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死霊術師の最後の扉(後編)

70話



 俺が師匠の「最後の扉」の答えを教えたというのは、どういう意味だろう?

 すると師匠は帽子を脱ぎながら、こう答えた。

「ほれ、おぬしがまだ子供だった頃に、メレーネがわしのティーカップを落としたことがあったじゃろう」

 あったかな?

 あったような気もする。

 いや、どうだったかな……。



「あのとき、わしは考えておった。メレーネは何の力も使っておらぬのに、カップは粉々に砕けた。それほどの力は、いったいどこから来たのであろうかとな」

 そういえば、なんかそんな会話をしたような気もする。

「おぬしがそのとき、『高いところにある物は、それだけで強い力を持っている』と答えたのじゃよ」

 うーん、思い出せん。



 たぶん俺が言ったのは、位置エネルギーのことだろう。中学校の理科で習うヤツだ。

 高い場所にあるティーカップには、位置エネルギーがある。

 カップを落とせば位置エネルギーは次第に運動エネルギーに変わり、カップを破壊する。

 それだけだ。



 俺の断片的な説明だけで、師匠は全てを理解してしまったらしい。

 エネルギーは無から生まれるのではなく、見えない形で最初からそこに存在している。

 師匠が自力で熱エネルギーや化学エネルギーの存在に気づくのに、半日とかからなかった。

 だてに大賢者と呼ばれている訳ではないのだ。

 そういえば師匠が破壊魔法や転移魔法など、専門外の魔法を本格的に研究し始めたのも、ちょうどその頃だな。

 物好きな人だなあと弟子たちみんなで思っていたけど、物理学の研究のためだったのか。



「あのとき、わしは思ったのじゃ。魔力もまた、そのような力のひとつではないかとな。さらに、命そのものも」

「命もですか?」

「左様。生まれた瞬間から、命は落下を始める。そして勢いを増し、最期の日に床に落ちて砕け散るのじゃ」

 なるほど。生から死へは、位置エネルギーから運動エネルギーへの変換のようなもの、という解釈か。

「砕けた命は確かにもはや命ではない。しかしその命の力は消えた訳ではない。形を変えて、まだどこかに存在しておる。であれば、死の何を恐れることがあろう」

 師匠はそう言って杖を置くと、ドアを開く。



 小さな部屋だった。青白い光が明滅し、室内を淡く照らし出している。静かな空間だが、何か不穏な魔力の流れを感じた。

 床には魔法陣が描かれている。かなり古い術式だ。今はもう使われていない、非効率的な紋章などが描き込まれている。

 魔法陣全体が、淡く青白く光っている。光の源は、どうやらこの魔法陣らしかった。

 師匠は魔法陣の中央に立った。



「これはわしが生命維持のために使っておる魔力供給用の魔法陣じゃ。これよりわしは魔法陣を閉じ、『最後の扉』を開く。おぬしも魔法陣の中に入るのじゃ」

「俺もですか?」

「うむ。『安全』のためにな」

 魔法陣の中のほうが安全なのか?

 俺はおそるおそる、言われた通りに魔法陣に入る。

 魔法陣の中は、魔力の密度が高い。ここで迂闊に魔法を使えば、暴走しかねないレベルだ。



「ではいくぞ。何があっても、ここから出てはならぬ。よいな?」

「わ、わかりました」

 俺の返事を確認して、師匠はうなずく。そして聞いたことのない呪文を詠唱し始めた。

 次第に魔法陣が強い光に包まれてく。

「う、ぐぅ……」

 師匠は苦しげに眉をしかめながら、喉を押さえた。

 それと同時に、周囲に漂う魔力が動き始めた。

 膨大な魔力が、師匠と俺の周囲で渦を巻いている。



 師匠は魔力の渦の中で小さな足を踏ん張り、そしてしっかりとした声で告げる。

「死は終焉ではない。循環する力の流れのひとつに過ぎぬ。死よ、我が前にひれ伏すがよい」

 魔力の渦が輝きを放ち始める。魔力が暴走しかけて、漏れ出た力の一部が光に変わっているのだ。



「師匠!」

 俺が叫んだとき、部屋全体が光の奔流に包まれた。

 危険な兆候だ。

「案ずるな……わしは……」

 すぐ近くにいるはずなのに、師匠の声が遠くから聞こえる。

 儀式を中断させるべきか。今ならまだ間に合う。

 だが俺は師匠を信じて、じっと耐えた。



 光の奔流はやがて徐々に収まり、光っているのは魔法陣の中だけになった。

 闇を見通す人狼の眼のせいで、逆に眩しすぎて何も見えない。師匠の様子はまだわからない。

 俺はそのとき、室内がずいぶん寒くなっていることに気づいた。

 吐く息が白い。部屋の床や壁に霜が降りている。



 そして光は完全に消え去った。

 まだかすかに青白く光る魔法陣の中に、師匠が立っている。見た目は何も変わっていない。少し肌が白くなった、かな?

