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狼と猫

286話



 俺は多聞院を出て、近くの料亭でアイリアと話をする。真新しい畳の良い香りがする、上品な奥座敷だ。

「ワの国との交渉については、送った報告書を見てくれたか?」

「はい。どうやら危険はなさそうですから、ここは誠意を示すためにも人間の評議員を送ろうということになりまして」

 箸の使い方がまだよくわからないのか、ぎこちない握り方をしているアイリア。



 普段は何でもそつなくこなす才女だから、和食の作法に苦労しているのはなんだか新鮮だな。

「アイリア殿、箸はこう持て」

「こう、ですか?」

 聡明なアイリアは、箸でつまむ原理をすぐに見抜いた。綺麗な持ち方だ。

 ただ、まだ指が使い方を覚えていない。



「あっ?」

 すぐに持ち方が崩れてしまうので、俺は彼女の手を取って握らせる。

「こうだな」

 アイリアの手はひんやりとしていて、それに意外と小さかった。

 とっさに自分が取った行動に俺自身がドキッとしたが、知らん顔して箸の持ち方をレクチャーする。

「アイリア殿ならすぐに慣れよう。心配しなくてもいい」

「は……はい」

 アイリアはうつむいてしまった。

 ちょっと失礼なことをしてしまったかな。



 その後、俺とアイリアは評議員同士として細かい打ち合わせをする。

 といっても、やることはいつもと同じだ。

「権限の大きな外交官が不足していたところだ。アイリア殿は多聞院との交渉を進めてくれ。細かい条件を詰めていきたい」

「それはわかりましたが、ヴァイト殿はどうなさるのですか?」

 アイリアが箸先をぷるぷる震わせながら、ぎこちなく豆腐をつまんでいる。



「もちろん俺は外回りだ。元気だけが取り柄だからな」

「元気……あっ!?」

 アイリアが俺の顔を見た瞬間、豆腐がぷるんと元の器に戻っていった。

 俺は外交や政治について、何も教育を受けていない素人だ。

 こういうのは専門家、つまり本物の貴族に任せたほうがいい。



 アイリアは冷や奴に苦戦しつつも、また豆腐をつまんでぷるぷる震わせながら、俺を見る。

「猫人たちとの交渉をなさるおつもりですか?」

「そうだな。周辺の人間とトラブルになっているみたいだし、ちょっと事情を聞いてみるぐらいはしよう。家畜の盗難程度だから、何とかなるはずだ」

 師匠から聞いた話では、猫人はそんなに危険な魔族ではない。

 ワの人々は猫人を妖怪変化の類と恐れているらしいが、実際は犬人同様の小柄で無害な獣人だ。



「怖がらせるといけないから、俺と……そうだな、ジェリク隊だけで行ってこよう。ウォッド隊とモンザ隊は、貴殿の護衛に回す」

 モンザは同性だから気安いだろうし、ウォッド爺さんは百戦錬磨のベテランだからな。

 あの二人に任せておけば、アイリアに万が一のこともないはずだ。

 でも早めに戻ってこよう。



 そう思って都の北西にある乾燥地帯にやってきた俺だったのだが、早速途方に暮れていた。

 この辺りはワの国の人々が作ってきた魔術的な結界の境界線にあたる。

 緩衝地帯といえなくもないが、「あ、ここで効果が切れてるな」とわかるほどに風景が激変してしまう。



 猫人たちが目撃されているのは、古王朝時代の廃墟だ。ワの国ができる前、砂漠から逃れてきた人々が暮らしていた街でもある。

 周辺の土壌が痩せてしまって放棄され、千年ほど前から人間は住んでいない。

「見慣れない建築様式ですね、隊長」

「古王朝時代の様式らしいな」

 ジェリク隊の分隊員で、大工の息子のゲオルという人狼が周囲を見回している。ジェリクのバディだ。



 ここの建築物は家屋も城門も、曲面を多用した丸みのあるデザインだ。俺の美的感覚だと率直に言ってダサいが、同時に妙な安心感もある。

 古王朝時代の建築様式には色々あるが、これはかなり独特だな。

 色々気になったが、今日は遺跡の調査に来た訳ではない。



 つるんとした建物群のあちこちに、直立した猫たちの姿が見える。いや、実際には全員寝転がっていて誰一人として直立していないので、本当に直立しているかはわからない。

 ともかく、あれが猫人らしい。

 しかし見張りもいなければ、働いているヤツもいないな。

 共同体としてどうなんだ。



 俺は崩れた城壁の隙間から、ジェリク隊と共に廃墟に足を踏み入れた。

 雑草だらけの石畳のあちこちに、やっぱり猫人たちがゴロゴロしている。働かずに生きていけるような世界じゃないんだが、食料確保とかの日々の生産活動はどうしてるんだろうか。

