「野心の疼き・2」
344話「野心の疼き・2」
「よし、ここだ」
ザカルは部下たちに停止を命じると、乗馬したままじっと待った。
ここは大昔の街があった廃墟だ。かつては聖なる大河メジレのほとりにあったが、不信心者の行いで河が街から遠ざかってしまったという。
人々は「大いなるメジレの祟りだ」と畏れ、街を捨てて新しい街を作った。それが現在のカルファルとされている。
ザカルが嫌いな類の昔話だ。
(河が勝手に動くものか)
迷信を信じないザカルは、暗闇に包まれた地面を見下ろす。
ザカルは背後を振り返り、側近に問う。
「ラフハドはうまくやったか?」
「おそらくは……」
「今回の策が失敗したら、即座にカルファルに帰還する。そのままカルファルに籠城だ」
部下たちが動揺する。
「籠城って、どういうことです?」
「鈍い連中だな」
ザカルは笑うと、前を向いた。
「戦場で矢が飛んでくるのは前だけか? 散開しろ、手はず通りにやれ」
「へ、へい」
ザカルには沿岸諸侯の動きも、ある程度まではわかっている。
傭兵が勝手な真似を始めたら、雇い主は傭兵を処罰する。当たり前のことだ。
だが今、彼らの目と手は遠くにある。
ザカルを処罰できる者などいない。
(軍勢を率いて王都を目前にすれば、男がやるべきことはひとつだ)
この機会を最大限に利用し、野望を満たす。
失敗した場合はカルファルに籠城し、そのままカルファルの支配者として王座に君臨する。
カルファルは王都の目の前にある。傭兵たちを集めれば王を脅かすこともできる。
ザカルの軍略があれば、諸侯の軍勢など大した脅威ではない。
(いや、待てよ)
彼はふと、三百足らずの手勢でカルファルに駐留している男を思いだした。
(ヴァイト卿の動きが読めん。こちらの傭兵はすでに四千近くに膨れ上がっているから、負けるはずはないが……)
あのヴァイトという異国の男は、単身で傭兵の千や二千は倒してしまいそうな雰囲気がある。
もちろんそんなはずはないので、ザカルは心の中から聞こえてくる弱音を押し殺した。
(ビビったら負けだろうが。弱気になってんじゃねえ)
いざとなれば遊牧民たちとのコネもある。数百騎程度ならすぐにでも呼び寄せられるだろう。
彼らと戦っているふりをしてザカルは虚偽の功績を作り、遊牧民のほうはザカルの管轄外の交易路で略奪を重ねた。
そのコネは健在のはずだ。
そんなことを考えていると、遠くから馬車が近づいてきた。
馬車を先導している騎手は、ザカルの側近のラフハドだ。今は文官の略礼服を着ている。ビラコヤの使者から奪ったものだ。
馬車には二十騎ほどの近衛騎兵が随伴していた。
彼らは廃墟の街の中央、広場の辺りで停止した。ザカルと数名の部下が待機している場所だ。何ヶ所かに松明が灯され、周囲は明るい。
やがて馬車から、立派な身なりの青年が降りてくる。
松明の炎に王冠が輝く。
クウォール国王、パジャム二世だろう。
ザカルはとりあえず下馬したが、右膝をつくのはためらわれた。
傭兵たちは左足を前にして盾を構えるため、右膝をつくと武器を持つ右腕を相手の前に晒すことになる。盾も構えにくくなる。
すると王冠の青年が不快そうに眉を寄せた。
彼は何も言わないが、横にいる文官姿のラフハドが慌てて口を挟む。
「こ、こちらが例のヴァイト卿です。魔王の副官の……」
「ヴァイト卿はクウォールの作法も知らぬのか? せめてミラルディア式の礼ぐらいはあってもよかろう」
ザカルは右膝をつくかどうしようか迷ったが、もうやめることにした。
どのみち交渉の余地はないのだ。
「もういい、ラフハド」
ザカルは首を横に振ると、合図の言葉を口にした。
「『夜明け』だ」
次の瞬間、廃屋の屋根から次々に投網が降ってくる。黒く塗った漁網だ。
丈夫で目の細かい網は、密集していた近衛騎兵たちを襲った。
「なっ、なんだこれは!?」
「敵襲!」
「陛下をお守りせよ!」
「待て、勝手に動……」
鍛え抜かれた戦士たちは馬を駆り、槍を構えようとするが、網に絡め取られているためにそれができない。
傭兵たちは平民出身で、投網の扱いに慣れている者が多い。海と河に恵まれたクウォールでは、漁に使う投網は生活の道具だ。
だが近衛騎兵たちは投網の扱いなど何も知らない。
やみくもに暴れて、仲間同士で引っ張り合う羽目になる。
整列したままもがいている近衛騎兵たちに、傭兵たちの矢が容赦なく降り注ぐ。
「ぐっ!」
「うわぁっ!」
落馬し、戦友の軍馬に踏みつぶされる者も出てくる。みるみるうちに戦士たちは落馬していき、そして動く者がいなくなる。
殺戮はごく短時間で終わった。
「貴様! これがミラルディアのやり方か!」
パジャム二世はザカルを睨むが、彼を守る者はもういない。
ザカルは無力な王を鼻で笑う。
「俺はヴァイトじゃねえ。例の傭兵隊長だ。俺を侮るからこういうことになるのさ。ほら、今度はお前が右膝をつけ」
クウォール人全ての支配者、静寂なる月の末裔とされる国王。
その絶対の王に対して、平民のザカルは剣を突きつける。
「聞こえなかったのか? それとも王様ってのは、強者に対する礼儀も知らないのか?」
