戦後処理が忙しい(後編)
5話
「案外疲れるな……」
太守の客室を占拠した俺は、夕暮れの迫る町並みを見下ろしながら溜息をつく。
住民の反抗が起きたら、今の俺たちに穏便に鎮圧するだけの戦力はない。逆らう者は皆殺しにするしかないだろう。
何事も起きないよう、今は祈るだけだ。
そのとき、俺の部屋のドアがノックされた。
「どうぞ」
入ってきたのは、太守のアイリアだった。
彼女の太守としての地位は剥奪せず、そのままにしてある。彼女が有能で、住民からの信頼もあると判断したからだ。
問題は彼女が俺たちにちゃんと協力してくれるかどうかだが、それは何とも言えない。
太守の彼女が民衆に一声かければ、すぐに暴動が起きる。衛兵たちを動かして俺たちを襲うことも可能だ。
もちろんそれでどうにかなる俺たち人狼ではないが、それでリューンハイトの支配は失敗する。
そんなことを考えていると、アイリアが首を傾げた。
「どうかしましたか、ヴァイト殿?」
「いや、何でもない。何か御用か、アイリア殿」
お互いこの場の最高責任者なので、発言には気を遣う。
するとアイリアは面目なさそうな顔をして、こう告げた。
「市街の混乱は最小限に抑えています。今のところ、市民に反抗や逃亡の兆候はありません」
「そうか、それはありがたい。少しの間だけ色々と制限をつけるが、なるべく早く元の生活に戻せるよう努力する」
俺がそう応えると、彼女はますます面目なさそうな顔をする。
「そちらは問題ないのですが……衛兵隊の方々への説得が、うまくいっていないのです」
「衛兵隊が?」
おとなしく降伏したと思っていたが、どうもそう単純ではないようだ。
アイリアの話はこうだった。
衛兵隊は太守アイリアの私兵ではなく、リューンハイトが属する都市同盟国家ミラルディアの同盟軍に所属している。
これは都市同盟が成立するまでだいぶ戦争があったためだが、おかげでどの太守も勝手に衛兵隊を動かすことはできない。衛兵隊に通常と異なる任務を与えるには、ミラルディア元老院の許可が必要だ。
事情を理解した俺は、アイリアに確認する。
「つまり、降伏の命令はできても、魔王軍への協力を命令する権限はないと?」
「ええ、そういうことです。私にできるのは、あくまでもお願いだけです」
アイリアの表情にも言葉にも、嘘は感じられない。人が嘘をつくとき特有の匂いがしないのだ。人狼は微かな汗の匂いで、相手の隠された感情を察することができる。
「困ったな」
俺は腕組みをした。
衛兵隊は二百人しかいないが、治安維持の専門家たちだ。彼らが協力してくれないと、治安維持は人狼隊でやるしかなくなる。
しかし俺たちには、人数もノウハウも足りない。だいたい人狼を全員治安維持に回してしまったら、いずれ来るであろうミラルディア軍との戦いに犬人隊だけで立ち向かうことになる。勝ち目は全くない。
「うーん……」
並みの魔族なら衛兵隊を脅迫するか、見せしめに半分殺すところだが、俺はもちろんそんなことはしない。
恐怖による支配は必ず反発を生むし、ちょうどいいレベルの恐怖を維持させるのが大変だ。やりすぎれば逆効果になって反乱を招く。
俺が困っていると、アイリアがおずおずと口を開いた。
「衛兵隊に、酷いことをしないのですか?」
「して欲しいのですか?」
俺が苦笑すると、アイリアは首を横に振った。
「そうではありませんが、てっきり強硬手段に出るおつもりかと」
「魔族ならそれでうまくいくのだが、人はそうはいかんでしょう」
それに彼らの立場もわかる。魔王軍に協力したことがばれたら、ミラルディア軍がこの街を取り返した後に責任問題になる。
悩んだ末に、俺は衛兵隊を使うことをあきらめた。
「彼らの立場や心情は理解できる。武装解除に応じるのなら、それ以上の要求はしない。そう伝えていただきたい」
「わかりました」
アイリアは俺の部屋を退出しようとしたが、ドアの手前でしばらく迷った末に振り向いた。
「あの……」
「どうされたかな?」
俺が促すと、男装の麗人は覚悟を決めたように口を開いた。
「治安維持なら、商工会を使うという方法があります」
「商工会?」
「リューンハイトの各地区の商工会は、地区の治安維持や防災活動に協力しています。犯罪や事故が多発すると、商売が成り立たなくなるからです」
なるほど、地域の自治会みたいなものか。俺の前世は都会暮らしだったし、今世は人狼だけの隠れ里で育ったから、そういうものは全く考えていなかった。
アイリアは続ける。
「商工会は私の直轄の組織です。武装した衛兵隊ほど効果はないでしょうが、彼らに見回りなどを頼むことはできます」
意外な申し出に、俺は少し考えた。
今の提案は、俺たちにとっては非常にありがたいが、アイリアには何の利益もない。商工会に借りを作るだけだ。
だから俺は、彼女の真意を確かめる必要があった。
「なぜ、そのような提案を?」
彼女の返答は意外なものだった。
「ヴァイト殿への感謝です」
「か……感謝?」
侵略者が感謝されるとは思ってもいなかったので、俺は変な声をあげてしまった。
するとアイリアは穏やかな表情を浮かべる。
「あなた方は、交戦した衛兵隊以外には一人の犠牲者も出しませんでした。その気になれば、市民を虐殺することもできたのにです」
「それはまあ、そうかもしれないが」
確かにできるが、やる意味がないからやらないだけだ。感謝されるいわれはない。
しかしアイリアにとってはそうではないらしく、彼女は俺に深々と頭を下げる。
「ですからどうか、今後も市民への寛大な処置をお願いします。そのための協力は惜しみませんから」
リューンハイトのことを第一に考える太守にとっては、魔王軍への協力も外交カードのひとつということらしい。将来的にこの街がミラルディア軍に解放された後も、太守の判断なら責める者はいないはずだ。
やはりこの男装の麗人、単なる臆病者でもお人好しでもないらしい。パニックになると弱いが、普段はしたたかな現実主義者だ。
事情がわかれば、提案を拒否する理由もない。
「ありがとう。この件は俺個人の借りということで、必ずお返しする。商工会への働きかけをお願いしたい」
「わかりました」
ほっとしたかのように、アイリアは微笑んだ。
なかなか可憐だった。