「すまない、ワの国の使いでやってきた、ミラルディアの人狼だ。長にお会いしたい」

 俺が古王朝時代の言葉でそう言うと、猫人たちが一斉にこちらを見る。

 そしてまた寝た。

 取り次ぐ気もないらしい。



 すると近くの石段に寝そべっていた鯖虎模様の猫人が、めんどくさそうに声をかけてきた。

「長はいないよ、お客人。……だニャ」

 今、無理矢理「ニャ」ってつけなかったか?

 俺は次第に強くなる不安をぐっと抑えつつ、麦わら帽を被った鯖虎模様の猫人に声をかける。



「長がいないのなら、誰か顔役のような方に取り次いでもらえないか?」

「ああ、別にいいよ。えーと……そう、ネリミが今の世話役だね。……だニャ」

 なんでそうまでして無理矢理語尾に「ニャ」をつけるんだ。

「ネリミというのは?」

「ほら、あそこ……に、いないか。いないみたいだなあ。……ニャ」

 だから「ニャ」はいい。



 鯖虎猫人はそのままうとうと居眠りを始めてしまったので、俺は「ネリミ」を探して集落中を歩き回った。

 ようやくネリミという猫人は見つかったが、その白い猫人は心底意外そうにこう言った。

「いや、今の世話役はイズシですよ? その鯖虎模様のヤツ」

 どういうことだよ。



 慌てて戻った俺に、イズシという名の鯖虎猫人は顔を洗いながら悪びれもせずに言う。

「そういえば、まだ申し送りしてなかった……ニャ」

「ニャはいいから」

「道理でみんな、僕の意見ばっかり聞いてくると思ったよ……ニャ」

 世話役は持ち回り制で、飽きてきたら次のヤツに投げていいらしいが、こいつは次のネリミにそれを頼むのを忘れていたようだ。

 大丈夫なのか、こいつら。



 竜人のように規律正しい魔族や、犬人のように従順で元気な魔族に慣れている俺としては、猫人のペースに戸惑うばかりだ。

「改めて、俺は人狼のヴァイトだ。こっちは俺の仲間たちで同じ人狼だが、言葉が通じない」

「わかったよ、ニャ」

「ニャはいいんだ、ニャは」

「いやあ、アソン様が『人間にはそう言っておくとウケがいいぞ』って言ってたらしいからねえ。ニャ」



「俺は人狼だ。……いや待て、アソンといったな?」

「ああ、人間のアソン様だよ。ニャ」

「ニャはつけなくてもいいから、ちょっと説明してくれないか?」

 こいつから話を聞き出すのは結構大変だったが、どうやら初代転移者のアソンは、ワの都から姿を消した後、猫人たちと交流を持っていたようだ。

 理由はわからないが、今でも猫人たちから崇められているらしい。



 俺はそのことをジェリクたちに伝えるが、ジェリクは渋い顔をした。

「ほらまた、大将の悪い癖が始まった」

「待てよ、悪い癖ってなんだ?」

「面白そうな謎を見つけると、そっちに夢中になっちまう癖だよ。それで毎回、よけいなことに首を突っ込んで苦労してるだろ?」

 そうかな?

 そうかもしれない。



 確かに今は、猫人と人間のトラブルを解決するのが先だ。

 初めて会う種族から神世人に関する新しい情報が入ったので、本来の仕事を忘れそうになっていた。

 持つべきものは友だな。

「ああ、まあ、そうだな……。以後は気をつける、と思う」

 ジェリク隊四人全員が顔を見合わせ、肩をすくめてみせた。

 気をつけるってば。



 俺はイズシに、今回の用件について説明する。

「近隣の街から、家畜を奪っていくのをやめて欲しい。人間にも生活があるし、人間たちは猫人に何も悪いことはしてないだろう?」

「えっ!? ちょっと待ってくれよ!?」

 語尾に「ニャ」をつけるのも忘れて、イズシがびっくりしたように毛を逆立てた。



「僕たちは家畜なんか盗まないよ!? アソン様の残した秘宝があるんだから!」

「秘宝?」

「あっ!?」

 イズシは慌てて口を塞ぎ、ころんと寝転がって猫のふりをしてみせた。

「にゃーん?」

 続きを聞かせてもらおうか。

 抵抗は無意味だ。


※次回「英雄の器」の更新は6月13日(月)の予定です。

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