プロローグ
1.
なぜ子供など拾おうと思ったのか。いまでは理由なんて思い出せない。また、捨てる理由もないうえいればいたで役に立つ。そういうわけであれからもう5年だ。
「九。いっぱい採れたよ」
さらさらとした赤毛を揺らして莉緒が担いだ背負子のなかを見せてくる。春も半ばに差し掛かったせいか半分ほど溜まった蕗の薹は花が若干開いている。
「蕗ばかりだな」
「だって好きなんだもん。この苦味」
なかなか酒呑みの資質があるようだ。見た目はまだまだあどけなさが残っているがこれで案外オヤジくさい。歳は十七か十八か。このガキがいくつなのかも俺は知らない。
山を降り始めて二時間。大の大人でもうっすら汗をかく頃合いだが莉緒は凉しい顔で脚を動かす。山の歩き方を教えたわけじゃない。最初から知っていた。きのこや毒草の見分け方。水の濾過、蒸留。生きる術を学んだのはむしろこちらのほうだった。
「九。おなかへった」
「草でも噛んでろ」
「のどかわいた」
「気のせいだ」
「おんぶ」
「痩せろ」
場所は山の中腹。辺りは鬱蒼とした針葉樹林が立ち並び、見上げれば木々の合間に空が見える。高い。空気が澄んでいる。
「もう半刻も歩けば塒だ。黙って歩け」
「ケチー。オニー。アクマー」
なんとでも言え。言いつつも、内心では莉緒との会話を楽しんでいる。つっぱってみたってどうせ俺も人の子だ。内側までは偽れない。
「あ」
不意に莉緒が駆け出す。この辺りまで来るといつもそうだ。飽きもせずよくやる。
「うーん、いい眺め。あ、とんび!」
去年の土砂崩れでできた崖に身を乗り出して緑豊かな景観を眺望する。彼女のお気に入りスポットだ。
「アレが木枯らし谷であっちがぽかぽか草原。ぐるっと回って日の出村と道場。反対側に月見村......」
村の名前以外は全て莉緒が名付け親だ。童謡に出てきそうな感じだがボキャブラリーが乏しいわけでもない。単に己の感覚を優先しているだけだろう。
「九は日の出村の出なんだっけ? なんで山に暮らしてんの?」
珍しく莉緒が昔の事を聞いて来たのでおやと思う。お互いわけありだと肌で感じていたから必要以上に聞きも聞かれもしなかったが別に隠していることでもない。
「十五の時に村の跳ねっ返りを斬った」
「ふーん。追い出されたんだ」
莉緒は平然と相槌をうつ。
「向こうから仕掛けてきたんでしょ? 九、優しいもん」
「優しい奴は人なんか斬れない」
「違う違う。優しさはもともと人に備わってるんじゃなくて誰かが評価するものだよ。その誰かがたまたまいなかっただけだって」
不意に的を射抜いたようなことを言う。普段のゆるい姿の陰になにを隠しているのか。詮索するだけ無駄だろう。
「村に戻りたい?」
「いまさら人とは混れない」
「なにそれ。人じゃないみたいな言い方」
人じゃない? 似たような言葉は散々いわれたが、俺自身そう思っているのだろうか。しかしそれでなにか困るという事もあるまい。
「お前はどう思う。俺がまともな人間に見えるか?」
「さぁ、どうかな。ちょっと鈍いとこもあるけど、まあ、合格ラインじゃない?」
「......なまいきな」
「誰に似たんだろうねー」
よくわからん奴だ。が、悪くはない。
「直にひと降りきそうだ。急ぐぞ」
「はいはい。九の天気予報は当たるからなぁ」
くるりときびすを返してたったか前を歩いていく。その後ろ姿と山間の雲を見やりながら俺は眉間に皺をよせた。嵐がくる。一際おおきな嵐が。