「お父様は黒狼卿」
外伝6話
ヴァイトの娘、フリーデは七歳になった。
おおむね十四、五歳で成人とされるこの世界において、七歳は「半分大人」になったとみなされる。
土地によっては贈り物をしたりして、これから本格的に大人の仲間入りをするための門出を祝う。
「シリンはお祝いにワの剣が欲しいの?」
フリーデは、打ち込み用のかかしの上に飛び乗った。成人男性のサイズに作られた丸太の上で、フリーデは首を傾げる。
「その剣も素敵よ?」
「ありがとう、フリーデ」
紫色の鱗を持つ竜人の少年は、にっこり笑う。
シリンが持っているのは練習用の木剣だ。腰に差しても見栄えがするよう、多少の装飾も施されている。
「でもこれ、木剣だから」
「七歳なんだから、本物の剣はまだ危ないでしょ?」
「そんなことはないよ。僕は騎士の子。剣は仕事の道具さ」
落ち着いた口調でシリンは返し、ほんのわずかに足幅を広げた。
その動作の意味を察したフリーデが跳躍した瞬間、シリンが踏み込む。
「はあっ!」
両手に持った二本の木剣がうなり、かかしの肩と横腹を打ち据える。鋭い音がした。
「いつ見てもスゴいね!」
軽やかに着地したフリーデがパチパチと手を叩くと、シリンは照れくさそうに笑う。
「ありがとう。でも木剣と鉄剣じゃ、重さも扱い方もぜんぜん違う。僕は早く、本物の剣に慣れたい」
「ふーん?」
フリーデは首を傾げ、それから明るく笑った。
「じゃあほら、黒狼卿みたいに素手で戦うのは?」
「素手で戦って強いのは巨人や人狼ぐらいだよ……竜人は無理」
シリンは溜息をつく。
「フリーデは本当に黒狼卿が好きだね」
「うん! かっこいいもん!」
にぱっと笑ったフリーデは、拳を握りしめる。
「それにほら、黒狼卿ってうちのお父さんと同じ名前だから! ヴァイトっていうんだよ?」
「いや、あの……フリーデ? 何言ってるの?」
シリンは論理的で聡明な竜人族らしく、すぐに何かに気づいた様子だ。
「もしかしてフリーデ、君のお父さんが黒狼卿だって気づいてない?」
「え?」
きょとんとしたフリーデだが、すぐに困ったように笑う。
「あはは、シリンも冗談言うんだね。うちのお父さんが黒狼卿ヴァイトの訳ないじゃん」
「どうしてそう思えるのかな……?」
シリンの問いに、フリーデは胸を張って答える。
「だってうちのお父さんが、四百人も殺したりできるはずないよ。荒っぽいこと嫌いだから、喧嘩だってぜんぜんしないし」
「う、うーん……」
シリンは腕組みをして考え込んでしまったが、とりあえずこう言った。
「でもあれ、評議会のフォルネ様が作った劇だし、中身は全部本当のことだって聞いてるよ」
「まさか?」
フリーデは全く信じていない様子だ。
「それだとうちのお父さん、四百人の敵を一人でやっつけちゃって、三千の敵を一人で追い返しちゃって、戦神を倒して、海の怪物を退治して、ロルムンドのお姫様を捕まえて、その後でロルムンドの女帝にして、ヌエを退治して……」
「よく全部覚えてるね、フリーデ」
「全部観たもん。ええと、あと……そうそう、百人の人虎と一度に試合して勝った!」
指を折って数えていたフリーデは、自分の両手を見てからシリンを見つめる。
「こんな人、いるわけないよ? げんじつを見ようよ、シリン」
「僕にそんなこと言われても……」
シリンは頭を抱える。
「僕の父上も、君の父上のことは尊敬してるんだよ。英雄の中の英雄、伝説の武人だって」
「どこらへんが……?」
納得いかない様子のフリーデ。
「うちのお父さん、『ひょーぎかいのしたっぱ』だよ? お父さんがそう言ってるもん」
「だからそういうところがおかしいんだって!」
とうとうシリンは叫んだ。
「だいたいヴァイトのおじ上は僕の名付け親だよ! 父上が『ただのしたっぱ』に、僕の名前を決めさせると思う!?」
「思わないけど……」
「僕たち竜人族にとって、名付け親は親と同じだからね。ヴァイトのおじ上のことを悪く言ったら、君でも怒るよ?」
「えー……娘なのに……」
フリーデは泣きそうな顔をする。
そこに渦中のヴァイトが、ヴィエラ太守フォルネを伴って渡り廊下を歩いてきた。
「黒狼卿の劇、そろそろ上演やめないか? もう十分だろう?」
「バカ言ってんじゃないわよ。ようやく根付いたところなのよ? これからも統治と商売の道具として、ありがたく利用させてもらうわ」
「賛成しかねる……」
ヴァイトが溜息をついたところで、フリーデは父親に向かって駆け込んでいった。
「お父さーん!」
「待て待て、廊下を走るんじゃない」
一応そう釘を刺した上で、ヴァイトは娘を抱き留める。
それからヴァイトは、少し手前で畏まっているシリンに笑顔を向けた。
「やあ、シリン。剣の稽古かな?」
ガチガチに固くなっているシリンは、慌てた様子でうなずいた。
「は、はい、おじ上!」
