輝く夜に
310話
俺とアイリアは瓦礫の上に腰を下ろして、きらめきながら舞い落ちてくる魔力の粒子を見上げていた。
「これは、いつになったら終わるのでしょうか……」
「俺が聞きたいぐらいだ」
時折、遠くから人狼の遠吠えが聞こえる。
俺が先ほど命令して、彼らにはリューンハイトの外まで様子を見に行かせている。
みんなの遠吠えを聞いた限りでは、どうやら地平線の向こうまでキラキラしているらしい。
これはさすがにごまかせないな。
アイリアが俺を見てにっこり笑うたびに、舞い散る光は数と勢いを増す。彼女の感情と連動しているようだ。
「この魔力はリューンハイトを守ってくれているのですか?」
「そのようだ。こんな魔力の使い方は聞いたこともないが……いや、強化魔法に似ているような……」
この現象を「土地にかける強化魔法」と考えると、一応は納得できる。
範囲が広いから膨大な魔力が必要になるだろうが、アイリアが持っているのは膨大な魔力だから何の問題もない。
極めて論理的かつ魔術的だ。
そんなことを考えていると、アイリアが隙をみてじわじわと俺のほうに寄ってきた。
ぴったりくっついて座りたいらしい。
俺の視線に気付いたアイリアは、やや上目遣いに俺を見つめる。
「いけませんか?」
ちょっと恥ずかしいな。
でもダメではない。
「大丈夫だ。アイリアのそばにいると、俺も落ち着く」
正直な気持ちを告げると、顔が熱くなるのを感じる。今の俺はどんな顔をしているんだろう。
アイリアは嬉しそうに笑うと、いそいそとくっついてきた。
肩と肩が触れ合う。
やっぱり照れくさいな、これは。
「こうするのが長年の夢でした」
「長年というのは少しおおげさではないかな……?」
俺が窓から飛び込んできた日から、まだ三年と経っていない。
だがアイリアは照れたような笑みを浮かべた。
「『恋の一夜は千の月』と申しますので」
ミラルディアのことわざで、「恋して過ごす一晩は千ヶ月にも感じられる」という意味だ。
「なるほど」
俺は納得し、ふと前世の四字熟語を思い出す。
「そういえば確かに、『一日千秋』ともいうな」
アイリアが不思議そうな顔をする。
「イチジチュセンシューとはなんですか?」
噛んでるよ。
ミラルディアには「一日千秋」という単語はない。だから俺はそこだけは日本語で言った。
もちろんアイリアには何だかわからないだろう。
「一日が千の秋、つまり千年にも感じられるという意味だよ」
「なるほど、イチジチュセンシューですか」
噛んでるって。
「確かに一日を千年に感じるほうが、私の心情には近いかもしれませんね」
それっきりアイリアが何も尋ねてこないので、俺はもう少し付け加えた。
「ここではない、別の世界のことわざだ」
アイリアは俺をじっと見つめた後、やや遠慮がちに尋ねてくる。
「ヒコウキの飛ぶ世界ですか?」
「ああ」
彼女は俺を気遣って無理に尋ねてはこないが、好きな異性の秘められた部分には興味があるだろう。
だがアイリアはやはり遠慮がちだ。
「よろしいのですか?」
「この件が片づいたら話すと約束しただろう?」
俺はアイリアの心の中を全て見てしまった。
だったら俺もアイリアに心の中を全て見せなければ、フェアではない。
恋の駆け引きはアンフェアで構わないと聞くし、恋は戦争と同じだと聞いたこともある。
だが俺は今、アイリアに隠し事を何もしたくない気分だ。全て知った上で、俺を好きでいてほしい。
それに約束は守らないとな。
「ヴァイト殿? あの、お話しづらいことでしたら、無理にとは申しませんから」
「いや、大丈夫だ。……まず最初に変なことを聞くが、あなたは転生を信じるか?」
「ええ。私も輝陽教の信徒ですから、転生は信じています」
そうだよな、元老院との関係があったからな。
元老院はロルムンドからの亡命奴隷たちの子孫だから、全員が輝陽教徒だ。
輝陽教には転生の概念がある。
「俺は転生する前、つまり前世の記憶がある」
「前世の記憶……あの光景ですか?」
「ああ。しかも前世に魔族はいなかった。俺は人間だったんだよ。信じてくれるか?」
「信じます」
恋する乙女の真剣な表情に、俺は少し圧倒される。
アイリアはすぐに微笑み、こうも付け加えた。
「ヴァイト殿がどうして人間の心を理解なさるのか不思議でしたが、今ようやく納得できました」
確かに俺が元人間なら、人間の心理や価値観を理解できる人狼というのも納得がいくだろう。
さすがアイリア、聡明な人だ。
彼女はこう言ってくれる。
「でもそれでは、人狼としての人生は大変だったのではありませんか?」
「ああうん、大変だった……」
あいつらすぐ暴力に訴えるし、脳味噌まで筋肉だし。
だから俺もみんなを束ねるために、強くなり続けるしかなかった。
あと、先王様の威光を利用させてもらったりしたなあ。
ただし俺は魔族が割と好きだ。
「だが人狼は群れの仲間を大切にし、決して裏切らない。意外とみんな家庭的なんだ」
「そうですね。ファーン殿やウォッド殿をみていると、そんな気がします」
「面倒見がいいだろう? 人狼として群れの中にいると、とても居心地がいいんだよ」
だから俺は、人狼たちが安心して生きていけるように頑張ろうと思った。
「ただ、俺はやっぱり人狼にはなりきれない。中身は人間なんだよ。それもとても平和な国で暮らしていた、争い事に慣れていない人間なんだ」
そう言っても信じてもらえないだろうな。
なんせ俺は「四百人殺しの人狼」だ。
しかしアイリアは俺の予想に反して、真面目な表情でうなずいた。
「それもわかります。ヴァイト殿は戦士以外を殺すことは決してありませんし、戦意を持たぬ者を殺すこともありませんでしたから」
「甘すぎるか?」
「私の軍学教官だったら、落第点をつけていたでしょう。敵の身を案じて戦う指揮官など論外です」
やっぱり?
