フリーデの冒険(後編)
外伝8話
「いーもん。マオおじさまに頼むからいいもん」
フリーデは唇を尖らせたまま、リューンハイト新市街を歩いていた。
この辺りはワの国から移住してきた者の住宅や店舗が並んでいて、異国情緒に溢れている。
父のヴァイトがこの町並みをいたく気に入っていて、フリーデも幼少時からよくここに遊びに来ていた。
「お父さんもシリンも、ワの剣とか服とか大好きなんだから……私も好きだけど」
この通称「ワ人街」の顔役は、マオという豪商だ。
父とも親しいらしく、フリーデもマオとは親しくしてきた。
すぐに何かプレゼントしてくれるのでフリーデはマオのことが割と好きだったが、父は毎回渋い顔をしている。
マオが営む塩の店は、ワ人街の奥にあった。周囲には料理屋や酒場が多く、ちょっとした歓楽街の様相を呈している。
「ここもマオさんの店だし、こっちもマオさんの店。あれもそうだっけ?」
以前教えてもらったのを思い出しながら、フリーデは通りの左右をキョロキョロ見回す。
そのときふと、フリーデの足が止まった。
不快な匂いを感じたのだ。
人が恐怖したときに発する、汗の匂い。
人狼にとっては本来は心地良い「餌のニオイ」なのだが、フリーデにとっては不快なだけだ。
恐怖の匂いは何種類も混ざり合っている。恐怖を感じている人数が多いようだ。おまけにその全てが、若い女性のものだった。
「……ここ?」
見上げた先には、鎧戸で閉ざされた豪奢な建物。赤く塗られた柱など、どこか特別感を漂わせている。
それなのに看板が出ていない。
フリーデには何の店なのか全くわからなかったが、ここは娼館だ。
「んー?」
首を傾げていると、店の前にたむろしていた男たちが寄ってきた。
「おい、なんだチビ?」
チビと言われたことに抗議しようと思ったフリーデだが、確認してみると確かに身長差が倍近くあったので抗議をやめた。事実は事実だ。
だからこう返す。
「おじさん、ここなんか変なニオイしない?」
「あん?」
ガラの悪い男たちは顔を見合わせるが、面倒くさそうにフリーデを追い払おうとした。
「知らねえよ、あっち行け」
「だってここ、女の人がたくさんいるよね? どうしてみんな、凄く怖がってるの?」
その瞬間、男たちが渋い顔をした。
「なんだ、こいつ……」
「おいガキ、てめえ何を知ってるんだ?」
「よせ、構うな」
質問に答えてもらえない上に、雲行きが怪しくなってきた。
進展のない会話に早くも飽きてきたフリーデは、ちらりと上を見る。
「よいしょ」
そう言い終わったときには、フリーデはひさしを踏み台にして二階の窓に取り付いていた。
彼女にとって、階段だの玄関だのは無駄な装置だ。二階の窓から入るのが一番楽でいい。
案の定、二階の窓は施錠されていなかった。
「えっ!? あのガキどこ行った!?」
「飛んだぞ! 二階だ!」
「やべえ、すぐに捕まえろ!」
階下が騒がしいので、フリーデはわくわくしてくる。
きっとこいつら、悪者に違いない。
彼女の勘は的中した。
二階の大部屋にはワの娘たちが数人、ベッドやソファに腰掛けている。綺麗な着物を着て、高価そうな装身具を身につけていた。
しかしフリーデが窓から飛び込んできたというのに、彼女たちは全く反応していない。
「あれ?……こんにちは?」
返事はない。
そのとき部屋の扉が乱暴に開かれて、中年男が飛び込んできた。
「あいつです、旦那!」
「お前たち、警備もまともにできんのか!?」
「しょうがねえでしょう! いきなり二階に飛ばれたんだから!」
そう叫んでいるのは、さっき下にいた男だ。
男たちは部屋にずかずかと入ってくる。
「このガキさっさとつまみ出せ!」
ガラの悪い男たちが殺到してくるが、フリーデは眉をひそめた。
「やだ、触らないで」
