act.9 左手の熱と危機
窓から入る月明かりを頼りに薄暗い廊下を、ソレイユの私室へ向けて走るエクラレーヌとリュンヌ。
エクラレーヌは迷わずそこへ向かう道を選んでいたが、廊下の角を曲がろうとした時、リュンヌが声を上げた。
「エクラレーヌ殿! こちらです!」
リュンヌが示したのは、私室ではなく、中庭への道だった。
エクラレーヌが足先を返すよりも早く、道案内をするようにリュンヌが前を駆けていく。
(──ホントに何なのっ!?)
さらに頭を混乱させながらも、身体はしっかりとリュンヌの後を追う。
(急に殿下の所に行こうとか言いだしたり、逆の方向に走りだしたり! それから何よりもっ、左手がすっごく熱いんだけど!!)
走りながら気になるのは、ソレイユやリュンヌのことばかりではない。左手の甲が異様に熱い。
(火傷してるみたいっ)
じりじりと焼けつくような熱さ。うずくまりたくなるのを我慢して、足を動かす。
「こちらです!」
中庭に飛び出したリュンヌが躊躇なく、ソレイユがいるであろう場所を案内する。
(ああもうっ、手なんか気にしてる場合じやないっ)
意識的に左手の熱を頭の外に押しやり、リュンヌに続いて疾走した。
* * *
噴水の陰で矢の攻撃から身を護りながら、太股から血を流して気絶している近衛兵の男を見て、ソレイユは舌打ちしたくなった。
私室で読書をしていたソレイユだったが、陽が沈むなり窓から押し入って来た刺客に襲われた。
私室に入る前の近衛兵二人と交代した近衛兵はソレイユを逃がそうと連れ出してくれたが、中庭に出た所で待ち伏せにあってしまった。
刺客の仲間が潜んでいたのだ。
近衛兵は己の失態を悔やむ間もなく、飛んできた矢を足に受けて倒れた。意識はなく、浅い呼吸を小刻みに続けている。どうやら矢に毒が仕込まれていたらしい。
(早く処置しないとまずいな)
ソレイユの帯で近衛兵の足の付け根をきつく縛ってやる。浅く刺さっていた矢を抜き、手持ちの手巾を気持ちきつめに巻いた。
(こんな場所では、これくらいしかしてやれないが)
自分の無力さに舌打ちしたくなる。
(まったく、リュンヌもエクラレーヌもいない時を狙って来るとは……暇な連中が多くて困る)
舌打ちに続いて、ため息もつきたくなる。
噴水の陰から出ないソレイユへの矢はなりを潜めた。
痺れを切らした刺客が直接仕留めに来るのも時間の問題だろう。
「剣は得手ではないんだがな…………悪いが借りるぞ」
気絶したままの近衛兵に一言断りを入れてから、腰の剣を引き抜く。
抜き身の剣を右手に構え、ソレイユは刺客たちの動向に意識を向けた。
矢を射られて来る方向から人数の推測はできる。おそらく三人。
(いや、部屋に押し入って来た奴が加わっていなければ、四人か)
どちらにせよ、ソレイユの分が悪いことに変わりはない。
(これがエクラレーヌだったら、余裕で切り抜けるのだろうが)
軍人としての矜持が高い少女を思い浮かべて、気持ちにゆとりが生まれる。
自分に会うために、軍人として出世してきたエクラレーヌ。
剣士として優秀であることを、ソレイユたまに開かれる試合で知っていた。
(昔からかなり無茶をする子供だったが……随分と変わったものだ)
苦笑めいたものが、ソレイユの目に宿る。
女の身で、ましてや軍に入るまでは貴族令嬢だった少女が軍の中で出世することがどれほど困難か。例え祖父の後押しがあったとしても。
(……それほどアイツも必死だったということだが)
叶うなら、会いたくなかった。
初めてあった月下美人の園での思い出だけを胸に、彼女の存在を忘れてしまいたかった。
「「──殿下っ!!!!」」
「──っ!!」
物思いにふけっていたソレイユを、切羽詰まった二つの声が現実に引き戻す。
と同時に、自分の置かれている状況も認識させられた。
──いつの間にか接近していた刺客の剣が、ソレイユに振り下ろされようとしていた。
反射的に手にしていた近衛兵の剣を横に構えて受けようとしたが、握りが甘く、あっさりと弾かれた。
改めて振り下ろされる刺客の剣を、ソレイユは間近に捉えた。
──キイイインッッッ。
夜闇をつんざくような高い金属音とともに、剣が飛ぶ。
その剣の行き先を目で追ってから、ソレイユは前に視線を向けた。
そよぐ風に遊ばれ、緩く編んだ金の髪がはためく。
月明かりに照らされて、抜き身の長剣が冴々ときらめく。
ソレイユを庇う、紅の軍服をまとった少女の背中が目の前にある。
清廉として気高い後ろ姿から、ソレイユは目を離せない自分に気づいた。
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