魔狼王ヴァイト
306話
俺はいったん人間の姿に戻り、旧市街にある石造りの建物へと足を運ぶ。ここは表向きは評議会とは無関係の倉庫になっているが、極秘裏にアソンの秘宝が保管されている。
建物に近づくと、案の定フミノたち観星衆が姿を現した。
彼女たちはミラルディア人ではないから、魔王軍による避難命令も意味がない。
「ヴァイト殿、この危急の折にどのような御用件でしょうか」
巫女装束のフミノは、いつもと同じ穏やかな笑顔だ。
しかし彼女は先祖伝来の予知能力を持ち、殺傷能力の高い糸を張り巡らせて敵を始末する凄腕の忍者だ。
俺にも感知できないが、すでに周囲には攻撃用の糸が張り巡らされていると思ったほうがいい。
彼女の部下たちも三名いて、一見するとミラルディアの平民のような姿をしているが、全員が仕込み杖などの隠し武器で武装しているようだ。
俺は単刀直入に答える。
「アソンの秘宝を使わせてもらう」
「ですがヴァイト殿、それは協定違反ですよ……」
フミノは驚かなかったが、声からは戦意よりも困惑が感じられた。
「他に方法はないのですか、ヴァイト殿?」
フミノの言葉からは「どうか思い留まってほしい」という切実な気持ちが感じられる。
ここで俺と観星衆が戦っても、お互いに不幸になるだけだからな。
とはいえ、俺はもう決めたのだ。
「すまん、フミノ殿。今の俺はただの謀反人だ。申し開きの余地もない」
そう答えた瞬間、フミノの部下たちから恐怖と闘志の匂いを感じ取る。やるしかないか。
観星衆は手練れの忍者集団だが、それでも人間だ。
たかだか数人で人狼に勝てるほど強くはない。
そう思ったとき、フミノがふと苦笑した。
「ヴァイト殿と戦って止められると思うほど、私たちも愚かではありません。忍びは決して死なぬものです」
フミノが何かのハンドサインをすると、部下の三人は静かに物陰に消えた。匂いが遠ざかっていく。
どうやら戦わずに済んだようだ。
いや待て、相手は忍者だから油断はできないな。
しかしフミノはまるで戦意を見せず、俺に一礼した。
「勝ち目はございませんので、ここはやむを得ず退かせていただきます。ですが私にも役目がございますので、本国には報告させていただきますよ?」
「わかっている。協定違反については、何らかの形で償いはさせていただくつもりだ」
悪いのは俺だから補償はしたいが、そのときまで俺の地位が残っているかな……。
するとフミノはなぜか嬉しそうな顔をした。
「では、ヴァイト殿への個人的な貸しということで」
その言葉を残して、彼女はスッと物陰に消えた。
匂いが薄れて完全に消える。
どうも戦うためではなく、俺に貸しを作るためにわざわざ出てきたような気がするな。
個人的な貸しということは、罷免されても借りは残るということか……。まあしょうがない。
今はそんなことはどうでもいいので、俺は保管庫に向かう。
鉄扉と頑丈な石壁で防護された一室に、アソンの秘宝は安置されていた。
忍者といえば罠のひとつも仕掛けてきそうなものだが、俺に貸しを作るために出てきたのなら俺の妨害はしないだろう。
俺はアソンの秘宝を手にする。
ここに貯蔵されている魔力は莫大なものだ。圧縮され安全に封入されているが、解放の仕方を間違えれば大惨事になる。
そういえばこれをどうやってアイリアに与えるのか、考えてなかったな。
アイリアは魔術師ではないし、そもそも肉体を敵に乗っ取られている。
アソンの秘宝を渡して解決するとも思えない。
となると、あれしかないか。
俺は自分が魔力の容器になることを決意した。
理論上、俺はこの魔力を全部吸い込むことができる。師匠からもらった力があるからな。
とはいえ、これは広大な土地から魔力を吸い上げまくった代物だ。油田を丸呑みするようなもんだぞ。
魔術師としては微かに恐怖してしまう。
しかし他に方法はない。それに迷っている時間もない。
「やるか」
自分を励まして、俺は鈍く輝く杯を手にする。
そして杯に満たされている魔力を、一気に飲み干した。
その瞬間、視界がスゥッと暗くなる。
「うっ!?」
頭が割れるように痛い。動悸が激しくなり、平衡感覚が失われる。
人狼として生きてきて、これほど体調がおかしくなったことは一度もない。
立っていられなくなり、俺は石畳に両手を突く。正確に言えば、とっさに手を出したら石畳だった。
息ができない。冷や汗が出る。
意識が遠くなり、このまま死ぬのではないかという不安がよぎる。
冗談じゃない。ここで死んだらただのバカだ。
そのとき俺は、入門した直後の師匠とのやりとりを思い出した。
『魔力は体で蓄え、頭で操り、口から出すものなんじゃよ』
『よくわからないんですけど……』
『魔力はおぬしの血肉にみなぎっておる。それをどう動かすかはおぬしの想像力ひとつじゃ。発動においては詠唱がその一助となろう』
