砂塵の覇者(前編)
外伝29話
副官見習いのフリーデにどんな仕事をさせるか。
そもそも副官という仕事は、補佐する人の職種や地位によってずいぶんと内容が違う。
俺なんかは魔王の副官だから、立場上あまり動けない魔王の外回り営業みたいなこともよくやっている。
内勤の仕事はアイリアの方が得意だし、アインドルフ家の側近や評議会の職員もいるからな。
ベッドでそんなことを考えていると、アイリアが先に起きた。
魔王陛下はベッドから起き出して香水を足首に一滴つけ、乱れた髪を撫でつける。
彼女は俺の視線に気づいたのか、にこっと笑ってみせた。
その笑顔につられて、俺は思ったことをそのまま言ってしまう。
「君は変わらないな……。いや、昔より綺麗になった気がする」
とたんにアイリアは頬を赤らめて、小さく咳払いをした。
「そんなことはありませんよ? もう子持ちのおばさんですから」
「御謙遜を、魔王陛下」
ニヤニヤ笑う俺。
一緒に過ごした年月のせいか、嫁さんが年々美しくなっているように見える。
カイトやフォルネも同じようなことを言っていたな。
アイリアは恥ずかしいのか、急に話題を変えた。
「ところで、フリーデのことですけれど」
「うん?」
「評議員や軍人の副官として修めておくべき学問は弁論術や算術、それに史学や簿記などですが、その辺りは初等科である程度学んでいますね」
「そうだな。初等科を出た者は全員、それなりの仕事ができるようになっている」
それなりといっても前世でいえば義務教育レベルだが、こちらの世界ではなかなかのものだ。
この水準の教育を受けられるのは富裕層だけだ。
庶民の多くは読み書きも不十分で、自分の名前や仕事に関する単語ぐらいしか書けないのがザラだ。
少し向学心のある者は輝陽教の教典などで読み書きを覚えるが、市民の半分もいないだろう。
「まだまだ未熟とはいえ、書類仕事は基礎が身についていると考えてもいいかな。となると、後は実務か……」
社会見学の一環として、視察に同行させてやるのも悪くはないな。
自分の子だけ特別扱いというのも良くないので、他の子も連れて行ってやろう。
そんなことを考えて午前中の執務をしていたら、ワの外交官であるフミノがやってきた。
「ヴァイト殿、例の風紋砂漠の調査ですが」
「ああ、予算の見積もりを出しているところだ。砂漠での活動は費用がかかる」
「いえ、それが……」
フミノが珍しく深刻な表情をしている。
俺はペンを置き、彼女を見つめた。
「どうした?」
フミノの報告によると、ワの調査隊の一隊が行方不明になったという。
「前回の調査地点からさらに内陸へ進んだところ、先遣隊が全員消息を絶ちました。後続の隊は先遣隊を視認できる距離にいたのですが、砂嵐に巻き込まれまして……」
後続隊が砂嵐をやり過ごした後、先遣隊はどこにもいなかったという。
「本来なら救助を優先すべきところですが、風紋砂漠は危険地帯。二重遭難の恐れもあり、後続隊は状況確認後に退却しています」
「賢明な判断だ」
後続隊まで行方不明になったら、真相がわからないままになる。彼らを薄情者だと責める気にはなれなかった。
「やはり内陸部は相当に危険な場所のようだな。過去の調査でも死者が何回か出ているのだろう?」
「ええ。気候に加え、砂地に住む竜人族の盗賊団もいましたし、危険な魔物も生息していますから」
竜人族の盗賊団は、我らが蒼騎士バルツェ殿の武勇伝の一部になっている。
彼が武勇と人望で盗賊たちを屈服させたので、風紋砂漠の竜人は調査隊の頼もしい戦力だ。
「魔物といっても、魔力の枯渇した砂漠だ。せいぜいサソリや虫の仲間だろう?」
「そうです。後は吸血サボテンなどですね。水を求めて人や獣が寄ってくると、鋭い針で血を吸うという」
研究用に一株欲しいんだが、危険すぎて確保できてないヤツだ。
「どれも調査隊をまるごと消滅させるほどじゃないな……」
「はい。流砂のような自然現象の可能性もありますが、未知の魔物なのかもしれません。原因が判明するまでは調査隊を先に進ませられませんので、少々難儀しております」
ああ、なるほど。
「それで俺のところに来た訳ですな?」
「御慧眼です」
にっこり笑うフミノ。
この人に限らないが、みんな俺のとこに来れば何とかなると思ってる節がある。
しょうがないので何とかしよう。
フミノが帰った後、俺はミラルディアから出す調査隊の人選を検討する。
