魔王の霊廟と、勇者を噛み殺した男
65話
俺が目を覚ましたのは、その数日後だったらしい。
「あ、起きたわ」
俺の顔を覗き込んだのは、メレーネ先輩だった。
先輩は俺の頭に額をくっつけて、それからうんうんとうなずく。
「魔力も霊波も異常なし。後遺症もなさそうね」
「あの、ここは……?」
よく考えたら聞くまでもない。
グルンシュタット城の中にある、俺の部屋だ。
「死なずに済んだか……」
俺はほっと溜息をつく。あのまま死んでいたら、あの世で魔王様に叱られているところだった。
するとメレーネ先輩が怖い顔をした。
「そうやってすぐ無茶をするのは、人狼の習性なのかしら? それともヴァイトの個人的傾向なの?」
痛い、痛いです先輩。
こめかみぐりぐりしないで。
「あの、あれからどうなりましたか?」
俺はメレーネ先輩の執拗な攻撃を避けて、一番気になっていたことを尋ねる。
すると先輩は俺の肩に手を置いて、びっくりするほど優しい声で告げた。
「大丈夫よ。何も心配はいらないわ。先生が全部やってくれたから」
俺が意識を失った後、近衛兵たちが俺を介抱してくれたらしい。さらに退避していた竜人族たちを呼び戻し、魔王様と勇者の遺体を安置したという。
ちょうどそれに前後して、師匠が意識を取り戻した。
より正確に言うと、魔王様と勇者というふたつの巨大な存在が消滅したのを感じ取ったらしい。まだ十分に動けないのに、無理してグルンシュタットまで来たそうだ。
そこから後は、師匠が苦労してくれたようだ。
師匠は魔王様のために一晩中あらゆる手を尽くしたが、やはり治療も蘇生も不可能だったらしい。完全に死亡してしまったら、いかに魔王でも勇者でも蘇生は無理だ。
とうとう最後に、憔悴しきった師匠は泣きながら魔王様の死を宣告したという。
魔王様の遺体はグルンシュタット城にある霊廟に運び込まれ、霊廟地下の墓所に埋葬された。
告別式や葬儀などの慣習は魔族にはあまりない。自然の中で生活してきたので、急いで埋葬しないと遺体を守れないのだ。
今後、追悼の儀式が行われることになるだろう。
勇者の遺体は、霧の外で勇者の帰還を待ち受けていたミラルディア軍に返還。
師匠としては死者を同胞に弔ってもらうためだったらしいが、ミラルディア軍の驚愕と恐怖は想像を絶するものだったらしい。
勇者の死体の致命傷は、巨大な狼の牙によるものだったからだ。
彼らは「勇者は魔王討伐に失敗し、部下の人狼に喰い殺された」と勘違いしたようだ。
魔王が健在だと勘違いした彼らは勇者の死体を放置して、そのまま逃げ去ってしまったという。
さすがにそのままにもしておけないので、勇者の遺体はグルンシュタット城に仮埋葬してやったそうだ。いずれ遺骨は郷里に返してやろう。
ミラルディア軍は森から脱出し、バッヘンに帰還したという偵察報告が入っている。市民兵は逃げ散るように解散し、常備軍もバッヘン防衛という名目で引きこもっているようだ。
聞いた話では、さっそく酷い噂が流れているらしい。主に俺のだ。元老院発行の手配書に、また何行か書き込まれることになりそうだ。
結局、両軍とも何も得るものはなかった。それぞれの英雄を失っただけだ。
当分はミラルディア軍もおとなしいだろう。
問題は魔王軍だ。
魔王様が倒された以上、魔王軍を率いるのは師団長しかいない。ティベリト師団長は既に戦死しているので、残るは我が師・ゴモヴィロアだけだ。
この数日、師匠は落ち込んでいる将兵を慰め、励まし、たまに叱りつけながら、まとめてきたらしい。俺が寝ている間に師匠の活躍がなかったら、意気消沈した魔王軍がどうなっていたかはわからない。
実力面でも経歴面でも、次期魔王は師匠が適任だろう。
本人はまだ渋っているそうだが、後で俺が説得してみよう。
そもそも師匠が魔王様をそそのかして旗揚げさせたのが魔王軍の始まりだ。それまでは竜人だけの小規模な武装集団だったのだ。
