前夜
『帝国』南部、ナハトリ。荒野とも表現できるその地にたくさんの腐臭が漂い、まさしく戦場そのものだった。そこの城へ向かう馬車の中ではアレックスがあるものに怯えていた。
「ここは寒いですねぇ」
慣れない土地にきた彼女は、気温とは別の要因で寒さを感じており、ほかの人から見れば余計なほど服を着こんでいる。
「ああ。ここは魔力濃度が高いからだろうな」
彼女の寒さの原因に思い当たったルドルフは大丈夫だとあやして、こっちにおいでと自分のそばに彼女を抱き寄せた。
「なるほど、言われてみればそうですね。なんとなくですが、魔力を感じます。ありがとうございます」
「あと数十分の辛抱だ」
「はい」
もう城に着くまではわずか。一刻も早く着くことを祈りながら、ルドルフのぬくもりにまどろんでいたアレックスだった。
ナハトリの城。
城主、ナハトリ辺境伯は老齢の男性であるものの、ルドルフたちを嬉しそうに出迎えてくれた。
簡単な食事後、情報交換をする。現在の戦況、敵である南部土着民族の装備などを聞いたルドルフはここにある魔工石の保管量を聞くと、渋い顔をした辺境伯だったが、それでも援軍であるルドルフに嘘は言えないと判断したのか、保管量もすべて教えてくれた。
「で、ここの魔工石の備蓄はもう少しありそうなんですよね」
「ええ。ありますが」
「でしたら、少しおわけいただけませんでしょうか?」
ルドルフの言葉に少し唖然とした辺境伯。
魔工石はあまり流通していない高価なもの。しかも、それを扱えるのはいるのかという疑惑の眼差しだった。
「はぁ……こう言うのはあまりよくはないかもしれませんが、ここの魔工石はあまり質が良くないのですが」
『質が良くない』という辺境伯の言葉は、提供したくないという意味の方便だろうと思ったルドルフだったけれど、ここで引くわけにはいかない。
アレックスを連れてきた意味がなくなる。
「それでも大丈夫か?」
「ええ、問題ありません」
アレックスはその建前に気づいているのか気づいていないのか、問題ないときっぱりと言いきる。
「本当に?」
「無理しなくていいのですよ?」
ヒルダとフレディがそれぞれ気を遣ってくれたが、アレックスは首を横に振ってきっぱりと笑う。
「ええ、本当に大丈夫です。無理もしていません。ちょっと慣れない環境ですし、魔力が多いから少し不快に感じているだけですから」
彼女の言葉は力が入っていない、素直なものだった。
「ああ、そっかぁ。魔力ないレクスにとっちゃあ、魔力がわんさかあるここは辛いのかぁ」
「魔力がない……――?」
フレディが何気なく呟いた言葉に、ナハトリ伯が疑いの目をアレックスに向ける。
あ。
別に彼女自身に魔力がないことは隠す必要がないものの、そんな人間が魔工石を扱うということにまさかと疑ったようだ。一瞬、ヒルダがフレディをとがめるように見たものの、やんわりとルドルフがその場を取りなすように言う。
「大丈夫ですよ、辺境伯。彼女はちょっと特殊な体質で魔力が失われているだけで、魔工石通しての魔力の発現には支障がないことは確認しておりますし、なにより自身で使えなくてもきちんと魔力が発動することは実証済みです」
「ほう」
魔力を持たない人間が魔工石を扱う。
ルドルフ自身もその場を見たことはなかったものの、確証を持ったように言ったことで、ナハトリ伯もアレックス自身に興味を示したようだった。
「ですから、この伯がおっしゃった質の悪い魔工石でも、きちんと質がいいものに変化しますよ?」
結局、その言葉がダメ出しになり、彼女は魔工石を扱わせてもらえることになった。
夜中。
小規模な城塞のため、兵の数はそんなに多くないものの、一つ一つの魔工石に加工を施す作業は半端ない量だ。自室の明かりが消えないことに心配になったルドルフは、非常識だとわかっていながらもアレックスの元に行った。
「あまり無理はしないでくれ」
「大丈夫ですよ、ルドルフ様。あと少しだけですから」
自分を心配してくれているのに嬉しくなった彼女は作業から手を離さなかったが、嬉しそうな声音だった。
「そういうところが心配なんだよ」
しかし、そんな彼女が余計に心配になるルドルフは彼女をそっと抱きしめた。すると、アレックスは一旦手を止めて、彼を抱きしめた。
「ありがとうございます」
出来る範囲でいい。決して気負わなくていいんだ。
静かに言われた言葉をかみしめるように深く頷くアレックスにそっとキスを落としたルドルフ。
そのあと、静かに部屋を出ていった。
後、二話!