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月華の姫将軍  作者: 久永 雅貴
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act.2 念願成就と跳ねる鼓動

 強い芳香と淡い月明かりに包まれて、初めて恋をした。


 意思の強さを宿す瞳。

 夜風に戯れて翻る長い髪。

 青白い光に照らされ、透き通る白い肌。

 何より惹かれるのは、美しく輝く笑顔。

 心安らぐ手の温もりに、頑なな心が綻んでいく。

 ──愛しいと、幼心に想った。


 忘れたくない、忘れられない、夏の夜の出来事。


 ほんの数刻の儚い出逢いは、この身に走った衝撃を強く残し。

 逢えない日々は、この身に宿った情熱を募らせるばかり。


 愛しくて愛しくて、時は過ぎても、この想いは色褪せぬまま────……


          * * *


 ついに、この時が来た。


 屈辱の十二歳の誕生日から、五年の歳月が過ぎた。

 あの瞬間まで、エクラレーヌはフォンダシオン王国の王太子妃、王妃、王太后と呼ばれるべき道筋を辿っていた。

 それが、横暴な一方的過ぎる婚約解消で道を絶たれてしまった。

 建国時代より王家との縁が強く、筆頭貴族のマーベラス公爵家からの王家への輿入れは過去何度も行われている。

 エクラレーヌにしろ、二つ歳上の王子がいる時点で、その道筋は定められていた。


「それを、ぶち壊してくれた張本人が、この奥にいるのね」


 忌々しげに眼前の扉を、その奥を睨みつけるエクラレーヌ。

 長い金髪と碧眼の公爵令嬢が放つ怒気は、とても蝶よ花よと育てられた淑女のものとは思えない。

 それもそのはず、彼女はこの五年間で雄々しく成長していた。


 ──フォンダシオン王国軍、初の女性将校として。


 艶こそ損なわれていないが、以前は美しく整えられていた金糸の髪は、背中で弛く編まれて所々不揃いな髪が飛びだしている。

 幼い令嬢にありがちな夢見がちだった大きな双眸は剣呑に眇られ、殺気めいた禍々しい気配さえ宿している。

 深窓の令嬢らしく白かった肌は、荒れてこそいないものの、やや焼け気味だ。

 軍に入り、貪欲に出世を求め、自身の容姿に頓着しなくなった結果である。


「やっと、非常識殿下に文句を言ってやれるわ!」

 念願を目前にして、絞り出すように吹き出す。

 腰に朱塗りの鞘に金細工の装飾を施された華美な細身の長剣を提げ、紅を基調とした軍服に身を包んだエクラレーヌは、それらの色が表すように激しく燃えていた。


「長かったわ! この五年間! これが最速の手段だったとはいえ、お祖父様のコネで傾き真っ最中の軍に入って、ひたすら出世して!」


 そうして、たった五年で、王太子が直接会わざるおえない地位を得た。

 軍の最高指令である総帥に座す祖父の威光さえ利用しての入軍とはいえ、訓練などは自力でこなすしかなく、男社会の軍で成り上がるのは容易ではなかった。


「それもこれも全部! この日のため! ──いざ!!」


 硬く握りしめた拳で、殴りつけるように扉をノックしようと振り上げる。


 ガチャ。

「────エクラレーヌ様?」


 内側から扉が開き、赤茶けた髪と細い目をした青年が現れた。


「……リュンヌ殿」


 振り上げた拳をなに食わぬ態度で下げ、見知っている青年の名を口にした。

 出会い頭に殴りつけそうになりつつも、エクラレーヌは平静を取り繕っていた。

 ……そう、『取り繕っていた』。その内情はというと──


(出たわね! 非常識殿下の腰巾着、金魚のフン! あの失礼極まりない殿下が、滅多に他人を侍らせない殿下が! 徹底した実力主義で無能者は切り捨ての殿下が!! 家も姓も後ろ楯も持たない、この人だけには四六時中世話をやかせてるなんて!!!)


 この王太子専属侍従は余程優秀なのだろうと、周囲の者たちは噂するが、それ以前に──


(羨ましいったらないわよ!!!!)


 会うことすら拒否されたエクラレーヌにとって、身ひとつで王太子の傍にいられる彼は嫉妬の対象になりえた。

 短い赤茶髪も、感情を読ませない細い目も、狐のような印象の細面も、間近で見るのも会話も初めてだが、先立つ感情のせいで、心から友好的には対応できる気がしない。

 正直いって、シワのない侍従特有の暗色の衣装さえ、意味もなく苛立たされる。


(……だからって、初対面の人を感情論だけで邪険にする訳にもいかないよね……)