『なんとなくわかりました』
『今のでわかるもんかの』
肉体は問題ない。人狼の体は強大な魔力に耐えられる。
頭は……そう、想像力だ。
白兵戦でも「パンチの引きを速くするよう意識すると、突きも速くなる」とか、「蹴るときは軸足の指で床をつかむつもりでいると安定する」とか、イメージが役に立つ。
魔法も同じで、想像力次第で魔力の流れは劇的に変わる。
思い浮かべるのは「渦」だ。
この世界の人間は水や雲の渦しか見たことがないが、俺は前世でいろんな渦を見た。ほとんどがCGだが、あれならイメージしやすい。
俺の中で「光の粒子で構成される渦」のイメージが完成した瞬間、痛みがスッと消える。
荒れ狂っていた魔力の奔流が緩やかに螺旋を描き、俺の中に吸い込まれていく。衝撃で体がビリビリ震えた。
後は口、つまり発声だ。これも運動や格闘で体を使うときと同じ。
だったら叫べばいい。
俺はいつものように、全力で雄叫びをあげた。
ふと気づいたら、俺が立っている場所は更地だった。
二階建ての大きな建物が、完全な瓦礫と化している。その瓦礫も吹き飛んで、俺の周囲には円形の更地ができていた。
住民みんな避難しているから死傷者は出ていないだろうが、これはひどい。
「なんだこれ……俺がやったのか?」
魔力を制御するために思いっきり叫んだ結果、俺は超特大のソウルシェイカーをぶっ放してしまったらしい。
手に持っていたアソンの秘宝は、魔力が空っぽになっている。
それどころか、内部の魔術紋……つまり回路とプログラムを兼ねた紋様まで綺麗さっぱり消滅していた。フレームも人狼の握力でぐしゃぐしゃに潰れている。
「人狼斬り」に続いてまたしても歴史的な遺産を破壊してしまったので、俺はたぶん後世の魔術師たちから野蛮人扱いされるだろう。
だがその代償として、俺には今途方もない規模の魔力が備わっている。
普段の俺の魔力を一ヴァイトとすると、ざっと数万ヴァイトはありそうな感じだ。
これならどんな強力な魔法を使っても全く疲弊しないだろうし、攻撃用に射出すれば地形を変えられるだろう。
なるほど、これが勇者や魔王たちの世界か。
世界が歪む訳だ。
もっともこの力で暴れたところで、アイリアを救出はできない。
こいつをアイリアに渡さないとな。
彼女が勇者になった後のことは、後で考えることにしよう。
アイリアの行方はカイトと人狼隊が監視しているが、地上には出てきていない。
俺は追跡を開始する。
無人となった旧市街を走る俺だが、異様なほど体が軽い。
普通に走っているつもりなのに、地面を蹴るたびに景色が凄い勢いで後ろに流れていく。
着地や方向転換をするだけで、石畳や地面が大きくえぐれる。ガラス窓の近くを走ると風圧で割れる。
緊急時だというのに、頭の中で「今の修理費用は銀貨八十枚ぐらいで、発注は石工組合を通して、財源は俺の給料から天引きで……」などと反射的に考えてしまう。書類仕事のしすぎだ。
たぶん俺は、勇者にも魔王にも向いていない。
だが今はアイリアの救出が最優先だ。無人の街だし、瓦礫に変えてしまっても構わない。補償は……後で考える。
俺はアイリアが消えた地点から地下道に進入し、速度を落とさずに暗闇を駆け抜ける。
敵は隠蔽能力に長けた魔法の道具だが、アイリアの居場所までは隠せない。
彼女の香水の匂いが、暗闇の中で輝く糸のように俺を導いていた。
俺は人狼としての能力を最大限に発揮して、彼女を追う。
魔力によって俺の五感も体力も強化されていて、真っ暗闇なのにちゃんと景色が見える。不思議な感覚だ。
下水溝の横の点検通路なので、匂いはかなり色々混ざっている。
下水といってもここには糞尿や生ゴミは流れていないのだが、衣服を洗った水でも人狼には邪魔な匂いだ。人間の匂いがするからな。
しかし俺の嗅覚はアイリアの微かな香水の匂いをしっかり捉えていた。
匂いが次第に濃くなる。
とうとう俺がアイリアを発見したとき、彼女は通路の片隅に座り込んでいた。どこで調達したのか、小さなランプを手にしている。
微かな炎に照らされている彼女を見て、ほっとする俺。大丈夫だ、彼女はまだ生きている。
だがアイリアの手には、ドラウライトの秘宝が握られていた。
「またしても邪魔をするつもりか、人狼よ」
ゆらりと立ち上がったアイリア。その声は、ぞっとするほど冷たかった。秘宝がアイリアを操っているのだ。
俺は怒りを静かに抑えながら、ドラウライトの秘宝に笑いかける。
「邪魔をしているのはお前だ。いい子にしていないと、悪い狼に食べられるぞ?」
双方の魔力が戦闘用に練り上げられる。
次の瞬間、俺とアイリアはほぼ同時に攻撃を繰り出した。
※次回「追憶の迷宮(前編)」の更新は7月29日(金)です。




