未来への投資(上)升と魔法
319話
こうして俺はアイリアと結婚し、せっかくなのでアインドルフ姓を名乗ることにした。人狼には姓がないからな。
俺は連邦評議会の評議員なので、太守と同格だ。
そこでミドルネームもつけることにする。ミラルディアでは、太守になるとミドルネームをつけるのが習わしだ。
「フォン、ですか?」
アイリアとアインドルフ家の側近たちが顔を見合わせる。全員が困惑顔だ。
それからアイリアが言った。
「もっと有名な方の名でも良いと思いますよ」
アインドルフ家の者が太守などに就く場合、名乗るミドルネームはだいたい決まっている。
アインドルフ家の先祖や、リューンハイト出身の著名人、輝陽教の聖人などから名前を取るのが通例だという。
候補となる一覧を見せてもらった中で、俺は「フォン」という名前が気に入った。
アインドルフ家に仕える家令も、一覧を手にしたまま口添えする。
「旦那様、こちらは確かにアインドルフ家歴代当主の御名ではありますが、その……ええと……」
さすがに口ごもってしまった家令の代わりに、アイリアが後を継ぐ。
「功績がとても地味なのです。ミラルディア統一前のリューンハイトで、升の大きさを定めたり、水路の整備をしたりしていますが」
素晴らしい人物じゃないか。
俺がぶち抜いた下水道も、実に丁寧な作りだった。
「ますます気に入ったので、フォンにしよう。以降はヴァイト・フォン・アインドルフと名乗る」
家令は困惑顔でアイリアを見る。彼女がうなずいて発言を許可したので、家令は俺に向かって深々と頭を下げた。
「アインドルフ家に格別の御配慮、誠にありがとうございます。我ら使用人一同、心を尽くしてお仕えいたします」
「ありがとう」
どうやら彼らは、俺が「アイリアに配慮してアインドルフ家出身者の名前を選んだ」と思っているようだ。
もちろんそれが決定的な理由だが、この名前に目をつけた最初の理由はもちろん違う。
だって「フォン」だよ?
ヴァイト・フォン・アインドルフ。
ドイツ貴族みたいじゃないか。最高にカッコいい。この名前で公文書に載るかと思うと、わくわくしてくる。
中身は日本人なんだけどな。
ということで俺は晴れて、「魔王アイリアの副官、人狼のヴァイト・フォン・アインドルフ卿」として今後も頑張っていくことにした。
そういえばひとつ、大事なことを思い出した。
アイリアと二人で午後のお茶を楽しんでいるとき、俺はそれを切り出す。
「そのフォン殿は、升の大きさを統一したそうだな?」
「ええ。穀物を計る升や油を計る升などいろいろありますが、同じ商品を扱うのに違う升を使っていては揉め事の原因になります」
ここは交易都市で、あっちこっちから品物が運ばれてくる。
違う街では違う大きさの升を使っているのが普通なので、取引の際に「思ってたよりも少ない」などのトラブルが起きる。
そこでフォン卿は「リューンハイトで升単位の取引を行う際は、商工会認定の升を使うように」と定めた。
このおかげでトラブルは減り、そして商工会は一気に力を持つようになった。
フォン卿は商工会をうまく使い、リューンハイトの経済と治安を良くしていったという。
俺はアイリアからそんな話を聞き、彼女にこう返す。
「フォン卿のしたことは非常に重要だ。俺のいた世界には『規格化』という概念があった。フォン卿がしたのは、升の規格化だ」
食習慣や物価の違いから、街ごとに升の大きさは違う。というか商人ごとに使う升がまちまちだった。
当然、「ねえ油屋さん、この升小さくない?」などとトラブルの元になる。
あまりに大きさが違う場合は相手の升で計り直したり、計算し直したりもするが、これはかなり面倒だ。労力も時間もかかる。
ペンとそろばんはあるけど、電卓も表計算ソフトもないからな。
「升の規格違いのせいで、交易という大きな川の幅が一ヶ所だけ細くなっていた。これはリューンハイトにとって損失だった」
だからフォン卿はリューンハイト市内での取引には、リューンハイト指定の升で計って売るように定めた。
そしてこの規格をリューンハイトだけでなく、他市との取引の際にもじわじわと普及させていった。
アイリアがふとつぶやく。
「おかげで南部ではリューンハイトの升が普及しています。南部の交易商人は皆、リューンハイト升で取引していますから」
「素晴らしいことだろう?」
規格を定めて普及させることはみんなの利益になり、定めた者にも大きな利益をもたらす。
「前世でも、こういう規格争いは定番だったよ。規格争いに負けると悲惨なんだ」
「はあ……」
さすがのアイリアにも、まだちょっとピンとこないらしい。
「魔王軍では先王様……いや先々代の魔王フリーデンリヒター様が、そのへんにこだわっていたな」
初代魔王フリーデンリヒター様が規格化の重要性を強調していた。
