東方からの凱旋
293話
ワの国の多聞院と、ミラルディア連邦評議会の間に「南静海同盟」が成立した。我らが魔人公アイリアの功績だ。
正式な調印式に来いと言われた俺は、にぎやかしのつもりで多聞院に顔を出す。
行ってみたら、俺が調印することになっていた。
「なぜ俺が」
「いえ、あなたは魔王陛下の副官でしょう?」
アイリアが不思議そうな顔をして、俺に筆を押しつけてくる。
「それはそうかもしれないが、これは評議会の管轄だろう?」
「ですから、評議員にして魔王陛下の副官であるヴァイト殿が代表者なのです。それに交渉の下準備を全て整えてくれたのは、ヴァイト殿ですから」
俺は礼服を着せられ、多聞院のトキタカと調印文書にサインをする。
いいのかな、俺は同盟の内容をあまり見てないぞ?
ちらりとアイリアを見ると、彼女は何度も力強くうなずいて「さっさとサインしてください」というアピールをしていた。
わかったよ、わかったから。
毛筆は慣れてないし、前世でも書道は苦手だったんだよな……。
ともあれ、こうしてミラルディアとワの国は同盟国になった。何かあれば互いに助け合う間柄だ。
「今後ともよろしくお願いします、ヴァイト殿」
トキタカが一礼したので、俺も頭を下げる。
「共に助け合い、発展していきましょう、トキタカ殿」
「はい」
こうして俺たちはミラルディアに帰ることになったが、帰途はかなりの大所帯になった。
元はといえば南岸の太守たち、つまり海賊都市ベルーザのガーシュと、漁業都市ロッツォのペトーレ爺さんのせいだ。
同盟がうまくいけば自分たちの街がますます発展するので、ここぞとばかりに人員を送り込んできたのだ。
おかげで帰りの船は、魔王軍関係者だらけになっている。
さらに船を狭くしているのが、フミノたち多聞院関係者だった。
アソンの秘宝は、ワの国父であるアソンが見つけたものだ。それに強大な力を持っている。
当然、ミラルディアが持っていってそれでおしまい、ということにはならない。
秘宝の共同管理のため、ミラルディアに人員を常駐させることが協定に盛り込まれた。
フミノが俺の視線に気づいたのか、船上で俺に近づいてきた。
「これからよろしくお願いします、ヴァイト殿」
「こちらこそよろしく。……あれだ、秘宝の管理に専念していただけると信じている」
「はい、心得ました」
にっこり笑うフミノ。
多聞院め、機関諜報員をミラルディアに常駐させるつもりだな。
公的な身分を持つ者を他国に置けば、そこから貴重な情報が入ってくる。やらない理由がない。
まあそれで俺たちが困ることもないだろうし、別にいいだろう。
こちらも交易商や外交官を通じて、ワの国内事情は常にチェックし続ける予定だ。
「フミノ殿、住まいはリューンハイトでよろしいか?」
「はい。あと、ロッツォとベルーザにも連絡担当者を置かせていただけますか?」
「ちゃっかりしているな、貴殿は」
「はい、それはもう」
にこにこ笑うフミノに、俺は苦笑するしかなかった。
ときどき喧嘩するかもしれないけど、彼らとも仲良くやっていこう。
こうして俺たちはアソンの秘宝を携え、無事に漁業都市ロッツォの港に帰ってきた。
だがなぜか、岸壁が人だらけだ。
「ヴァイト様おかえりなさい!」
「評議会に祝福あれ!」
「ヌエ退治の英雄だ!」
「アイリア様かっこいいー!」
「交易ばんざーい!」
「きゃーっ、ウォーロイ様ー!」
なんだなんだ。
横断幕や旗が潮風になびき、楽団が太鼓や笛でマーチを演奏している。
「アイリア殿、あれは?」
するとアイリアも目を凝らしてじっと港を見ていたが、ふと困ったように笑った。
「ペトーレ殿の思惑でしょう。今回の結果を大々的に宣伝して、交易の活性化につなげたいのではないでしょうか?」
「なるほど」
交易は儲かるからなあ。
それから俺たちはロッツォ市主催の歓迎式典やらパレードやらに引っ張り出され、邪悪な笑みを浮かべて上機嫌のペトーレ爺さんに何度も握手をされた。
「これでまた街が豊かになるわい。しっかり還元するからの、もっと儲けさせてくれ」
「信じていいんだろうな?」
嘘をついてる匂いはしないけど、あんた基本的に信用できないんだよ。
金持ち都市ロッツォだけあって、街をあげての歓迎は凄かった。俺たちは花束や振る舞い酒の猛攻に遭い、かろうじてホテルに逃げ込む。
外はもうメチャクチャなお祝いムードで、屋台では貝や魚を焼きながらみんな酔っぱらっている。
それだけ、ワとの交易に期待しているんだろうな。
期待されると胃の辺りが重くなってくるから、あんまり期待しないで欲しいんだけど……。
リューンハイトに帰還すると、ここでもまた大歓迎を受けた。
こちらはアイリアの手配だ。
