ。大体!この街の終電は9時とは!早すぎるのだ!我は悪くない!あははは────んにゃッ!?」

キリヤのチョップ攻撃をもろに食らった未来は「うおおお」とうめき声を上げる。

「おまえってやつは……おれ以外の人がいると口調は大人しい子風なのに……どうしておれだけだと、偉そうな口調で喋んかなぁ?」

「ふふふ、我以上にいいキリヤの嫁はいない!っていうのを知らしめるためなのだ!」

「めんどくせぇ……」

「なんだ?我に天風格闘術奥伝でもやって欲しいのか?」

「遠慮しとくよ。おれは格闘術中伝までしか習ってねーんだから奥伝皆伝のおまえに勝てるわけねーだろ?」

「そっか……なら大人しく我の婿(むこ)になるのだ!」

「ロリコンでもシスコンでもない普通の高校生が生意気な小学生六年生のロリに好意を抱けってことが無理だよ。諦めろ」

「むむむ、我はロリじゃないぞ。超絶美少女、クラスの人気者にて唯一無二のキリヤのお嫁さんだ!」

「それ……ロリを否定できる要素一つもないよな?」

「あ、あるぞ!ほら我の胸を見ろ!」

そう言われて未来の胸元に視線を落すと────あらまあ、可哀想に。神々しく見えるほど美しい壁だった。

「な、なんでそんな憐れむような目で見るのだ!?」

「いや、ぺったんこだなって……」

「こ、これから成長するのだ!あと少ししたらキリヤの好みの大きさになっているのだ!」

「そうかい……ときには諦めることも大切だぞ」

「うにゃにゃにゃにゃにゃ!キリヤのバカバカバカなのだ!」

プクゥと頬を膨らませて腕を振り回す。

「痛い痛い」

しかし、どうしたのだろうか。未来は急に腕を振り回すのを止めると真剣な表情でぴくぴく耳を動かして、

「キリヤ……何か聞こえないか?」

「は?」

「……ほら、また聞こえたぞ。キリヤも耳を澄ませてみるのだ」

言われた通り耳を澄ます。

キリヤと同じくらいの歳の女子の会話、下から聞こえるモノレールの静かな音、そして───────ギシッと確かに聞こえた。

キリヤは限界まで窓を開け放つと身を乗り出して音が聞こえた方を───上を見る。

しかし、直後、逆らいようのない浮遊感に襲われ床に叩きつけられる。

「ぐっ!」

理由は突然モノレールが停止したかららしい。異常を知らせるベルが響く。車内の者たちは何かあったのか?と騒いでいる。

「大丈夫かキリヤ!」

窓から弾かれたのを心配してか、未来がこっちに寄り添う───が。

「──げろ」

大丈夫じゃない。

キリヤは一瞬だが見た。

「逃げろ……未来」

みしっ、みしっという音の正体、暗闇の中で紅く輝く一つしかない─────眼を。

「全員窓から飛び降りろおぉぉぉぉおぉぉぉぉ!」

だが、遅い。

そう叫んだときにはもう既に、外から加わった異常な力によってモノレールは線路ごと崩壊。さっきまで壁だった床に叩きつけられる。肺から空気が押し出され気を失いかけるが、手を伸ばして未来を抱き寄せる。そして逆らいようのない浮遊感。破壊されたドアからキリヤと未来は闇の中へ放り込まれた。


