「十七都市の反撃」
301話「十七都市の反撃」
ミラルディア北部の上空では、魔王ゴモヴィロアがふわふわ浮きながらじっと下界を見下ろしていた。
「根のごとく、己が支配を伸ばしてきておるのう」
死霊術師である彼女には、ボルツ鉱山方面から伸びる無数の「根」が見えていた。
魔力のネットワークを構築し、その土地を霊的に支配するためのものだ。
支配された土地で発生した死者は、「根」の主の忠実な僕となる。
これほどの規模でネットワークを構築するには莫大な魔力が必要となり、通常では不可能だ。
並の死霊術師なら卒倒する光景だが、ゴモヴィロアは首を振って溜息をついた。
「これはいかんのう……。初歩の初歩から間違っておる」
彼女は杖をちょちょいと振り、眼下に広がりつつある「根」に干渉する。
「力を得たは良いが、使い方を知らんのはもったいない。もっと研鑽せねば」
戦うというよりはまるで答案の添削でもしているような口振りで、ゴモヴィロアは眼下の「根」を片っ端から排除していく。
「魔力の浪費、術の無駄打ち。霊的支配の手順は間違いだらけで、おまけに霊の扱いが雑ときておる。全くなっておらん」
彼女が「根」の要所要所を切断すると、そこから先の「根」は自然消滅していく。
ゴモヴィロアは反対に北部全域に巨大な防壁を展開し、「根」の侵入を完全に遮断してしまった。
「魔力の量が桁違いでちと緊張したが、これならわしの自慢の弟子たちのほうがよっぽど手強いのう」
なぜか得意げにフフンと胸を張り、笑みを浮かべるゴモヴィロア。
しかし彼女はふと心配そうな顔をして、南の方角を見つめる。
「しっかりやるのじゃよ。基本さえ守っておれば、おぬしらが負けるような相手ではないからの」
同時刻、南西部の古都ベルネハイネンでは、太守の吸血美女メレーネが叫んでいた。
「みんな、よく聞きなさい!」
彼女の前にいるのは親衛隊の吸血騎士と、ゴモヴィロア門下で学んだ吸血死霊術師たちだ。
「ベルネハイネンは今、骸骨兵に包囲されているわ。でもそれは表面的な事象、魔術師なら惑わされてはダメよ。骸骨兵は騎士たちに任せておきなさい」
死霊術師ゴモヴィロアの一番弟子であるメレーネには、今の状況がよくわかっている。
「敵はミラルディア全土を霊的に支配し、人間たちを滅ぼすつもりよ。でもそうなったら、私たち吸血鬼もおしまいね」
全員がうなずく。
人間が滅んでしまえば、吸血鬼は生きていけない。
「幸い、ここには先生の下で学んだ死霊術師たちが大勢いるわ。総力を挙げてベルネハイネンの霊的優勢を回復し、敵の侵攻を食い止めなさい」
「はっ、メレーネ様!」
配下の吸血鬼たちは全員、メレーネに血を吸われて誕生した「子供たち」だ。
病気や負傷で命を失いかけていた者や、社会的に人間として生きていけなくなった者たち。
みんな、メレーネに救われて吸血鬼としての人生を得た者たちだ。
全員がメレーネを慕っており、命を投げ出すことも厭わない猛者ばかりだった。
メレーネは吸血騎士たちにも命じる。
「骸骨兵を食い止めるのは、あなたたちの仕事よ。吸血鬼の肉体はそう簡単には滅びないわ。自信と誇りを持ちなさい」
「ははっ! お任せを!」
不気味な甲冑に身を包んだ騎士たちが、剣を捧げ持つ。
彼らの怪力と不死身に近い生命力は、それだけで恐るべき戦力となる。
メレーネは配下の士気を見て取り、穏やかに微笑んだ。
「私たちはもう、空も飛べないし変身することもできない。弱い弱い吸血鬼よ。でも弱くなったおかげで、こんな昼間でも戦うことができるわ」
