女帝の勅命
外伝16話
フリーデたち三人は今日もドニエスク市の球技場で、ロッツォ新太守ミュレの話につきあわされていた。
「でな、リューニエはその会議の席で自分の境遇を語って、クウォール貴族たちに団結を呼びかけたんだよ!」
ミュレは拳をぐっと握りしめ、熱く語る。
「あいつは子供の時に親父さんも祖父さんも反乱で死んじまって、故郷から追放されたんだ。普通ならそこで誰かを恨んだり、自分の境遇を呪ったりするだろ?」
その言葉にユヒト大司祭の孫娘であるユヒテが大きくうなずく。
「はい。人の心は脆いですから……」
するとミュレは我が意を得たとばかりに、笑みを浮かべた。
「でも、あいつは過去の遺恨に囚われなかった。前だけを向いて、自分と自分の身近な人が幸せになれる方法だけを考えたんだ。大した奴だろ?」
今度はフリーデがうなずく。
「はい!」
一方、竜人族の少年・シリンは溜息をついていた。
ミュレの話がループしているからだ。
もっと正確に言えば、ミュレは隙あらばリューニエの自慢話ばかりしている。
たいていの人間よりも記憶力が良いシリンにとって、同じ話を何度も聞かされるのはかなりの苦痛だった。
だがミュレの話はまさに絶好調、今が乗りに乗っている頃合いだ。
「自分のことばっかり考えてるクウォール貴族どもも、流浪の皇子様の訴えには心を揺さぶられたんだ。おかげでクウォールは当時生まれたばかりの王子を、みんなで支えていくことになったのさ」
どうだいい話だろうと言わんばかりの顔で、満足げに笑うミュレ。
するとそこにリューニエ本人がやってきた。
「ミュレ、またその話してるね。しかも事実と少し違うよ」
リューニエは苦笑しながら、ミュレの横に腰掛けた。
「あのとき、僕の素性をバラしたのは君だろう? おかげで急に発言する羽目になって、大変だったんだから」
恨めしげな目で親友を見つめるリューニエだが、ミュレは全く気にしていない。
「お前ならできると思ってたからさ。できただろ?」
「ミュレは僕を何だと思ってるんだよ……」
「そりゃあお前、未来の魔王さ」
ミュレが事も無げに言う。
「アイリア様もそうだし、その前のゴモヴィロア様もそうだけど、みんな魔王の位を長く持っておくつもりはないらしい。そろそろ次の魔王を考える時期だって、アイリア様も仰ってる」
リューニエは溜息をついて、首を横に振った。
「次の魔王はどう考えてもヴァイト殿だと思うけどなあ」
今度はミュレが溜息をついて首を横に振る。
「いや、先生は絶対にやらないだろ……」
「うん、お父さんは絶対引き受けないと思います」
フリーデが真面目な顔でうなずいた。
シリンも無言でうなずく。
ミュレはリューニエの肩をバンバン叩いて笑った。
「だ、か、ら。お前が次の魔王になるんだよ、リューニエ」
「やだよ。君がやればいいだろう?」
するとミュレは真顔になる。
「俺はお前の副官になるからな。魔王の副官だ」
それを聞いたリューニエはしばらく呆れたような顔をしていたが、話題を変えることにしたらしい。
「ミュレ、君そろそろロッツォに帰ったほうがいいんじゃない? 執務はどうしてるの?」
「俺がいなくても回るよう、全部手配しているからな。難しい案件は人馬便で俺によこすよう言ってある」
リューニエは溜息をついて、それからミュレの肩に手を置いた。
「いいから明日帰るんだ。さもないと君があのとき、クウォールでメジレ河の水をうっかり飲んだ話をするよ?」
「なっ!? 卑怯だぞ! あれは……」
ミュレは反論しかけたが、子供たちの興味深そうな視線を浴びて沈黙する。
「明日帰る……」
「うん、それがいいね」
にこにこ笑ったリューニエは、フリーデたちに向き直った。
「さてと。フリーデ殿、シリン殿、ユヒテ殿。あなたたちにロルムンドへの使節団に参加するよう、評議会から要請が来ています」
驚いたフリーデたちは互いに顔を見合わせる。
「えっ、でもあれって、もっと偉い人が行くんじゃ……」
「君は魔王の娘だよ、フリーデ。でも確かに驚いたな」
シリンはそう言って、リューニエに質問をした。
「リューニエ様、僕たちはまだ初等科を卒業したばかりの子供です。大した学識もありませんし、異国の地では足手まといになりそうですが、本当にいいのですか?」
「自分が足手まといになることを心配できる時点で、君たちは立派なものだよ。ていうか、その言葉遣いだけでも凄いよ」
リューニエはそう言って笑い、シリンの肩に手を置いた。
「これは秘密なんだけど、実はロルムンド皇帝エレオラ陛下の要望なんだ。黒狼卿の娘や、その学友たちに会ってみたい、ってね」
「あ、じゃあ僕はオマケですね……」
シリンは安堵と落胆が入り交じったような溜息をつくが、フリーデのほうは目を丸くしている。
「私? 私を指名?」
