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氷結海から来た男

外伝26話



「あー、びっくりした……」

 フリーデはミーチャと並んで歩きながら、ほっと溜息をついた。

「隣の国の皇帝陛下から直々に叱られるなんて、なかなかあることじゃないよね」

「そうね、あってはならないことだわ」

 ミーチャも疲れの残る表情でうなずく。



 しかし彼女はすぐに、明るい表情になった。

「あなた、世が世なら一族郎党処刑よ? 自分の幸運を誇っていいわ」

「そう? じゃあ誇っちゃおうかな?」

「本気?」

「冗談だよ」

 二人はお互いの魔撃銃の安全装置を何度も点検しながら、宮殿の裏庭を歩いていく。



「でもミーチャ」

「なによ?」

「魔撃銃開発者の皇帝陛下から、安全な試射方法と携行時の留意点だっけ? を、教えてもらえたんだよね」

「そうね。それもたっぷりと……」

「だとしたら、これはもう得をしたと思っていいんじゃない?」



 フリーデは笑顔でそう言い、腰のホルスターに納めた魔撃拳銃をポンとたたいた。

「矢と違って光弾は落ちてこないから、開けた場所で少し上に向けて撃てばいい。言われてみたら当たり前だけど、やっぱり陛下って頭いいよね」

「まあそうね……。あと安全装置がこんなに重要だなんて、普段考えてもみませんでしたわ。撃てればいいとしか……」



 二人ともまだ子供なので、安全管理についての意識は薄い。

 だがしかし、少しだけ意識は高まったようだった。



「ねえミーチャ、これからどうするの? あんまり出歩いてると、また怒られない?」

「心配しなくていいわ。客人であるあなたに難儀をさせてしまったことだし、私が責任をもって埋め合わせをしてあげる」

 やけに自信たっぷりに笑うミーチャ。

 彼女は宮殿の壁によじ登ると、さらにその上にある鉄柵をするりとすり抜けた。



「ほら、子供なら、ここの柵だけは抜けられますのよ。帝都を案内して差し上げましょう」

「また怒られるって!」

 そう言いながらも、芝生を蹴って壁に飛び上がるフリーデだった。



「ふへへ、ロルムンドのお菓子最高……」

「でしょう?」

 フリーデはミーチャに案内されて、帝都オリガニアの高級菓子店を梯子していた。

 いずれも宮殿の向かい側に軒を連ねる、帝室御用達の名店だ。

「宮殿では焼きたて食べられないものね。ときどきここの菓子職人さんたちに、宮殿まで来てもらうことはあるけど」



 湯気の立つバームクーヘンのような菓子を仲良く切り分けてもらいながら、二人は一心不乱にむしゃむしゃと食べる。

「でもミーチャ……じゃなくて『ミーシア』、これって大丈夫なの?」

「大丈夫よ。私、『見習い侍女のミーシア』だから」

「その服装で?」

 ミーチャの服装はロルムンド帝国軍の士官服をイメージした子供服で、どうみても良家の子女だ。



 すると追加の紅茶を運んできたパティシエの若い女性が、にこやかに苦笑してみせた。

「見習い侍女のミーシア様は月に一度だけ、ここに検品にお見えになるんですよ」

「あっ、帝室の者の私生活を暴露するのは帝室特別法四十三条二項違反よ!」

 慌てて顔を上げたミーシャに、フリーデが呆れる。

「見習い侍女なんだよね?」



 するとパティシエのお姉さんはクスクス笑いながら、軽く一礼した。

「はい、もちろんそうですよ。では次の新作をお持ちしますね、見習い侍女のミーシア様」

「お、お願いします」

 こくこくうなずくミーチャ。

 どうみても完全にバレているし、バレた上でこの関係が築かれている。



 つまり「表向きはそういうことにしておこうね」という、暗黙の了解なのだろう。

 それはそれでいいのかなと思うフリーデだったので、ミーチャに聞いてみた。

「ねえミーチャ」

「ミーシアだってば」

「まあどっちでもいいんだけど、これってお店の人に迷惑かけてない? あとお姫様が出歩いて大丈夫?」



 フリーデは自分自身が悪党どものアジトに単身乗り込んだときのことを思い出していた。

 するとミーチャは焼き菓子を紅茶で流し込みながら、手をひらひらさせる。

「この件は伯母様とお父様の了解を得てやっていることですから、心配はいりませんわ。食べた分の支払いはしてますし、護衛もついてるのよ?」



 ミーチャはそう答え、フォークで窓の外を指した。

「ボルカばあやの手下たちが、宮殿の周囲三区画を常時警備してるもの。帝室直属の精鋭で、あなたのお父様と同じ人たちだから。姿は見えないけど、どっかにいるのよ」