昔ならカイトを連れていくところなんだが、彼は魔術総監としてミラルディア全魔術師のトップに立つ男だ。
重要な研究をいくつもしているし、引っ張り出す訳にはいかない。万が一のことを考えると危険すぎる。
となるとやっぱり、人狼隊で片づけてしまうのが手っ取り早いな。補給の問題があるから、五個分隊でいいだろう。砂漠慣れしているハマーム隊を中心にして、後は体力のある若手で編成するか。
そうだ、パーカーも連れていこう。
うん、何とかなりそうな気がしてきた。
だが俺はそのとき、フリーデのことを完全に失念していた。
そして予想通り、俺は人狼隊の精鋭十六人を率いて風紋砂漠に降りたっていた。
もちろんフリーデも一緒だ。
「とうとうここまでついてきたか……」
出発前のアイリアの心配そうな顔を思い出す。
今回はワの調査隊に合流するため、海路でミラルディアを出発。陸地沿いに南静海を東に進み、風紋砂漠の海岸に上陸した。
鳥取砂丘みたいな景色だが、規模がだいぶ違う。地平線の彼方まで岩と砂しかない。
フリーデはゴーグルとフードでしっかり防御しながら、始めて見る砂の海に興奮している。
「うわーすごい! 砂だらけっていうからジャリジャリするかと思ったら、サラサラしてる! 綺麗!」
「風紋砂漠の砂は風化が極限まで進んでいて、小麦粉みたいになってるんだ。口と鼻はフードで覆っておけよ」
「はぁい!」
船酔いにもならないし、潮風にもめげないし、なんなんだこのメンタルの強さは。
俺のプランでは、人狼隊の留守分隊と一緒に船に残ると思っていたんだが……。
我が娘をあなどっていた。
娘の成長に感心しつつ、俺はとりあえず職責を全うすることにする。
「こら、フリーデ。観光に来た訳じゃないぞ。ワの調査隊に合流するのが先決だ」
「あっ、はい! 失礼しました、副官殿!」
びしりと敬礼するフリーデ。
よしよし、公私の区別がついてきたな。いい傾向だ。
とたんにフリーデが俺の表情を読み、上目遣いにちらりと見る。
「お父さん、なんかいいことあった?」
「ないよ?」
すぐこれだ。
「フリーデ、他の実習生と一緒におとなしくしていろ」
「はい、副官殿」
うん、よしよし。
今回はフリーデだけでなく、竜人族の少年シリン、それにロルムンド人狼の少年ヨシュアが同行している。
人間の生徒たちも同行を希望したのだが、さすがに危険すぎるので魔族だけに限定させてもらった。
シリンやヨシュアは子供だが、一人前の戦士としての技量と体力を備えている。
パーカーが骨を外して関節を拭いながら、何か言っている。
「関節に細かい砂が入って、骨が摩滅しそうだよ。僕の残り少ない生身の部分が、これ以上減ったら困るな。まあ別にこの骨が魂の入れ物って訳でもないし、誰の骨でもいいんだけどね!」
知らなかったそんなの。
「ヴァイト、ヴァイト。あれがワの調査隊じゃないかな? ほら、入り江のあっち側」
パーカーが指さす方向に、テントと柵で作られた小さなキャンプがあった。
戦国大名みたいなのぼりが翻っている。ワの紋章と……あれは猫人族か。肉球の家紋なんて他に考えられない。
「行くか」
俺たちがキャンプに到着すると、出迎えてくれたのは予想通り猫人たちだった。二十人ほどいて、他には竜人も数名いる。
竜人は昔から風紋砂漠で暮らしていた連中で、魔王軍の将兵ではない。砂色の鱗を持ち、砂鱗氏族と名乗っている。
現在はミラルディアとワの両方と友好関係を結び、風紋砂漠での生活を保障されている。
ただし「今後は両国の隊商を襲わない」という条件でだ。
猫人たちはワの船乗りや交易商たちで、冒険心にあふれる……まあ要するに地道な勤めができない連中である。民間人だ。
「魔王軍所属、魔王の副官のヴァイト・フォン・アインドルフだ。評議会の一員でもある」
俺の名乗りに竜人たちが互いに目配せし、それから静かに一礼する。
俺は竜人たちとのつきあいが長いからわかるが、人間でいえば飛び上がって驚いたぐらいの動揺を与えたようだ。
事実、彼らはこんなことを言っている。
「ミラルディア王の副官とは……」
「まさか、魔王はお怒りなのであろうか」
「我らが盟約を破った訳ではないし、よもや厳しい沙汰はあるまいが……」
ふふふ、魔王の威光に怯えるがいい。
盗賊団を降伏させたときのバルツェたち蒼鱗騎士団の暴れっぷりが、砂鱗氏族たちに相当な恐怖を与えているようだ。
