魔術師の悩み
81話
ベルーザに戻った俺は、すぐさま人狼を二人、リューンハイトに送った。
「変身して最速でリューンハイトに戻れ。この書状をアイリアに渡すんだ。魔王様がおられたら、そっちにも報告を忘れるな」
「了解!」
「任せてください!」
この海域で何か異変が起きているとすれば、俺一人の手には余る。調査だけでも助っ人が必要だ。
パーカーは連絡員として、人魚たちのいる岩礁に毎日往復させる。
「君、さりげなく僕を遠ざけようとしてないかい?」
「してないよ。さあ彼女たちを安心させてきてくれ」
「わかったけど……じゃあ、さっき思いついたとっておきのジョークを言ってから」
「いいから早く行け」
人魚たちが裏でこっそり何かしている可能性もゼロではないから、これは監視も兼ねている。
あくまでも念のため、だけどな。
魔王の副官という立場上、そう軽々と他人を信用してはいけないのが心苦しい……。
もちろん、人間たちのほうも見張っておかないといけない。これも念のためだ。
こっちの担当はモンザ隊だ。
「あいつらが妙な真似してないか、見張っておいてくれ」
「はぁい、隊長。妙な真似してたら、殺しちゃってもいいの?」
「ダメだ」
「むー」
可愛く拗ねてもダメなものはダメだ。
というか、どこでそんな拗ね方を覚えたんだ。
怪訝に思っていたら、ラシィが横から何か囁いている。
「違いますよ、モンザさん。もっとこう、『あなたの為に役に立ちたいのに』みたいな雰囲気を漂わせるんです」
「あー、なるほどぉ」
なるほどじゃない。
「ラシィ。人狼たちと仲良くなったのはいいが、妙なことを吹き込まないでもらえないか?」
「す、すみません。でも私、ヴァイトさんの役に立ちたくて……」
そう言って、可愛く拗ねてみせるラシィ。
それ、お前が今モンザにアドバイスしたのそのまんまだよな。
バレてるのに通用すると思ってるのか。
「ダメだ、お前は罰として水泳訓練してろ」
「えーっ!?」
ちょっと考えがあるからな。
もしかすると、これが役に立つかもしれない。
ラシィは水着に着替えさせて、港で強制的に水泳の練習をさせることにした。
「ヴァ、ヴァイトさん! 私、北部の生まれだから、泳げないんですけど!」
「だから泳げるようにするんだよ。ほら、俺の役に立ちたいんだろ?」
「いやーっ!?」
俺は背中を軽くつついただけだが、ラシィは悲鳴をあげて桟橋から海に飛び込んだ。
前世でこういうお笑い芸人みたことあるな……。
もちろん彼女が溺れてはまずいので、ちゃんと救助員はつけてある。
俺は海面でばしゃばしゃやっているガーニー兄弟に叫んだ。
「おいお前ら、遊んでないでちゃんとラシィの面倒をみろ!」
するとガーニー弟が犬掻きしながら叫び返す。
「俺たちも川で泳いだぐらいで、そんなに得意じゃねえよ!」
「昔、平泳ぎを教えてやっただろ。あれ使え」
俺と同世代の人狼たちには、ガキの頃にクロールと平泳ぎを教えてやったことがある。だからみんな、溺れない程度には泳げる。
当時からガーニー兄弟は水泳が苦手で、意外な弱点を見つけた気がしたものだ。
苦手といっても人狼になれば体力が底上げされるので、波の穏やかな入り江で泳ぐぐらいなら造作もないだろう。
俺も一応、ここで見張っておくしな。いざとなれば水中呼吸術で救助しよう。
俺は桟橋に腰掛けて魔法書を広げながら、今後必要になりそうな術を再確認することにした。
この世界の魔術は、呪文や動作を覚えているだけでは使いづらい。
正式な術式は結構手間がかかるし、術を使うための精神集中も必要だ。よほど簡単な術以外は、とっさに使えない。
そこで緊急時に使う術については、普段から意識の片隅に置いておく。前もって詠唱や動作も完了させておき、後は発動させるだけの状態にしておくのだ。
MMOでよく使う魔法をショートカットに登録しておくのと、ちょっと似ている。
戦闘時の魔術師の強さは、このショートカットの枠の数で決まるといってもいい。どれだけ高度な術をマスターしていても、すぐに使えないのでは意味がない。
ちなみに俺は五つか六つ程度、術を準備状態にしておける。プロの魔術師としてはごく平均的な数字だ。
ラシィも高度な幻術は使えるが、準備状態にできる数は同じぐらいだろう。そんなに器用なタイプではない。
パーカーやメレーネ先輩は魔術師としての経験が長いし、もう少し多いはずだ。
師匠に至っては、いくつ準備状態にできるのか見当もつかない。文字通り桁が違うと思う。
そんな訳で、俺は海で必要になりそうな術を意識下のショートカットに入れて、代わりに何を外すかを延々と検討しているのだった。
「筋力強化と、反射速度強化、それに回復力強化は外せないな……」
「ヴァイトさーん! ちょっ、せめて、足が届くとこで! だ、段階を踏んで練習……!」
ガーニー兄弟がハラハラしながら見守る中、ラシィがばちゃばちゃ泳いでいる。
「心配するな、そのへんそんなに深くないぞ! 防御力強化も……うーん、でも水上歩行術を入れた方がいいか? あ、待て待て、治療魔法も何か入れといた方がいいかな」
師匠から最近教えてもらった術が、いくつかある。これも試しておきたいところだ。
俺があれこれ考えていると、そのうちにラシィが急にすいすいと泳ぎだした。コツをつかんだらしい。
「あっ!? なんか、なんかいける!? こうですか、ヴァイトさん!」
「あーうん、がんばれ! とっさに使わなくていい術は、やっぱり外すか……」
俺は適当に応援しながら、必要な術を絞り込んでいく。
俺はBufferだから、術選びには持続性も考慮しないといけない。
効果が半日続くようなのは事前にかけとけばいいし、逆に数秒で切れてしまうものはかけ直すのが面倒だ。
なかなか難しいな……。
とうとうラシィは平泳ぎをマスターしたらしく、楽しそうに泳ぎ始めた。
「やりました! やりましたよヴァイトさん! 私、泳げるようになりました!」
「ああ、予想以上に早かったな。偉いぞ、ラシィ。お疲れ様だ」
「えへへ」
照れくさそうに笑う彼女に、俺は次の指示を出す。
「じゃあ次だ。そこらへんの小舟の底をくぐってきてくれ」
「えっ?」
「泳ぎながら水面や船底をしっかり観察しろ。慣れてきたら、少しずつ大きな船に切り替えるんだ」
「えっ? えっ?」
これも考えあってのことだから、恨まないでほしい。
がんばれ、元聖女様。