パジャム二世はザカルを睨むが、その顔からフッと怒りが消えた。
代わりに彼は哀れみと軽蔑の表情を浮かべる。
それがザカルを逆上させた。
「おい、今ここで王様面ができるとでも思ってんのか?」
ザカルが首を軽く動かすだけで、腹心の傭兵たちがパジャム二世を取り押さえる。
「無礼者!」
王の怒号に一瞬怯える傭兵たちだが、それをザカルが叱咤する。
「構わん、やれ。押さえつけろ」
傭兵たちにとって、ザカルこそが王だ。
彼らは怯えながらも、国王の両肩をつかんで地面に押しつける。
屈強な戦士たちの力に勝てるはずもなく、王は膝を屈した。右膝が地面につく。
「そうだ、それでいい。偽の使者におびき出されて捕まるような間抜けは、王の器じゃない」
勝ち誇ったザカルだが、パジャム二世は黙ったままだ。静かな侮蔑のまなざしでザカルを見つめている。
「おい、何か言えよ」
剣を片手に笑ったザカルだが、次の瞬間に王の沈黙の意味を理解した。
「てめえ、俺とは話す値打ちもないと思ってやがるな?」
その通りだ。
そう言わんばかりに、パジャム二世が冷笑する。
王の冷笑にザカルの中で凶暴な何かが叫びをあげた。
「だったら死ね!」
達人の剣捌きが無力な王を襲う。
ザカルの剣は王の首筋を切り裂く。鮮血が夜空を赤く染めた。
袈裟斬りにされた王は、ほぼ一瞬で絶命する。
「た、隊長!?」
「王様を!?」
「祟りがありますぜ!?」
傭兵たちがひきつった表情を浮かべるが、ザカルは刀身の血を払って薄笑いを浮かべる。
「祟りなどあるものか。王の血は月光と同じ金色だというが、見ろ。ただの赤色だぞ。こいつも俺たちと同じ人間だ。全部嘘なんだよ」
笑い飛ばすザカルだが、迷信はともかくとして王殺しは大罪だ。
部下たちの動揺を感じたザカルは、彼らの心を掌握するために言葉を続ける。
「もう後戻りはできんぞ。王殺しの陰謀に加担した以上、お前たちは全員死罪だ。どう申し開きしようが助からん」
傭兵たちがますますひきつった顔をする。
彼らの恐怖が最高潮に達した瞬間を見計らって、ザカルは陽気に笑ってみせた。
そして王の死体に足で砂をかけてみせる。本当は踏もうと思ったのだが、ほんの少しだけ恐ろしかったからだ。
「助かりたければ、俺たちがこの国を奪い取るしかない。死罪と貴族、なるならどっちがいい?」
「そりゃ……き、貴族ですけど」
誰かがそう言って、ごくりと喉を鳴らした。
ザカルは笑う。
「だろう? じゃあ貴族になりに行こう。俺が策を練っている。お前たちが俺の言う通りに動けば、必ずこの国を奪い取れる」
「で、できますか?」
別の傭兵がそう聞いてきたので、ザカルは肩をすくめてみせた。
「簡単なことさ。なんで今までやらなかったのか、自分がバカなんじゃないかと思ってるぐらいだ」
傭兵たちがざわめく。
「そんなに?」
「いや、でも、できるのか……?」
「やるしかねえだろ?」
「隊長が断言して、できなかったことが一度でもあったか?」
「それもそうだな、隊長なら……」
不安が徐々に収まっていくのを見計らい、ザカルは彼らに計画を説明した。
「王がここで死んだことは、俺たちしか知らない。だから王は行方不明だ。ずっとな」
「そ、そうか! まだバレてねえんだ!」
露骨にホッとした表情になる傭兵たち。
ザカルはうめいている近衛兵にとどめを刺しながら、淡々と続ける。
「表向きは、王は沿岸諸侯軍にビビッて逃げたことにする。逃げた王なんかに誰も従いやしねえ……おい、こいつらの鎧は剥ぐな。売りさばいても足がつく。死体ごと古井戸に捨てろ」
部下が近衛兵の死体から豪華な武具を奪おうとしているのを、ザカルは制した。
「宮廷のお偉いさんたちの中には、俺とコネのあるヤツらもいる。前にかなりヤバい仕事を俺に依頼した連中だ。話はつけてある」
このへんは少し誇張も入っているが、どうせ傭兵たちにはわからないだろう。
ザカルは最後にこう言った。
「だから俺たちは今夜、カルファルの近くで夜戦の演習をしていただけだ。さあ、この誰だかわからん死体どもを片づけて、とっととずらかるぞ。帰ったら特上の糖蜜酒をおごってやる。羊の肉と一緒にな」
わっと傭兵たちが歓声をあげた。
傭兵たちが死体を古井戸などに投げ込んでいる間に、ザカルは部下の一人を呼んだ。
「ラフハド、こっちに来てくれ」
バッザ公ビラコヤの使者に変装していた男が、ザカルの声に応じて物陰にやってくる。
「なんですか、隊長?」
「偽使者の役、ご苦労だった。それでな」
ザカルは短剣を抜くと、ラフハドの喉を貫いた。声が漏れないよう、口と動きを封じる。
「ぶっ!?」
「お前は顔を知られすぎた。連れていくことはできんが、野放しにもできん。だから殺す。わかるな?」
返事はない。
彼はもう死んでいたからだ。
崩れ落ちた部下の死体を見下ろし、ザカルは短剣をしまう。
「お前は特別任務で別行動中、ということにしといてやるよ。あながち嘘でもないしな」
ザカルは廃屋から出ると、まだ生きている部下たちに命じた。
「急げよ! 俺たちの王国が待っているぞ!」
※次回「人狼たちの追跡」更新は10月21日(金)の予定です。