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夜の誘い

339話



 バッザ傭兵隊のクメルク副官は、たぶん俺たちの監視任務でここにいるのだと思う。

 それなのに彼は今、わき目もふらずに割れたタイルの補修をやっている。

 副官タイプの優秀な人物にありがちな、細かい部分が気になって仕方ない性格のようだ。

 今の彼に話しかけても無駄だろう。



 俺は全てを諦め、鶏肉を市場で買ってくる。

 そしてそれを雑に捌きながら、遠い目をした。

 本当は川魚のほうが安いのだが、泥臭くてミラルディア人には無理だ。特に人狼の嗅覚にはきつい。

 味のほうは白身魚特有の淡泊さで、どんな味付けでもできると思う。

 本職の料理人なら、きっとうまく調理できるんだろうな。



 廃材で火をおこし、買ってきた野菜を雑に刻み、きれいな井戸水を汲んでくる。井戸の持ち主には礼金を払った。

 今日の夕食も二百五十人分必要だから、鍋ひとつではどう頑張っても足りない。人狼隊が持参した大鍋をいくつも取り出す。

 人手も足りないので、ベルーザ兵で料理の上手いヤツを何人か引っ張ってきた。



 大鍋の湯が沸いた頃合いで、貝の干物を取り出す。クウォール沿岸部で珍重される保存食だ。

 決して安くはないこれを、ぽんぽんぽんと雑に投げ込む。出汁と調味料には金をかけないとダメだ。どうせ鶏肉から出汁は出るが、貝はそのまま具にもなる。

 出汁が出てきて貝がふっくらしてきたところで、準備しておいた鶏肉と野菜をぶちこんだ。

 しばらくして灰汁が出てきたので、雑に取る。鍋の数が多いから、そんなに面倒見ていられない。



 灰汁が見えなくなった辺りでベルーザの塩を雑にぱらぱら入れて、汁をちょっと味見する。

 モヒカンたちも味見して互いにうなずき合っていたので、ちょっと意見を求める。

「どうだ?」

「なかなかいいっすね」

「海魚のアラでもありゃいいんだが、贅沢言い出すとキリがねえですし」

 まだ色々足りてない味がするけど、二百五十人分作らないといけない。細かいことは抜きだ。

 でもちょっとだけ醤油を足しておくか。持ってきてよかった。

 一列にずらりと並んだ大鍋が、それぞれいい匂いの湯気を放ち始めた。



 ベルーザ陸戦隊のグリズ隊長が、首に掛けた布で汗を拭いながらやってくる。

「何してるかと思えば……。ヴァイトの旦那、手際いいな」

「軍人になる前は、田舎でこんなことばっかりしてたからな。味はどうだ?」

 グリズは汁をちょっと味見して、苦笑を浮かべる。

「副官様の手料理だ、文句は言いませんぜ」

 グリズ隊長はリューンハイトにあるベルーザ料理店の料理長でもある。

 このグルメモヒカンめ、戦地での野外料理なんだから文句は言わせないぞ。



 とは思ったが、ちょっと聞いておく。

「俺の腕前はイモの皮むきでもしてたほうがマシか?」

「いや、まかないならこれで十分すぎやすがね。うちの店で出すなら、あと三年ほど修業が必要ですぜ」

「なるほど……」

 料理屋にはみんな、普段と違う特別なものを期待してやってくるからな。

 でも電子レンジと炊飯器を使った料理なら、もうちょっと得意なんだけどな……。



 日が傾いてきた頃には、どこの民家も屋根の穴ぐらいは塞がっていた。倒壊寸前の家屋については半日ではどうにもならないので、作業は明日以降にする。

 作業で疲れた兵士たちには、俺の鶏鍋を支給しよう。

 そう思っていたのだが。



「一番、海蛇のチャルーザ! ナイフ投げを披露しやす!」

 鍋とたき火を囲んで、どういう訳か宴会が始まっていた。

 ベルーザ陸戦隊のモヒカンが、ナイフのジャグリングを披露している。合間合間に糖蜜酒を飲むという、なかなかの芸達者ぶりだ。

 それはいいんだけど、何してるの。

 というか、酒飲んでいいなんて言ってないだろ。

「グリズ隊長、酒はどこから持ってきた?」

