勇者ランハルト
45話
俺がシュベルムの城壁を目の当たりにしたのは、日没後しばらくしてからだった。
バッヘンの荒廃っぷりも酷かったが、シュベルムもかなり酷い。城壁のあちこちが崩れているせいで、籠城しようにも隙間だらけだ。
なるほど、これじゃミラルディア同盟軍も迂闊には攻勢には出られないな。
ここにはリューンハイトの交易商マオの部下たちが潜入しているはずだ。連絡方法も知っているので、呼び出して事情を聞けば色々わかるだろう。
だが正直な話、俺はマオを信用していない。
だいたい城壁がこれだけ崩れているんだから、人間の姿に戻って入れば自分の目で偵察できるだろう。
よし。自分の目で見て、それから詳しい話を聞こう。
それなら最悪、マオに裏切られていても情報は手に入る。偽情報をつかまされそうになっても、すぐにわかるしな。
俺は人間の姿に戻ると、用意しておいた普段着に着替える。そして崩れた城壁の隙間から、よっこらしょと侵入した。
シュベルムはバッヘンと違って、着々と復興が進んでいた。城壁の修理はまだ途中だが、市内には仮設の小屋やテントが立ち並び、大勢の兵士が行き交っている。
屋根のない集積所が大量にあるところをみると、あれは建築資材だろうか。本格的な修復作業は、これからというところか。
俺が同盟軍の指揮官なら、シュベルムの復興より先にバッヘンの奪還を考えるところだ。バッヘンに主力を置いて、ゆっくりと後方のシュベルムを復興させたい。
だが同盟軍には、多数の市民兵が参加している。シュベルム市民にとっては、バッヘンより自分の街の復興が先だろう。
あくまでも俺の感想だが、軍事的ではない理由で物事が進められている印象だな。
魔王軍もそうだが、同盟軍も内情は色々あるらしい。
しかし予想外だったのは、シュベルムにいる兵士の比率の高さだ。普通の市民はほとんどいないので、普段着の俺だと逆に目立ってしょうがない。
しかも南部風のゆったりした服は、北部の気密性の高い服装と全然違う。なるべくそれっぽい服を選んできたつもりだが、色合いやデザインのせいもあって、完全に浮いてるな……。
早めに退散した方が良さそうだ。
俺はあまり市内の中心部には行かず、さっきと同じ場所から城壁の外に出る。やれやれ、密偵としては失格だな。
ほっと一息ついて、俺はマオの部下に連絡を取ることを考える。
次の瞬間、俺は変身して地面を蹴った。
ほとんど同時に風切り音が聞こえる。
崩れた城壁を蹴って飛ぶ。俺の服の袖を、何かが切り裂いていった。
「人狼か」
俺をいきなり襲ったのは、武装した三人の戦士たちだった。少し離れた場所に魔術師らしいヤツが一人。
狼の嗅覚と聴覚を持つ俺に気配を感じさせずに、よく不意打ちできたな。
魔法で存在を隠蔽していたとしか思えない。
俺は戦士たちと間合いを取りながら、急いで彼らを観察する。
三人とも凄い魔力だ。並の人間ではありえない。
後ろの魔術師はそれほどでもないが、魔力の流れがよく練られている。決して油断はできない。
「まさか、勇者か?」
俺の疑問に、戦士たちの一人が応えた。
「我が名は勇者ランハルト。聖なる護法によって、お前がシュベルムに侵入したことはすぐにわかった」
どうやら侵入警報を果たす魔法が、どこかに仕掛けられていたらしい。
俺たち魔術師にとってはチャチな鳴子と同じようなものだが、全く気づかなかった。よほどうまく偽装されていたようだ。
ランハルトと名乗った男が剣を構える。
「滅びるがいい、不浄の者よ」
「不浄ね……」
そう呟いた瞬間、勇者たちが三方から一斉に斬りかかってきた。
まずい。
俺は準備状態の強化魔法を全て発動させる。
体が軽くなり、敵の動きもわずかに遅く見える。
負傷に備えて自然治癒力が向上し、毛皮も魔力を帯びて硬くなった。
「ちいぃっ!」
頭、肩口、脚。
見事な連携をみせる連撃を、俺は紙一重でかわした。
勇者だけでも勝ち目がないのに、他に三人も手練れがいて勝てるはずがない。
逃げたいが、逃げる余裕すらないのが現状だ。三人がうまく連携して、俺をこの場から逃がしてくれない。
魔法でフルブーストした今の俺でも、防戦だけで手一杯だ。
しかもまずいことに、後ろの魔術師が何か唱え始めた。
何の魔法かわからないが、今でも劣勢なのに何かされたら確実に死ぬ。
一発二発もらうのは覚悟で、あの魔術師を止めなくては。
俺は一瞬だけ足を止め、魔の咆哮「ソウルシェイカー」を放った。
効果は劇的だった。周囲の魔力が魔族に波長を合わせ、俺に向かって流れ始める。魔術師が唱えようとしていた呪文は、不発に終わった。
後は勇者たちの攻撃を耐えるだけだ。高速回復の魔法もかけておいたし、死ななければ何とかなるだろう。
だが様子がおかしい。
ふと周囲を見ると、勇者たち三人が硬直していた。
彼らの表情は一様に、恐怖と苦悶に歪んでいる。
信じられない話だが、勇者は俺の「ソウルシェイカー」の畏怖効果で動けなくなっていた。
ありえない。
相手は魔王様に匹敵する超人だぞ!?