✤✤✤


名前を呼ばれたような気がして重くなった瞼を無理やり動かした。

身体中が痛い。口の中が塩っ辛い。それは自分が嗚呼(ああ)、生きてるという実感をもたらした。

ぼやけていた視界は徐々に、曇が晴れていくようにどんぐりのような丸っこい瞳の少女の輪郭をはっきりと。

「おお、キリヤ大丈夫か!」

「…………未来?」

「ああ、キリヤの愛しの嫁ミクだぞ!我を庇って自ら自分を下にするとは……心配したのだぞ!」

「ああ、悪い」

未来に肩を借りて立ち上がる───と。

「なんだよ……これ」

まだぼけているのか。それても夢なのか。

しかし、何度目をこすっても消えない焼け野原がキリヤの琥珀色の瞳に映っていた。

「わからない。だが、あれを見ろキリヤ」

未来が、指差す先には真っ黒い横長の物体がアスファルトを壮大にえぐり取り大道路を塞いでいる。

────まさか。

「ああ、我らが乗っていたモノレールだ」

「────────ッ!」

「おい、キリヤどうしたのだ!」

身体中の痛みを忘れて赤い炎によって照らされる道を走った。勝手に足が前に進む。自分のものではない感覚とはこのことだろう。

辺りを見渡し─────ようやく一人。瓦礫に埋もれる人を見つけた。

「おい!大丈夫か!」

駆け寄り、うめき声を上げる男に手を伸ばす──が。ぺちゃ、と。雨も降っていないはずなのに水たまりを踏んだときのような音が足元から聞こえた。

暗くて見えない。だが、それはキリヤを恐怖に追いやるには十分すぎた。

「…………ごめん。ごめんな……さい」

膝が折れた。

男の下半身がなかった。助けようにも出血量が多すぎて救うどころか、あと数秒も持たないだろう。

たっ、たっ、たっ、と足音が聞こえる。後ろに振り返らず「他は?」と。

しかし、「だめだった……すまない」と。

言葉の槍がキリヤの胸を穿つ。

痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。胸が、心が悲鳴を上げている。

何人死んだ?

キリヤの記憶では二人が乗っていた2号車だけでも20人はいた。それが4車両。一体……誰が────いや、知っている。

──────ああ、そうだった。

ぎりっと歯ぎしりをして立ち上がる。

未来を見れば、視線だけで察したのか「ああ、わかってる」と頷いた。

10階建てビルの屋上。その上に君臨する巨大なオオカミの姿をした化け物をそれぞれの瞳に映して。

「これより、海上都市に現れた幻想獣を駆逐する」

「了解したぞ。キリヤ」


✤✤✤


「天風抜刀術は今日を境に封印する」

キリヤの父───天風慎太郎は真剣を喉すれすれのところで刀を止めると低い声でそう言った。

場所は天風家の道場。時間は蛍など夏の虫が飛び交う10歳の夏の夜だった。

風も絶えた道場は蒸し暑く、汗くさい。

キリヤは慎太郎に勝負を挑んだ。

いまの自分の力を確かめたいという理由を上っ面に浮かべて、内心では自分を子供扱いする父親を見返してやろうと。

奥伝を皆伝し、自分より格上、道場の中で一番強かった門下生、石田春人に圧勝した。

これなら勝てる──と。

普段、稽古で使う木刀ではなく真剣で。

異能力は使えないといえど異能力者である自分が普通の人間である父親にスピード、力、全てにおいて劣るはずがない。

しかし、勝負は一瞬────負けた。

それは素直に認める。だが、

「なんでだよ!なんで天風抜刀術を封印するんだ!」

天風刀術を封印するということは認められなかった。

「斬夜。先日、石田と決闘したそうだな」

なぜその話をいまする、と慎太郎を睨みつける。だが、返事だけはしておこうと頷いた。

「そして、異能力者としての力を使った」

「ああ」

「私が禁止したことにも関わらず、石田を力でねじ伏せた────違うか?」

「ああ、その通りだよ」

慎太郎は刀を鞘に収めるとキリヤの肩を掴んだ。

「斬夜……天風抜刀術は元々、幻想獣を滅ぼすために生まれたというのは知っているな?」

「ああ、知ってるよ」

「そして斬夜。おまえにはその才能と異能力者としての力がある。そしてそれには同時に責任が生まれる」

「せき……にん?」

「そうだ。才能と力がある者には正しく刀を振るうという責任がある。斬夜。己の守るべきものを見つけろ。そしてそのために刀を振るえ。それまでは天風刀術を封印する。いいな?」

それを聞いた自分は「ああ、任せろ」と大きく頷いた記憶がある。

「なあ……未来」

目をゆっくりと開いてブラック・ブラッドに弾を込める未来を呼ぶ。

「なんだ?キリヤ」

「…………天風抜刀術を使おうと思ってる」

「おお、それはホントか?キリヤの抜刀術、我も初めて見るぞ!」

「ああ……本当だ」

守るべきものはまだ見つかっていない。

だけど─────

「相手は幻想獣、しかもおそらく大型種(レベル3)の中でも特に速い『フェンリル』だ。ただ刀を振るうだけで勝てるわけがない。ただし……」

「わかってるぞ。慎太郎には言わんから安心するのだ」

「ああ、助かるよ」

「ただし、我も────」

「ああ、この状況だ。思う存分やれ」

「さすが我のキリヤだ。愛してるぞ」

「うるせぇよ。歳の差を考えてから愛を語れ」

ふう、はあ、と深く深呼吸し、夜空に向かって鉛弾を撃つ。同時に後方にダッシュ。一番近いビルを駆け上がる。直後に轟音。

一瞬だけそこへ目をやると二人がさっきまで立っていた場所にオオカミ型の化け物が紅い一つ眼を輝かせていた。

間違いない。大型種『フェンリル』。

「未来!」

「任せるのだ!」

キリヤより上にいた未来がビルの間を飛び、太ももに巻かれたホルスターからブラック・ブラッドと愛銃イグジステンスの二丁を引き抜き交互に撃つ。

胴体、鼻に被弾したフェンリルは周囲の窓ガラスを割るほどの咆哮上げると未来に狙いを定め、上空へ跳び上がる。猛スピードで上昇し、鋭い牙で獲物を噛み砕く────ように見えたが、空中で身体を捻りギリギリ回避する。