「バルツェ殿の編み出した『四刃舞』は難しそうだな。こないだ教わっていた『陰の太刀』は、もう覚えたかな?」
「い、いえ……。返しが甘いと父に言われてます。相手の剣を防いでから打ち返す技ばかりなのに、相手より先に斬り込めと……」
するとヴァイトは笑う。
「それぐらいのつもりでやれ、ということだと思うよ。『防がれた』と気づいた相手は、すぐに防御や追撃の動作に移ってしまう」
ヴァイトはじゃれついてくるフリーデの頭を乱暴に撫で回しながら、こう続けた。
「誰しも、必勝を確信した瞬間は油断しているものだ。油断している瞬間を逃さずに斬れ、ということじゃないかな?」
「なるほど……! ありがとうございます、おじ上!」
パッと顔を輝かせるシリン。
「バルツェ殿は魔王軍最強の剣士、ミラルディアどころか大陸全土を見渡しても屈指の腕前だ。それだけに教えは難しく、求められる水準は高い。極めるには何十年もかかるだろう。焦らなくていいんだ」
「はいっ! もっともっと練習します!」
しっぽまでシャキッと伸ばしたシリンは、そのまま猛烈な勢いでかかしに向かって打ち込み始めた。
それを満面の笑顔で見ていたヴァイトに、フリーデが問う。
「ねえお父さん」
「外ではお父様と呼びなさい」
「お父様」
「何かな?」
フリーデは父親にしがみつきながら、真剣なまなざしで質問した。
「お父様が黒狼卿なの?」
「そうだよ。……あれ、言ってなかったか?」
「聞いてない!」
フリーデは憤然と叫び、それからキラキラした目で父親を見上げた。
「じゃあじゃあ、お父さん……お父様が、戦神や海の大魔獣をやっつけたりしたの!? 白虎公とか開拓公とか戦球公とか呼ばれてるウォーロイ様にも勝ったの!? ウォーロイ様が主将してる『ドニエスク戦球騎士団』は、黒狼杯の無敗王者なんだよ!? それにほら、ええと」
「落ち着きなさい、落ち着いて、フリーデ」
ヴァイトはピョンピョンはねる娘をなだめて、困ったように溜息をついた。
「あれはお芝居だからな。おおげさに演出しているだけで、本当はもっと地味なんだよ」
「そうなの?」
「違うわよ」
横からフォルネが口を挟むが、ヴァイトが嫌そうな顔をする。
「違わないからな。どれもみんな、大勢の仲間に助けられたからできたんだ。お父さん一人ががんばった訳じゃないぞ」
「そっかー……。まあ、そうだよね……」
フリーデは少し残念そうな顔をするが、やがて納得したようにうなずいた。
「でも、それで安心した! だってお父様があんなにかっこいいはずないよね?」
「ははは、そうだよ」
苦笑するヴァイト。
それから彼は後ろを振り向き、フォルネ卿に苦情を言う。
「ほら見ろ、戦を知らない世代が誤解してるぞ?」
「何を誤解してるのよ……。全部事実でしょ」
「演出が過剰だし、物語も作りすぎだ。だいたいあれだと俺はアイリア以外にも、メレーネ先輩やフィルニールやエレオラやシャティナとも浮き名を流したことになるだろ?」
ヴァイトの抗議にも、フォルネは知らん顔だ。
「当人たちの許可は取ってあるし、別にいいじゃない」
「冗談じゃないぞ。あと師匠までヒロイン役にするのやめてくれ」
だがフォルネはそっぽを向いて、流し目でチラリとヴァイトを見つめる。
「もちろん大魔王陛下の許可も頂いてるし、副官程度にお伺い立てる必要はないわよねえ?」
「それは……まあ、そうかも知れないが……」
沈黙するヴァイト。
フォルネは楽しそうに笑う。
「それにほら、劇ってのは観て楽しくなけりゃ意味ないのよ。基本的には事実なんだし、魔王軍の評判も良くなったし、それでいいじゃない?」
「評議会はそれでいいかもしれないが、俺は困る」
ヴァイトは溜息をついて、天を仰いだ。
「もう俺は過去の人として、ひっそりやってるんだ。そっとしておいて欲しいんだが……」
「ロルムンドやワやクウォールと交渉するのに一番役に立つ人材を、そっとしておける訳がないでしょ。フリーデ、あなたのお父様連れて行くわね」
フォルネはフリーデに微笑んでみせると、ヴァイトの肩をポンポンと気安く叩いた。
「ほらほら、来年の砂糖輸入の交渉しないと。クウォール諸侯会議の使者が待ってるわよ。あんたが強く出れば、あっちは何も言えないわ」
「そういうやり方、あんまり好きじゃないんだがなあ……」
「その後、戦球連盟の定例理事会ね。あんたもそろそろ次の試合に出ないと、ウォーロイ殿がリューンハイトに競技場を作りかねないわよ?」
「勘弁してくれ」
ヴァイトとフォルネは連れ立って歩いて行き、フリーデはその場に残された。
「えーと……」
彼女は首を傾げる。
「けっきょく、うちのお父さんスゴいの?」
誰かいれば即答してくれたのだろうが、あいにくと周囲には誰もいなかった。
※次回「フリーデの冒険」の更新は1月20日(金)です。
※タイトルを変えて掲載しました。