英雄たちの帰港
90話
俺たちは船の修理を終えると、十一隻の船団で島蛸を曳航しながら帰途に就いた。
ばかでかい氷山と化した「魔の海」の上に、師匠がちょこんと座っている。
あれはもう「魔の山」だな。
退避していた人魚たちも合流し、彼女たちは怖々といった様子で島蛸の周りを泳いでいた。
「しかし、あんたらすげえな! 特にお前! これで航路は安泰だ!」
ガーシュが呆れたように笑いかけてきたので、俺は一応念を押しておく。
「あいつはこの海の主だったんだろうが、いずれ新しく別の魔物が主になるかもしれん」
生態系のトップがいなくなると、その下にいる連中のバランスが変わる。
狼がいなくなれば鹿が増えて、増えた鹿が草木を食べ尽くすように。
俺たちが退治したのは蛸一匹だが、もしかすると魔物の中でのバランスが入れ替わるかもしれない。
俺がそんな話をすると、ガーシュは納得したように腕組みした。
「そいつはやっかいだな。だがそれなら、俺たちはどうすればいい?」
「決まってるじゃないか」
俺はとっておきの笑顔で、太守殿にセールストークをした。
「末永く、魔王軍が守ってやるさ」
ガーシュは俺の言葉の意味を瞬時に理解する。
それから困ったように肩をすくめてみせた。
「こりゃまるで海賊の手口だ。『船の安全は保証してやるから、通行料をよこせ』ってな」
おおむねそんな感じだ。
だがガーシュは笑う。
「俺は綺麗事が苦手でな! 海賊の商売相手は、悪党のほうが気楽でいい! よろしく頼むぜ!」
「ああ、任せてくれ」
話し合いの通じない……というかまず言語すら持っていないような「魔物」は、俺たち「魔族」にとってもやっかいな相手だ。
魔族は昔から人間と魔物の両方を相手にしてきた。
魔物退治の任務は、今後も必要になるだろう。
人狼みたいな変身ヒーローもいいが、魔王軍には怪獣退治の専門家チームを作ったほうがいいかもしれないな。
やがて太陽が西の水平線に近づき始めた頃、俺たちはベルーザの港に戻ってきた。
「竜玉を打ち上げろ!『我、作戦に成功せり』とな!」
俺が命じると、軍船から夜間用の信号弾が発射される。事実上の花火だ。
これに呼応して竜火工兵隊のベルーザ待機組が、帰還を歓迎する信号弾を打ち上げる。
水面に花火の光が反射して、なかなかに風情のある景色だ。
軍船が氷漬けの島蛸を曳航して入港すると、港は騒然となった。
実はこの港、ベルーザ市民にとっては生活の場である。かなりの数の市民が、港に浮かぶ船の中で生活しているのだ。いわゆるボートハウスだ。
だからそこらじゅうの船から船乗りたちが出てきて、港は大歓声に包まれる。
「うおお、すげえ! あれが『魔の海』か!」
「ベルーザ海軍万歳! 魔王軍万歳!」
「魔王軍ありがとよ! あんたら頼りになるぜ!」
どの声もベルーザ軍と魔王軍を讃える歓呼の声だ。
ガーシュは慣れたもので、甲板で大声援に手を振っている。
「俺たちベルーザの船乗りに勝てるヤツなんかいねえ! 特に、魔王軍と一緒ならな!」
市民は大喜びだ。あちこちのマストやロープによじ登って、太守を讃えている。
するとガーシュは振り向いて、俺たち魔王軍幹部に笑いかけた。
「見てくれ、みんな魔王軍に感謝してるぜ」
市民へのアピールも仕事のうちだ。
ちょっと手でも振っておくか。
「整列!」
俺は軍船の甲板に、人狼隊の八人を整列させる。
「変身して吠えてやれ!」
俺たちは一斉に人狼に変身して、拳を高々と掲げた。
「ウオオオオォ!」
祝砲代わりの人狼たちの咆哮に、ベルーザの船乗りたちは度肝を抜かれたようだ。
そのタイミングで、俺はすかさず叫ぶ。
「この街と航路の安全は魔王軍が守る! ベルーザの繁栄は、誰にも邪魔させないぞ!」
俺の言葉をガーシュが継いだ。
「こいつが『魔の海』のドタマを叩き割った英雄様だ! みんな、この命知らずに拍手しやがれ!」
「おおーっ!」
「魔の海を割った人狼だ!」
「ベルーザの救世主!」
万雷の拍手だ。
俺はフィルニールたちも呼ぶ。
フィルニールは照れながらも、巨大な槍を振って歓呼に応えた。メレーネ先輩は優雅に手を振ってみせ、クルツェ技官は魔王軍式の敬礼だ。
師匠は……氷山の上で恥ずかしそうに体育座りしていてる。その周囲を人魚たちが泳ぎ回っていた。
俺は人狼の姿のままガーシュと肩を組んで、市民に手を振った。
すかさずフィルニールも俺と肩を組み、周囲の犬人や竜人たちも歓呼に応える。
周囲は大歓声で、みんな大騒ぎだ。ベルーザの民は、はしゃげる機会は逃さない主義らしい。
転生してからというもの、人間はずっと俺たちを警戒し、攻撃してくるばかりだった。
