副官 対 副官
7話
魔王軍本拠地、グルンシュタット城。
名前は何やらいかめしいが、実のところは辺境の廃城だ。数百年前に人間同士の争いで滅ぼされ、今は魔王軍が拠点として利用している。
元は廃墟だが、魔法を駆使して再建されたこの城は、難攻不落の堅城だ。
周囲は魔力を帯びた霧に包まれ、見ることも近づくこともできない。霧に触れた人間は麻痺してしまうし、同時にセンサーの役割も果たしている。
大軍で押し寄せても、城までたどり着けずに全滅してしまうだろう。
俺たち魔族にとっては心地良い霧の中を、俺は師匠を肩に担いで歩いていく。城の中に転送するのは禁止されているので、城門から入らなくてはいけない。
俺は警備兵に誤解されないよう人狼に変身した上で、師匠を担いで歩いていく。
「見た目は不気味ですけど、ここの空気って気持ちいいですよね」
「わしは人間じゃからのう。まあ悪い気分ではないがの」
やっぱり師匠、人間を半分やめているようだ。
城門を守護する竜人兵は、俺たちの顔を見るとすぐに通してくれた。城の守備は全て、精鋭の竜人兵が担当している。
彼らは第一師団所属だ。そして第一師団の長は、他ならぬ魔王だった。
城の中庭を歩いていると、霧の向こうから誰か歩いてくる。巨大な人影だ。
「あやつか」
師匠が呟くと同時に、俺も相手の正体に気づく。血生臭い匂いですぐわかった。
「なんだ、第三師団か」
獣のような顔をした巨漢だった。身長は三メートルあまり。俺の二倍近くある。獣鬼族だ。半裸で鋼鉄製の棍棒を持っている。
第二師団の副官で、獣鬼隊を率いる将。名をドッグという。
名前で笑ってはいけない。獣鬼たちの言葉で、「狂える者」という意味らしい。つまり狂犬だ。
よけいに笑える。
狂犬ドッグは師匠に形式だけの礼をして、俺を見下ろす。
「今ごろ報告か?」
バカにしたような口調だった。どうやらこいつは、報告の帰りらしい。何分の差か知らないが、こいつの頭には勝ったか負けたか、それしかないのだ。
俺が退屈そうにしていると、ドッグはなおも突っかかってくる。
「交易都市だかなんだか知らないが、そんなもん攻め落としたぐらいで報告しなくていいぞ? 俺は鉱山都市ボルツを落としてきた」
自慢の棍棒をぶるんと振り回して、ドッグは勝ち誇った顔をしている。何が嬉しいのだろうか。
「鉱山だ、鉱山。わかるか? 鉄を掘る。交易都市は何も掘れない。価値がないんだ」
ああ、そういうことか。
要するに、自分の獲物の方が価値があるのだと言いたいらしい。
交易がどれぐらい価値を持つものか、このうすのろにはわからないだろう。他の魔族も、そしてこの世界の人間も、あまり理解していない者が多いのではないだろうか。
流通がどれほど重要か知っている俺だが、これを説明するのは簡単ではないし、説明する義理もない。
だから俺は軽く肩をすくめる。
「お前は気楽でいいな」
とたんにドッグは顔を真っ赤にした。そうか、獣鬼も血は赤いんだな。
「てめえ、俺様を誰だと思ってる! 獣鬼の力を持つ天才、ドッグ様だぞ!」
天才……まあ、獣鬼の知能は小学生程度だからな。こいつは中学生ぐらいはあるから、天才は天才だろう。
「俺は人狼の力を持つ魔術師だが、どっちが強いと思う? 天才ならわかるよな?」
「もちろん! 俺様だ!」
どうしよう、このバカ。
俺はちらりと師匠を見上げたが、彼女はふわふわ浮いて離れてしまった。
「副官同士、仲良くするんじゃよ」
「師匠……」
師匠も争い事は面倒らしい。
しょうがないので、俺は獣鬼を見上げる。
魔族は力が全てだ。負けたら格下になる。
軽く相手してやろう。俺はドッグを睨んだ。
「弱いくせにデカい図体で道を塞ぐな、どけ」
「なんだと!」