決して鈍くはない男たちの追撃を、フリーデはヒョイヒョイと避ける。人狼の動体視力で捉えれば、人間の動きはスローモーションも同然だ。
小柄で機敏なフリーデは、男たちの足の間をすり抜けて逃げ回る。
「クソ! なんなんだこのガキは!」
「もういい、殺しちまえ」
ひときわ人相の悪い男がそう言って、腰のナイフを抜いた。
「ここまで見られた以上、ガキでも生かして帰す訳にはいかねえ。そうでしょ、ポーカスの旦那」
「まあな……。おい、俺の名前まで教えるな」
ポーカスと呼ばれた中年男は、忌々しそうに言う。
相手の殺意は本物だ。匂いでそれを感じ取ったフリーデは、戦いの本能を呼び覚ます。
恐怖は全くない。人間なんて何人いようがフリーデの敵ではない。
むしろ、わくわくしてきた。
悪者をやっつけるチャンスだ。
「ガキでも容赦はしねえ」
ナイフを持った男がスッと踏み込んできた。捕らえ所のない、読みづらい動きだ。かなりの場数を踏んでいることが伺えた。
ただしそれも、人間相手の話だ。
ナイフの男は緩急をつけない手慣れた動きで、滑るようにナイフを繰り出してくる。
普通の人間なら危険を感じる暇もなく刺されているところだが、フリーデは普通でもなければ人間でもない。
「なにこれ」
持ち前の動体視力と運動能力だけで、ナイフを持った手を受け止めた。
「……変なの」
無造作に男を投げ捨てる。くるりと弧を描いた男は床に叩きつけられ、悲鳴をあげる暇もなく気絶した。
それを見た男たちは騒ぐのをやめた。
無表情になり、一斉にナイフを抜く。
彼ら全員が放つ殺意の匂いで、フリーデはむせかえりそうになる。
「ふーん?」
多少怖いが、相手はただの人間だ。
でも少し怖いので、さっさとやっつけてしまおうと思った。
大きく息を吸うと、フリーデは必殺の一撃を放つ。
「あおおぉーんっ!」
必殺のソウルシェイカー。
教育係のイザベルには効かないが、それ以外の人間になら効く。
今回もばっちりだった。
「うわあっ!?」
「なんだ!?」
「う、動……」
硬直した男たちを見て、勝利を確信するフリーデ。
数秒は動けないから、彼らをどう料理するのもフリーデの思うがままだ。
「あっ、そうだ! お姉さんたち、今のうちに逃げて!」
囚われの女性たちを思い出し、背後を振り返ったフリーデ。
しかし女性たちは虚ろな表情のまま、微動だにしていない。
「ねえ、早く! 逃げてよ!」
ゆさゆさ揺さぶってみたが、やはり反応はない。
そうこうするうちに、敵が動き出した。
「なんだ、今のは……」
「ポーカスさん、ありゃ魔法か?」
するとポーカスと呼ばれた中年男が、苦々しげに吐き捨てた。
「違う、こんなもんは魔法じゃない。これはたぶん魔族の力だ。このガキ、人間に見えるが何かの魔族のようだな」
ポーカスはフリーデとの間合いを慎重に保ちながら、掌をフリーデに向けてきた。
「服従せよ!」
「うっ!?」
危険なものを感じたフリーデは、とっさに廊下に飛び出した。飛び出してから、窓から外に逃げれば良かったのだと気づく。
建物は吹き抜けになっていて、フリーデは一階のホールに着地した。
そのまま逃げようとしたが、体がうまく動かない。
外に出たくない。外に出るのが怖い。
さっき窓から逃げなかったのも、実は魔法によって思考を支配されていたせいなのだが、フリーデにはわからなかった。
頭上から叫び声が聞こえてくる。
「あのガキ、精神魔法に耐性がある! もういい、魔撃銃で撃て!」
「あれ使っちまっていいんですかい!?」
「どうせここはもうダメだ! ここの元締めのマオとかいうヤツ、賄賂をばらまくから買収できるかと思ったのに、あいつ自身は賄賂を受け取らん!」
ポーカスは叫びながら、自身も魔撃銃を構える。
「全く、何から何まで忌々しい街だ! くたばれ!」