 だが俺はそれを見た瞬間、師匠が完全な変貌を遂げてしまったことを知った。



 師匠が手をかざすと、みるみるうちに部屋の温度が下がり始めた。師匠の周囲に、きらきらと光が輝く。空気中の水蒸気が凍って、ダイヤモンドダストが発生しているのだ。

 おそらく周囲の熱を吸い取っているのだろう。

「やはり、こうなったか……」

 師匠は呟き、そして俺を見た。

「わしは生というものを、多様な力のひとつとして理解した。生は力であり、力は生である。であれば、多様な力を吸い取ることで生を紡げるとな」



 師匠が手を下ろすと、室温の低下が停まった。

「もはや魔力切れなどで周囲に迷惑をかけることもないし、今のわしを倒せる者もほとんどおらぬ。これがわしのくぐった『最後の扉』じゃ」

 つまり師匠は、魔力……いやあらゆる力を吸い込む「渦」になったのだ。

 魔力だろうが生命力だろうが物理学的なエネルギーだろうが、師匠はそれらを全て吸い寄せて呑み込んでしまう。

 そして師匠は生も死も超越してしまった。

 渦の中心には、何も存在していないからだ。



 俺はかろうじて、こう答える。

「し、師匠……とんでもないものになってしまいましたね……」

「やはり、おぬしにはわかるか」

 師匠は微笑む。

「今のわしにとって、他者の命は力の塊でもある。この意味はわかるじゃろう?」

「わかります」

 師匠にとって、あらゆる命と熱量が餌となるのだ。



 それだけではない。

 炎からは熱エネルギーを。矢からは運動エネルギーを。

 敵の攻撃からもエネルギーを吸い取って無力化し、自分の力を回復させてしまう。

 むちゃくちゃなチート能力じゃないか。

 師匠は以前から、魔力を吸い取る能力を持っていた。偽勇者たちの武具から魔力を吸い取っていたのもそれだ。

 しかしまさか、ここまでになるとは。



「あの、師匠」

「なんじゃ?」

「もしかして、勇者でも倒せない存在になってしまったのでは?」

 俺がおそるおそる尋ねると、師匠は苦笑して首を横に振った。

「この『渦』は、そんなに大きなものではない。あくまでも回復が主目的じゃ。渦よりも大きな力を吸い込もうとすれば、わしの身が耐えられぬ。先の勇者ほどの力であれば、わしの『渦』も破壊できよう」

 攻撃を吸収するにも、限度があるということか。



「それより問題なのは、わしの人格じゃよ。人間や魔族の命すら、今のわしには糧となってしまう。それがわしの人格に悪影響を及ぼす可能性もあるのじゃ」

「やめてくださいよ、嫌ですよそんなの」

 狂った魔王なんて目も当てられないぞ。

 しかし師匠は笑う。

「今まで通りに周囲の者たちとの心のつながりがある限り、わしが無差別に命を吸うようなことはあるまい。メレーネは吸血鬼じゃが、そのようなことはしとらんじゃろ?」

「ああ、それもそうですね」



 すると師匠は咳払いをして、ちらちらと俺を上目遣いに見る。

「じゃからのう……ほれ、わかるじゃろ?」

「なんです?」

「鈍いヤツじゃのう。わしが狂わぬよう、ちゃんと皆で構ってちやほやするのじゃぞ」

「今まで通りでいいんですよね?」

「う……うむ。そうじゃな」



 師匠はちょっと残念そうな顔をしたが、こう続ける。

「無論、安全策も講じておいた」

「どんな安全策ですか?」

「おぬしは先ほど、わしと共に魔法陣の中におった。わしからは『渦』の一部と認識されておる。それゆえ、わしの『渦』は、おぬしの力を奪うことができぬのじゃ」

「あれ? それってつまり……」

 師匠はにっこり笑う。

「左様。おぬしの攻撃だけは威力に関係なく、わしを傷つけることができる。牙のひと噛みでわしを倒せよう」



 師匠はなんでそんな弱点を、わざわざ作ったのだろうか。

 あ、わかってしまった。

「もしわしが力に溺れ、あるいは重圧に負けて狂ってしまったときは」

「師匠、まさか?」

「おぬしの力で、わしを滅ぼしてほしいのじゃよ」

 やっぱりそうきたか。



「なに、わしが『渦』と共に消滅しても、おぬしには何の影響もない。『渦』が勝手におぬしを自分の一部と認識しておるだけで、実際は別物じゃからの」

「いや、そういう心配をしている訳じゃないんですが」

「どうせ滅びるなら、最期は愛弟子に送ってもらいたいんじゃよ」

 そう言われると、もう断れない。



 だが俺なんかに、そんなにホイホイと大事なことを託していいのだろうか。

「もし俺が権力欲しさに狂って、師匠を滅ぼそうとしたらどうするんですか?」

 すると師匠は呆れたように溜息をつく。

「なんと愚かな質問じゃ。おぬしがそんなことするはずなかろう」

 いや、そんなにあっさり信じられても困るんですが。



「欲のないおぬしがわしを滅ぼすのであれば、よほどの事情があるに違いあるまい。そのときは素直に滅ぼされて、虚無の中に消え去るとしよう」

 いやいやいや。

 そんな楽しそうに言われても。

「うむ、我ながら名案であったのう。道を誤ったときは信頼できる者が制してくれるという安心感。王となる者にとって、なんと温かく心強いことか」

 そのぶん、こっちは不安感でいっぱいなんですよ。

「魔王の副官としても、申し分ない役目じゃろ?」

「そ、そうですね……」

 油断してたら、えらい役目を押しつけられてしまった。

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