プロローグ
このままでは完全に遅刻コース確定だった。
まだ、諦めずに急いでいる自分を褒めてやりたい。
「あー!クソッ!あまり目立たねーってーのが俺のモットーなのに!」
遅刻しそうになっている理由は二つ。
盗難だか、なんだか知らんが。警備隊の路上聴取を受け、気がつけばこの時間だったということ。もう一つは小学六年生の妹を通学路まで送ったことだ。
転入生というだけで目立つというのに転入初日から遅刻とはどれほど目立ってしまうことか。
普通の学校なら問題ない。
むしろ、学校などどうでもいい、パソコンでもいじって家でごろごろしてよう、と思ってしまうくらいだ。
しかし、それは普通の学校であればの話である。
ここ、東京湾の海上に浮かぶ人口250万人の『海上都市』は違う。
目立てば絶対に面倒事に巻き込まれるのだ。
面倒事に巻き込まれれば最後。確実に命はない。それほど危なっかしい場所なのだ。
とはいえ、自分からここに行きたいと思ったことは一度もない。
国が強制した。それだけだ。
そうでなければ絶対に進んでこんなところに来ない。
「クソ国家がッ!何が平和主義の国だ!何が平等社会だ!思いっきりちげーじゃねーか!」
日本は平和主義の国、平等社会。
確かに正しい。
戦争をしたこともない。基本的人権は尊重は第二次世界大戦から続く憲法によってちゃんと保証されている。
だが、それは人であればである。
キリヤは腕時計を見るや舌打ちした。
8時55分。
走っても間に合わない時間を針は指していた。
まあ、人間を超えた人でなければだが。
「よっ!」
足に力を込めるや、跳躍。
一回で15メートルほど飛び、道路を挟むビルを転々と壁キック。あっという間に10階建てのビルの屋上に上り詰めた。
あとは、ビルの屋上を転々と飛べばいいだけである。
ビルを飛び降りれば計算上ではぎりぎり一歩手前といったところだろうか。
そうして、キリヤは屋上から身を投げるように飛んだ。
しかし、
「え?」
「は?」
そして、後悔した。
素直に遅刻しておけばよかった───と。
頭を強く打ったのか、キリヤは数秒間生きている実感がなかった。
記憶はある。
確か自分がビル10階の高さから飛び降りたあと……あと……の………………ことである。
突如、建物の影から現れた少女をかわすために、建物の壁から鉄棒のように伸びていたそれに手を伸ばした。
しかし、それは油でも塗ってあったのだろうか。掴んだ瞬間、つるりと手が滑り、真っ逆さまに落ちた。
「いてて、あー、今日はとことんついてねーな」
警備隊に行く先を阻まれるわ、気がついたら少女を後ろから追っていたガラの悪い不良に囲まれているわ。
本当についてない。
「こういうのは美少女が大丈夫ですか?って近寄ってくるのが定番なんだけどな……」
「あ?何言ってんだおまえ?」
「いや、こちらの話です。お気になさらず」
横に落ちていたスクバを拾い上げ立ち上がる。
ちらり、と少女の方を見れば、やはりか。
ガラの悪いやつらの中でもさらに悪いやつが少女を囲んでいた。
怯えているのだろうか。その場に座り込んでピクリとも動かない。
まあ、おれには関係ないことだが……
「ねえ、悪いんだけど、おれ急いでるから通してくれないかな?」
喋ってはいけない空気だったらしい。不良の鋭い目つきがキリヤを睨む。
「あ、あははは……すみません。お取り込み中でしたか」
面倒事は避けたものの、このままでは遅刻コース確定である。
ああ、終わったな。おれも───あいつらも、と目を閉じて一歩───足りない。さらに四歩ほど退る。直後に爆発音。
ゆっくりと目を開けるとキリヤが思った通り不良たちは吹っ飛ぶんだか、腰が抜けていると、ぼろぼろにされていた。しかし、思っていたより意外と被害は小さい。
それをやった張本人である少女は不満げにキリヤを睨みつけていた。
「なんでかわすのよアンタ」
「ははっ、おまえを知ってるからだよ!放火魔がッ!」
ちっ、と少女は軽く舌打ちした。
燃えるようなツインテールで結われた赤髪と深紅の瞳。
彼女の身体を包み込む白いセーラー服は確かにキリヤが今日、転入する予定だった名門浅薙学園の中等部のもの、つまりこいつはおれの後輩───年下だ。
しかし、会うのは一回目ではない。これで二回目。
「先輩相手に容赦ないなおまえ」
「ここでは弱肉強食。強いSランクが勝つようにできてんのよ」
「先輩敬えよ!」
「無理ね。あたしは手加減っていうのが嫌いなのよ」
「生意気な中学生だこと……」
がくり、とキリヤは肩を落とすが、
「死ねっ!」
突如出現した火焰の弾がキリヤに直撃─────したように見えたが、
「ったく、人の話聞けよな!」
背後から声が聞こえた。つまり一瞬で少女の背後へ回り込んでいた。
おかしい。
少女がそう思った────そのほんの一瞬だった。
キリヤは腕時計を見るや、いままで疲れが出ていた顔がぱあっと明るくなった。「まだ、間に合う!」と。
そして、少女など目にない。そう言うかのように後方にダッシュし、その場から消えた。
少女がそれを理解したのはほんの数秒後。
追いかけても捕まえられない距離だった。




