狂犬と群狼
354話
俺はワジャル公アマニと帰路に就きながら、今後の相談をすることにした。
「ザカルの目的が王位簒奪だとは、私の予想外でした。そのような愚かな企てのために、陛下がお命を奪われるなど……」
アマニは沈痛な面持ちでつぶやく。
俺はクウォールの法律や慣習には詳しくないので、彼女に質問してみる。
「ザカルを国王殺害で告発できませんか? 死霊術でなら証拠は出せます」
するとアマニは首を横に振った。
「クウォールは魔術が発達していませんので、魔術の結果を証拠として扱う法や慣例がないのです。パーカー殿が死霊術で証拠を示しても、その真偽を検証できる者がおりませんから」
それもそうか。
ザカルは口封じのために部下を始末するような男だから、彼が国王暗殺犯であると証明できるものは残っていないと思っていいだろう。
「では適当な理由をつけて、彼を傭兵隊から引き離すしかありませんな」
俺はそう言ったものの、良い案は浮かばない。
あいつから兵権を奪おうとすれば、即座に牙を剥いてくるだろう。露骨な方法は危険だ。カルファルが火の海になる。
となると、後は回りくどい方法で兵を引っ剥がすか。
いっそ暗殺という手もある。
ザカルを暗殺した後、右往左往している傭兵たちを始末する。市街戦で。
市民や味方に被害を出しながら。
……やめとこう。相手は四千人以上いて、曲がりなりにも全員がプロの戦士だ。
市民に被害が出るのは避けたい。カルファル公に恨まれたくないし、外交問題になったら困る。
何よりパガ老夫妻たちのような善良な人々を、これ以上不幸にしたくない。
俺は悩んだ末に、こう結論を出すしかなかった。
「傭兵たちをカルファルから追い出して、王都に向かわせましょう。バッザ公からの書状によれば、ザカルとの契約期間がもうすぐ終わるとのことです。彼はその前に行動を起こすでしょう」
ザカルは傭兵隊長といっても、自身も部下も全員がバッザ公に雇われている身だ。
任期が終われば、ザカルを待っているのはバッザ公からの帰還命令、そして査問会だ。そのまま流れるように投獄になるだろう。
俺は続ける。
「今回の挙兵は本来、国王陛下に沿岸諸侯の決意のほどを誇示するためのものです。陛下がおられない以上、戦う理由がありません」
どういう決着であれ、沿岸諸侯が王都を占領する訳にはいかない。流域諸侯と本当に内戦になってしまう。
いったん軍を引き揚げ、次の国王が即位してから改めて交渉再開になるだろう。
そして次の国王がまともな人間なら、港への課税は撤回するはずだ。
アマニが頬に指を当て、じっと考え込む。
「そうですね、確かに表向きはもう戦は終わりです。ですがそうなってしまうとザカルは破滅。彼としても正念場ですね」
バッザ公から預かった兵と、カルファル公から奪った金。この両方を握っている今こそが、ザカルにとって最も行動しやすい状態だ。
バッザ公との契約が終われば、彼が兵を動かす権限は消滅する。
その前に動くはずだ。
「王都に入ったザカルが何をするかがわかりませんが、権力を求めるのなら何らかの正当性は重要です。ただの武装集団では諸侯に討伐されてしまうでしょうからね。屁理屈でもいいのですが、とにかく大義名分が必要になります」
俺がそう言うと、アマニはうなずいた。
「彼が大義名分を欲しているとしたら、諸侯の側が彼に大義名分を与えてはいけませんね。ザカルに釣られて軍を動かさないよう、上流の諸侯に伝えておきましょう」
「確かにそれは必要になりそうです」
俺はザカルの考えそうなことを想像し、気づいたことを口にした。
「諸侯が王都奪還のために兵を動かせば、ザカルはそれを逆手に取るでしょう。『諸侯の誰それが国王不在とみて謀反を起こし、王都に侵攻してきた。だが我々が王都を守る』とね」
「ありえますね」
ザカルは戦争の名手だ。彼を戦場に立たせるのはまずい。
捨て駒を使って戦いを有利に進めるのがザカルのやり方だ。
そして今、彼には捨て駒にできる新兵がたくさんいる。
アマニはふと、心配そうに俺に尋ねてくる。
「では諸侯が軍を動かさなかった場合、ザカルはどのように動くと思われますか? 親衛隊は王の勅命がなければ攻撃ができませんから、ザカル側から手出ししない限りは彼を止める武力は存在しません」
「親衛隊が動かないのなら、ザカルも無益な手出しはしないでしょう。彼は計算高い男です」
さて、その場合はどう動くんだろう。
なんとなく、狡猾な手段で権力を手に入れようとするのはわかる。具体的な方法はさすがにわからない。
「パジャム陛下のお世継ぎのことを知れば、ザカルはファスリーン妃の身柄確保に動くでしょう。ヴァルカーンの宝珠のことを知れば、やはり手に入れようとするでしょう。どちらにも気づかなければ、彼がどう動くかは私にもわかりません」
するとアマニは不意ににっこり笑った。
「ではどちらか一方の秘密を、敢えてザカルに教えてやるのはどうでしょうか? そうすれば彼は夢中になってそれを追い求めるはずです」
そういう考え方もあるか。
この人怖い。
俺には「他人から打ち明けられた秘密を漏らす」という発想があまりなかったので、その方法はちょっと抵抗がある。
確かにザカルを誘導する餌としては抜群の効果があるだろう。
とはいえいくら俺でも、妊婦を陰謀の餌にすることはできない。
だとすれば、使うのは勇者製造機の情報か。
