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神世の書

276話



「多聞院の歴史については、どれぐらいご存じですか?」

 フミノが廊下を歩きながら質問してきたので、俺は正直に答える。

「何も知らない。ミラルディアは歴史の浅い国だし、国を長年支配していた元老院が滅んでしまったからな」

 ワの国への陸路は風紋砂漠で隔てられ、海路は元老院と仲の悪いロッツォとベルーザが掌握している。

 元老院としてはおもしろくないので、ワの国との交流はほとんどなかった。



「魔王軍にしても、西の大樹海から出てきて日が浅い。わかっていることといえば、多聞院の間者が優秀なことぐらいだよ」

「そ、その話はもう結構にございます」

 フミノが赤くなるのが見ていておもしろい。

 彼女はコホンと咳払いをすると、歩きながら説明を始めた。



「えー、では国の成り立ちから……。ワの国の西に広がる風紋砂漠は、かつては豊かな平原でした。その頃はミラルディアと一続きの国だったと聞き及んでおります」

「ほほう」

 古王朝時代の生き残りである師匠も、なんかそんなことを言っていたな。

 もっとも師匠は西の出身だから、あまり詳しくはなかった。



「しかし何らかの理由で、急に砂漠が広がり始めたのです。我々の先祖は飢えて数を減らしながらも東へ移住を繰り返し、ここにワの国を築きました」

「なるほど」

 古王朝の子孫たちが転生者と何らかの接点を得て作り上げた国が、このワの国のようだ。



 見た感じ、ワの国には日本文化が深く根づいている。

 転生者が関わってるとすれば、相当昔からになるだろう。

「ワの建国はいつ頃かな?」

「千年ほど前と伝えられております」

 というと、日本は平安時代か。

 多聞院の評定衆が平安朝の衣装を着ているのも、それで納得がいった。



 ワの国は千年前の建国当初から転生者と関わりがあった。だから平安時代の貴族の服装が礼装になっている。

 そして街並みが江戸時代に近いということは、江戸時代の転生者も存在していたということになる。

 ということは、ワの国には定期的に転生者が現れるのだろうか。

 じゃあなぜ、俺や先王様は国外で生まれたんだろう。

 わからない。



 俺が黙ってしまったので、フミノは少し心配したようだ。

「ヴァイト殿、いかがなされました?」

「ああいや、とても歴史的に興味深いと思ったのだよ。素晴らしい国だな」

「恐れ入ります」

 にっこり笑うフミノ。



 彼女は俺を案内して、廊下の奥にある部屋の木戸を開けた。

「実はこちらの間に、とても貴重な品が保管されております。ぜひ御覧くださいませ」

 何だろう?

