汝は何者なりや?
271話
俺は人狼に変身したまま、ペンを机に戻す。
密書は古王朝時代の言葉で記されていた。ワの国の公用語だが、魔術師の俺には容易に読み取れる。
密書の内容は公開情報ばかりだが、よく調べて裏付けを取っているようだ。
ネットもテレビもない世界だから、前世とは情報の重みが違う。
評議会に気づかれないようにこれだけ調べるのは、かなりの労力と慎重さを要する。
幸い、本物の勇者アーシェスのことや、魔王軍の黒色火薬、それに開発中の魔撃銃のことなどは記されていない。これらは機密情報だ。
魔王軍や評議会の内部では、しっかりと秘密は守られているようだ。「知る必要のない者には教えない」という方針が守られているからだろう。
もっともフミノが密書に書いていないだけで、本当は情報を得ている可能性もある。
当面は監視が必要だな。
それに草がいるというのは予想外だった。
そういえば工芸都市ヴィエラには、和風の弦楽器を扱う楽士や職人たちがいる。あの中に紛れ込んでいるのかもしれないな。
あるいは和紙を扱う業者か。絹織物の業者も怪しい。
太守のフォルネに相談しておこう。
俺は「草」という表記に気づいていないふりをして、フミノを見下ろした。
「間者は間者、ということか」
「はい」
微かに震えながらも、フミノは俺を見上げている。
「ですが、なぜこの書状を書いているとお気づきになったのですか?」
「気づかれないとでも思っていたのかね。当然、監視はしている」
俺は牙を剥いて笑う。
ここは漁業都市ロッツォの高級ホテルだ。
実はここ、太守ペトーレが謀略に用いる場所でもある。壁の一部が薄くなっていて、隣室から盗聴できるようになっている。
今回はモンザたち人狼隊女性陣が待機していて、フミノが何か書き始めたようなので俺に連絡してくれた。
それだけだ。
俺は笑うのをやめて、フミノに顔を近づける。
「さて今度は俺が質問する番だ、ミホシ・フミノ。『神世人』とは何かな?」
返事はない。
フミノは俺を見つめたまま無言だが、微かに震えていた。
俺は人狼の姿のまま、彼女を軽く威嚇する。
「答える気はない、ということか」
フミノはビクッと震えたが、やはり質問には答えなかった。
「も、申し上げる気はございません」
「答えぬ気ならば、聞く方法はいくらでもある。貴殿を殺して死霊術にて魂を引きずり出し、問いただすこともできる」
やるつもりはもちろんないが、パーカーなら技術的には可能だ。
特に殺すだけなら、一秒とかからない。
フミノは真っ青になっていたが、それでも答えようとはしなかった。
「か……覚悟はできております。私は決して口を割りませんので、どのようにでもなさってくださいませ」
「ずいぶんと覚悟が良いのだな。だが素直に話せば、お互い何事もなく平穏に済ませられるのだぞ?」
どうせ敵に情報が渡ってしまうのなら、素直に白状してしまうほうがいいと思うんだが。
するとフミノは俺を見上げ、きっぱりと言った。
「ワの国、多聞院の手の者は、殺されようとも口を割らぬ。そう思って頂けるのでしたら、命果てる甲斐もございましょう。私の後に続く者たちへの助けとなります」
彼女からは、嘘をついている匂いがしない。完全に本気だった。
見た目は巫女でやっていることは忍者だが、彼女の中身は侍だな。
「見上げた覚悟だ。尊敬に値するな」
前世の俺だったら、人狼に詰問されたら即座に全部白状していただろう。その点、やはりプロフェッショナルは違う。
「もちろん貴殿を殺す気などない。話す気がないのであれば、いずれ話す気がなるまで待つとしよう。その書状も国元に送るといい」
俺がそう言うと、フミノは不思議そうな顔をする。
「送ってもよろしいのですか?」
「構わんよ」
送るところを監視して、誰に密書を預けるか確認しておきたい。
密書に記されているのは、公開されている、あるいは公開予定の情報がほとんどだ。別にいいだろう。
それに「神世人」というのは、転生者かそれに類する存在のことだろうと推測できる。
無理に聞き出す必要はない。
俺は人狼化を解いて人間の姿に戻り、フミノに告げる。
「貴殿は俺が何者か探っているようだが、答えには決してたどりつけないだろう」
「なぜ、そう断言できるのですか?」
俺は思わず苦笑する。
「俺にも自分が何者なのか、わからないからだよ」
「それはいったい……?」
困惑するフミノだが、俺も困惑しているところだ。
俺はときどき、自分が何者なのかわからなくなる。
体は人狼。だが心は人間。
魔族の戦闘集団である魔王軍に所属し、人間の指導者集団である評議会にも所属している。
生まれたときからミラルディア領で生活しているが、身に染み着いているのは日本の文化だ。
人間か人狼か、武官か文官か、日本かミラルディアか。
今までずっと「魔王の副官」としての判断を優先してきたが、心の奥底に迷いは常にあった。
アイリアとの出会い、ユヒト司祭の陰謀、勇者アーシェスとの対決、皇女エレオラとの死闘、ドニエスク家との抗争。
どれも難しい判断を迫られ続けた。
何とか切り抜けられているが、それは運が良かっただけで、決して「功績」などではない。
特にボリシェヴィキ公のときはギリギリの判断だった。
一番重要な「魔王の副官」としては、魔族への協力者の助命は当然の判断だ。ロルムンドの魔族も保護できたしな。
しかし「皇女エレオラの協力者」としては、あまり理想的は判断とはいえないだろう。エレオラが将来苦労するかもしれない。
「ミラルディア連邦評議員」としては、答え合わせはこれからだ。
そして一方で「日本人からの転生者」としては、流血が避けられてホッとしている。
出世するにつれて俺の立場は複雑になり、ただでさえややこしい出自を持つ俺は迷うことが増えてきていた。
このままではいつかきっと、判断を誤る日が来るだろう。
考え込むうちにだんだん混乱し、怖くもなってきた。
だから俺は笑ってごまかす。
「俺が何者なのか、わかったら教えてくれ。俺も興味がある」
「あっ、あの、ヴァイト殿?」
俺は彼女の声には応じず、背を向ける。
「寝所に押し入って済まなかった。今夜のところは失礼する」
こういうとき、先王様がいてくれたら相談できたのにな。
まったく困ったお方だ。勝手すぎますよ。
深い溜息をついてから、俺はフミノの部屋を後にした。
※次回「塩の追憶」の更新は5月9日(月)です。