リューニエはくすくす笑う。
「エレオラ殿にしてみれば、かつての盟友の娘だからね。一個人として気になっていると思うよ。それともうひとつ」
彼は表情を引き締める。
「今回の技術交流がどれぐらい本気なのか、エレオラ殿が見極めようとしている側面もあると思う。ヴァイト殿に、大事な一人娘を参加させるだけの意気込みがあるのかどうか、それが知りたいんだよ」
それを聞いたユヒテが、困ったように頬に手を当てる。
「でしたらフリーデは絶対に断れませんね……かわいそうに」
慌てるフリーデ。
「いやいや、ユヒテも一緒だから! 私だけ行かせないよね?」
するとユヒテはにっこり笑った。
「はい、それはもう。輝陽教はロルムンドから伝わった宗教ですし、この好機を逃す手はありませんよ」
「いや、そこは友情とかを理由にして欲しかった……」
フリーデがうめき、シリンが彼女の肩をポンと叩いた。
* * *
その少し前に、リューンハイトを珍しい人物が訪問していた。
「お久しぶりです、ヴァイト殿」
さわやかな笑顔で会釈したのは、神聖ロルムンド帝国の駐ミラルディア大使・アシュレイだ。
先代の皇帝でもあるが、エレオラとの政争に敗れて譲位している。
現在はミラルディア最北端の都市クラウヘンを拠点とし、大使としての活動を細々と続けていた。
ヴァイトはアシュレイと共に着席しながら、少し嬉しくなって声をかける。
「お元気そうで何よりです、アシュレイ殿。奥様とお嬢さんはお元気ですか?」
「ええ、おかげさまで。娘も最近はよくしゃべるようになって、『とーしゃま、とーしゃま』とくっついてきますよ」
アシュレイは嬉しそうだ。
ヴァイトは、アシュレイの家族について質問を重ねてみた。
「奥様はカストニエフ家の方でしたね」
「ええ、立派な政略結婚ですよ。国外にいる私に付けられた首輪といえるでしょう」
さらりと答えるアシュレイだが、その表情に曇りはない。
「最初は彼女を警戒していたのですが、園芸好きで知的な穏和な女性とくれば、もう逃げようもありませんでしたね。新種の作物も、すぐに上手な保存方法や調理法を見つけてくれますし、得難い伴侶ですよ」
「惚気話をされるおつもりなら、俺もお返ししますが……」
ヴァイトが苦笑すると、アシュレイも照れたように笑った。
「これは失礼しました」
ヴァイトは真面目な表情になり、じっくり考えるようにつぶやく。
「先代のカストニエフ公は当時の俺にとって強力な盟友であり、エレオラの伯父として非常に頼もしい支持基盤でした。しかし今となっては、手強いライバルです」
だがヴァイトはすぐに、ニコッと笑う。
「とはいえ、カストニエフ公も半分ぐらいは本気でアシュレイ殿を案じて下さったのでしょう。なんせ何年経っても浮いた噂ひとつなく、黙々と農業の研究に打ち込んでおられましたから」
「恋愛など自分には無関係だと思っておりましたから……」
照れるアシュレイ。
ヴァイトは一瞬だけ笑顔になったが、すぐまた思案する表情になった。
「もし今、ロルムンドとミラルディアが緊張状態になれば、アシュレイ殿は身を引き裂かれるような思いでしょう。奥様はエレオラ殿の遠縁になりますから」
「ええ、私としては非常にまずい立場になります。カストニエフ公の狙いは、まさにそれでしょう」
アシュレイは真顔でうなずく。
ヴァイトもうなずいた。
「アシュレイ殿は実質的にはミラルディアの仲間ですが、ウォーロイと違って本国との関係が途絶えた訳ではありませんからね」
アシュレイは穏健な方法で退位し、エレオラに帝位を譲っている。追放された訳ではない。
今もロルムンドの大使として、職責を負う身だ。
アシュレイは困ったような顔をしながら、そっと微笑む。
「そのような訳ですので、今回の要望も是非お聞き入れ願えればと思っています」
「もちろんです。アシュレイ殿が御家族と引き離されるようなことがあってはなりません」
そう言った後、ヴァイトは溜息をつく。
「問題は、うちの娘がきちんと役目を果たせるかどうかですが……」
するとアシュレイは苦笑した。
「心配しすぎですよ。フリーデ殿のことはウォーロイ殿からも聞いていますが、すっかり立派になったそうですね」
「だといいのですが、親というのは子が幾つになっても心配ばかりですよ」
「ははは、確かにそうですね。私も娘の心配ばかりです」
アシュレイは懐から娘の姿絵を取り出し、ヴァイトに見せた。
「この子がいつか、ロルムンドとミラルディアの架け橋になることを願ってやみません。そのためにもどうか、フリーデ殿のお力添えを」
「承知しました。いきなりの大任ですが、あの子には頑張ってもらうことにしましょう」
ヴァイトとアシュレイは互いに顔を見合わせ、笑いあった。
※次回「氷壁の帝国へ」の更新は2月28日(火)の予定です。