長所を失うことで短所を克服した彼らは、人間たちの吸血鬼狩りを生き延びることができた。
メレーネは続ける。
「そして先祖譲りの怪力と生命力、そして死霊術の適性は健在よ。あなたたちの日頃の研鑽、私に見せてちょうだい」
「ははっ!」
持ち場に駆けていく配下たちを笑顔で見送り、メレーネは塔の上から骸骨兵の軍勢を見下ろす。
「どこの誰だか知らないけど、力に酔ってるのがありありとわかるわ。いいえ、溺れてるわね」
本当はどうだかメレーネにはわからないのだが、彼女はそう自分に言い聞かせる。
「でもこんな力じゃ、私は驚かないわよ。もっと凄い連中と一緒に、もっともっと凄い師の下で勉強してきたんだから」
メレーネの脳裏にパーカーやヴァイトの顔が浮かぶ。
メレーネはドレスを翻すと、裾がめくれるのも気にせずに仁王立ちになって印を結んだ。
「私は死霊術師としては先生に遠く及ばないし、パーカーにも……まあ、ちょっとだけ勝てない、かな?」
本当はパーカーの実力が師匠に比肩しうるものだということはわかっているが、彼の実力を認めるのは何だか面白くない。
メレーネは複雑な印を結んで魔力を高めながら、こう叫ぶ。
「でもね、積み重ねた努力なら、絶対に誰にも負けないんだから!」
大賢者ゴモヴィロアに師事すること数十年。人生の全てを死霊術の研究に捧げてきた吸血美女は、舞うような仕草で魔力を開放する。
「どこの誰だか知らないけど、こっちは背負ってるものが違うのよ! 吸血鬼の未来を閉ざす者には容赦しないわ!」
メレーネが印を結ぶたびにひとつ、またひとつと、市内から敵の呪縛が消えていく。メレーネが霊的な結界を作り、敵の魔力を退けているのだ。
それに呼応するように、市内の各地に小さな結界が生じた。他の吸血死霊術師たちが、それぞれの持ち場で結界を作っているようだ。
それらはメレーネのものよりずっと小さいが、徐々にベルネハイネン全域を覆っていく。
「さあ、この調子で市外に打って出るわよ! パーカーより先にボルツ鉱山までの道を切り開くんだから!」
その言葉が聞こえたかのように、吸血鬼たちが生み出す結界はますます広がっていった。
その頃、魔都リューンハイトの片隅ではパーカーが首を傾げていた。
「誰か僕の悪口を言ってるような気がするけど……ヴァイトかな?」
パーカーは視線を戻し、それから花束を墓碑に供えた。
目の前の墓碑には、かつてこの街を攻めて全滅したトゥバーン兵四百人が祀られている。
リューンハイトの霊的支配権は、既にパーカーによって奪還されている。彼にとっては魔都全域を霊的に支配下に置くことなど、大した手間ではなかった。
「で、どこまで話したっけ? ああそうそう、トゥバーンの今の様子だね」
パーカーはまるでそこに誰かがいるかのように、親しげな口調で語りかける。
「そんな訳でトゥバーンは今、フィルニールが真面目に治めているよ。もちろん平和なものさ。あの子には指導者の資質があるし、いつだって一生懸命だからね」
パーカーは墓碑を撫で、穏やかに続ける。
「さて諸君、まだ戦いたいんじゃないかな? 最後の戦が大義なき負け戦じゃ、戦士として不満だろう?」
周囲に霊の気配が満ちてくる。
それを感じながら、パーカーはそっと告げた。
「実は僕も君たちと同じ、南部の者だよ。これでも一応、ちゃんとした身分はあるんだ」
そしてパーカーは周囲に生者が誰もいないことを確認して、懐から銀の指輪を取り出した。今はもう使われていない紋章が、鈍く輝いている。
指輪をそっと撫でて、パーカーは名乗る。
