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牙と蹄の交渉術

32話



 俺はどさくさに紛れてユヒト司祭を解放し、太守の館に連れていって一室を占領した。

 フィルニールがひょっこり顔を出して、俺に尋ねる。

「そのおじいさん、どうするつもりなの?」

「俺が魔王軍の使者として送り出した以上、俺にはこの爺さんを保護する義務がある」

「そういうものかな?」



 実のところ、そんな義務はない。この世界では、使者が使い捨てになるのはそう珍しいことではないからな。

 実際、さっきトゥバーンに降伏を勧めたときには使者の人馬兵が殺されている。

 元から危険な役目なのだ。



 太守の使用人たちによって清潔にされたユヒト司祭だが、もうベッドから起きあがる力もないようだった。衰弱と負傷が原因で重い感染症になっているようだ。

 このまま静かに死なせてやるべきだろうか。



 だが俺には、彼を救う力がある。できるだけのことはしてやろう。

 俺の治療魔法は大したことはないが、消毒などの基礎的な医学知識があるから処置は適切だ。

 これはおそらく感染症だから、解毒魔法に含まれる殺菌効果や、肉体強化魔法の副次的な免疫力増強効果が役に立つはずだ。

 後は魔力を少し送り込んで、栄養点滴代わりにしてやる。

 ここから回復するかどうかは、輝陽教の神様にでも聞いてくれ。



 それを見ていたクルツェが、ぼそりと呟いた。

「あなたは優しいのですね、ヴァイト殿」

「彼がこんな目に遭ったのは、俺にも責任がある。だから今回だけは、助けてやろうと思ってな」

「治療してやったところで、また刃向かってくるのではありませんか?」

「そのときは殺すだけだ」



 幸い、俺の治療魔法は適切だったらしい。その日の夜、ユヒト司祭の容態は安定した。快方に向かい始めたようだ。

 まだ弱々しいが、しっかりとした眼差しでユヒト司祭が俺を見上げている。

「ヴァイト殿……なぜここに? いえ、トゥバーンが陥落したのですな?」

「その通りだ、ユヒト殿」

 俺は溜息をついて、こう続けた。

「もう少し回復したら帰るぞ。支度をしろ」



 ユヒト司祭は驚いたようだった。体を起こし、俺に問いかける。

「帰る、とは……?」

「貴殿はリューンハイト輝陽神殿の司祭だろう? それとも、隠居してトゥバーンで余生を過ごすか?」

 ますます驚いた表情のユヒト司祭だったが、彼は目を伏せて首を振った。

「いえ……ここはもう、私のいられる場所ではありません。リューンハイトに戻りましょう」



 俺は骸骨兵たちにユヒト司祭の護衛と監視を命じて、別室の様子を見に行った。

 フィルニールがトゥバーン太守と言い争っているのが聞こえる。

「ボクの使者を殺したでしょ? 今さら降伏して、まともな処遇が得られると思ってるの?」

「それはそうですが……」

 俺は人狼の姿のまま、ひょこりと顔を出す。

「どうだ、交渉の具合は」



 そのとたんに太守が土下座した。

「お許しを! 命さえ保証して頂けるのなら、私は何もいりません! どうかお慈悲を!」

 今お前、俺の顔見ただけで泣きそうな顔しなかったか?