「家を直してくれた礼にって、壷ごともらったんでさ」

「おいおい」

 贈り物をむやみに受け取るなって、あれほど言っただろ。



 もらったものはしょうがない。クウォールでは一度受け取った贈り物を突き返すのは大変な非礼だ。俺は黙認することにした。

 それに炎天下で半日も作業をしてくれた連中には、これぐらいの慰労はあってもいいだろう。

「二番、海蛇のゴルベス! 手斧投げを披露しますぜ! 合間合間に糖蜜酒を飲むぜ!」

 おい、ネタが完全に被ってんぞ。

 あとなんで、そんな執拗に海蛇だらけなんだよ。

「人狼隊も何かやれ、こいつらに芸ってものを見せるんだ」

「あは、じゃあアタシが投げナイフぶつけるね!」

「モンザ、ぶつけるのはやめろ」



 ここはやはり、俺が出る番か。

 俺の宴会芸といえば……ダメだ、前世のトラウマスイッチが入りそうだ。やめておこう。

 溜息をついたとき、俺はふと人間の気配を感じた。怯えている若い人間の匂いがする。

 ちらりと暗がりを見ると、クウォール人の子供がいた。十歳ぐらいだろう。じっと鍋を見つめている。

 鶏でも畜肉は贅沢品だ。数日前に傭兵に占領された街だから、食料事情は良くないだろう。



 この子に施しをすると後が大変そうだが、だからといって見捨てることもできない。

 懐に余裕はあるし、ここは人間らしくいこう。

「そこの君に頼みたいことがある。そのまま聞いてくれ」

 怯えさせない程度に優しく、そして逃げられないように素早く、俺はクウォール語で言った。

「間違って兵士の食事を少し多めに作ってしまった。貴重な食料だ、残すのはもったいない。近所の人たちに声をかけてきてくれないか?」

 少年はまじまじと俺を見つめていたが、無言でこくんとうなずく。



 俺は新しい皿に鶏肉と野菜を盛りつけると、少年に差し出した。

「これは駄賃だ。それに味を見てからでないと、声をかけられないだろう? 食べてくれ」

 すると少年はフラフラと物陰から出てくる。腹が空いているようだ。

「肉と野菜は、ここの市場で買ったものだ。心配しなくていい」

 俺はにっこり笑ってみせて、最後にこう告げる。

「どうぞ」

 少年はもう一度うなずき、ガツガツと食べ始めた。

 子供が一心不乱に何か食べる姿というのは、いつ見ても気持ちがいい。



 あっという間に少年は鶏肉と野菜を食べ尽くしたが、少年はまだ鍋をチラチラ見ている。育ち盛りだもんな。

「残りは近所の人と食べてくれ。急がないと兵が全部食べてしまうぞ?」

 作りすぎたはずなのに「全部食べてしまう」というのは矛盾しているが、少年はそのことに全く気づいていない様子だ。

 慌てて何度もうなずくと、ぱたぱたと素足で駆けていった。



 少し離れた場所から、子供の声が聞こえてくる。

「ねえねえ、お母さーん! 変なしゃべり方する兵隊さんたちが、お鍋を食べさせてくれるってー!」

「それは本当かい!? ひどいことされなかったかい?」

「大丈夫だよ、優しかったもん! みんな連れてきてって!」

「もうお前は、女の子なのに無茶ばかりして……。傭兵どもがムチャクチャしたの、忘れた訳じゃないだろう?」

「いいからねえ早く、ごはんなくなっちゃうよ?」

 あれ? 女の子だったのか。

 見た目でも匂いでも区別がつかなかった。



 それはともかく、ちょっと急ごう。俺は鍋に水を足しているメアリ婆さんに声をかける。

「メアリ婆さん、食材の買い出しを頼めるかな? お金はここにあるから」

「はいはい、そう来ると思ってたよ。二個分隊ほどついておいで」

 どんだけ買うつもりだ。

「余った肉は明日の朝に食べればいいからね。薫製にしてもいいし」

 肉をもっと食べたいお気持ちは尊重しますが、できたら野菜もお願いします。



 そのうちに周辺の住民がおっかなびっくりぞろぞろやってきたので、俺は好きなように食ってくれと告げる。