「僕の名はパーカー。パーカー・パスティエ。今はもう滅びた街の、太守の家系さ。家督は弟に継いでもらったから、太守を表すミドルネームはないけどね」
声もなく霊がざわめく。
その名を知る者はそう多くないだろうが、それだけにパーカーが嘘をついていないことは霊にもわかるらしい。
パーカーは楽しげに続ける。
「どうだい、このようやく平和になったミラルディアを僕と一緒に守らないかい? もしその気があるのなら、僕が君たちに力を分け与えてあげよう。もう一度、戦う力をね」
答えはすぐに返ってきた。
空間が歪み、武装した骸骨たちがゆっくりと現れる。トゥバーンの市章をつけた兵士たちだ。
総勢およそ四百体。ここに祀られているほぼ全ての死者が、パーカーに忠誠を誓ったことになる。
二割も支配できれば上出来とされる死霊術の常識では、およそ考えられない成功率だ。
それを見たパーカーは頭を掻いた。
「なるほど、この霊に対する真摯な姿勢がゴモヴィロア流の真髄か。僕も存命中に先生と出会えていれば……まあでも、やってみるもんだね」
パーカーはつぶやきながら立ち上がると、整列した骸骨兵たちに会釈した。
「ではさっそく、ミラルディアを守る戦いに赴こう。他の死者にも声をかけて、にぎやかに行こうか」
骸骨兵が掲げる、色褪せたトゥバーン衛兵隊の軍旗。それが季節の変化を告げる風に翻る。
ロルムンド兵やリューンハイト衛兵、さらにはリューンハイト市民の霊も従えたパーカーは、城門前に立つ。
彼は弟弟子たちが聞いたこともないような威厳ある声で、こう命じた。
「これより魔都防衛、ならびにミラルディア全土の霊的秩序回復のための戦闘を開始する。開門せよ! 出撃!」
その頃、北部の各都市でも続々と兵士が反撃を開始していた。
「魔王陛下直々の御説明によれば、もはや骸骨兵は魔力の供給もなく、指揮する者もいない状態とのこと!」
「さらに戦死者を奪われるおそれもなくなった! 今こそ反撃の時だ!」
「今度こそ街を守れ! 敵を駆逐せよ!」
城塞都市ウォーンガングの城門が開き、重装歩兵たちの隊列が亡者の大群を切り裂いていく。
「聖堂騎士団、これより聖地安寧のため出陣いたします」
聖印を盾に刻んだ騎士たちに、宗教都市イオロ・ランゲの長オベニウスはうなずいた。
「ミラルディアに住まう全ての者のため、横暴なる者を打ち倒しなさい」
「ははっ!」
一斉に掲げられた槍の穂先が、雲の晴れ間を貫いた。
南部の工芸都市ヴィエラでも、太守フォルネが訓辞を垂れている。
「いいこと? ヴィエラ儀仗兵はお飾りの兵じゃないわ。実戦でも精強無比なのは、あんたたちを選んだ私が一番よく知っているの。だから頭の固い連中に、ここを虚飾の都だなんて言わせないようにね」
「敬愛するフォルネ様、どうか我らにお任せを」
「ヴィエラ儀仗隊の暴虐ぶり、後世の語りぐさとしてみせましょう」
きらびやかな鎧をまとった屈強な若者たちが笑う。
そして北部の農業都市バッヘン。かつて魔王軍第二師団に占領され、大きな損害を受けた街だ。城壁もあちこち損壊している。
そのバッヘンの頼りない城壁を囲むようにして、土嚢を積んだ陣地が構築されていた。
土嚢を挟んで骸骨兵たちと戦っているのは、竜人の兵士たちだ。
「瀕死になった兵は、ただちに首を落としなさい! まだ息があってもです! 死ねば敵になりますよ!」
真紅の鱗を持つ竜人の美女騎士シューレは、サーベルを掲げて兵に命じた。
「このままバッヘンを防衛するのです! 彼らは今や我らの味方、魔王軍の誇りにかけてここを死守しなさい!」
バッヘンからの応援はない。