リューンハイト以外では今も似たようなものだ。
だからこの歓声を聞いていると、ちょっと心を揺さぶられてしまう。
「いいもんだな、人間に歓迎されるってのは」
「なんか言ったか!?」
ガーシュが聞き返すが、俺は苦笑してこう叫んだ。
「よろしくな、ガーシュのおっさん!」
「おう、末永くよろしくしてやるぜ!」
俺たちは肩を組んだまま、大声で笑った。
そのとき骸骨顔のパーカーが、俺の背後にぬるりと立つ。
「今、どうして僕を呼んでくれなかったんだい……?」
「胸に手を当てて考えてくれ」
俺が言った瞬間、待ってましたとばかりにパーカーが胸に手を当てる。
「おやおや、肋骨しかないね!」
「うぜえ!」
「痛い痛い! 痛くないけど痛い!」
だからそれが嫌なんだよ。
俺はパーカーの首を抱え込みながら、空いた手で市民に手を振った。
その日は太守のガーシュが酒蔵の扉を自らハンマーでブッ壊し、酒樽を全部運び出すという大盤振る舞いをやってのけた。ベルーザで最大級の無礼講をやるときの慣習らしい。
ついた名前が『ベルーザの槌祭り』だ。
海賊船長の出で立ちをしたガーシュが、サーベルを振り回しながら叫ぶ。
「酒樽を全部空にするまでは、てめえらが働くことは許さねえ! じゃんじゃん飲め! 祝え!」
ガーニー兄弟がワイン樽を担いでガブガブやってて、それを賭けにしている船乗りたちがいる。
あ、フィルニールが乱入した。
馬が水を飲むみたいな勢いで樽を傾け、フィルニールが勝った。
賭けにならないとみんな大笑いだ。
ガーニー兄弟は目を回してぶっ倒れている。
みなさんお楽しみのようなので、俺も密かに楽しむとしよう。
俺は転生前から、特大の蛸足を思う存分食ってみたかった。あの食感が好きなのだ。
奇跡的にほぼ無傷で確保できた、島蛸の足が一本ある。竹串代わりに銛で突き刺してきた。
理想としてはたこわさだが、わさびが未発見だ。あとさすがに生食は怖い。
加熱するなら、たこ焼きか天ぷら……唐揚げもいいな。
とはいえ、ベルーザの船乗りを何人も血祭りにあげてきた化け物だ。食ってるところを見られたくはない。
ここは無難に、醤油ダレで焼くことにしよう。
港のあちこちで繰り広げられるお祝いの中、篝火を拝借してこそこそとタコを焼き始める俺。
香ばしい匂いが漂い、タコ足がくるんと巻いたところで醤油ダレを刷毛で塗る。
上手に焼けました。
どれどれ、食ってみよう。
……なんていうか、期待してたのと違う。
食感はいい。コリコリを通り越してゴリゴリだが、人狼の俺にはちょうどいい歯ごたえだ。変身して牙でかぶりつく。
ただ、大味なのは予想していたが、旨味の密度が異様に低い。味がスカスカでゴムを食ってるみたいだ。
これが島蛸本来の味なのか、それとも戦闘で痛めつけたのがよくなかったのか。
なんにしても大して旨いもんじゃないな。濃厚なソースで煮込むなりしないと、確実に飽きる味だ。
これ、全部食べないとダメだろうか。
俺ががっかりしていると、酒樽を抱えたフィルニールがほろ酔い気分で俺を見つけた。
「あっ、センパーイ! ボクねえ、酔ってないですよぉ?」
「酔っぱらいはみんなそう言うんだ」
「あれ、それタコの足ー? なんでー食べてるのー?」
フィルニールが俺の背中にくっついてきて、馬体をすりすりと擦り付けてくる。
なんだか飼育員になった気分だ。
フィルニールは紅潮した頬と焦点の定まらない目をして、俺を見ている。
それからいきなり手を叩いた。
「あっ、そっか。あーあー、なるほどー!」
何を納得してるんだ。
そこにガーシュが上機嫌で現れた。
どういう経緯か、ガーニー兄弟と肩を組んでの登場だ。
「おう、主賓がこんなとこで何をしてやがるんだ! さあ飲め飲め!……ん? そいつは島蛸の足か?」
どいつもこいつも、なぜか俺をほっといてくれない。
するとフィルニールが笑いながら、ガーシュたちに説明した。
「あれだよ、倒した強敵を食べて、その力を取り込む儀式ー。ボクたち人馬族が、よくやってるんだー」
ガーニー兄弟とガーシュは顔を見合わせ、こうコメントする。
「ヴァイトのヤツ、案外強さに貪欲だな……」
「そりゃ強くなる訳だぜ、兄ちゃん」
「おいお前ら、人狼ってのはみんなこうなのか?」
「いや、こいつは特別だ。考えてもみろよ、投石機でぶっ飛んでいく人狼がまともな訳ないだろ?」
「ああ、そりゃそうだ。ありゃイカれてる」
好き放題言いやがって。
ガーシュたちがこの件を酒の肴にして言いふらし回ったので、俺の「魔の海を割った人狼」という異名は「魔の海を喰った人狼」に上書きされてしまった。
前のほうが魔術師っぽくて気に入ってたんだがな……。