魔撃銃から光弾が放たれる。
フリーデは動きが鈍っていたが、無我夢中で上着を脱ぎ捨てた。上着には魔力の吸収を阻害する紋章が入っているからだ。
魔力の束縛から解放されたフリーデは、間一髪で光弾の魔力を吸収した。
しかし空気中から少しずつ魔力を集める場合と違い、光弾は魔力量が大きい。瞬間的に全てを吸い込むことはできず、一部はダメージとして受けてしまう。
「ぐっ!?」
かろうじて耐えただけだが、敵は驚愕していた。
「あいつ、魔撃銃にも耐えるのか!?」
「化け物だ! 本物の魔族だぞ!」
「殺せ! 撃て撃て!」
吹き抜けのホールのあちこちから魔撃銃の銃口が向けられ、フリーデに光弾が降り注ぐ。
「いたっ! やっ、やめ……うわっ!」
フリーデは魔術師ではないから、吸収した魔力を何かに使うことがほとんどできない。
そして少しずつではあるが、受けた光弾によってダメージを受ける。
反撃の方法はない。ソウルシェイカーは連発できないからだ。
父とは違い、ソウルシェイカーで周辺の魔力を制圧する方法もわからない。
逃げようにも、精神支配の魔法の影響で足が外に向かわない。
ばしばしと光弾で撃たれたフリーデは、とうとう膝をついた。
赤くぼやけた視界が明滅してくる。
フリーデは鈍る思考で、うっすらと恐怖した。
「あれ……? 私……?」
このまま死んじゃうの?
死んじゃったら、お父さんとお母さんに、もう会えない……。
フリーデがゾクリと戦慄したとき、不意に痛みが消えた。
自分が死んでしまったのかと思ったフリーデだが、敵のざわめきが聞こえてくる。
「何だ!?」
「当たらんぞ!?」
痛みをこらえながら顔を上げると、魔撃銃の光弾がフリーデの周囲で渦を巻いていた。
光弾は発射時と同じ速度で飛び続けているが、螺旋を描き続けていてフリーデにはなかなか到達しない。
そして速度も光量も減衰し、フッと消えてしまう。
残った魔力の残滓は、きらめきながら館の玄関方向へと流れていった。
視線を玄関扉に向けた瞬間、やたらと豪華な両開きの扉が吹き飛ばされる。
「新手か!?」
「わからん、撃て!」
吹き抜けの一階と二階から、男たちが魔撃銃を構えて前進してくる。
吹き飛ばされた扉の跡に立っていたのは、黒衣の男。
ヴァイトだった。
「お父さん……?」
ヴァイトめがけて魔撃銃の光弾が無数に放たれるが、彼は構わずに歩き出した。
放たれる光弾は軌道を変えて全てヴァイトに命中するが、彼は全く歩度を落とすことなく、男たちに向かって前進していく。
「なんだこいつ!? こいつにも光弾が効かないぞ!」
「おいポーカスの旦那、この魔撃銃はロルムンドの軍用銃なんだろ!? どうなってる!? こいつに魔力を込めたのはあんただろ!?」
「わ、わからん! そいつは魔力を吸収……」
ポーカスはそう叫んだ後で、ハッと何かに気づいた様子だった。
「ま、まさか……。お前はあの黒狼卿!?」
その瞬間、ヴァイトは真っ黒な毛並みを持つ人狼に変身する。
「ひいいぃ!?」
「じ、じじ、人狼じゃねえか!?」
「あいつが四千人殺しの怪物か!」
「撃て! 撃ちまくれ! 絶対に生かして帰すな!」
前にも増して激しく光弾が降り注ぐが、ヴァイトはずんずん歩き続ける。重甲冑すら破砕する光弾が、彼には傷ひとつつけられない。
やがて全ての魔撃銃が魔力を使い果たし、光弾の嵐は止んだ。
ポーカス以外の魔術師はいないのか、魔力を再装填する者はいない。
不意に訪れた奇妙な静寂の中、ヴァイトは全くの無傷のまま、フリーデをかばうように立つ。
フリーデの頭をいつものように優しく撫でた後、伝説の人狼は牙を剥き出して周囲を睥睨した。
「狼が来たぞ」
※次回「狼と40人の盗賊」更新は1月27日(金)の予定です(6巻書籍化作業中のため、更新日が前後する可能性があります)。