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月華の姫将軍  作者: 久永 雅貴
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act.5 夏の夜の庭園と初恋

 ソレイユとの再会後、近衛としての引き継ぎを済ませたエクラレーヌは、王城の最奥へと歩いていた。


 陽が沈み、夜の帳が半ばまで覆われているが、完全な夜には早いおかげで、灯りを持たなくても難なく目的の場所に着けそうだ。

 暑気の和らいだそよ風が頬に触れ、長い髪と戯れては過ぎ去っていく。

 続く石畳は颯爽と歩く軍靴の音だけを奏でる。


 この先には、庭園がある。

 王城の敷地内で奥にあることもあり、特定の者しか立ち入りを許されない場所。

 そして、マーベラス公爵家は庭園との縁が深い。次期公爵家当主のエクラレーヌならば尚更。


 これからの時期は庭園へ向かう足も軽くなる。

 歩くというにはやや早い足取りで、目的の場所に着いた。


 夏以外はガラスをはめられて温室になる庭園は、今は骨組みだけが庭園を守るようドーム状に包み込んでいる。

 風が一度力強く、庭園を吹き抜けた。


 ──ざざぁっ。


 肉厚な葉に見える茎が、風に撫でられて一斉にざわめいた。

 何十とある花壇すべてに、同じ植物が植えられている。

 ひと株ひと株を囲う添え木の隙間から、大輪の花を思わせるつぼみが顔を覗かせる。


 ──月下美人。


 年に一度、真夏の夜に艶やかな大輪の花を開かせ、辺りに強い芳香を漂わせる。

 背丈はエクラレーヌを裕に超すものもあれば、腰ほどのものと様々。だが、一様にいくつものつぼみを抱えていた。

 まだつぼみは固く、花を咲かせるには幾日か必要とする。


 月下美人は、フォンダシオン王国の国花であり、紋章にも刻まれている。

 建国の時代、初代国王が好み、植えたと伝えられている。

 以来、自身での生殖機能の低い月下美人は、人の手によって守られ、殖やされている。


 エクラレーヌは月下美人が囲う小さな広場に出た。

 腕を広げたエクラレーヌが三人並んでも余裕のある石畳の広場。いや、周りより一段高くなっているのを見ると、舞台の方が正しいだろう。

 ほぼ夜色に染まった空に浮かぶ、満月には足りない月が庭園を淡く照らし出す。


 舞台中央で、エクラレーヌが腰の愛剣を抜いた。


 ──しゃらん。

 涼やかな鞘鳴りとともに抜かれた長剣が月明かりに青白くきらめき、滑らかに揺らめいた。


 月下美人が一層ざわめく。

 剣が大きく円を画いた。

 エクラレーヌの身体が傾いたと思うと、地面から足が離れる。

 宙に舞ううちも、剣は振るわれ、青白い軌跡をいくつも残していく。

 着地したはずなのに靴の音はせず、留まることなく流れる動きで、エクラレーヌは舞い、愛剣を操る。

 エクラレーヌの舞を堪能しるがごとく、月下美人が揺らぐ。


 ──あの時も、こうして舞っていた。

 懐かしい思い出を浮かべ、エクラレーヌは微笑んだ。

 想いのすべては、あの時から始まった。

 月下美人の園で出会った、あの時から──。


          * * *


 七歳の誕生日を迎えたエクラレーヌは、初めて一人だけで月下美人の園を訪れた。

 空が曇り、月明かりのない中、ランタンの灯りだけを頼りに来た。

 夜になっても汗ばむ真夏の夜。

 風が吹いても暑気が強すぎて、すっきりとしない。流れるままの長い髪と白いワンピースが少し波打つだけ。

 ──そんな不快感をものともせず、エクラレーヌは目を奪われていた。


 庭園に大輪の白い花がいくつも咲き誇っている。

 全部のつぼみが開いたわけではないが、エクラレーヌは中央の舞台へと駆け出した。

 七歳児には長すぎる金細工飾りの朱鞘の長剣が、背中で跳ねて音を立てる。

 ランタンを舞台端に置いてから舞台中央に立ち、エクラレーヌは背中の長剣を鞘ごとはずした。両手で抱えて鞘の先を地面につける。

 長剣の長さはエクラレーヌの身長と変わらない。