俺は無用の誤解を招かないよう、彼らに説明する。
「いや、そうではない。砂鱗氏族のことは魔王陛下も大変に心配しておられる。これ以上の人的損失を防ぐため、私と直属の部隊が派遣されたのだ」
この言葉に砂鱗の竜人たちは深々と頭を下げる。
「魔王陛下の御慈悲、身に染みて感謝する。砂の民の名誉にかけて、魔王軍に協力いたしましょう」
俺はうなずく。
「ありがとう。我々も協力は惜しまないつもりだ」
いっそ魔王軍に入ってくれたら楽なんだが、ワの国も勢力拡大のために彼らを取り込もうとしているからな。
勝手にスカウトする訳にもいかないので、彼らの帰属も今後の外交案件だ。
一方、猫人たちは妙によそよそしい。
「今回の失敗はボクたちのせいじゃないよ?」
「そうそう、後続としてちゃんと仕事はしてたからね」
「人間たちが消えちゃった後も、ちゃんと捜したし」
ははあ、なるほど。
そしてフリーデたちは予想通り、猫人を見て興奮している。
「わあ、かわいい! 犬人みたい!」
「お嬢さん、犬人なんかよりボクたちの方がずっとかわいいニャ」
「そうニャ。だから怠慢じゃないニャ」
猫人たちが急に語尾に「ニャ」をつけて、フリーデたちに媚びを売り始めた。
よしよし、よくわかった。
俺はフリーデたちを猫人たちから遠ざけながら、彼らに問う。
「何か後ろめたいことをしたな?」
「してないニャー?」
最近の俺はどちらかといえば犬派だから、媚びても無駄だ。
「おおかた、本隊から遅れてしまったおかげで命拾いしたとか、そんなところだろう」
背中の毛を逆立てる猫人たち。
「そんなことないよ!? 人間の隊長さんも『後からついておいで』って認めてくれたし!」
「そうだよ! だからちょっと寝転んで、水と干し肉をね」
ほうほう、そういうことか。
俺はフリーデたちにこう教える。
「猫人は怠惰で自己中心的な種族だ。……いや、怠惰で自己中心的でない種族を探す方が難しいが、特にひどいという意味でだ」
「ひどいんだ……」
働かなくてもいい暮らしをずっとしてきたからな。
彼らのせいじゃない。
結局、猫人たちが正直に自白したのは以下のような内容だった。
ワの調査隊は人間と竜人、それに猫人の小規模な集団だった。
調査員の人間と護衛の竜人たちは先行していたが、助手を務める猫人たちは行軍から遅れ、少し離れた場所にいたらしい。
そこで砂嵐が起きて、猫人たちが気づいたときには本隊のメンバーは全員いなくなっていた。
どうやらそういうことのようだ。
俺は腕組みをして、ガタガタ震えている猫人たちを見下ろす。
「君たちは民間人だから、ワの多聞院も重い処罰はしないだろう。俺からも口添えをしてやる」
「は、はい」
「許して……」
しおらしくしょげている猫人たちだが、心の底では「早く許せよ、さもないと許さないぞ」と思っているはずだ。
だから俺は釘を刺しておく。
「だが今回、君たちは魔王軍に協力することになる。魔王軍は軍隊だから、規律は厳しい。士官クラスの者になれば、部下に懲罰を与える権限を持つ。軍律違反ならその場で処刑してもいい」
「ひゃっ!?」
これは事実だが、もちろん濫用する者はいない。
いや、いなくなったというべきか。その手の連中は部下に見限られて、かつての北部戦線で全員戦死している。
十分に脅しを効かせた後で、俺はにっこり笑った。
「きちんと働けば報酬は弾むし、船に積んできた酒や干物も支給しよう。釣り具もあるぞ」
「やったー!」
「勤労意欲が湧いてきたー!」
絶対に後払いでないとダメだが、買収しやすいから扱いやすい連中ではあるな。
こうして俺は、人狼十七人と半人狼一人、竜人五人と猫人六人、ついでに骨一体で構成される調査隊を編成する。総勢三十人を率いることになった。残りはキャンプや船で留守番だ。
風紋砂漠の探索を進めるため、まずは失踪した調査隊の調査を開始しよう。
とはいえ、もうだいたい予想はついてるんだよな……。
どこまでも続く岩と砂の景色を半日ほど歩いた後、先導する砂漠の竜人たちが不意に停止する。
「ここです」
ここですって言われても、さっきと風景が変わってないんだが。
同じことはフリーデも思ったらしい。
「何にも目印がないんだけど、どうしてわかるんですか?」
「わかるのだ、人の子よ」
砂色の鱗を持つ戦士たちは動じない。
たぶん渡り鳥と同じ仕組みなんだろうと推察し、俺はフリーデに教える。