規格化はシステムを構築する大前提になり、魔王軍の近代化を考える上で避けては通れない問題だったからだ。
とはいえ規格化が必要な分野はまだまだ少なく、必要だったとしても技術が追いついていなかったりして、その範囲はごく限られている。
「フリーデンリヒター様はたぶん、あちらの世界で戦争を経験したんだろう。大きな戦争がふたつあって、二回目では俺たちの国は負けた」
「なんという……」
アイリアは胸を痛めた様子で、心配そうな顔をする。
俺は笑顔で手を振った。
「その後、立派に復興したよ。あの街を見ただろう? 俺も戦争が終わって何十年も経ってから生まれた人間だ」
俺は紅茶を一口飲み、話を続ける。
「それはともかく規格化がうまくいかなかったので、ずいぶん苦労したらしいんだ」
陸軍と海軍で燃料のオクタン価が違うとか。
同じ口径の銃に弾が入らないとか。
詳しいことは知らないが、いろいろ聞いたことがある。
戦後もVHSとベータで揉めたり、ブルーレイとHDDVDで揉めたり。
俺はそんなことを考えつつ、アイリアに説明する。
「軍隊は兵站や訓練までを含む、巨大なシステム……えー、例えて言えばひとつの装置のようなものだな。集団で運用される兵士の装備は、いずれ規格化が必要になると思う」
「なるほど。確かに槍の長さひとつにしても、そろっていたほうが戦術家も鍛冶師も楽になりますね」
規格化もそうだが、俺もこの世界ではシステムについて考えることが多い。
結局のところ、既存のシステムや新しく作るシステムに組み込めない技術は使い道がないからだ。
だから前世の知識にしても、こちらの世界で必要とされているものしか提供できない。
もともとそんなに専門知識がある訳じゃないけどな。
アイリアとは毎日そんな話をして、今後のミラルディア発展の方向性について相談をしているところだ。
あとついでに、前世での愚痴をちょっと聞いてもらったりしている。
秘密を共有できる人がいるというのは、やっぱりいいものだ。
フリーデンリヒター様が亡くなってからは、こんな話ができる相手もいなかったからな。
ところでこちらの世界には、規格化以前の重要分野がひとつある。
魔法だ。
そもそも単位系が存在していない。
工学で例えたら「この部品の直径は三センチぴったり、重さは十グラム以内でお願いします」と発注しようにも、その「センチ」も「グラム」もない状態だ。
こんなので研究が進むはずがない。
由々しき事態だが、長らくほったらかしになっていた。
翌日、俺はそんなことを考えながら、ふと計画を思い立った。
単位を作ろう。魔法の源となる魔力の単位を。
魔力の単位を作ることで報告書や研究論文も作りやすくなるし、魔術師同士や魔法の武器同士の比較も可能になる。
これは魔法を職人芸から学問へと導く、最初のステップになる。
「ということでカイト」
「はい」
「今後はお前の魔力を『一カイト』という単位にしようと思う」
「ちょっと待ってくださいよ!」
カイトは慌てているが、こいつは生きた物差しだ。
「お前は探知魔法で、正確な測定ができる。そしてお前自身の魔力は安定して平均的で、基準としては申し分ない」
「そうかもしれませんけど!」
血圧や体温と同じで、生体が持つ魔力って微妙に変動するからな。その点、カイトはかなり安定している。
俺はそのへんも含めてカイトに説明し、さらに続けた。
「今後、古王朝時代の遺物を調査する機会も増える。大きな魔力を扱う場合、『カイト』という単位で表記できれば報告書もわかりやすくなる」
勇者乱立時代のことをもっと調べて、惨禍が繰り返されないようにしないといけない。
ミラルディアの古王朝時代の文明は滅亡して、遺跡しか残っていないからな。
するとカイトの反応が落ち着いてきた。
「確かにそうですね……。元老院時代は上役がバ……いや魔法に詳しくなかったので、そこまで精密な報告は必要ありませんでしたけど」
「だろう? 今後は学問としても発展させていきたいし、そうなると単位は絶対に必要なんだ」
そして俺は本題を切り出す。
「ということで、お前には『一カイト』を定義する任務を命じる。ゴモヴィロア門下に正式に弟子入りし、リュッコたちと共同で研究しろ」
「大魔王様の!?」
「ああ、こういう基礎研究は重要だ。魔王軍が全面的に支援する。俺もできるだけ手伝う」
この研究は古典力学のような……そう、「古典魔力学」の礎として、歴史に残るだろう。
そしてその研究を命じたのは俺。これで俺も学問の分野で名を遺せるという訳だ。ふふふ。
あと勇者製造機を二個ブッ壊したのは、これでチャラにしてもらおう。
だがカイトは異変を感じ取ったらしく、険しい顔をしている。
「でもヴァイトさん、そうなると俺の業務は……?」
「そうだな。俺の副官なのは今まで通りだが、俺の補佐からはひとまず外す」
「いやですよ!?」
やっぱり?
