米評定
275話
翌日、俺たちは多聞院の評定衆全員と対面していた。
全員が狩衣姿の男性で、総勢二十人ほど。担当分野がそれぞれ決まっており、普段は数人で小会議を行っているらしい。
今日は俺の話を聞くために、全員が集まってくれている。
俺は挨拶もそこそこに、さっそく「なんで米の種籾が欲しいのか」ということを説明し始めた。
「我がミラルディアでは小麦が主要な穀物ですが、小麦は米ほど収穫が期待できません」
これは先王様からの受け売りだ。たぶんこっちの世界でも似たようなものだろう。
評定衆は俺の話に興味を持ったようで、熱心にうなずきながら続きを待っている。
俺は少し緊張しながらも説明を続けた。
「米は温暖な気候と豊富な水、それに多くの人手が必要になりますが、同じ面積で麦や雑穀よりも多くの人口を養うことができます」
ミラルディアの場合、米の栽培なら南部が圧倒的に有利だ。
元老院からの冷遇で人口を抑制されてきた南部だが、米の栽培で豊かになればそれもいずれは変わってくるだろう。
そして麦などと違い、米栽培は資材や労力を投入した場合の効率が非常に良い。手間をかければかけたぶんだけ、収穫が増えるのだ。
この世界の農業技術はまだまだ発展途上なので、米は将来性の高い作物といえる。
「そして米は加工性や保存性でも優れています。小麦は粉にしなければ食べられませんが、米は脱穀するだけで食べられます」
収穫した穀物を全部製粉し、ふるい分けるというのは、我々が思っているよりもずっと面倒臭い作業だ。
米は保存性も高く、そして精白や調理も比較的簡単だ。
評定衆は自分たちの主要穀物を褒められて、ちょっと嬉しそうだ。
「なるほど、かような差違があるとは……あまり考えてもみませんでしたな」
「日頃何気なく食している米が、何やら急に誇らしくなってきました」
そうだろうそうだろう。
あなた方の心の内側は、手に取るようにわかるぞ。
だが理由はこれだけではない。
これは極秘だが、稲は様々な突然変異が起きやすく、しかもそれを取り出して固定するのが簡単だ。……と、先王様が言っておられた。
つまり品種改良が容易なのだ。
冷害や動物の食害に強い赤米の遺伝子など、役立ちそうなものは多数ある。
うまくいけば、ミラルディア北部でも十分な収穫が期待できるだろう。その頃には南部と北部の格差も解消されているといいな。
栽培や品種改良の具体的な方法は先王様の書き残した技術書があるので、これを参考にさせてもらう。
弾道学から稲作まで、先王様は本当に何でも詳しい。
俺もこれぐらいいろいろ詳しければもっと活躍できるんだが、どうにも見劣りする。
俺だって転生者なんだから、もう少しがんばらないとダメだな。
ちなみに小麦も非常に優れた穀物だが、土壌や気候の好みが違う。ひとつの穀物に頼ると凶作で大打撃を受けるが、米と小麦の両方を栽培していればリスクを低く抑えられる。
だから土地に合わせてどちらかを選べるようにすれば、ミラルディアの食料生産は格段に安定するだろう。
そのことについても俺は熱く語った。
評定衆は何度もうなずき、そして互いに目配せする。こういう無言のアイコンタクトが多いのも、どこか日本人的だ。
ミラルディア人には理解できないだろうが、もちろん俺には雰囲気がわかる。これはなかなか好感触だな。
そのうち評定衆の一人が、代表して口を開いた。
「農政を担当しておりますイナダ家の者です。ヴァイト殿のお話、まことに興味深く拝聴させて頂きました」
「恐縮です」
半分以上は先王様からの受け売りです。
しかしイナダと名乗った評定衆は、感心した口調で続ける。
「実に素晴らしい。よく研究されておいでです。ヴァイト殿も農政を担当されているのですか?」
「いえ。ただの副官、魔王軍と評議会に在籍する一介の武官にございます」
俺の専門は軍事と外交ということになっている、らしい。
どちらも素人同然なので、毎日が冷や汗の連続だ。