こっちは俺が乗り込めばどうにでもできそうだな。
「わかりました。ファスリーン妃を危険な目に遭わせたくありませんので、そのときはヴァルカーンの宝珠でザカルを釣りましょう。具体的な方法について案はおありですか?」
「ええ、お任せください。メジレ上流域のことなら、我がワジャルにお任せを。私たちもあなたと共に狼となり、かの狂犬を追い詰めましょう」
嬉しげに笑うアマニ。
やっぱり怖いよ、この人。
敵に回さなくて良かった。
カルファルに戻った俺は、ワジャルに戻るアマニを見送る。
彼女は乗ってきた舟に武装した従者たちを乗せていた。骸骨だらけで軽いはずの舟が妙に沈んでいたのは、このせいだ。用心深いな。
屈強な従者たちに護衛されたアマニを、さらに人狼隊一個分隊が護衛する。
いざとなればアマニを抱えて軍馬より速く逃走できるので、人狼の護衛は心強い。
「それではヴァイト様、私は上流諸侯の取りまとめと、ザカルに秘密を流す準備をして参ります」
「よろしくお願いします、アマニ殿。私はファスリーン妃にお会いし、味方につけます。可能であれば、身柄を保護します」
「はい、よろしくお願いいたします。何かあればワジャルまでお連れください。私がお守りいたしましょう」
アマニは俺に深々と一礼すると、夜の闇に紛れてカルファルを去っていった。
さて、俺は俺の仕事をするか。
「ちょっと出かけてくるから、一個分隊ついてきてくれ。あとパーカーは軽いから折り畳んで持っていく」
「君ね、僕のことを何だと思ってるんだい? ほら、この袋ならすっぽり入るよ!」
嬉しそうに麻袋を持ってきたパーカーをちらりと見て、俺は溜息をつく。
「こいつの世話係に、もう一個分隊だ」
建築物に詳しいジェリク隊と、女性隊員で構成されるファーン隊がついてくることになった。
ファスリーン妃のいる離宮は建築中らしいから、忍び込むのは簡単だろう。
王都エンカラガの南、メジレ河の近くにある広大な庭園がそれだった。
宮殿の一部とそれを囲む壁はだいたい完成しているが、大半の建物や庭などは工事中だ。メジレ河から水を引いて人工池を作ったりしている。
戦闘を想定していない上に作りかけ、しかも地形的にみて攻めやすい。避難場所としてあまり適切とは思えなかったが、軍事に疎かったパジャム二世にそこまで期待するのは酷だろう。
「親衛隊に交渉して会わせてもらうのも手だが、ザカルの内通者がいるかも知れない。俺がここに来たことは誰にも知られたくないな。だから忍び込む」
「偉くなっても大将は大将だな」
嬉しそうにぼやくジェリク。
ファーンまでうなずいている。
「ヴァイト隊長は、計画を立てるとこまではあれこれ考えるけど、現場に出ると出たとこ勝負なんだよね」
言い返せないのがつらい。
それでも俺たちは夜になるのを待ってから、人狼に変身して石壁を乗り越えた。
完成している建物はひとつしかないので、そこにファスリーン妃がいるのだろう。
「ファーン隊、ちょっと様子を見てきてくれ。相手は女性だ。俺がいきなり行くのも気が引ける」
暗闇でニヤニヤ笑うファーン。
「あれ、微妙に遠慮してる? それもアイリアに?」
なんでそこで俺の嫁さんが出てくるんだ。
ファーンたちはクスクス笑いながら出ていったが、しばらくすると戻ってきた。
「きれいな女の人が楽器を演奏してるよ。護衛は建物の外だけ。中には侍女っぽい人たちが四人いるけど、おばさんばっかりだから違うと思う」
ファーンが報告し、彼女の相方でジェリクの恋人らしいピアという人狼が続ける。
「声をかけようと思ったんですけど、私たちはクウォール語あんまり得意じゃないから戻ってきました」
あ、そうか。
忘れていた。
「わかった。俺が行ってこよう。大勢だと怖がらせるから、俺一人でいい。みんなは見つからないようにしてくれ」
「了解」
「わかったよ」
八人の人狼と一人の骸骨がうなずいた。
俺は人狼に変身し、巡回の兵に見つからないよう建物に近づく。
ファーンの報告通り、弦楽器の音が聞こえてくる。夜なので音を控えめにしているようだが、人狼の耳だとよく聞こえた。
そのまま地面を蹴って、俺は三階の高窓からスルリと忍び込む。
厳密に言うと鉄格子がはまっていたのだが、人狼の怪力でそっとねじ曲げさせてもらった。完成前にさっそく壊してしまったが、緊急時なので許してもらおう。
部屋は天井が高く、間取りも広い円形のドームだ。まだ内装や調度類が少ないせいもあり、広い部屋にいるファスリーン妃はやけに孤独に見えた。
明かりは月光だけ。その月光に照らされ、彼女は不思議な形の弦楽器を弾いている。
俺は窓からそっと飛び降り、ファスリーン妃の背後に立つ。
……そこまでは良かったのだが、今ここで声をかけると絶対に演奏を中断されるよな。
侍女たちが不審に思って来るかも知れないし、ここは演奏が終わるまで待つとしよう。
俺は人間の姿に戻ると、暗がりに潜んで待たせてもらうことにした。
奏でられる音色はどこか哀しげで、心細そうに聞こえる。
彼女を見た感じでは、まだ二十になっていないんじゃないだろうか。ずいぶん若い。
この歳で未亡人か……。ちょっと同情する。
そして演奏が終わったところで俺は暗がりから進み出て、月光の下で口を開いた。
「失礼いたします、ファスリーン妃」
※次回「月光に濡れて」の更新は11月14日(月)の予定です。