「人狼?」

「そういうことよ。頼もしいでしょ?」

 確かにそれなら安心だ。



 それから二人は女の子らしい話題に花を咲かせ、菓子のトッピングひとつにはしゃいで楽しい時間を過ごした。

「さて、じゃあ帰りに香水でも見て帰りましょ」

 ミーチャがそう言ったので、フリーデは首を横に振る。

「私、まだ早いよ? それにほら、鼻がいいから苦手な匂いも多いし」



 しかしミーチャは笑う。

「だったらお母様へのおみやげにするといいわ。嗅いでみるだけでも案外楽しいものよ?」

「そうかな……そうかも」

 人狼の常として、新しい匂いには興味がある。

 それにアイリアへのおみやげというのも、良いアイデアのように思われた。



 二人は表に出て、宮殿を横目に見ながら大通りの店に入る。

 正装の店員たちが出迎える中、自称「見習い侍女のミーシア」は実に余裕のある鷹揚な態度で店員たちに接した。

 その威厳と気品はどう見ても支配階級のそれであり、フリーデは内心で溜息をつく。

「少しは侍女らしくすればいいのに」



 だが最近、フリーデにも「大人の事情」というヤツが少しずつわかりかけてきた。

 表向きは「この子はミーチャ皇女ではなく見習い侍女のミーシア」ということにすれば、宮殿の警備担当者も店の者も叱責を受けずに済む。

 警備はどうせ宮殿の外にまで行き渡っているし、皇女様に親しく足を運んでもらえれば店としても箔がつく。

 そういう落としどころなのだと。



 だからフリーデは遠慮なく、香水の香りを嗅がせてもらった。

 果実の香り、花の香り、香草の香り、木の香り。

 植物系の香りはなかなか良かったが、人狼の本能のせいか、どうも心を揺さぶられない。

 するとひとつだけ、猛烈にわくわくする香りがあった。

 甘く大きく膨らみがあって、その中に鋭く刺激的な香りがする。



「すみません、この香りは何ですか?」

 フリーデが店員に尋ねると、彼女は丁寧に答える。

「そちらは『氷虎香』にございます。伝説の魔物、氷虎の肝より精製された、大変に貴重なものとされております。……ですが」

「ですが?」



 店員は笑った。

「実際には氷虎ではなく、今は海虎の肝で作られております。氷虎はもう、見かけることも希になってしまいましたので」

「海虎ですか」

 ヴァイトなら「アメフラシ?」と首を傾げたかもしれないが、フリーデにはその知識はなかった。

「ええ。遙か極北の海に棲む、大変に獰猛な獣と聞いております。当店では北ロルムンドの優秀な猟師から、最高級品だけを仕入れております」



 すると二階の階段から、店に似合わない格好の男が降りてきた。

「海虎のことならワシに聞くがいい、ミラルディア訛りのお嬢ちゃんや」

 髭を伸ばし、毛皮のマントをまとった中年の男。腰には鉈を差し、ずっしりと重たげな革袋を担いでいる。顔は古傷だらけだった。

 見るからに粗野な田舎者といった感じだが、足取りや声には洗練された雰囲気があり、ある種の美が感じられた。



 店員が慌てる。

「あっ、ちょっとカランコフさん!? だからダメだよ、店の方に来ちゃ!」

「別に構わねえだろう。北ロルムンド一の海虎猟師カランコフの話、土産に聞いて帰るがいい」

 店員や陳列棚をスイスイと避けながら、カランコフと名乗った猟師はフリーデの前に立った。



 店員たちは溜息をつく。

「もうしょうがないな……。いいよ、あんたの卸す海虎の肝がなくなったら、うちの調香師がキレる」

「血生臭さが全然ない肝を安定して獲れるのは、カランコフさんだけだからな……」

 どうやらこのやりとり、ときどき発生しているらしい。



 カランコフは店のイスにどっかりと腰を下ろすと、景気よくまくし立てた。

「海虎はな、凍り付いた海に棲んどる悪魔だ。氷の裂け目に隠れて、獣が通りかかるのを待っとる。何も知らん獲物が通りかかった途端、氷の裂け目から飛びかかって海に引きずり込むのさ」

「ひええ」

 想像したフリーデがぶるっと震えると、カランコフはガハハと笑った。



「海の中で海虎に勝てる陸の獣はおらんからな。だがな、そこに落とし穴がある」

「落とし穴?」

「あいつら、陸の上に上がると動きがスッとろいんだ。そこで長い棒の先に毛皮をくるんでな、氷の裂け目にちらつかせてやるのよ」

「あー」



「わかったようだな? 間抜けがそれに飛びかかってきたところを、ヒョイと引っ込める。あいつら食い意地が張っとるから、無理に体をひねって氷の上に着地しちまう。後は銛で、どてっ腹をひと突きよ」

