提督の独断
88話
さて、ここまでは予定通りだが、まだ安心はできない。
岩礁に擬態して待ち伏せるタイプの島蛸だが、致命傷に近い攻撃を受ければもちろん逃げるはずだ。魔物といっても野生動物なら、だいたいそんなもんである。
もし海中深くに逃げ込まれると、もう追いかけようがない。
だから捕まえよう。
「クロスボウ隊、攻撃開始!」
信号弾の合図と同時に、六隻の武装商船から次々に太矢が発射された。
犬人たちが甲板を走り回りながら、弦の巻き上げや矢の装填に追われているのが見える。一見するとコミカルだが、手際はいい。
小柄なのが幸いして、狭い甲板でもぶつからずに役割分担できているようだ。
今回の矢は槍のように長大なのでそんなに遠くには飛ばせないが、威力は抜群だ。矢尻には返しがついていて、刺さればもう抜けない。
おまけに丈夫な縄もついている。外れても縄が絡めばそれはそれで役には立つし、絡まなければ回収すればいい。
つまりは銛である。
問題はどこにこいつを撃ち込むかだ。
岩礁部分は硬くて矢が刺さらないようだし、触手は大暴れ中だ。胴体は海中に沈んでいる。
こうして考えると、意外に堅実なスタイルなんだな。
確かに人間たちが「魔の海」と恐れた訳だ。
だが俺は知っている。
この手の生き物の常として、持久力はそんなでもないのだ。循環器の完成度の差で、哺乳類や鳥類より長時間戦える連中はそうそういない。
タコも確か、持久力には難があったはずだ。そもそもあいつ、強アルカリの水溶液を自分の体で中和してるところだしな。
しばらく待つか。
「武装商船三番艦『荒波号』、メインマスト中破! 軍船四番艦『海賊魂』右舷小破!」
触手に近づきすぎた船が被害を受けたようだ。あいつのリーチがよくわからないから、これはしょうがないな。
「全艦後退! 半包囲で戦列を組め!」
暴れる触手で若干の被害が出ているが、人的被害は出ていないようなのでまあいいだろう。
「提督、これどうしたらいいんですか!?」
「やべえですぜ!」
水夫たちがうろたえているが、俺は船べりにもたれかかると頭を掻いた。
「そんなに心配しなくていい。あいつが疲れるまで休憩だ」
行き当たりばったりのダメ提督で申し訳ない。
島蛸がぐったりとしてきたところで、俺は武装商船に再度射撃を命じた。
クロスボウの命中率はあまり高くないが、射手は元気いっぱいの犬人隊だ。執拗に攻撃を繰り返し、一本、また一本と銛が触手に突き刺さっていく。
縄は船体に係留されているので、島蛸はどこに逃げるにも六隻の帆船を引きずっていかなくてはならない。もちろん潜行は難しいだろう。
仮に六隻まとめて引っ張っていけたとしても、あの疲弊っぷりでは限度があるはずだ。
「矢が外れたら回収して、またじゃんじゃん撃ち込め! こんな大物のタコ釣りは二度とできないぞ!」
「はーい!」
近くの船から、犬人たちが元気よく手を振っている。
とうとう全ての銛が、命中もしくは破損で使えなくなった。クロスボウ隊の仕事も終わりだ。
忌々しいタコ野郎は今、無数の銛を受けて六隻の帆船に捕らえられている。自慢の触手も、縄を切るのには役に立たない。
そして体内は爆発と強アルカリ性の猛毒で大ダメージを受けているはずだ。
しかし「魔の海」は、俺が思っていたよりも遙かに強敵だった。
「提督! あれを!」
竜人の技官が海面を指さす。
海面にタコの巨大な触手が浮かび、ぐねぐねと不気味にのたくっていた。
浮いているのは全部で三本。銛が刺さっている触手全てである。
しまった。そういえばタコって、足を切って逃げられるんだったか。
完全に忘れていた。
しかし被弾した足を全部切って逃げるとは、なかなかの覚悟だ。
島蛸は片っ端から足を切り捨てると、ゆっくりと逃走を開始した。瀕死なのは見てわかる。
ガーシュが慌てて俺に尋ねる。
「おい提督、人馬兵に攻撃させねえのか!?」
「無理だ、あいつの周りの海水は猛毒になってる。ここから離れるまでは攻撃させられない」
それに人魚には物理攻撃の手段がないし、人馬兵も海中部分への攻撃はできない。
もう一発、ナトリウム爆弾があればぶち込むんだが。
仕方ない。島蛸が衰弱死するまで追撃して、人馬隊で攻撃を続けよう。
水平線の果てまで追いかけてやる。
そう思ったときだった。
急に周囲の空気が冷たくなる。
「なんだ、やけに寒いな……」
誰かが呟いたときだった。
周囲に漂う霧がキラキラ輝いたかと思うと、パッと散った。
いや、違う。霧が凍ったのだ。氷の粒子になった霧が海に沈んで、周囲の霧がどんどん晴れていく。
ミラルディア南部ではありえない冷気が、艦隊周辺を包み込む。
クルツェ技官が白い息を吐きながら、ふと気づいたように呟く。
「ヴァイト殿、これはもしかして……」
「ああ、間違いない」
我らが魔王陛下のお出ましだ。
特大の「切り札」である。
別に呼んでないけど。
「どうやら間に合ったようじゃの」
艦隊の上空から舞い降りてきた、二代目魔王ゴモヴィロア陛下。
みんなが寒さにガタガタ震えている中、一人だけ薄着のドレスである。周囲の熱を大量に吸って、ポカポカ気分なのだろう。
