新天地と代行者
その後、アレックスの体調は魔力が戻らないことを除けばかなり良くなり、数日で学園に復帰できることになった。
学園に復帰した日、彼女はもともといた講座に荷物を引き取りに行ったが、すでにルドルフの命を受けたものによって荷物は新しい講座に移されており、ジルベルト教授に挨拶をしに行った。
『うん、ヒルダ君だけじゃなくてルドルフ君まで血相を変えて僕んところに来たときは、びっくりしたよ』
教授はその顔に似合わない気さくさでそう言う。どうやら、学園の首席二人に自分のことを聞かれるなんて思っていなかっただろう。少し教授に同情した。
『まあ、でも君がこの学園に残れるって聞いて一安心した。あの魔力増幅の研究は、ぜひとも君に完成してもらいたくてね』
その言葉に一瞬返す言葉が見つからなかったものの、少し遅れて、はい、と言うことができた。
そう言って、彼女はジルベルト教授や詠唱学の同期や先輩たちに見送られて、部屋を出た。その後、新しい講座の部屋に向かい、新たな指導教授であるフリードリヒ教授と対面した。彼はジルベルト教授の後輩にあたる魔術師であるが、彼と同じようなギャップがあった。彼の短く整えられた黒い髪や銀縁の飾り気のないモノクルをかける姿は、いかにも非常に厳格そうな人に見えた。
『君がホイットニーから推薦があったアレックス・ムーブメントだな』
彼女の挨拶もそこそこに、フリードリヒ教授にそう言われたアレックスはすくみ上ったが、
『ジルベルト先輩も君のことを評価しているわけだから、ホイットニーが推薦するのもあながち悪くない目だな』
と、一転してにこやかに言われたので、その差に彼女はどう反応すればよいのかと困った。そして、新しい同期や先輩となる講座に参加している学生たちを紹介してもらい、講座に配置されている設備や取らなければならない講義の説明を受けた。
フリードリヒ教授のもとに研究をしている学生は優しい人が多く、どうやらアレックスを含めても男子は全くいないという、学園内では珍しい講座だった。そして、こちらも幸いなことに、昨年やおととしの間に彼女は技術系の講義を多くとっていたので、魔技能科を卒業するのに必要な単位はあと数個で済むことが分かり、来年いっぱいで卒業が可能であるということも分かった。
「本っ当に心配したんだから」
それから数日たち、新しい講座にも慣れたころ、久しぶりに中庭で一人、昼食をとろうとした。その時、ちょうど講義を終えたらしいフレディがアレックスのもとに駆け寄ってきた。まさか、彼女には何も話していなかったので、彼女が来るとは思わなかった。
フレディは開口一番そう言った。彼女の真っ赤に泣きはらした目を見て、アレックスは非常に申し訳ない気持ちになった。しかし、彼女にとって一番の親友でもあるフレディにも、自分の出生の秘密を告げることはルドルフに許可されなかった。たとえ親友といえども、誰に利用されるかわからない状況でそのことを言うわけにはいかない、と。アレックスも確かにその理由については納得できる部分があったので、おとなしく従うことにした。
「ごめん、フレディ」
アレックスはルドルフとヒルダとの間で決めたほかの目撃者に対する言い訳―――――『何者かに操られて競技場の中央に出て行ってしまった』――――をフレディに言うと、彼女はかなり身震いした。
「なんでアレクシーが狙われなきゃいけないのよ」
彼女は続けてそう言ったが、アレックスは肩をすくめただけにとどめた。フレディはそれ以上何も尋ねずに、アレックスを抱きしめると、
「これ以上、私をおいてどこにも行かないでよ」
と言った。その言葉は一見、純粋にアレックスを心配するものであったが、アレックスにはいつものフレディと違った感情が込められているように思えた。しかし、そこでは何も彼女に問いただすことはできず、ただ、分かったわ、とだけ言った。
一方、アレックスを新しい講座に転属させたルドルフは、自身は休暇届を出してある人間に会いに王宮まで来ていた。その人間は彼と同じくらいの年齢であるものの、非常に上に立つ者の雰囲気をまとわせていた。青年はルドルフに席を勧め、彼自身が二人分の紅茶をいれて差し出した。それを、ルドルフは毒見を誰にもさせずに一気に飲み干した。目の前の青年はその様子に呆れたが、ルドルフはそれを無視した。
一方、ルドルフのほうはいつものようにヒルダではなく、黒い髪、褐色の肌をした青年がルドルフの隣に立っていた。目の前の青年はその青年に驚くこともなく、にやりと笑いながら彼の来訪を喜んだ。
「遅かったじゃないか」
しかし、当のルドルフはかなり面倒くさそうな顔をしていた。
「ええ、遅かったですよ」
目の前の人間がそう言った意味を理解して、彼は不貞腐れたように言い返した。
「ヘスター夫人から事の詳細はお聞きになられたでしょう」
ヘスター夫人―――ヒルダの母親―――にすでに事情を聴いているんだからこれ以上何も説明しなくてもいいよな、という視線を投げかけたが、目の前の青年――――『帝国』の皇太子であるエリック・モールガントはにっこりと笑いながら彼に説明と求めた。
「一応さ、君が当事者でもあるんだから、もう一度説明してよ」
その言葉を予期していたのか、ため息をつきながらもルドルフはすんなりと話し始めた。
「模擬戦の時に『六獄』の発動を確認、そして、それの飲み込みに『《時》の魔術』を発動させた学生――――アレックス・ムーブメントがいた」
ルドルフの言葉の後半に、彼の隣にいた青年が反応した。しかし、ルドルフもエリックも彼の様子を確認しながらも、彼に話を振ることはなかった。
「そして、その発動させた学生は魔力の枯渇による『溶けかけ』が認められたので魔術から引きはがしましたが、案の定、彼女に残された魔力はゼロとなりました」
ルドルフは淡々と続けた。再び最後の言葉に褐色の肌の青年は反応したが、今度はエリックが制した。
「押さえろ、モーリス」
目の前の皇太子の言葉に青年は一瞬、不服そうな顔をしたが、『主』とともに皇太子からの命に逆らうことのできない彼は、仕方なくその反応を抑え込んだ。
「今は魔力の低下が原因という理由もあって、アレックスには講座を移ってもらいました。もちろん、学園内に残しておいたほうが彼女のためでもあるし、僕たちも動きやすくなります。もちろん、あの人たちから守らなければならない場合もありますが、とりあえずは『《時》の魔術』と『レナード卿』の正体を暴かれない限りは、フリードリヒ教授のほうが僕よりも力は強いでしょう」
ルドルフは二人に対してそういった。すると、彼の隣にいた青年―――モーリスはよく考え、頷いた。
「確かに、フリードリヒ教授なら主をお預けすることができましょう」
彼はそう言った。彼は数年前に卒業した『学園』の出身者であり、フリードリヒ教授を知っていた。彼が『学園』の教授になる前の経歴も知っており、素直に納得できたのだ。
「で、お前はどうするのだ?」
エリックはルドルフに再び笑いながら尋ねた。ルドルフは表情を変えず、
「ホイットニー家ではすでに誰が『六獄』を発動させた、そして、それを命じたのかわかっております。なので、その者たちに引導を渡しに行きます。殿下もモーリス様もここから先は付いてこないでいただきたい」
そういう彼の眼は非常に暗く燃えていた。
「まあ、お前自身が殺られないように気をつけろ」
エリックはため息をついたが、止めることはしない。モーリスも止めることはせず、ただ頷くだけでとどまった。