 太守はユヒト司祭をあんな目に遭わせた張本人ではあるが、ユヒト司祭が重罪人であるのも事実だ。その件については大目に見てやろう。

 だから泣くなって。



 その後の交渉は、俺が太守をじっと見たり、軽く舌打ちするだけで、驚くほど簡単に進んだ。

 こちらの要求をほぼ完全に認めさせた上で、後は太守の処遇を決めることになった。

「センパイ、どうしたらいいかな?」

「使者を丁重に扱わないヤツとは、同じテーブルにつきたくないな」

 俺が軽く牙を剥き出しにしてうなると、太守はイスから転げ落ちた。



 フィルニールは蹄を鳴らして太守に近づくと、手にしていた短槍の穂先をつきつける。

 凄みのある眼差しと共に、フィルニールは低い声で呟いた。

「ボクの使者も殺されたからね。ボク、キミのこと嫌いだな」

「ひいぃ!」

「ボクのトゥバーン支配に、キミはいらない。それでいいよね?」

 太守は口をぱくぱくさせながら、何度も必死にうなずいた。



 トゥバーン太守は無能でも悪人でもなかったが、俺とフィルニールは「こいつは信用できない」という意見で一致した。

 魔王軍と付き合っていくためには、普通の太守ではダメなのだ。

 トゥバーンで隠居するか、他都市へ退去するかを選ばせたら、彼はすぐさま退去を選んだ。

 恐怖に負けて住民を見捨てるようなヤツなら、こっちも用はない。どこにでも行くがいい。

 ユヒト司祭みたいにならないよう祈っておいてやるが、もしそうなったとしても恨まないでほしい。



 それにしても、うちのアイリアが優れた人物で本当に良かった。

 たまには優しくしてやるとするか。トゥバーンの名物でもおみやげにしてやろう。

 ぶんどった固定式クロスボウと騎兵教練の本、どっちが喜んでもらえるかな?



 あまりリューンハイトを留守にもしておけないので、俺はなるべく早くクルツェたち竜火工兵隊と一緒に帰還することにした。

 南門の骸骨兵は全部吹っ飛んでしまったので、北門に置いていた骸骨兵の半数だけ連れて帰ることにする。千体だ。

 師匠が補充兵をくれるといいんだが、さすがにもう無理だろうな……。



 残りの骸骨兵千体は、太守の館や城門などの要所を警備している。住民にとっては悪夢のような光景だろうが、人馬兵は市街地が苦手だからな。

 しばらくはメレーネ先輩が留まって、フィルニールの面倒をみてくれるらしい。

 師匠のこともあるしな。ちょっと様子を見に行くか。



 太守の館の一室で、メレーネ先輩がトゥバーンの重要書類に目を通している。

 その傍らにはベッドがあって、師匠が横たわっていた。

「メレーネ先輩、師匠の具合はどうですか?」

「この通り、よくお休みになられているわ。何日かすれば目を覚まされると思うわよ」

 師匠はトゥバーン攻略のときに治療や援護で強力な魔法を連発しすぎて、力を使い果たしていた。

 今はあどけない寝顔をみせて、すうすうとかわいらしい寝息を立てている。



 師匠の体は衰弱していて、魔力なしでは心臓を動かすこともできない。

 遠い昔に人間だったときに、一度殺されかけたのが原因らしい。そのときから師匠の肉体は時間が停まってしまっている。

 おかげで魔力を大量に消費すると生命活動の維持にも負荷がかかり、しばらく休眠状態になってしまうのだ。

 この辺りは難しい魔術理論があるらしいが、俺は大ざっぱに「HPとMPがひとつになってるんだな」と解釈している。

 合ってるかどうかは知らない。

 不肖の弟子です。



 翌々日、俺はメレーネ先輩に後のことを託して、急いでリューンハイトに帰ることにした。

 ユヒト司祭はまだ歩ける状態ではないので、竜人隊の馬車に寝かせてある。

 馬車の後ろには、ユヒト司祭の家族や昔の弟子たちが続く。彼らはリューンハイトへの亡命を希望しているので、引き取ることにした。

 どうも彼らがユヒト司祭を密かに助けていたらしい。そうでなければ、あんな環境では生き延びられなかったはずだ。

 弟子の多くは工房で働く職人や元衛兵だし、連れて帰れば何かの役に立つかもしれない。



 さて、急いで帰ろう。リューンハイトが気がかりだ。

 執務室には書類の束が積み上げられているだろう。やっぱり帰りたくないな……。いやいや、そうも言っていられない。

「全軍、これよりリューンハイトへ帰還する!」

 骸骨兵千体と竜火工兵隊二十四人、そして亡命希望者たちを連れて、俺はリューンハイトへと無事帰還したのだった。



 なお、帰ってから「また突撃したの!?」とファーンお姉ちゃんにメチャクチャ怒られたことを追記しておく。

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[一言]  やっぱり怒られたw
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