 そんな剣をエクラレーヌはぎゅっと強く抱きしめる。


「……あたしと踊って」


 ひとこと語りかけてから、剣を抜く。


 ──しゃらん。


 音を鳴らして抜かれた剣先が天に向けられる。

 それからのエクラレーヌの動きは、身の丈の剣を操っているとは思えないほどに軽やかだった。

 剣とともに跳ね、大きく円を画いたり、鞘と長剣を操ってみせる。

 とても七歳児の芸当ではない。

 ……だが、この剣舞を見て、どれだけの者がそう疑問に思えるだろう。

 それほどに自然体で、素晴らしい舞だった。

 唄も楽のひとつもないというのに、動きひとつひとつで表現する舞。

 全体視の動きだけでなく、指の細かな動きや表情も、見る者に何かを伝えようとする。


 ──ざわぁ……


 エクラレーヌの剣舞に応えるように、再び月下美人がざわめく。

 徐々に雲が薄らいでいき、満月が舞台を照らしだす。

 白いワンピースと月下美人の花が青白く、きらめくように浮かび上がる。


「──きれい、だ……」

「えっ?」


 誰もいないと持っていたのに、小さな呟きが聞こえ、エクラレーヌは動きを止めた。


 エクラレーヌが視線を巡らすと、舞台端に置いたままのランタンの灯りに照らされて、その少年が佇んでいた。


「「────」」


 互いに相手を見ても何の反応もできない。互いを視界に入れたままの沈黙。


 その少年はエクラレーヌより二つ三つ年上のようだ。

 きらきらと上質な絹糸のような長い銀髪を結わずに背中に流している。

 軽く見開いた瞳は、周囲を取り巻く夜の闇と同じ色。

 少年ゆえの中性的な印象と、大きめな寝巻で少女にも見える。

 なぜか服や白い肌が土で汚れていたが、それさえも引き立て役かのような美しさを、少年は携えていた。


 ひと目見た瞬間に、エクラレーヌは少年の美しさに心を奪われていた。

 ただただ、少年を見続けていたいと思った。


「──っ」


 先に我に返った少年が少し慌てて、まだ放心状態のエクラレーヌに近づく。


「……え?」


 エクラレーヌがようやく我に返ったのは、少年の華奢な両腕がエクラレーヌの身体を覆った時だった。


 エクラレーヌは少年に抱えられ、月下美人の陰に隠れるようにして、口をふさがれる。

 ランタンの火は消され、月明かりが唯一の光源となる。


(な、何っ?)


 口を少年の手で押さえられ、こもった声しか出ない。


「しっ。静かに」


 少年が顔を寄せて鋭く囁く。


「…………ん」


 真剣な面持ちと切羽詰まった周囲への気の配り方から、エクラレーヌは抵抗をやめて頷いた。


 公爵家生まれで、すでに顔も知らない婚約者がいたエクラレーヌだったが、初孫可愛さに暴走した祖父が「嫁になんぞやるものか!」と、幼いエクラレーヌを軍人として育てようとしており、かくいうエクラレーヌも妃教育より、軍教育の方が楽しいこともあり……緊急時の冷静な判断力は身につけていた。


 少年もエクラレーヌが状況を把握してくれたと思い、口の手と身体への腕を放した。

 解放されたエクラレーヌは、長剣を鞘に収めて握り直し、数回深呼吸をして息を整える。


(……よしっ)


 あっさりと覚悟を決めたエクラレーヌの目つきが鋭くなる。


「お兄ちゃん、相手は何人かわかる?」


 年下の少女からの問いかけに、少年は一瞬呆気にとられたが、すぐに気をとり直して答えた。


「……見たのは一人」


 短い返答に頷くエクラレーヌ。


「お兄ちゃんはここで待ってて」


 囁いて、エクラレーヌは少年の返事を待たずに駆け出した。




 月下美人に姿を紛らせて、遠目に相手の様子を窺うエクラレーヌ。

 確かに少年が言っていたとおり一人──背の高い二十代半ばの青年がいた。

 短剣を持ち、黒い服を着ているが、顔は隠しておらず、彫りの深い精悍な顔立ちを月明かりに晒している。

 辺りを見回して少年を探しているのであろう青年の顔は固い。焦りが見えた。


(あまり強そうじゃない。……あたし一人でもダイジョブそう)