棍棒が振り下ろされた。いきなりか。
もちろんそんなものに当たる俺ではない。人狼の眼には止まって見える。
棍棒の一撃は足元の石畳を砕いて、そこらじゅうに破片をまき散らしただけだった。
「おいおい、魔王様の城を壊すんじゃねえよ」
先に手を出してきたのが相手なので、俺は少しだけ遊んでやることにした。
「ちょいとお仕置きが必要だな」
人狼と獣鬼。
力の強さは獣鬼の方が上だ。
体格がまるで違うのだから、これは当たり前だろう。巨大な棍棒を軽々と振り回し、広い範囲をまとめて攻撃できる。破壊のスペシャリストだ。
しかし獣鬼の体格は、弱点でもある。
巨体なので動き始めが遅いのだ。
遅いといっても先手を取るのはそれなりの腕が必要だし、勇気もいる。何より、獣鬼の強靱な肉体に一撃で致命傷を与えるのは難しい。
そして致命傷を与えたとしても、振り下ろされる棍棒は止められない。恐ろしい怪物だ。
人間にとっては、だが。
俺はそんなことを考えながら、二撃目もかわす。副師団長といっても、獣鬼じゃこの程度か。
刃のついていない棍棒は、完全に振り下ろされた状態では大した脅威ではない。
仏ではない俺は、三撃目まで付き合うつもりはない。
軽く跳躍して、ヤツの顎に跳び蹴りを叩き込む。
「うごっ!?!」
人間なら顔面ごと粉々になっているはずだが、さすがに獣鬼。
顎の骨が砕けただけで済んだようだ。なかなか丈夫だな。
普通なら降参してもいい傷だが、ドッグもれっきとした魔王軍の武将だ。
全く闘志を失うことなく、逆に凄まじい勢いで棍棒を振り回してきた。
「おおう」
やみくもな攻撃だが、当たれば俺でも一撃で深手を負う。丁寧にかわして、とどめの一撃をお見舞いしよう。
そういえば師匠が見ているんだったな。
少しばかり魔法を使おうか。
俺は軽く印を結び、掌に魔力を宿らせる。
「悪く思うなよ」
人狼の爪が凶悪な光を帯びた。
砕けた顎に、黒光りする爪が食い込む。
「ぐおああああぁ!」
獣鬼の顎に、人狼の掌がめり込んでいる。砕けた骨を握り潰しているのだ。
さすがのドッグも、これには激痛を感じたらしい。完全に闘志を失って、棍棒を取り落とす。
「おい、降参しろよ」
俺が降伏を勧めるが、この強情者は悲鳴しかあげない。
しょうがない。
「ちょっと寝てろ」
俺はドッグの砕けた顎を握り潰しながら、そのまま手首を返した。
獣鬼の頭が面白いように揺れて、ヤツが白目を剥く。脳震盪を起こしたのだ。ドッグは地響きを立ててひっくり返った。もう起き上がってこない。
獣鬼が破壊のスペシャリストなら、人狼は殺戮のスペシャリストだ。
「よしよし、それまでじゃ。うんうん、良い試合じゃったのう」
勝負を見届けた師匠がふわふわ降りてきて、どうでも良さそうな口調で健闘を称えてくれる。
彼女は治療魔法でドッグの顎を手際よく治すと、ヤツの肩をぽんぽんと叩いた。
「ドッグの勇猛果敢な武者ぶり、さすがは副師団長の風格じゃ」
「い、いでえ……うぐ……いでえ……」
傷が治ったはずなのに、ドッグはまだうめいている。
どうやら師匠、数ある治療魔法の中でも一番痛いヤツを使ったらしい。自然治癒力を強化して少ない魔力で傷を塞ぐ代わりに、完治するまで激痛が走るヤツだ。
地味に陰険な師匠だった。
そして師匠は俺を振り向くと、不満そうな顔で俺の頭をぺしぺし叩いてくる。
「なんじゃ、この戦いぶりは。ちっとは反省せい」
「は、はあ……」
鮮やかに勝ったと思うのだが、師匠はどうも不満らしい。
ふわふわと飛んでいきながら、師匠はぶつくさ言っている。
「まったくヒヤヒヤさせおって、老人の心臓を労らんか……」
ああ、心配してくれてただけか。
地味に陰険だが、割と過保護な師匠でもあるのだった。