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ぎこちない外交

51話



「隊商のついでに、こいつを届けてもらえないか?」

 俺は交易商のマオに、一通の手紙を差し出した。最近こいつは暇さえあれば俺の執務室に入り浸っている。

 マオは薄紅色の可愛らしい封書を眺めて、首を傾げる。

「どこにです?」

「北部のクラウヘンまで。宛先と宛名は書いてある通りだ」

「またずいぶんと遠いですね……ちょうど用事がありますから、いいですが」

 彼は手紙を受け取って、まだ不思議そうな顔をしている。

「クラウヘンに知り合いでもいるんですか?」

「偽聖女様の故郷なんだそうだ。内容は検閲しておいたから問題ない」



 マオはまだ変な顔をしていたが、うなずいてそれを懐にしまった。

「責任をもってお預かりしましょう。手渡した証拠は必要ですか?」

「一応なんか頼む。返事の手紙がいいな」

「わかりました」

 しかしクラウヘンって、北東の辺境だぞ。

 こいつ何の用があって行くんだ?

「クラウヘンに何かあるのか?」

「これですよ、これ」

 彼が取り出したのは、白っぽい石の固まりだ。

 最初はなんだかわからなかったが、人狼の嗅覚が教えてくれた。岩塩だ。



「塩なんか、南の海でいくらでも採れるだろう? なんでクラウヘンまで買い付けに行くんだ?」

 するとマオは肩をすくめてみせた。

「岩塩と海塩は味が違いますからね。こっちから塩田で精製した塩を運んで、あっちでは岩塩を買って帰ります。行きも帰りも塩を運ぶので、商品の管理が楽なんです」

「まあ味は違うだろうが……」

 マオが持っている岩塩、硫黄の匂いがするぞ。人狼の嗅覚だと、変身前でも臭くてしょうがない。

「脂の乗った肉にもみ込んで、軽くあぶると最高ですよ。火で臭みが飛んで、いい味になるんです。高級料理店や富裕層に良い値段で売れますよ」

 本当か?