 即断即決即実行。エクラレーヌは青年を常に視界に捉えつつ青年の死角から月下美人の花壇を迂回して接近した。

 青年まで少し間を置いた位置で足を止め、長剣を抱きしめる。


(お願い。力を貸して)


 心の中で祈り、鞘に収めたまましっかりと両手で柄を握る。


 青年がエクラレーヌに気づいた様子はなく、背中を見せたままだ。

 改めて意を決して、エクラレーヌは駆け出した。

 子供が振るうには重過ぎるはずの長剣はその重量を感じさせず、やや下方で構えられてエクラレーヌの疾走を全く邪魔しない。

 剣の届く範囲に入り、青年の横腹目がけて剣を振り上げる。


「「――っ!」」


 直前でエクラレーヌの接近に気づいた青年が長剣の鞘を両手で受け止めた。

 突然な襲撃に狼狽して、青年の動きが鈍い。

 青年が鞘を握る前に、エクラレーヌはさらに踏み込んで、青年の懐に入った。

 その勢いのまま、長剣を逆手に持ち換え、柄尻を青年の鳩尾に突き入れる。


「――かはっ」


 息を吐き出し、青年が前のめりに倒れた。

 石畳の上に俯せに倒れた青年の意識の有無を確認してから、エクラレーヌはあらかじめ用具小屋から拝借してきた縄で青年の両手両足を縛った。

 後で大人に知らせば事足りるだろう。


「……っ。やっと、見つけたっ」


 手やワンピースについた土埃をエクラレーヌが払っていると、荒い息遣いの少年が出て来た。

 待っているように告げたが、エクラレーヌが心配で探し回っていたのがわかる。

 エクラレーヌの無事に安堵したのも束の間、足元に横たわる青年に顔が強張る。すぐに気絶しているのを見てとって、ゆっくりと息を吐き出し、膝に手をつき呼吸を整える。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 エクラレーヌが声をかけて、少年の背中をさすろうと手を伸ばす。


 ──ばっ。


 急に身を起こした少年に手を握られた。


「君はバカか!!」

「っ」


 目を丸くして握られた手を見つめたエクラレーヌだったが、少年の怒鳴り声に身を跳ねさせた。

 限界まで見開いた目のエクラレーヌに、少年はさらに怒鳴りつける。


「勇気と無謀の違いもわからないのか!」


 怒鳴られてしおらしく黙っているエクラレーヌではない。口を尖らせて言い分を主張する。


「相手が一人なら、平気だと思って」

「たまたま一人だっただけだ。他に仲間が隠れていた可能性もあった」


 怒鳴りつけるのはやめて、少年は固い口調で事実と予測を突きつける。

 だが、エクラレーヌとて、それを考えていなかった訳ではない。青年を見つける前に庭園中を隈なく探してから、本当に一人だと判断して行動したのだ。

 言い分はあった。いつもなら間違いなく怒鳴り返している程に。

 ──だが、できなかった。

 エクラレーヌを正面から厳しく見据える少年の夜空色の双眸がエクラレーヌを黙らせた。

 少年はなおも続ける。


「武器を持った大人に向かうなんて危険過ぎる」

「子供が武器なんて持つものではない」

「君は、自分が子供だと自覚するべきだ」


 つらつらと責める少年に、さすがに言い返そうとエクラレーヌが口を開いた瞬間――。


「──!?」


 きつく抱きしめられた。


「……無事で、よかった……」


 喉の奥から絞り出す掠れた少年の声に、エクラレーヌは抵抗の意思さえ霧散させた。


(お兄ちゃん……震えてる)


 縋りつくように抱きしめているため、少年の肩や腕の震えが直に伝わる。

 それにつられてか、少年の思いまで伝わってくる気がした。

 エクラレーヌを失うかと怖かった。少年自身が傷つくことよりも恐ろしかった。

 震える腕に抱きしめられ、歯を食いしばって嗚咽を堪えるのを耳元で感じ、エクラレーヌは自然と言葉が出た。


「……ごめん、なさい」


 言葉にした途端、涙が頬を伝った。

 震える少年の温もりを知り、エクラレーヌは自分がどれほど少年を苦しめていたのかを知った。


「ごめんなさい……っ」


 涙で湿った声で、エクラレーヌはさらに謝る。

 叱られて、抱きしめられて、嗚咽を堪えられて、少年を苦しめたことを悔いた。



 幼心にも、エクラレーヌは初めて恋と呼べるものに出会った。

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