"ペラグラ" クウォールの病
325話
その後、俺はクウォールの主食となっている穀物・メジについて、追加の調査を命じた。
特に「メジレ河流域の風土病と、その治療法を調べるように」と伝えておく。
そして外交官たちから、予想通りの調査報告が寄せられた。
次のような手紙が届いている。
『副官閣下、報告いたします。クウォールには聖河病と呼ばれる風土病があり、メジレ河流域に広く確認されているそうです』
『現地の医者に尋ねたところ、聖河病は農民に多く、初期に顔に発疹を生じます。その後に腹の具合が悪くなり、吐き気を催し、口が荒れます。酷くなると正気を失い、死に至ることもあるとの話でした』
ほぼ間違いない。
ペラグラ。
ナイアシン欠乏症だ。
俺は魔王陛下と一緒に焼きたてパンを食べながら、この報告の意味を説明した。
「よく穫れる穀物というのは、偏食の原因にもなるんだ。それが病気を招く」
例えばトウモロコシの場合は、ナイアシン欠乏症を引き起こす。消石灰や木炭などでアルカリ処理すれば大丈夫だと聞いたが、俺も詳しいことは知らない。
作物が違うせいか、それともアルカリ処理していないのか、クウォールではナイアシン欠乏症が蔓延しているようだ。
さらに興味深い報告もあった。
『流域都市の医者は聖河病の治療として、伝統的な転地療法を勧めています。河から遠ざかり、海の水を浴びることで快復するそうです』
俺はこれについても、魔王陛下にお教えする。
「この病気は体に必要な滋養が一部不足しているだけで、海魚を摂れば治せるはずだ。前世で聞いたことがある」
マグロとかカツオとかサバとかブリとかイワシとか。タラコでもいいぞ。
ああ、なんかお腹空いてきたな。
するとアイリアがつぶやく。
「食事で治るということは、別に転地療法でなくても良いのですね」
「そういうことだけど、まあ黙っておこう」
それに内陸部でナイアシンが欲しいのならレバーでもいいんだが、農民が肉を十分に食べることは難しい。安定して手に入りそうなのは鶏肉ぐらいか。
なお貴族や遊牧民は畜肉をしっかり食べるから、ペラグラになる者は少ない。
ともかく、流域の農民たちが転地療法のために沿岸部にやってくることはわかった。流域諸侯にとっても、クウォール沿岸部の魚は重要ということだ。
もし沿岸諸侯と流域諸侯が完全に対立してしまったら、流域諸侯は大量のペラグラ患者を抱えてしまうだろう。
俺はこのことについて、情報の一部を伏せた上で外交官を通じて沿岸諸侯に伝えた。
流域諸侯に対して「内戦したらあんたのとこの領民が病人だらけになりますよ」と揺さぶりをかけてもらうためだ。
戦争したくないムードにして、なるべく交渉で解決してもらおう。
もちろんこれだけでどうにかなるとも思えないし、流域諸侯が「だったら沿岸部を支配するまでよ!」と言い出しても困る。
他にも交渉材料を探さないといけないな。
しかし海を隔てて人任せにしているから、なかなか良い交渉材料が見つからない。
外交官たちが各地を飛び回って集めてきた情報によると、メジレ河流域の諸侯たちも別にクウォール王を支持している訳ではないという。
沿岸諸侯と流域諸侯のやりとりは、だいたいこんな感じだ。
「いや別に、私たちも王様のこと好きって訳じゃないんだよ? 製糖工場にクソ高い税金かけるし、治水工事は私たちに丸投げだし」
「じゃあ俺たち沿岸諸侯と一緒に、王様に文句言おうぜ!」
「そうしたいのはやまやまだけど、伝統あるクウォール王室にあんまり失礼なこともできないし……。ほら、先王様には恩もあるでしょ?」
「まあ……そうなんだけどさ」
「王様のことは私たちで面倒見ておくから、もうしばらく時間くれない? 港に無茶な課税したら自分の首を絞めるだけだって、王様も気づくと思うし」
「気づくかな? じゃあ俺たちも傭兵とか集めてるけど、本気でやり合う気はないから伝えといて」
「オッケー任せて」
とまあ、こんな感じで水面下でごそごそやってるらしい。
元々が同じ文化、同じ言語、同じ宗教を持つ仲間同士だ。領外からちょこちょこちょっかいをかけてくる遊牧民から、共に農地を守ってきた歴史もある。
それともっと現実的な打算がある。
「製糖工場と港はどちらも不可分の資産なんじゃよ」
ロッツォ太守ペトーレ爺さんが、苦笑いを浮かべる。
「メジレ河流域で収穫したサトウキビは、すぐに地元の製糖工場で砂糖に加工される。じゃがまあ、自分たちで食っちまったら儲けにならんからな。港に運んでミラルディアなどに売るんじゃ」
砂糖は需要が高く、梱包も楽で日持ちもする。交易品としてはうってつけだ。
「沿岸諸侯にしても、船や港だけあっても物流がなければ儲からん。品物を運ぶから金が落ちる。じゃからお互い、相手の財産には傷をつけたくないんじゃ」
内戦になりそうでなかなか内戦にならないのは、実はこういう事情があるらしい。
双方の資源やインフラに依存しているので、相手を殴ったら自分も痛いのだ。
これは戦争を防ぐ良い方法だと思うので、対ロルムンド政策にも取り入れてみよう。
まあそれなら大丈夫かなと思って、俺はしばらく内政に専念した。
ミラルディアは急成長を続けている国だ。法律作りに街作り、人材育成に技術開発。やることは山ほどある。
未来を見据えてあれこれやりたいのだが、油断しているとすぐに不和や対立が発生するので、それも手を打たないといけない。現在を疎かにはできないのだ。
忙しい。