でもダメだよ。
俺は彼を説得する。
「俺はお前の勤勉さと誠実さ、それにずば抜けた頭脳をよく知っている。お前は俺の副官なんかで終わる男じゃない」
「え? ええ?」
俺はカイトの両肩をつかみ、本心からの言葉をぶつけた。
「お前は歴史に名を遺す天才だ、カイト」
「俺がですか!?」
当たり前だろ。
カイトは目を白黒させている。
「でも俺、ヴァイトさんのお手伝いやってるほうが楽しいですし……」
「俺だってお前がいなくなると困る。だからズルズル先延ばしにしてきた」
調査能力だけでなく、こいつはマネジメント能力も凄まじい。おかげで俺は今、過去最大に多忙にも関わらず快適に仕事できている。
絶対に手放したくない。
だが、これほどの男を俺の補佐で終わらせてはいけない。もったいなさすぎる。彼が俺の部下になった頃から、ずっと気になっていたことだ。
彼は自分の優秀さがまるでわかっていないらしいので、俺はもう一度言う。
「お前がここで研究に身を投じれば、百年後、二百年後の魔術師……いや、全ての者が恩恵を享受できる。俺たちが死んだ後も、大勢の者を幸せにできるんだ」
お前が魔法界のニュートンになるんだよ。
今は魔法界の升だけど。
ニュートンはペストの大流行が原因で田舎に帰り、その暇な期間に多くの研究を成し遂げている。……らしいよ。よく知らないけど。
天才を雑用から解放し、研究のための時間と環境を与えることは、我々凡人にとって重要なことだ。
ということで俺は泣く泣く、彼を手放すことに決めたのだった。
もちろん彼自身は納得しないだろうが、今がんばって説得しているところだ。
「俺は魔力を定義したいんだ。何だかわからん力ではどうしようもない。この世界の謎を解き明かすためにも、魔力が何なのか正体をつかむ必要がある」
前世では確認されていなかった力、魔力。
こちらの世界で他の学問を発展させるためにも、魔力の正体は突き止めておかないといけないだろう。魔力は実験や測定の結果に影響を及ぼす。
「暫定的な単位を定めることは、その第一歩だ。俺は研究者としては二流だから、一流のお前に託す」
「俺が一流ですか!?」
「そうだ。お前の力が必要だ。俺たちの後に続く者のために、地味な副官として扉を開いてくれ」
明晰な頭脳と深遠な知識、倫理的で誠実な人柄。そして恐ろしい精度にまで研ぎ澄まされた探知魔法。
研究者になるために生まれてきたような男だ。
カイトはだいぶ迷っている様子だったが、とうとう最後にこう言った。
「わかりました。ヴァイトさんがそこまで言ってくれるのなら、俺も地味な副官としてがんばります!」
「ああ、頼むぞ」
俺はほっとしたが、カイトは俺を見て照れくさそうに笑う。
「でもヴァイトさん、俺が副官業務やめるからって他の人を副官にしないでくださいよ?」
「……わかった」
自分の仕事の管理ぐらい、自分でやらないとな。
※「未来への投資(下)魔王養成コース」の更新は8月29日(月)の予定です。