過去に巨人族や鬼族の襲撃を受けた彼らは、全ての魔族に対して強い警戒心を抱いている。
それを知っているシューレは配下の竜人兵だけで、この簡易陣地を守っていた。
徹底した防御戦闘で被害は最小限に食い止めているが、やはり戦死者は出ている。
倒れた者はすぐにゾンビ化するので、後方に控えた竜人兵たちが先手を打って斧などで首を落として始末する。
竜人たちは常に冷静なのでこれでも統制を失うことはないが、人間が見れば陰惨な地獄絵図だろう。
しかし先ほどから、味方の戦死者がゾンビ化しなくなっていた。
骸骨兵たちの侵攻も目に見えて鈍くなっている。骸骨兵が戦闘を忘れたかのように棒立ちになる光景が確認できた。勝手に崩れ落ちて動かなくなる骸骨もいる。
「どうやらゴモヴィロア陛下がこの地を浄化されたようですね」
シューレは今を好機と判断し、配下に命じる。
「反撃を開始します。敵の数を減らし……」
そのとき、シューレはバッヘンの城門が開くのを見た。
その少し前、バッヘンの衛兵たちは焦っていた。
「俺たちの街を魔族が守っている。これでいいのか?」
「魔族がどうなろうが知ったことか。あいつらのせいで、この街がどれほど破壊されたか忘れたのか?」
「いや、それだよ。俺たちはあのとき街を守りきれず、今度も防衛を他人任せにしているんだぞ」
「それは……まあそうだが」
一度も街を防衛できていないという事実に、彼らは打ちひしがれる。
そこにバッヘン太守コクトーが現れた。剣と鎧で武装している。
もう決して若くはない太守が実戦用の重甲冑を着ていることに、衛兵たちが驚く。
「太守様、その出で立ちは……」
すると太守コクトーは毅然とした態度で、こう言った。
「私は出撃し、魔王軍と共に戦う。このまま魔王軍に街を守らせていては、何のための衛兵、何のための太守だと市民に嘆かれよう」
衛兵たちは慌てた。
「危険です! 外は骸骨兵だらけですよ!」
「ではその危険な場所で、この街を守っているのは誰だ? 栄光あるバッヘン衛兵隊か?」
「それは……」
「私とて魔族は嫌いだ。あのとき竜人はいなかったにせよ、魔王軍がバッヘンに侵攻した事実を許すつもりはない。だがな」
コクトーは溜息をつく。
「このままでは、次の評議会で私が笑いものになるぞ。勇敢なる百戦錬磨の衛兵隊を指揮下に置きながら、魔王軍に都市防衛を丸投げした無能としてな」
「しかしコクトー様……」
するとコクトーは微笑んだ。
「誰にも強制はせん。私の名誉のためだ、私一人で行く。戦死したとしても、この街のために戦った太守として死ねるのなら本望だ」
「落ち着いてください! 太守が単騎で出陣して戦死など、愚行の極みですよ!?」
衛兵たちが叫ぶがコクトーは剣の鞘を払い、抜き身を手にして歩き出す。
その背中に断固とした決意を見た衛兵たちは、とうとう覚悟を決めた。
「ええいくそ、もうやるしかねえな」
「魔族のためじゃない、太守様のためだ」
「それと我らがバッヘンのためだな」
まだ魔族へのわだかまりは残っているが、彼らは武器を携えて太守の後を追いかけたのだった。
その後、バッヘン衛兵隊と魔王軍竜人部隊の共闘により、バッヘン周辺の骸骨兵は一掃された。
こうして各地の衛兵隊や評議会直属の騎士団、あるいは傭兵隊などが動き出す。
都市周辺の敵を一掃した部隊はそれぞれ、ボルツ鉱山へと進軍を開始した。
※次回「鉱山決戦(仮)」の更新は7月18日(月)の予定ですが、執筆スケジュールの都合で延期になる可能性があります。大変申し訳ありませんが御了承ください。