 少し警戒しながらも、俺は部屋に入る。



 見たところ、ただの和室だ。普段は使われていないらしく、畳の良い香りが漂っている。

「フミノ殿?」

 俺が振り返ると、フミノは「あれ?」という顔をして壁を手で示した。

「あの、あちらです。額ですよ」



 壁に大きな額が掛かっていて、墨で何か書かれている。

 俺はしばらくそれをじっと見つめたが、溜息をつくしかなかった。

「読めないんだが……」

「えっ? あの……あれ?」

 フミノは本気で不思議がっている。



 一応、ある程度は察しがつく。縦書きで何行も記されているこれは、おそらくは日本語の筆書だ。似たようなものは前世でも何度も見た。

 ただ問題は、書かれている文字が流麗すぎて俺には読めないことだ。

 ところどころ漢字は拾えるのだが、ひらがなになるともう全くわからない。

 だから俺は、もう一度溜息をつく。

「すまん。全くわからん」



 フミノはしばらく固まっていたが、きょろきょろ周囲を見回してから、そっと俺に訊ねる。

「本当に、おわかりになりませんか?」

「本当に、わからんのだ」

 しばらく無言の時間が流れる。



 たぶんフミノは俺が転生者なら、これを読めるはずだと期待していたのだろう。

「フミノ殿、もしかしてこれは重要なものなのか? 解読が必要なら、ミラルディアから考古学者たちを呼び寄せてもいいが」

「あ、いえ、確かに重要なものではありますが……」

 フミノがすっかり困ってしまっている。

 もしかして解読して欲しかったのだろうか。



 フミノはしばらく眉間にしわを寄せて悩んでいたが、やがて綺麗さっぱり忘れたように笑顔を浮かべた。

「二百年ほど前の書です。多聞院の長が遺されたもので、大変に価値があると聞いております。ただ、私にも読めません」

「なるほど」



 フミノはアテが外れたようだが、俺はまたひとつ重要な情報をつかんでいた。

 この書を遺したのは、間違いなく昔の日本人だ。

 それが二百年前に多聞院の長をしていたとなれば、やはり転生者がこの国を作ってきたことになる。

 二百年前なら江戸時代だ。転生者の前世はそれより前になるから、仮に三百年前の人物だったとしても、やっぱり江戸時代になる。

 西暦一六〇〇年ちょうどが関ヶ原だから、そのへんだと計算しやすい。



「しかし全く読めんな……」

 せめて署名部分だけでも読めないかと思ったが、さっぱり読めなかった。

 これを遺したのが歴史上の人物とは限らないし、当時と今では呼び名が違うことも多い。

「で、何と書いてあるのかな?」

「え、あー……それはですね」

 フミノはコホンと咳払いをして、こう答える。



「この国の今後の方針についてです。交易路を整備して人の動きを作れとか、関所や通行税は廃止せよとか」

「ふむふむ」

「他にも、味方の裏切りほど恐ろしいものはないので、部下を篤く遇し常に安堵せしめよとか、聖職者は武装させるなとか」

「ほうほう」

「布のように軍事力を敷き、国内を治めよとも書かれています」

「うんうん」

 だいたい想像がついたが、一応確認しておこう。



「して、この方の名は?」

「オダ様にございます」

「そうか」

 俺は内心で溜息をつく。

 書の内容はなんとなく織田信長っぽいが、二百年前だと時代が違うな。彼は十六世紀の人物だ。別人だろう。

 もちろん時間の流れが前世と今世で違うという可能性もあるが、どうにも偽者臭さが漂う。わざとらしい。



 ただ、気になる点もある。二百年前だと江戸時代になるが、当時の織田信長の評価は低かったはずだ。

 どうせ偽者なら、江戸幕府を築いた徳川家康か、上方で崇拝されていた豊臣秀吉あたりを名乗るのが自然だろう。だが、さすがにちょっと遠慮したのだろうか。

 あるいはこれを書いた転生者は、織田家の関係者だったのかな?

 転生者の正体というのは、考え始めると結構気になってくる。フミノたちの気持ちがちょっとわかった気がした。



 だが多聞院の真意が不明な以上、俺が転生者だと名乗る理由はない。

 一番考えられそうで厄介なのが、「転生者としてワに協力してくれ」とお願いされることだ。歴代の転生者はワの国の発展に尽力してきたようだし、多聞院としてはそれを期待するだろう。

 だが残念ながら、俺はそれに応じられない。俺はミラルディア連邦の評議員で、魔王軍の幹部だ。

 これ以上ややこしい立場を増やしたくない。



 フミノはまだ難しい顔をして悩んでいる。

「そうですか……ヴァイト殿ほどの御方なら、きっと読めるのではと思っていたのですが」

「申し訳ない。俺は荒事しかできぬ無教養な軍人だ」

「いっ、いえ、そのようなことは決して! ヴァイト殿は文武両道の俊英、まことの豪傑にございます!」

 慌てるフミノがなんだかおもしろいが、ちょっと気の毒なのでからかうのはやめておこう。



 今の俺は、魔王軍とミラルディア連邦の両方で管理職をしている。そういった立場の者が「実は異世界から転生してきた」などと公式発言しようものなら、周囲が不安がるだろう。

 もし前世で軍や政府の高官がそんな発言をしたらどうなるか、考えてみればすぐわかる。

 こちらの世界でも転生は科学的に証明されていないから、そのへんは前世と変わらない。



 それはそれとして、この書は信長本人のものではない。

 だいたい信長本人が転生してきたら、ワの国がこんなもので済むはずがない。ミラルディア全土がワの支配下に置かれているはずだ。

 あるいはまた謀反を起こされて死ぬか。

 どちらにせよ、ワの現状を見るかぎりでは別人としか思えなかった。

 ちょっとがっかりだな。



 たぶんフミノはこれを見せれば、俺が驚いて尻尾を出すのではないかと期待したのだろう。

 実際、この書が読めていたら軽く動揺したかもしれない。

 でも幸い、俺には読めなかったので助かった。

 少し情けないが、知らないというのは時には強いことでもある。

 ということにしておこう。



「ところでフミノ殿、他に歴史的なものはあるかな? 見せられるだけ見せて頂きたいのだが」

「あ、はい。承知いたしました。こちらにどうぞ」

 俺は部屋を退出する前に、ちらりと額を見返す。

 あれを書いた人の真意だけは、ちょっと気になるな。


※次回「多聞院談義」の更新は5月20日(金)です。

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