するとイナダはさらにうなずく。
「武人であらせられながら、農事へのこれほど深い理解をお持ちとは。感服いたしました」
お世辞だとはわかっているが、それでも褒められると嬉しい。
イナダは他の評定衆と目配せしてから、俺に告げる。
「ミラルディアの国情と方針については理解いたしました。有償でよろしければ、種籾をお譲りいたしましょう。栽培方法についても余すところなくお伝えいたします」
「ありがとうございます」
たぶんかなりふっかけてくるはずだから、交換条件などをうまく使って値切り交渉を頑張らないとな。
ワの国でも麦作はしているので、俺は麦栽培の技術や種子の提供などを持ちかける予定だ。雑穀についても相談しよう。
雑穀というとイメージは悪いが、米や麦が栽培しづらい気候や土壌でも、雑穀ならうまくいくことがある。好む性質が違うからだ。栄養も豊富で食品としても優れている。
ワの国は砂漠と海に囲まれて国土が狭いが、穀物の種類が増えれば耕作可能地が増える。
悪い取引ではないだろう。
とりあえず一番大事な交渉がまとまったので、交易や技術交換についての相談も行う。
一例を挙げると、ワの国は造船技術を欲していた。国防や海運に必要な重要技術だ。だがどうやら、あまり詳しくはないようだ。
一方、南静海を渡ってきたミラルディア南部民は、優れた造船技術や航海術を有している。軍事的優位を失わない程度なら、技術協力してもいい。
ナギエにミラルディア人街、ロッツォにワ人街を作ることも議題になる。これはいったん持ち帰って相談だな。
他にもいろいろと話は進み、俺たちは昼食も忘れて様々な交渉をまとめた。
もちろん正式な交渉や調印はまだ先だが、「こんなことしてみたいんだけど」「いいね、やろうか!」という話ができたのはありがたい。
そのうち膳が運ばれてきて、俺たちは遅い昼食を共にする。
「ヴァイト殿、本日はお疲れさまでした。せっかくですから、食後に多聞院の中を御案内いたしましょう。フミノ、任せたぞ」
トキタカが言うと、フミノが会釈する。
「はい、仰せのままに。ヴァイト殿、それでよろしいですか?」
「もちろん」
ここは異邦人が勝手に歩き回れる場所ではない。見せてくれるというのなら、もちろん全部見せてもらおう。
そのとき評定衆の一人が、ふと首を傾げた。
「ヴァイト殿は箸の使い方がお上手ですな」
「ん? ああ、恐縮です」
俺は笑ってみせたが、内心で冷や汗をかいていた。
俺は今、膳に添えられていた箸を使っている。うっかりしていた。
ミラルディア人である俺に配慮してスプーンも添えられていたのに、箸で茶碗飯をかきこんでしまった。
言い訳しておかないとまずいな。
俺は鯖の味噌煮をつまむのを中断し、軽く頭を下げる。
「ワの国を訪問する以上、会食で失礼のないように多少の作法は身につけております。いささか不安でしたが、お褒めにあずかり恐悦至極ですな」
我ながらよくこんなにペラペラと取り繕えるものだと思う。
評定衆たちは顔を見合わせたが、すぐに笑顔で応じてくれた。
「これはこれは、何から何まで我らに配慮いただき、まことにかたじけのうございます」
「ヴァイト殿は一騎当千の武人にして、当代随一の文化人ですね」
当たり障りのないお世辞が雨のように降り注ぐ。
ひとまずはごまかせたようだ。
でもなんとなく、怪しまれている気がする。
俺は大急ぎで鯖の味噌煮を食べ、味噌汁とカブの漬け物で白米を平らげると、ゆっくり立ち上がった。
人狼の体には淡泊すぎて少し物足りないが、それでもやはり懐かしい味だった。
「さて、では少し多聞院を見学させていただきましょう。失礼いたします。ささ、フミノ殿」
「あ、はい。ではこちらに」
俺は内心びくつきながらも、笑顔で部屋を退出したのだった。
※参考文献『おいしい穀物の科学』『「育つ土」を作る家庭菜園の科学』(いずれも講談社ブルーバックス刊)他
※次回「神世の書」の更新は5月18日(水)です。