逆らいようのない重力に引かれ自由落下。道路を背にさらに撃ち込む。それは吸い込まれるようにして真っ直ぐな線を描きフェンリルの前足と後足を撃ち抜いた。

未来は電柱に着地、そして跳躍。一方、空中で体勢を崩したフェンリルは落下。巨大な体が道路にクレーターを作る。

「いまだぞキリヤ!」

紅き眼が先に立つキリヤを映す。後足に風穴を空けられたフェンリルは立つこともできず、しばらくの間、犬歯を剥き出しにしてキリヤを見ていた───が、

「ああ、わかってる」

次の瞬間、キリヤめがけて走り出した。

よく見れば未来が与えた風穴が既に消えている。幻想獣特有の恐ろしいまでの再生能力。

フェンリルが地を踏む度に起こる地響きを身体中に感じながらキリヤはゆっくりと瞼を閉ざす。

鋭い爪がキリヤに振り下ろされる刹那─────月の光を反射した黒鶴が輝く。


─────天風抜刀術中伝。

未来にはキリヤがただ何もせずにフェンリルをやり過ごしたようにしか見えなかった。

背後のフェンリルが咆哮を上げて再び風を巻いた前足を振りかざす。未来がキリヤの名を呼ぶが、避ける必要はない。

キリヤはふう、と息を吐き、力を抜くと黒鶴を鞘に収納する。

ゆっくりと振り向くとあと一センチのところでフェンリルの爪先があった。しかし、それ以上フェンリルの体は石化したように動かない。やがてフェンリルの体がぶるぶると震え始め、

「月下・桜吹雪」

ぱちんと指を鳴らした次の瞬間、水風船が割れるときのようにフェンリルの体が弾けた。粉々になった肉片は四散し、生暖かい夜の風にさらわれ桜吹雪のように散る。

フェンリルの内部にあった黒い物体が露わになる。

黒い物体『鉄核』────幻想獣の心臓だ。

これを破壊しない限り、どれほど粉々なろうと15秒以内には肉体が完全再生する。

「トドメだ未来!」

「がってん承知なのだ!」

未来の靴底に仕込んであったナイフが姿を現す。輝く月を背に流星の速度で鉄核を蹴る。黒い塊が砕け散り、遅れてきた衝撃波から顔を腕で庇う。

煙が上がる中、小さな影が現れる。

「勝ったぞキリヤ!」

Vマークと満足そうな笑顔を浮かべる未来だ。二丁の銃をホルスターにしまい胸に飛び込んでくる。

「ああ、おつかれさま」

未来を抱き寄せながら瞼をきつく閉じる。

─────笑えよ。喜べ天風斬夜。おまえは倒したんだぞ。フェンリルを。ホコリを払うみたいに人間(あいつら)を殺したやつを。

笑いがこみ上げてくる。


────ちくしょう!ちくしょうッ!

そんな中、そんなキリヤたちを祝福する拍手が聞こえた。自分の心から聞こえたのかと思ったが違う。

未来を背に隠し、刀を抜き刃先を奥の闇に向ける。

静かな足音が闇の中から聞こえ、革靴を履いた足先が現れる。そこから黒いフード付きマントを羽織った長身細身の身体と縦に亀裂が入ったピエロのような仮面を被った顔が露わになる。

「いやいや、素晴らしい。まさかフェンリルを倒すとは思わなかった。おめでとう」

「誰だ」

「そうだね。本名は言えないが、影星と名乗っておこうか。ああ、勘違いはしないで欲しい。本当の名で名乗りたいのはやまやまなんだが……客に『まだ誰にも名を言うな』と止められていてね。あっ、そうそう。刀をしまってくれたのはありがたいが、それは抜刀の準備だね。できれば警戒の方も解いてくれないかな?」