そんな驚愕とは無関係に、俺の手が反射的に攻撃を繰り出す。
人狼の鉤爪が、黒い暴風となって吹き荒れた。
不気味な角度に首が曲がった男と、顔の半分が吹き飛んだ男。そして喉笛を半分以上切断された男が、ゆっくりと倒れる。
あっけない幕切れだった。
嘘だろ!?
人狼一人で勇者一行を倒してしまった。
「そんな馬鹿な……」
そう呟いた俺は、ふと違和感を覚えた。
よく見ると、魔力の流れ方が違う。
魔王様は体の内側から無限に湧き出る魔力を持つが、こいつらの魔力は剣や鎧から発せられているように見える。
しかも彼らが死んだ後も、その魔力は生前同様に全く衰えることがなかった。
「そういうことか」
俺は呟くと、転がっている剣を拾った。
強い魔力を感じる。おおかた、古代の魔術師が作った武器だろう。
「偽勇者って訳だ。そうだろう?」
硬直したまま震えている魔術師に、俺はそう笑いかける。人狼の笑顔が通じるとは思えないが、どっちでもいいだろう。
「ひっ……」
フードの下から漏れてきたのは、若い女の声だ。
そいつがよろめくと同時に、長い髪とひきつった顔が露わになる。
勇者の仲間にしてはずいぶん地味な顔立ちだが、なかなかの美女だ。
ぶるぶる震えている純白の法衣に、じんわりと黄色い染みが広がっていく。恐怖で失禁したらしい。
俺が一歩踏み出すと、彼女は尻餅をついて泣きべそをかいた。
「や、やだ……殺さないで……」
魔法が使えない魔術師ほど無力なものはない。特に人間はそうだ。
仲間三人を一瞬で殺した人狼と対峙して、彼女に生き延びる方法はない。
「お願い、なっ、なんでも、するから……」
降伏ということでいいのだろうか。
魔術師相手に油断は禁物だが、しばらく魔法は使えない。それにこの距離なら、何を使おうが俺の攻撃が先に届く。
俺は安全な状態だと判断し、彼女に選択肢を与えることにした。
「名誉ある戦死が嫌なら、汚辱にまみれた生しかないぞ。それでもいいのか?」
「いい、いいです! なんでもするから! 殺さないで!」
鼻水まで垂らして震えている女の子から命を奪うことは、さすがに俺もできない。
殺すよりは生かしておいた方が使い道が多いし、まあいいだろう。
まずは尋問だ。
「お前たちの雇い主は誰だ?」
こいつらが身につけている武器や鎧は、どれも貴重な品だ。
魔法の剣や鎧は、技術的にも金銭的にもそうそう簡単には作れない。そのくせ使えば刃こぼれや傷がどんどん増える。とても個人が使用できるようなものではない。
「これだけの装備を支給して、お前たちを『勇者』に仕立てあげたヤツらがいるだろう。言え」
すると女魔術師はガタガタ震えながら、やっと答えた。
「げ……元老、院……です……」
「なるほどな」
つじつまは合う。ミラルディアの政府ともいえる元老院なら、これだけの装備を集めることもできる。それに勇者を仕立てる理由もある。
「プロパガンダか」
「プロパ……ガン?」
「同盟軍の士気を高めるための、宣伝部隊だな?」
俺が言い直すと、女は怯えた目で何度もうなずいた。
これなら俺が出る幕じゃなかったな……ティベリト師団長あたりに一発で吹っ飛ばしてもらえば、第二師団の士気も上がっただろうに。