そこに巨人の豪傑ティベリトや大勢の魔族が加わり、今の魔王軍へと成長した。俺も師匠にホイホイと乗せられ、魔王軍に加わった一人だ。
だから師匠には最後まで責任を取ってもらおう。
もちろん俺も副官として師匠を支えるつもりだ。
魔王軍のことも気になるが、今俺が一番気になるのは魔王様の霊廟だ。俺も魔王様に別れを告げたい。
俺はベッドから起きあがる。まだ体のあちこちが軋んでいるが、とりあえずは動けそうだ。
「魔王様の霊廟に行ってきます」
「一緒に行くわ」
「いえ、できれば独りで」
メレーネ先輩は困ったような顔をして俺を見ていたが、やがて諦めたように微笑んだ。
「……わかったわ。無理しちゃダメよ」
メレーネ先輩は俺に肩を貸してくれると、昔のように俺の頭を撫でてくれた。ふと懐かしい気持ちになる。
どうやら意識を失っている間、先輩にはかなり心配をかけてしまったようだ。
俺が廊下に出ると、驚いたことに第一師団の副官たちが整列していた。
いつの間に駆けつけたのか、バルツェ副官もいる。クルツェ技官や近衛兵たちもいた。
彼らは俺を見ると、無言で敬礼した。
言葉にならない思いをひしひしと感じて、俺も無言で敬礼を返す。
そしてその場を後にした。
グルンシュタット城の裏庭にあたる大庭園に、石造りの霊廟がある。
元々はこの城の前の住人たちが使う予定だったそうだが、彼らはここには入れなかった。同じ人間たちに滅ぼされたのだ。
そして今は魔王様が眠っている。
俺は霊廟の前に香炉を供えた後、荘厳な石の建物を見上げる。この世界に線香はないので、似た香りのお香をメレーネ先輩から借りてきた。
眼を閉じて手を合わせた後、俺は魔王様に語りかける。
「魔王様、おひとりで逝かれるなんてズルいですよ」
この世界に人狼として転生して、やっと見つけた同じ転生者だ。しかも同じ日本人ときた。
俺が魔王様にどれだけ親しみを感じたことか。
魔王様も俺も前世のことはほとんど話さなかったが、同じ日本人。
話題には事欠かなかった。
『魔王様。この世界のパンも悪くはないですが、たまには米が食べたいですね』
『うむ。小麦と比較すると、米は同じ耕地面積で多くの人口を養うことができる。いずれは稲作を普及させたいものだ』
『いえ、私は単純に自分が食べたいだけですが……』
『おぬしは人狼ゆえ穀物も食べられようが、余は竜人でな。残念ながら、穀物はあまり体が受け付けぬのだ』
『大変ですね……』
などという会話も、よくしたものだ。
魔王様の前世が何者だったかはとうとうわからずじまいだったが、相当なワーカホリックだったのは想像がつく。
そして今世でも仕事に命を懸けて、散ってしまった。
思えば不器用な人だったなあ。
前世の名前も告げずに逝ってしまうんだから。
そのとき背後から声がする。
「やはりここか、ヴァイト」
師匠の声だ。俺が振り向くと、師匠はいつもと同じ微笑みで俺を見つめていた。
しかしかなり疲れているらしく、杖によりかかるようにして立っている。顔色も悪い。
「師匠、大丈夫ですか?」
「なに、心配はいらぬ。それよりおぬしは魔王様とティベリトの仇を討ってくれたようじゃな。ありがとう、ヴァイトよ」
「手負いの勇者に襲いかかって殺しただけで、そんな立派なものじゃありませんよ」
勇者アーシェス。
メルティアという人物……おそらく人物だろう、その人物の仇を討つためだけに戦い、そして死んだ男だ。
メルティアとは、彼の家族だったのだろうか。それとも恋人? あるいは主従や師弟の関係だったのかもしれない。
そういやあいつ、もしかすると転生者だったんだろうか。
今となってはそれも謎のままだ。
師匠は俺に一通の封書を差し出した。
「魔王様の遺言じゃ。おぬしに渡すよう書いてあった」
「俺にですか?」
「わしはわしで、別に一通もらっておる。読み終えたら、わしの部屋に来るがよい」
師匠はそう言うと霊廟に向き直り、静かに頭を下げた。