「ところでお前、シャルディールにコネはあるか?」

「いや、私は南北の行き来が中心でして……シャルディールで精製塩を売っても、二束三文にしかなりませんから。ときどき岩塩を売りに行く程度ですね」

 使えないヤツだ。

「太守のアラム様は美食家なので、うちから定期的に岩塩を取り寄せています。会うぐらいなら何とかなりますが」

「お前な」

 それで十分だろうが。



 そうと決まれば、こんな悪党といつまでも話し込む必要はない。

「すぐに手配しろ」

「わかりました。具体的にはどのように?」

 俺は薄く笑った。

「俺が挨拶に行くとだけ伝えてくれ」

「承知しました」



 俺はすぐに公務をアイリアに全部押しつけると、シャルディールへ向かう準備を整えた。

 東にある小さな砂漠を迂回することになるので、ちょっとした小旅行だ。

 本当は単独で行きたかったのだが、単独行動をすると人狼隊の連中がうるさいからな。

 ちょうどいいから、ハマームの隊を連れていこう。あいつら元々は砂漠の遊牧民に紛れて暮らしてたらしいから、旅には慣れているだろう。

「頼んだぞ、ハマーム」

「承知しました、副官」



 交易都市シャルディールは、美しい湖のほとりに存在している。交易路のオアシスだ。

 同じ交易都市でも、どちらかというと隊商の慰安や補給に重点が置かれているらしい。積み荷の売り買いが中心のリューンハイトとは、少し趣が異なる。

 歓楽街もあるそうなので、少し気になるところだ。

 転生以来、ネットもテレビも何にもない生活を送ってきたからな。華やかなものが気になるのは仕方がない。

 敵地だから行くことはないだろうが……。



 シャルディールの城門前で俺が面会を求めると、衛兵たちは露骨に動揺していた。

 俺を含めてたった五人、しかも全員が丸腰とはいえ、魔王軍の使者だ。

 しかし太守のアラム自らが出てくると、すぐさま動揺は収まった。

 あまり軍人らしい雰囲気ではないが、統率力はそれなりにあるな。そこらへんはアイリアと同じか。



 ただこいつ、ナード体型の青年なんだよな。

「お初にお目にかかります。シャルディールの太守にして二等領爵、アラム・スーク・シャザフです。一度お会いしたいと思っておりました」

「魔王軍第一師団副官、ヴァイトだ。急な訪問をお詫びする」

 さて、どれほどの人物か見せてもらおうか。



 俺は見通しのいい、豪華な部屋に通された。太守の客間らしい。

「お供の方々は、こちらでおくつろぎを」

「いや、我々は……」

 ハマームが首を横に振るのを、俺が制する。

「俺のことなら心配いらない。休んでいてくれ」

 ハマームはその言葉に眉をしかめたが、太守たちの前で俺に抗弁するのはまずいと察したらしい。

「では、そのように」

 ハマーム隊は別室に案内され、俺は太守と二人で向き合うことになる。



 アラムはにこにこ笑いながら、俺にジャスミン茶のようなものを勧めてきた。

「驚きましたな、まさか魔王軍の最高幹部であるヴァイト殿がお越しになるとは」

「私はただの副官だ」

 俺は警戒することなく、無造作に茶をすすってみせる。

 毒でも盛られていたら一大事だが、小心者の俺はちゃんと事前に解毒魔法をかけてきた。

 小細工なんか無駄だということをアピールするためにも、堂々と茶を飲み干してやる。

 何の茶葉かわからないが、これ美味いな。



 俺はガラスの湯飲みを置いて、のんびりと雑談から始める。

 どうも最近は俺の悪い評判が広まりすぎているようなので、ちょっと和やかにいってみよう。

「なかなか良い香りの茶だ。交易によるものですかな?」

「ええ」

 珍しい茶に、高価なガラスの茶器。

 経済力と交易への影響力をさりげなくアピールという訳か。

 とすると、策士タイプの人物だろうか。



 しかし本当に美味い茶だな。前世でも飲んだことがない味だし、さりげなく催促してみるか。

「機会があれば、よく冷やして飲んでみたいものですな」

「では後ほど、冷ましたものを御用意いたしましょう」

「ああ、たっぷり氷も浮かべて」

「氷?」

 アラムの表情が強ばった。



「氷……ですか……な、なるほど……」

 いかん、今のは失言だった。

 この世界にはもちろん冷凍庫はない。北部には氷室があるらしいが、南部だから雪も降らないのだ。

 アラムが氷を見たことがあるかどうかさえ怪しい。たぶん知識でしか知らないだろう。

 俺は師匠のところでちょくちょく氷を作ってもらっていたから、ついうっかりしていた。

 夏になると授業の終わりに師匠がでっかい氷柱を作ってくれて、それをみんなで割りながらお茶や果汁に浮かべて飲むのだ。

 楽しかったなあ……いや、現実逃避している場合ではない。



「シャルディールの湖を眺めながら、氷を浮かべた茶でくつろぐのは、最高でしょうな……」

 アラムは動揺を鎮めると、そう言って笑ってみせた。笑顔がぎこちない。

 どうやら彼のプライドを傷つけてしまったらしい。すまん。

 ていうか意外と面倒くさいな、お前。



 別に俺はシャルディールの文化にケチをつけに来た訳ではない。今後の友好のために来たつもりだ。

 せっかくのもてなしだ、なんか褒めておかないと。

 そうだ、この茶器は素晴らしいぞ。

「このガラスの茶器、気泡が実に良い味わいを出していますな。この歪みもわざとらしくなく、それに厚ぼったいのがかえって落ち着く」

「えっ?」

 またアラムの表情が変わった。

 今度は何だよ。

「ゆ、歪んで厚ぼったいですか……それは、その……」



 そうか、忘れてた。

 だいぶ前にリューンハイトで窓ガラスを割ったときも、こんな野暮ったいガラスだったな。修理した後もそうだ。

 室内の様子を適度にぼかせるので機密保持にちょうどいいと思っていたが、あれは別にわざと歪ませたり、厚ぼったくさせている訳じゃないらしい。

「そっ、粗末な品ですが……お気に召されたようで、な、何よりです……」

 露骨に声が沈み込んでるぞ。悪いことをしてしまった。

 でもこれ、本当にいいデザインだと思うけどなあ。前世の専門店で買えば何千円かするはずだ。何万かもしれない。

 しかしこうなると、何をどうやって褒めたらいいのか、わからなくなってきた。



 俺は異文化コミュニケーションを早々に放棄して、とりあえず彼に釘を刺しておくことにする。

「ところで『奥の間』に、どなたかおられるようだが」

 この部屋は一見すると、続きの間はどこにもない。

 しかし俺の聴覚と嗅覚が、アラムの背後に隠し部屋があることを告げている。逃げるためというよりは、いわゆる「武者隠し」だろう。護衛の兵士を潜ませているのだ。

 アラムはじっとりと脂汗を浮かべて、ぎこちない笑みで応じた。

「そ、それは……あの、じ、侍女が奥の間の掃除中でして……大変申し訳ありません」



 いや、別に兵士を潜ませておくのは構わないと思う。太守が敵と面会しているんだから当然だ。

 ただ、彼があの兵士たちで俺を攻撃する気になると、無駄な犠牲が出てしまう。

 ちゃんと忠告しておこう。

 とはいえ、侍女だと言われてしまうとやりづらいな。

「侍女殿にしては、少々男臭いですな。それに鉄の服を着ておられるようだ」

 俺の聴覚は、金属鎧の擦れる微かな音も捉えている。防音には気を配っているようだが、まるっきり無駄だ。

 アラムはひきつった顔をして、曖昧な笑みを浮かべている。

「いや、あの……それは……ははは」



 さっきから俺が発言するたびに空気が気まずくなっていくので、もう単刀直入に言ってしまおう。

「いかに鉄の鎧をまとった侍女たちとはいえ、たった六人では心許ない限りだ。それに距離が遠すぎる」

「なっ!?」

 匂いと足音で区別はつくので、人数もわかる。

 距離が遠いのも事実だ。兵士が隠れている壁とアラムの席は、二メートル以上離れている。

 アラムがいきなり壁に向かってダッシュして、同時に兵士が飛び出してきたとしても、俺が変身してアラムの首をへし折るほうが早い。

 もちろんそんなことは絶対しないが、やろうと思えば簡単だ。



 つまり今、アラムは何の護衛もなしに俺と対峙しているのに等しい。

 だから妙な気は起こさないでほしい。

 殺さないように手加減するのも楽じゃないんだ。

 それにしても、俺の会話下手にも困ったものだな……これじゃ師匠やラシィのことを笑えないぞ。

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