この状態でクウォールへの渡航は無理だろうな……。
だがクウォールの政情は徐々に不安定さを増してきた。
「派遣した外交官たちが怯えて、本国に帰りたがっているそうだ」
俺は魔王陛下と午後のティータイムを過ごしながら、届いたばかりの報告書を読む。
うちの嫁さん、俺がお茶の時間に仕事の書類読んでても怒らないから偉いと思う。
これ幸いとテーブルの上に書類を並べようとしたら、やんわりと笑顔で注意された。
「休息も良い仕事のために必要ですよ?」
「あ……はい」
調子に乗ってすみませんでした魔王様。
「クウォールの人々も、不安な気持ちで過ごしているのかもしれませんね」
「そうだな。もし内戦になった場合、沿岸部の住民にとっては、自分の王様が街に攻めてくるのと同じだからな」
沿岸諸侯はあまり陸軍を持っていないので、傭兵をかき集めてしのごうとしている。
もっともこの傭兵も海賊から積み荷を守るのが仕事だから、陸上で隊列を組んで戦える訳ではない。
ちょっと心許ない。
アイリアは俺が転生者だということを知っているから、こんなときは俺によく質問をしてくる。
「あなたの前世でも、こういうことはあったのでしょう?」
「近いことはしょっちゅうあったみたいだな。俺は戦争を知らない世代だから、あくまでも伝聞だが」
「この後、どうなると思いますか?」
また難しいこと聞いてきたな、魔王様。
俺は腕組みして考え込み、そしてアイリアに伝える。
「どこかでクウォール王が態度を軟化させて、沿岸諸侯との関係改善に動くしかない。だがそうしなければ、いつか過ちが起きる」
傭兵や諸侯軍がひしめいているらしいから、もう一触即発といってもいい。
いずれ偶発的なトラブルから内戦が始まってしまうだろう。
「もし内戦に発展してしまったら、調停役を務める者がいない。国王が当事者だからな。それで長引いた場合、どちらが勝ってもクウォールは大きく衰退することになる」
沿岸諸侯も流域諸侯も金はたっぷり持っている。全面戦争になれば、そうそう簡単には終わらないだろう。
さっくり終わってくれればいいが、泥沼化した場合が致命的だ。
「内戦が何年も続けば、今まで作り上げてきた技術や設備がどんどん失われていく。貴族は理解していないことが多いが、船乗りや農民も技術者だ。その海、その畑の専門家なんだよ」
だが彼らは戦争になれば守ってくれる者がいないので、巻き添えをくらってばたばた減っていく。
「サトウキビを栽培し、砂糖に加工して輸出するという一連の流れを完全に失えば、クウォールは当分立ち直れないだろうな。その間に周辺の勢力が力をつけていく」
ロルムンドもワの国も近代化が近い。もちろんミラルディアも急いでいる。
近代化を達成したら、後は帝国主義の幕開けだ。
そのときミラルディアやワの国がどういう政治体制になっているかわからないが、俺がいなくなった後だと俺にはどうすることもできない。
「クウォールはメジレ河のおかげで土地は豊かだ。港に適した沿岸部もある。砂糖という立派な特産品もある。植民地として支配するには最高の環境だな」
「植民地……ですか」
「ああ。クウォール人を犠牲にするやり方だし長期的にはあまり賢明とはいえない方法だが、短期的にはとても儲かる」
外交の世界には慈悲や正義なんて言葉は存在しない。
正確に言えば存在はするのだが、それはおおむね「国益」という至上にして生臭い目的を包む包装紙として使われる。
なんだか殺伐とした話だが、もし慈悲や正義で国益を無視する外交官が部下にいたら、さすがに俺もちょっと困る。
俺は前世の帝国主義について大ざっぱに説明し、それからうなだれる。
「でも植民地もいずれ発展して、最後には独立してしまうだろう。海の向こうだし」
独立前後には多くの血が流れるだろうし、遺恨が残って紛争地帯になっても困る。
なんせこの世界には「勇者」という、物騒すぎる戦略兵器が既に開発されている。もしあんなのが海の向こうでガッツンガッツンやりあうようになったら、ミラルディア人は怖くて眠れないぞ。どうせクウォールにも、古代の勇者製造機のひとつやふたつは転がってるだろう。
「百年先、二百年先の国益を考えると、ここでクウォールが内戦で衰退するのは避けたいな。単なる同情じゃない」
アイリアは俺をじっと見つめて、ふと微笑む。
「でも、同情もしているのでしょう?」
「そうだよ」
人狼の肉体に縛り付けられている俺は、油断すると簡単に闘争本能に呑まれてしまう。
だからこういうときは前世で一般市民だったときと同じように、素直に同情することにしている。
もちろん今の俺には立場もあるので、同情だけで手を差し伸べることはできない。利害を一致させる一工夫が必要だ。
「眉間にまた皺が寄っていますよ」
「またか?」
アイリアに指摘された俺はおでこを擦りながら、思わず苦笑する。
「ちょっと休憩が必要だな。君の言う通りだ」
「ええ。今日のおやつは、クウォール産の砂糖を揚げパンにまぶしたものです」
師匠が好きなヤツだ。
素朴に見えるが、この世界では意外と贅沢品なんだよな。れっきとした貴族のおやつだ。
砂糖も油も決して安いものではない。
砂糖をまぶした揚げパンぐらい、早くみんなが食べられるようになればいいのにな。
するとアイリアがくすくす笑う。
「ほら、また眉間に皺が寄ってますよ?」
「困ったな……」
休憩のやり方がわからない俺だった。
※次回「人狼でも先生」の更新は9月12日(月)の予定です。