仇敵との対決(前篇)
不幸中の幸いで、先ほどイジドア理事長から攻撃を受けた腹部は大したことはなく、ルドルフはいつものように走ることができた。
(いつ見てもアレックスのそばにいるから、てっきり関係のないものだと思っていたが。彼女は大丈夫なのだろうか)
ルドルフはそんなことを考えていた。
魔技能科が入っている建物に到着し、身分証を守衛にかざして建物内に入った。
ルドルフはその容姿からすぐに誰だかわかってしまうため、ここに来るまでの間、彼とすれ違う人はみな、彼の焦りぶりに驚いていた。
しかし、アレックスのことだけを考えていたルドルフはそんな人々の驚きにも気づかず、ただ一刻でも早く彼女のもとへたどり着くことしか考えていなかった。
目的の部屋の前にたどり着くと、勢いよく扉を開けた。
「レクス―――――――」
彼は扉を開けしな、彼女の名前を呼んだが、そこに彼女はいなかった。しかし、代わりにいたのは友人であるフレディだった。
「あら?アレックスをお探しで?ホイットニー公爵子息様?」
アレックスを見守っているときの彼女とは違う声音でそう尋ねられた。だが、それに動揺するルドルフでもなく、
「ここに来るまではそうだったが、今は違う」
とすぐに答えた。フレディは「ふーん」と呟き、
「どうやら気づいてしまったようね」
と独り言のように言った。
「ああ。おまえがアレックスと仲がいいと知ってからずっと気になっていた。普通、騎士科や本科の学生、そして大貴族の子女だったら力をもってして誰かを守ることができる。だから、この国では女性とて重宝される。だが、お前はそうではない。それなのになぜ、お前はそこまでしてアレックスの隣にいるのか」
ルドルフは皇帝に見せもらった書類を思い返していた。
「お前はフレディ・マルディナではなく、レオノーラ・フロイツァ。そうだな?」
その言葉を聞いた瞬間、フレディ―――――レオノーラはその表情を歪めた。
「ええ、そうよ」
「やはり、か」
レオノーラの肯定にルドルフは目を細めた。
レオノーラ・フロイツァ。
彼女の家名は皇帝にとってもホイットニー家にとっても忘れてはいけないものだった。
「よくも舐めた真似をしてくれたものだな」
「それはお互い様でしょ?」
すぐさま返されたレオノーラの言葉にどういう意味だとルドルフは問う。
「そのままの意味よ。あんたがいることは最初から知っていたけれど、エドモンド二世がここにいるとはどういうことよ」
ルドルフはその正確さに驚く。理事長―――正確に言えば元理事長だが―――でさえ気づかなかったというのに。
「お前はそれも知っていたのか。となると、おおもとの雇い主はクレエンディマル家か」
クレエンディマル家は『魅了破り』の魔術が得意な家柄だ。その魔術は本質を見抜く力を持っている。その力を借り受けたのではないのだろうか。
「ええ。あのイジドアは私を雇っているようにふるまっていたけれど、結局はあの男も侯爵家の掌の上で転がされていただけ。それに気づかないなんて愚かね」
レオノーラは歌うように言う。ルドルフは確かに、と思いつつも賛同しなかった。袖口にある魔工石を引きちぎり、戦闘態勢に入った。
「だが、お前はアレックスを監視し、監禁したのだな、《毒花》」
「その名前はやめて頂戴。でも、そうね。そういうことになるわね」
レオノーラも同じように戦闘態勢に入り変貌の術を解いたのか、顔の形は変わらなかったが、髪色や瞳の色が変わった。
「私は侯爵様の命でアレックスを監視していたし、必要とあらば殺せと命じられている」
「それは誰かがアレックスを望んだときか」
「その通り。あの子は―――いえ、あの家はいてはならないの。本物は一つでなければ、ね。だから、あの子を助けに来たあんたも殺してあげる」
次の瞬間、レオノーラは魔工石を指ではじいた。それと同時にルドルフも動く。
「『主、与え給うことに感謝し、我、汝の使徒とならん』」
レオノーラの詠唱により、漆黒の矢が無数にルドルフに襲い掛かる。甘い、といって彼は魔術を使わずに剣ではじき返した。
「卑怯なっ」
レオノーラはルドルフの行為をそう罵ったが、ルドルフはどこ吹く風だった。
「『夢、漆黒、宵、全てのみこむものは何処』」
「『天から吹く無数の羽、地から芽吹く無数の木々、その全てを取り込め』」
レオノーラとルドルフの詠唱により、互いに向けて鏃と槍が飛び交う。しかし、両方ともそれを魔術で、剣で払いのける。
それから、いくつかの魔術を発動させた後、再び二人は静かに向き合っていた。
「お前はなぜそこまでしてクレエンディマル侯爵のために動こうとする」
ルドルフはすでに『フレディ』としての欠片がなくなっているレオノーラに問いかけた。『フレディ』としてのベージュ色の髪は、戦闘前にすでに黒色に変わっており、瞳の色も最初は茶色だったのが、狂気を帯びて金色に変わっていた。
「何のためですって?あなたのように最初から恵まれた人にはわからないわ」
レオノーラはそう言いながらさらに魔術を発動させようとしていた。
「両親は商売に失敗し、実家は借金まみれになった。何人かの気知り合いの貴族にお金を貸してもらえないか当たってみたけれど、どれも駄目だった。当然よね。うちみたいなただの商人風情にお金を貸す貴族なんかいないわ。でも、侯爵様だけは違った。あの方は両親だけでなく、私たちまでも面倒を見てくれた。だから、私はその恩返しをしているだけよ」
そう言って、無詠唱で魔術を発動させた。しかし、ルドルフに焦りは見られなかった。反対に、よくやったという顔をした。
レオノーラはその笑みを見て、何事かと思った。そして、その答えはすぐに分かった。
「これが戦場だったらお前は死んでいたな」
首元に剣を突き付けられ、耳元でささやかれたその言葉にレオノーラは唇をかみしめる。
(三年前の苦い記憶がよみがえったのだろう)
ルドルフはそう思えど、同情はしなかった。
「『監獄』を発動させたようだったが、その分、手元が疎かだったみたいだな」
そういう彼の右目は何かで抉られていた。