 クウォールの文化では贈り物には暗黙のルールが色々あるので、下手に何かをあげると後がややこしい。もらうのも同様だ。

 だからこれは贈り物ではないと強調しておく。

「量を間違えて作りすぎただけだから、たくさん食べてくれ。ミラルディア軍がここにいる間は、どこの誰にも非道な真似はさせん。安心してくれ」



 湯気の立つ鶏肉をガツガツ食いながら、ガーニー弟ことニーベルトが首を傾げる。

「ヴァイトでも間違えて作ることがあるんだな、兄ちゃん」

 すると兄のガーベルトが弟の頭を叩いた。

「バカ野郎! 気を遣わせないためだっつうの! 少しは頭使え!」

 お前もだ。

 でかい声で言いやがって。しかもわざわざ、覚えたてのへたくそなクウォール語で。



 俺は恥ずかしくなってきたので、そそくさとその場を離れることにした。ガーニー兄弟は明日説教する。

 でもガーニー兄も、少しは人間社会がわかってきたようだな。

 ちらりと背後を振り返ると、ミラルディア兵もクウォールの市民も人狼も入り乱れ、鍋をつついては糖蜜酒を飲んでいる。

 こういう光景は嫌いじゃないな。



 ベルーザ兵につかまっているクメルク副官に、俺は場を離れることを伝える。

 すると糖蜜酒でべろんべろんになったクメルクは、慌てたようにこう言った。

「ザカル隊長が、指揮官用の寝所を用意しておりましゅ……。カルファル公邸の別館をおちゅかいくだしゃい……」

「ありがとう、クメルク殿。おい、誰か水を持ってこい」

 この人あんまりお酒強くなさそうだから、もう飲ませないほうがいいぞ。



 さて、これは罠か。それとも懐柔策か。

 俺は陰謀の気配を感じながら、カルファル公の館に戻る。俺の顔を見た傭兵たちが、すぐに別館に通してくれた。

 館の裏手にある別館は、カルファル公の家族が住む場所だったという。

 確かに他国の高官を招くとしたらここしかないだろうが、それにしても強盗みたいで居心地が悪い。

 そう思っていたら、さらに居心地の悪い歓待が俺を待っていた。



 寝室に入った瞬間、香と人の匂いがする。若い女性の匂いだ。怯えている。

 広々とした寝室には、素肌に薄衣をまとっただけの女性が三人いた。みんな、なかなかの美人だ。

「ここは俺の寝室だと聞いているが、あなた方は?」

 俺がクウォール語で尋ねると、女性の一人がおずおずと答える。

「ヴァイト卿の夜伽をするよう、仰せつかっております」

 ザカル隊長の仕業か。

 どういう意図か全くわからないが、余計な手間を増やしやがって。



 俺は少し不快になったが、女性たちに罪はない。

「すまないが、夜伽は必要ない。退出してもらえないか?」

 とたんに別の女性が怯えた声を発した。

「と、とんでもございません! そのようなことをすれば、ザカル様に殺されてしまいます!」

 あの野郎。

 俺は溜息をついて上着を着る。

「では俺が出ていこう。あなた方はここで休んでくれ」



 すると最後の女性が、不思議そうな顔をする。

「なぜですか? そのように警戒なさらずとも……」

 俺は緊張している彼女たちを和ませようと、軽く笑ってこう言った。

「警戒はしていないが、こんなところで一夜を過ごしたらかわいい妻に叱られてしまう。俺の妻はかわいいが、ミラルディアの魔王だからな」

 さりげなく惚気てみる。

 なんせ俺の嫁さんは尊敬できるだけでなく、凄くかわいいからな……。



 しかし美女たちはぽかんとした顔をして、俺の顔をまじまじと見つめている。

「えと……あの……」

 すみません、今盛大に滑りました。

 俺は内心の動揺を押し隠すために、そっと微笑む。

「傭兵たちには俺から伝えておこう。では失礼する」

 俺は廊下に出る。戻って他の人狼たちと寝よう。

 偉くなると、寝る場所ひとつにも苦労するな……。


※次回「戦の支配権」の更新は10月10日(月)の予定です。

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