「前回は歓迎の準備ができませんでしたから、今回は入念に準備してもらいました」
「そんなことしなくていいだろう?」
「何を言っているんですか」
アイリアは急にまじめな顔になり、俺に顔を近づけてくる。
「ヴァイト殿は北方のロルムンド、東方のワとの関係を取り持ってくださった、ミラルディアの大恩人なのですよ? そして魔王陛下の副官である貴殿が陛下のお膝元である魔都で大歓迎されなければ、リューンハイト人の人間性を疑われてしまいます」
「そういうものかな……」
「はい」
いつになく、きっぱりと断言してうなずくアイリアだった。
さすがに魔都リューンハイトの歓迎ぶりは凄かった。
なんせ魔王軍がいる。犬人や竜人、それに他の魔族たちも総出で俺たちを出迎えてくれていた。
魔王軍の軍旗やリューンハイトの旗などが翻り、家々の窓という窓が開いて市民が歓呼の声で俺たちを出迎えている。
アイリアが笑顔で手を振りながら、俺を振り返った。
「ロルムンドからお帰りになったときにも、これぐらい歓迎したかったのですよ」
「だからといって、今やられても困る」
今回はちょっとした出張なんだぞ。
「まさかアイリア殿、今後も毎回こんな歓迎を?」
「ええまあ、一応は。ヴァイト殿の地位や毎回の功績を考えれば、これぐらいは必要ですから」
帰りづらくなっちゃうじゃないか。
もしかして、こうやって俺をリューンハイトの外に出さない作戦なのか?
いや、まさかな。
「ヴァイト副官および魔人公閣下に敬礼!」
竜人たちの騎士団の最前列で号令をかけているのは、竜人族の英雄・蒼騎士バルツェだ。
リューンハイト衛兵隊や、駐屯しているベルーザ陸戦隊も総出で出迎えてくれていた。
俺はまじめな顔でうなずき、敬礼で返す。
俺だってみんなから喜ばれるのは嬉しいし、褒めてもらえるのも好きだ。充実感はある。
しかし正直なところ、「こんなに持ち上げられて、今後ちゃんとやっていけるんだろうか」という不安もかなり強い。
これもう、失敗が許されるような雰囲気じゃなくなってるぞ。
だんだん怖くなってきた。
「やれやれだ」
翌日、俺は久しぶりに帰ってきた執務室で、イスに腰掛けながら窓の外を眺める。
敵兵も怪物もいない、穏やかな景色だ。
ミラルディアの北と東については、これで問題は解決した。
西は大樹海だし、南は海だ。今のところは何も問題は起きていない。
やっとウォーロイのお目付役から解放されたカイトが、執務室に書類を運んでくる。意外と少ない。二十件ぐらいか。
「ヴァイトさん、急ぎの書類だけより分けて持ってきました。午後までに全部お願いします」
「わかった」
「午後からはこの三倍ぐらいありますので、昼食はここに運ばせます」
「……わかった」
溜め込んでいた俺が悪いとはいえ、他に誰か決裁しといてくれなかったのか。
魔王軍に対する市民からの要望や苦情、魔王軍の軍制や戦術に関する研究報告、どれも放置できないものばかりだ。
でも市民の苦情処理は俺の管轄なのか?
「こういうのは苦情係を新設して、そっちでやってくれないか?」
「市民からの嘆願書ですか? ヴァイトさんが取りなしてくれれば、市民も納得しますからね。他の魔族だとちょっと無理です」
そうかもしれないけど。
「魔王陛下は暇してるんだろう? やらせとけばいいじゃないか」
軽い気持ちで言ったら、カイトに真顔でたしなめられてしまう。
「なんてこというんです、こういうのは副官の仕事ですよ」
「だったらお前も副官の仕事……してるな」
「はい、全力で補佐しますよ。事務方も得意ですし」
なんか不公平だ。
そうこうしている間にもクルツェ技官長やアイリアが相談に来るので、俺は急いで書類をチェックしてしまうことにした。
人狼の力も強化魔法の力も、書類整理にはほとんど役に立たない。
本当の戦いはこれからだ。
「なあカイト、お前も決定権を持つ何かの役職に就かないか?」
だがカイトは澄まし顔で首を横に振った。
「俺はヴァイトさんの副官ですから、これ以上は無理ですよ。お茶淹れますから、書類お願いします」
一人だけ副官ライフをエンジョイしやがって、ずるいぞ。
俺は諦めて書類を手にする。
種族ごとに文字の書き癖がぜんぜん違うので、どうも読みづらい。
「この世界がペーパーレスになるのは、いつなんだろうな……」
「なんか言いました?」
「なんでもない」
もう外交や軍事で俺の出番はなさそうだし、何か起きるまではおとなしくしておこう。
ここで書類仕事をしてれば何の不自由もなく生活していけるし、俺は平凡で地味な副官に戻るんだ。パレードされるのも嫌だから、出張も最小限にする。
そう決意して、俺は書類との戦いを続けることにした。
※次回「ただの副官」の更新は6月29日(水)の予定です。