 荒ぶる嫉妬を理性で抑え、リュンヌと向き合う。


「失礼しました、リュンヌ殿。フォンダシオン王国軍所属、中佐エクラレーヌ・ソワレ・マーベラスと申します。王太子殿下に取り次ぎ願えますでしょうか」


 微笑と会釈で応じるリュンヌ。


「かしこまりました。──エクラレーヌ様のお越しが遅れているようでしたので、今しがたお迎えにあがる所でした」


 チクリ。


「────それは失礼。お手数をかける前に伺えて良かったです」


 内心はともかくとして、これまたあたり障りなく返すエクラレーヌ。


「──ところで、リュンヌ殿」

「? はい、エクラレーヌ様」


 少し声を硬くしたエクラレーヌに、リュンヌが怪訝そうにする。


「今の自分は公爵家の者ではなく、軍人として参りました。そのような自分に『様』という敬称は不適切かと」


 真面目なエクラレーヌの指摘に、リュンヌはやや呆けたが、すぐに気を取り直す。


「……ご不快にお思いになられたのでしたら、申し訳ございません。以後改めさせていただきます」


 恭しく礼儀正しく、腰を折るリュンヌ。だが、「ですが」と言葉が続く。


「私は何も持たぬ卑しい身。尊き身分の方々が在籍なさる軍の方のお相手となれば、同等の礼を尽くすべきと愚考しておりました」

「────」


 黙るエクラレーヌ。

 はっきりとした。理由はわからないが、リュンヌはエクラレーヌに対して良い感情を持っていない。

 へりくだっているのにも関わらず、エクラレーヌに対して余計な言葉が常についてくるのが証拠だ。

 先程の言葉にせよ、「ですが」に続いたのは言い訳だ。目上の者にわざわざ悪印象を与える言い訳はしない。

 ましてや、実力主義の王太子が重用する侍従である。性格上でいちいち相手を逆撫でする人物とは思えない。

 ならば、リュンヌはエクラレーヌに嫌われても支障ないと思っているのだろう。


 だが、対するエクラレーヌは苛立ちといった感情は沸いて来なかった。


(初っ端に『早く来い』って言われたのは軽く驚いたけど、今のはまた随分と直球ね)


 むしろ、変に感心さえしていた。


 平定五十年で活躍の場がないに等しい軍に在籍するのは、上級貴族とのパイプを欲しがる者や、家を継げない次男三男などだ。

『尊い身分』というが、背水の陣よろしく、その身分が危うい者たちが多い。

 リュンヌの言葉は随分な皮肉にしか聞こえなかった。


(『歯に衣着せない物言い』って言うけど、この人の場合、着せててもスケスケね。……まぁ、あたしも肩書きだけの連中には嫌気がするけど)


 五十年前の隣国との戦争で活躍していた祖父に鍛えられたこともあり、戦えない輩には辟易してしまう。


 だが、いくら言葉に同調できるとはいえ、明らかにこちらへの害意を以ての言葉だ。

 ──売られたケンカは買うのが、マーベラスの家風である。


 エクラレーヌはリュンヌの負けず劣らずの穏やかな笑みを浮かべた。


「名誉よりも利益に目を眩ませた輩と同一にされるのは、気持ちの良いものではありませんね」

「平定五十年を経て、ご活躍の場は随分とお減りになられたご様子。そのような状況下で得られる名誉とは……」

「戦場での武勲こそ立てられませんが、我々の任務は何も戦場だけではありません」

「確かに、要人警護や街の治安維持などをなされていると伺っております。それも『利益に目を眩ませた』方々に利用されているご様子」

「そうした輩が軍内にいることは遺憾ながら認めざるおえないですが、それは『そちら』も同様と伝え聞いていますが?」

「他の方々がどのようにお考えかは存じ上げませんが……。私は誠心誠意殿下にお仕えするのみでございます」

「リュンヌ殿は随分と殿下に重用されている様子……それこそ名誉なこと。『何も持たぬ卑しい身』などと謙遜を」

「殿下が取り立ててくださらなければ、私には何もございませんので」

「ならばなおのこと、自身を卑下なさるのではなく、胸を張られれば宜しいでしょう。自身を貶めるのは、貴殿を重用なさる殿下をも軽んじることにもなりかねません」

「度重なるご指摘ご忠告痛み入ります。さすがは──」


 ここまで互いに穏やかな微笑みで繰り広げていた応酬を、リュンヌが微かに間を空け、笑みの種類を変えた。


「──一時とはいえ、殿下の婚約者であられた方でございます。高潔な方でいらっしゃる」

「────っ」


 嘲笑で、エクラレーヌの最も痛いところを突いてくるリュンヌ。

 危うく、我を忘れるところだった。

 それでも負けじと、内心で息を吐き出して平静を保ち、笑みを濃くして返す。


「いけしゃあしゃあと、化け狐が」


 抑え切れなかった本音がぽろり。


「──悋気が過ぎるのではありませんか? 元婚約者の公爵令嬢様」


 微笑の攻防戦。見えないはずの火花が飛び散る。



「──いつまで、そうしているつもりだ」


 ──ドクンッ!



 開け放たれたままの扉の向こうから、低い男の不機嫌そうな声が聞こえ、エクラレーヌは鼓動を跳ね上げらせた。


「申し訳ございません、殿下」


 室内に向かって深々と礼をして謝るリュンヌの背を視界に入れながら、エクラレーヌは呼吸さえままならない気がしていた。


 この向こう側に、会いたくて仕方ない人がいる。


 早鐘を打ち続ける動悸が、エクラレーヌを捕らえる。


「さっさと入れ」


 声だけで、エクラレーヌは掌握されているようだった。

 鼓動だけでなく、全身が思うようにならない。


「エクラレーヌ殿?」

「っ」


 エクラレーヌの敬称を改めたリュンヌの呼びかけで、我に返るエクラレーヌ。

 気づけば、リュンヌが扉を押さえて入室を促していた。


(会う前から負けてらんないわ!)


 意気込み新たに、鳴りやまない動悸を押さえつけ、エクラレーヌは足を踏みだした。


遅筆で申し訳ありません。

これからも不定期ですが、書かせていただきます。

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