「断る」

「…………ふむ。仕方ない。わかった。じゃあ、このまま話そう。君とお嬢さん。名前は?」

「天風斬夜」

「キリヤのパートナー天風未来なのだ」

「斬夜くんに未来くん、ね。うん、いい名前だ」

顎に手を当てて男は笑う。

何か用か?と聞く前に男は続ける。

「改めておめでとう。僕の飼い犬。フェンリルをよく倒した」

「ペット……だと?」

「そうだ。モノレールをフェンリルに襲わせる。あれは僕が意図的に引き起こしたものだ」

プツッと頭の中で何かが切れた音がして突然、自分を制御できなくなった。気がつけば男の懐に飛び込んでいた。

──────天風抜刀術初伝。

星輝蜂(ほしきばち)!」

刀を引き抜くと同時に切り上げ、勢いを利用して回転し、刃先が煌めく音速の三段突き。

だが、

「ふむ、天風流の抜刀術ね。素晴らしい剣さばきだ」

男は切り上げを軽々とかわすと三段の突きの内二段を人差し指だけでいなす。殺気のこもった最後の突きはだが、眉間一歩手前で親指と人差し指を使い、たった指二本で受け止めた。

「ばかな」思わず呻き声に似た声が出る。

「お見事。だが残念。僕でなければいまごろ死んでいるだろうね」

めりっ、と音を立てて男の拳がキリヤの腹部にめり込む。痛みを味わう暇もなく続けてハイキック。男の右手が腰にいったと思うと、ぎらりと銃口が睨む。左肩に被弾。

「ぐッ!」

「キリヤ!」

地面に叩きつけられそうになるキリヤを未来が受け止める。痛みに耐えつつ男を半目で見ると、ちょうど純白の銃をマントの裏のホルスターにしまうところだった。男は手品を見せた手品師のように一礼し、背を向ける。

「斬夜くん。未来くん。今日は初回限定だ。これくらいで終わりにしよう」

「待てッ!」

「安心したまえ斬夜くん。僕は君が気に入った。僕と君は近いうちにもう一度会うだろう。そのときに─────」

言葉だけを残し、男は闇に消えた。

警備隊の事情聴取は10分もせずに、現場の検証は30分足らずで終わった。

幻想獣が現れたというところに長居したくないのだろう。しかし、キリヤはこうも思う。『異能力者(非人間ども)に費やす時間はない』と言いたいのだろう、と。

左肩に鉛弾が残っていないか確認し、軽い手当を済まして医務室を出ると目の前の席に二人の影。肩を寄せ合って静かな寝息を立てる未来と琴音が冷たい席に座っていた。

「…………キーく……ん?」

「おはよう琴音」

「─────ッ!キーく……」

大声を出しそうになった琴音を人差し指を彼女の唇に当てて静止させる。琴音も慌てて自分の口を手で押さえ、未来を見る。どうやら起きてはいないらしい。

「手当……終わったよ。ごめんな。おまえだって忙しいのに………」

「いいんよ。キーくんが無事なら。それにこういうときは謝罪の言葉やない。ウチが欲しいのは─────」

「ああ、そうだったな。ありがとう」

「どういたしまして」

にっこりと笑顔を浮かべた琴音はだが、突然顔をしかめて、

「キーくん……左肩。大丈夫なん?」

「手当したって言ったろ?明日にでも病院に行くつもりだし、大丈夫だ」

「どこの誰だか知らんが……キーくんの完全無欠(パーフェクト)身体(ボディ)に風穴を……やっぱり許せへんッ!」

ブラック・ブラッド二丁内一つをホルスターから引き抜く。

「落ち着け。これはおれが弱いからやられたんだ……」

「でも……天風抜刀術が初伝とはいえいとも簡単に破られたんやろ?」

「ああ」と返事を返す。

あのとき、怒りによって自分を制御できなくなり、天風抜刀術を使ってしまった。相手が幻想獣と想定して創られた天風抜刀術は例え初伝であったとしても防ぐことは門下生でない限り困難を極める。

「それを指二本で破られた」

「に、二本!?人間技ちゃうでそれ!」

「でもやつはそれをやってみせた。それに問題はそれだけじゃない」

「滅んだはずの幻想獣が現れたこと……やな」

フェンリルが現れたという情報はたちまちニュース、SNSなど様々なネットワークを通して世界中に広まった。画面を見るや顔を青ざめる者や逆にデマだと言う者もいる。

────あいつは……あの男は何者なんだ。

瞳に静かな怒りを灯し、瞼をゆっくりと閉ざす。

血が滲むほど強く拳を握りしめ、

『安心したまえ斬夜くん。僕は君が気に入った。僕と君は近いうちにもう一度会うだろう。そのときに─────この世界は再び暗黒時代(ダークネスエイジ)となる』

『幻想獣は滅んじゃいない。休眠状態だ』

キリヤはただ……男と楓華の言葉を思い出した。

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