 カランコフは槍投げのような仕草をしてみせた。

「とはいえ、海虎は氷の上なら滑ることもできる。体も熊のようにデカいし、ヒレの一撃で人間なんぞは軽く吹っ飛ぶ」

「手強いんですね!」



「おう。しかもな、良い肝を獲るためには肝に銛を当てちゃならん。毒を使うのもいかんな。暴れる海虎の肝に当てんよう、肝の斜め上にある心臓を突かにゃならん。これはまあ、ちょいと難しい」

 肝が傷物になっても、毛皮や脂や骨や肉があれば生きていけると、カランコフは笑った。



「肝は薬にもなるんだが、香水にもなるそうでな。売り物にならん分を使って、わしらも愛用しとる。滅多に風呂には入れんからな」

「ふぅん、その割には匂い……。あれ?」

 フリーデはようやく、目の前の人物が「ウソの匂い」を漂わせていることに気づいた。

 微弱な、敵意のないウソの匂い。

 人間が本来の感情や性格を隠すときに、よくこの匂いになる。



 目の前の中年男性は、どうやら何かを隠しているらしい。

 海虎の香水が「ウソの匂い」と親和性が高かったせいで気づきにくかったが、彼には事情がありそうだ。

 しかし今ここでそれを聞いても教えてくれないだろうということは、フリーデにもわかった。

 だからこう言う。



「カランコフさん、大変なんですね」

「まあな。海は厳しい。氷の海も、人の海も」

 意味ありげに微笑むカランコフ。このときだけ、口調が少し変わっていた。

 だが彼は逆に質問を投げかけてくる。



「おふくろさんへの土産は香水でいいだろうが、おやじさんへの土産も忘れちゃいかんぞ。ほれ、これをやろう」

 彼がくれたのは、動物の骨や何かの干物だった。

「海虎の骨と肝の干物だ。煎じて薬にすることもあるが、あの男なら標本にしたがるだろうな」

「あー、確かに……。でもおじさん、うちのお父さんのこと知ってるんですか?」



 するとまた、カランコフは表情と口調を変えた。

「ああ。ヴァイト殿には昔とても世話になった。わしの名前を言えば、彼ならすぐ気づくだろう」

「なんだこれ、どこに行ってもお父さんの知り合いがいる……。外国に来た気がしないよ」

 溜息をつくフリーデに、カランコフは楽しげに笑った。



「英雄の娘はつらいな、ええと……」

「フリーデです。フリーデ・アインドルフ。ていうかなんで、私がヴァイトの娘だって知ってるんですか?」

 素朴な疑問に、カランコフは声を潜めてそっと答えた。



「ミラルディア訛りの少女が、お忍びの皇女殿下と共に来店したとなれば、相当に身分の高いミラルディア人でしょう。そしてその格闘慣れした身のこなしと、優しそうな目、黒い髪。気づかない方がどうかしていますよ」

 さっきまでの粗野な声が嘘のような、甘く落ち着いた美声だった。

 そしてとても教養の感じられる口調。

 貴族階級の人物だと、フリーデにもすぐにわかった。



 しかしフリーデが質問するより早く、カランコフは立ち上がる。

「さあて、また氷結海に戻って猟をせんとな! 可愛い嫁さんと三人の息子が待っとる! あいつらを鍛えて、早く一人前の猟師にしてやらんと」

「あっ、あの……」

 貴族階級の人物が極北の地で猟師をしているとすれば、たぶん逃亡者だ。

 だから迂闊なことは言えない。

 だが、父の知り合いなら何か言わなければ。



 しかしカランコフは笑顔で首を横に振った。

「わしゃ今、最高に楽しい生活を送っとるんだ。周りは全部味方、しかも正直者だらけ。わしが守るのは家族だけでいいし、後は生きるも死ぬも思うがまま、自分の心ひとつですべて決められる」

「は、はあ……」

「自分の人生を自分で決められることの素晴らしさ、お嬢ちゃんにはまだわからんかも知れんな」

 カランコフは微笑む。



「これも全て、君のお父上のおかげだ。帰ったらお父上に伝えてくれ。『極北に輝く星の下で、カランコフの狐は妻子と穏やかに暮らしている。ありがとう』とな」

「……わかりました」

 きっと重大な意味が込められているのだろうと思い、フリーデは真剣な表情でうなずいた。



 そのとき、ミーチャが店の奥からフリーデを呼ぶ。

「フリーデ、このアオヤシスの香りって本物そっくりなの? ミラルディアにしかない果物なんだって」

「え? あ、アオヤシスなら好物だよ、嗅いでみるね」

 振り返ってそう答え、視線を戻したときには、海虎猟師カランコフの姿はもうどこにも見あたらなかった。



※次回「フリーデの帰還と長老ヴァイト」の更新は来週のどこかです。


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― 新着の感想 ―
[良い点] よかった。気になってたけど、生きて幸せになってたなら、なにより。
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