「彼らは渡り鳥と同じで、体の中に方位磁石を持っているんだろう」
この世界には地磁気という言葉がまだないので説明が難しい。
「ふぅん……?」
フリーデは不思議そうに竜人たちを見上げたが、無愛想な彼らはまばたき一つせずに砂塵の中で立ち尽くしている。
それから彼らはこう続けた。
「我らは事件発生時、猫人殿たちの護衛役として残っていた者。本隊との位置関係を把握しておくのは必須ゆえ、しっかり記憶しております」
「なるほど、だとすればこの辺りに謎が隠されているはずだが……」
彼らの話によると砂嵐は短時間だが強烈で、鳥などが飛べるような状況ではなかったという。
猫人たちは軽いので、吹き飛ばされないように竜人たちにしがみついていたぐらいだ。
とはいえ、旅装の人間や竜人が飛ばされるほどのものでもなかっただろう。事実、猫人と共に残った竜人たちは耐えている。
「原因が空ではないとすれば……」
俺が足下を見ると、みんなも足下を見る。
「地面か」
すると猫人の一人が口を開く。
「でも副官さん、ボクは本隊が消えたとこまで行って調べてきたんだよ? 地面に何かあるのなら、ボクが無事なのはおかしくない?」
一理あるな。
だが俺は少し考え、それからある仮説にたどりついた。
「猫人は無事で、人間や竜人はそうでない『何か』が地中にあったのだと考えてみよう」
「何かって何?」
それはこれから調べるんだ。
俺は先日、長老たちから教わった秘密の歩法を思い出す。
あれと強化魔法を組み合わせれば、何とかなるかもしれない。
「パーカー、頭を貸してくれ」
「おや、僕の知謀が役に立ちそうだね?」
暇そうにしていたパーカーが、急に嬉しそうな声を出す。
俺は首を横に振った。
「そうじゃない、頭の骨だけ貸してくれと言ってるんだ」
「うまいこと言ったつもりかい!?」
「別にダジャレで兄弟子殿と張り合おうとは思ってないよ」
いいから早く頭外して持ってこいよ。
俺はパーカーの頭を小脇に抱える。首から下は邪魔なので置き去りだ。
それから消音の術を自分の足にかけた。これで俺の足音だけ消える。これは空気の振動を魔力で打ち消す魔法だから、地面の振動もある程度は消せる。
それから体を軽くする魔法、より正確に言えば重力を軽減する魔法を使う。これで俺の体重は二割ほどに減った。猫人と同じぐらいだ。
後は長老たちから教わった歩法で、そっと砂地に踏み出す。
するとパーカーの骸骨が、感心したようにつぶやく。
「へえ、足跡がほとんど残らないね」
「静かにしててくれ。消音の術をかけた意味がなくなるだろ」
『わかったよ、これでいいんだろう?』
いきなり霊体に話しかけられたが、これができるのが死霊術師の強みだ。
でもびっくりするから、断りを入れてくれ。
これなら猫人の静かな歩行と同レベルだろう。地中の「何か」が反応することはないはずだ。
「じゃあ行ってくる」
「正気ですか副官?」
人狼隊のハマーム分隊長が呆れたように嘆息したが、俺は彼に手を振る。
「この方法は俺にしか使えない。それに偵察の場合、人数が増えると危険が増える。お前たちはここで待機だ」
「しかしあなたは仮にも魔王の副官で……いえ、もういいです」
長年のつきあいで、ハマームは早々と俺の説得を断念したらしい。
俺は彼に笑いかけながら、後のことを指示した。
「俺に何かあった場合、即座にパーカーの胴体を担いで一時撤退しろ。パーカーの頭は俺が持っているから、俺の居場所は必ずわかるはずだ」
「僕を便利な道具みたいに扱わないでくれないかな……」
「頼りにしているんだよ、兄弟子殿」
「そ、そうかい? ふふ、しょうがないな……。じゃあ僕を君の右腕だと思って使ってくれよ」
右腕と言われても、今は頭しかないんだけどな。
フリーデが心配そうな顔をしている。
「お父さん、大丈夫……?」
「心配いらない。もうだいたい予想はついているからな。それに予想外の事態が起きても、パーカーが助けてくれるさ」
パーカーが呆れている。
「もちろん全力は尽くすけどね……。でも君は本当に危ないことが好きだねえ」
「俺が一人で片づければ、誰も死なずに済むだろ?」
「君のそのやり方、絶対に間違ってるからね!? そろそろ改めようよ!」
聞こえません。
さて行くか。
※次回「砂塵の覇者(後編)」の更新は来週のどこかです。
※文章量が増えて次話の内容に入ったため、タイトルを変更しました。