ちょっと落ち込んだ俺に、アイリアは照れくさそうに笑った。
「ですが私は、そんなあなただからこそ好きになったのですよ。途方もなく強いのに、争いを避けることばかり考えている。不思議で……そして安心できる御方ですから」
「そう言ってもらえると救われる」
不思議で安心、か。
ふとアイリアが尋ねてくる。
「ですがなぜ、誰にもその秘密を明かさなかったのですか?」
「明かす必要を感じなかったのだが……」
するとアイリアは恋する乙女の表情から、いつもの太守の表情に戻った。
「私が見たあの街は無数の巨塔が果てしなくそびえていて、ミラルディアのどの都市よりも発展していました」
「そうだな。俺のいた世界がミラルディアやワのような感じだったのは、二百年から五百年ぐらい前の話だ」
技術や文化は国ごと、あるいは分野ごとにかなりのばらつきがあるが、どちらにせよ近代化以前の世界だ。
ロルムンドあたりはそろそろ魔法技術を起点とした産業革命が起こりそうな気配なので、俺も気が気ではない。
それに対して、アイリアが疑問を口にした。
「そんなに進んだ世界の知識があるのなら、それを使えば魔王軍でももっといろいろできるのではありませんか?」
「いや、それがだな……」
俺よりずっと凄い人が先に来てて、数十年かけて地道に全部やってたんだよ。
ねえ先王様。
大変だったでしょうけど、絶対楽しかったですよね?
俺は先王様も転生者だったことや、それによって魔王軍が部分的に近代化していることも説明した。
これは最高機密だけど、アイリアも一応は魔王軍の将だからな。
「ということで俺は何にもできることがなかったから、地味な副官として先王様を支えようと思った」
「ヴァイト殿らしいです」
俺らしいって、どういう意味だろう。
よくわからないが、アイリアが嬉しそうなので俺はとりあえず微笑んでおくことにした。
アイリアが恐ろしくすんなりと俺の秘密を受け入れてくれたので、俺はほっとする。
異世界から転生してきたなんて話、普通は頭がおかしいとしか思われないだろうからな。
俺が前世で誰かから「俺は異世界のミラルディアという国から転生してきたんだ! 人狼だったんだよ!」と言われていたら、間違いなく病院に連れていく。
アイリアはふと、寂しげな表情になる。
「でもそうなると、ヴァイト殿にとって私などは未開の野蛮人なのでしょうね」
「え?」
「ヴァイト殿が今まで、恋愛に全く興味を示されなかったのも……」
「それは違う。絶対に違うぞ、アイリア」
俺は断固として否定する。
「どれだけ国が大きくなり、学問が発達したとしても、人の心というのはそうそう変わりはしない。俺は前世で、あなたのように心清らかで優しい人にはとうとう一度も巡り会えなかった」
いないはずはないのだが、あのときの俺には見つけられなかった。
心の余裕がなかったせいだろう。
「俺がアイリアに抱いている気持ちは恋だけではない。その土台には人としての尊敬、それに信頼がある」
人間として好きだから、女性としても好きになったのだと思う。
「だからアイリア、ええと……」
また言葉に詰まってしまった。
「つまり……」
俺は何が言いたいのだろう。俺にもだんだんわからなくなってきた。
困ってしまったので、俺は原点に立ち返る。
「あなたのことが好きだ。とてもな」
小学生か俺は。
こんな不器用な感情表現なのに、アイリアはますます嬉しそうな顔をする。
「ありがとうございます、ヴァイト殿。私もヴァイト殿のことが大好きですよ」
彼女は俺をじっと見つめた後、なぜか緊張した表情で視線を前に戻す。
それからこそっと、俺の肩に頭をもたれさせてきた。
さりげないふうにしていますけど、実はものすごく緊張していますね、アイリアさん。
だが、ものすごく緊張しているのは俺も同じだ。
俺とアイリアはそのまま、無言で夜空を見上げる。
ああ、そうか。
何も言わないほうが伝わるということもあるんだな。
※次回「大魔王モヴィちゃん(仮)」の更新は8月8日(月)の予定です。