「師匠、師匠」
俺が小声で師匠を呼ぶと、師匠はふわふわ漂いながらこっちにやってきた。
「なんじゃ?」
「いいんですか、こんな最前線に出てきて」
過保護な師匠のことだからどうせ出てくるだろうと思っていたが、本当に来られるとやはり驚く。
すると師匠はにこやかに笑いながら、こう答えた。
「今のわしは通りすがりの老いぼれ、ただの大賢者に過ぎぬ」
前世の時代劇で見たぞ、そういうの。
「いずれは人間たちに、わしの正体も明かさねばなるまい。そのときに驚かせてやろうと思ってのう」
「そういう物語があるのは、確かに以前にお話ししましたけど」
「余の顔、見忘れたか」
「今は言わなくていいです」
フラフラの島蛸が逃げそうだ。
すると師匠は再びふわふわ漂いながら、海面に降り立った。
「逃がさぬぞ」
師匠が杖で水面に触れた瞬間、そこからみるみるうちに海が凍っていく。
「な、なんだこりゃ……」
「これが魔族の魔法か」
「すげえ、こんなでかい氷は生まれて初めて見たぜ」
「おとぎ話の妖精みたいだ……」
暖かい海で生活する船乗りたちは、氷が珍しくて仕方ない様子だ。
さっきまで島蛸に怯えていたのが嘘のように、氷上を舞う可憐な少女に見入っている。
師匠の専門はあくまでも死霊術で、他の魔法はそこまで強力ではない。もちろん、こんなに急激に海水を凍らせることなど不可能だ。
しかし今の師匠は、エネルギーなら何でも吸い込む熱力学掃除機である。
海水から熱を吸い取り、それを魔力にして冷却魔法を使う。冷却魔法で行き場を失った熱が、師匠に吸い込まれて魔力になる。
つまり全く消耗することなく、無限に周囲を冷やすことができる。
流氷に舞う天使となった魔王様が、嬉しそうに笑う。
「一度やってみたかったんじゃよ、これ。理論上は可能じゃから確かめたくてのう」
「研究熱心なことで……」
ほどほどにしないと氷河期になっちゃいますよ、師匠。
人間たちが目を丸くしている間に、氷は師匠を中心に円形に広がっていった。島蛸の岩礁と俺たちの軍船が、一枚の氷でくっついてしまう。
そしてヤツの触手は氷の下だ。
岩礁、つまりヤツのてっぺんを守るものは何もない。
いけるぞ。
「人馬隊、突撃せよ! 岩礁を破壊しろ!」
俺が叫ぶと同時に、フィルニールが突っ走った。
彼女が両手用の槍を振ると、ジャキンという金属音と共に巨大な刃が展開される。
どうやら折り畳みナイフと同じ構造だったらしい。トゥバーン特製の武器か。
「いくぞおおおぉ!」
「おおおお!」
全員が武器を手斧に持ち替えて、ぐるぐる振り回しながら疾走する。人馬族伝統の生活道具にして武器だ。
「おい待てフィルニール! 服を脱ぐなって言ってるだろうが!」
あの悪癖は本当にどうにかさせたい。
人馬隊に包囲された島蛸は、たちまち文字通りのタコ殴りになった。
「くたばりやがれええ!」
「祖霊に捧げてやる!」
岩礁部分に叩きつけられる無数の手斧。
折れた柄が何本も氷の上を滑っていくが、今度は蹄でガンガン蹴り始めた。
闘争本能に火がついた人馬兵は、恐るべき破壊者と化す。
望遠鏡で確認すると、島蛸の岩礁はじわじわと削れていた。岩に見えても、しょせんは殻。貝殻と同じような物質でできているらしい。
見ればフィルニールが、さっきの巨大折り畳みブレードで岩礁をどつき回しているところだ。
しかし思ったよりも手こずっているな……。
次第に人馬隊の雄たけびが小さくなってきたところで、人馬兵の伝令がこっちに戻ってくる。
「フィルニール様から報告!『魔の海』の殻が堅く、非常に厚いため、人馬隊の攻撃では割れないそうです!」
「なんだって!?」
予想以上に重装甲だったか。
見れば人馬兵たちは体力を使い果たし、すでに半数以上が周囲で息を整えている。
あの筋肉馬鹿たちをここまで疲弊させるとなると、これはもう爆弾でも持ってこないと無理か。
そんな俺の考えを見抜いたように、クルツェ技官が言う。
「もうありませんよ」
「うむ……」」
持ってきた火薬は少量だし、洋上での通信用に絶対必要だ。
クロスボウの矢は使い切ってるし、そうなると後は例の作戦しかないな。
俺は魔法書をめくって呪文の準備をしながら、クルツェ技官には聞こえないようにベルーザ兵たちに告げた。
「よし、俺が行く」
「提督がですかい!?」
ベルーザ兵たちが驚いているが、魔族の戦いで最後に物を言うのは指揮官の武勇だ。
「魔法を使う。俺をカタパルトで打ち込んでくれ」
「えっ!?」
「いいから早くしろ」
魔王軍の連中に聞かれたら絶対反対されるから、さっさとやってしまわないと。
俺はカタパルトのアームに飛び乗り、人狼に変身する。
「細かい軌道修正はこっちでやる。とにかく最大出力でぶっ飛ばしてくれ。向きだけは正確に頼むぞ」
「わ、わかりやした!」
荒くれ男たちがカタパルトをセットし、アームが限界までしなる。
その瞬間、信号弾の準備をしていたクルツェ技官が振り向いた。
たちまち彼の表情が凍り付く。
「何をやってるんです!?」
やばい、見つかった。