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女帝エレオラ

261話



 ボリシェヴィキ公の反乱は何とか食い止めたものの、エレオラの地盤固めは結構大変だった。

 無節操にエレオラ派に鞍替えしてくる貴族はまだマシなほうで、頑として従わない連中も結構いたからだ。

 しかもそういうヤツほど有能だったり信頼できたりするので、俺は彼らを味方に引き込むために奔走しまくった。



 一方で反エレオラ派結集の動きもあり、それを潰すのにも多くの労力を割かなければならなかった。

 先祖代々のしがらみがあると、なかなか単純には解決しない。

「山荘を包囲したよ、隊長」

「よし突入しろ。相手は貴族たちだ、丁重にな」

「はぁい、んじゃ適当にぶっ飛ばしてくるね」

 モンザ隊は便利なんだけど、残虐すぎるのが欠点だな……。



 戴冠式の直前まで人狼隊や第二〇九魔撃大隊は帝都の闇を走り回る羽目になったが、おかげで何とか無事にその日を迎えることができた。

 貴族たちが集まる中、アシュレイ帝が厳かに宣言する。

「一冬の間に二度の反乱が起こり、多くの兵士が命を落としました。いずれも帝室の内紛に端を発するものであり、我が身の不徳を悔いてなりません」



 アシュレイ帝はそう言うと、自らの宝冠を脱ぐ。

「よってアシュレイ・ウォルトフ・シュヴェーリン・ロルムンドは、ここに退位を宣言いたします」

 まばらな拍手。

 求心力の低下は危険域に突入していたとはいえ、もうちょっと温かく見送ってあげればいいと思う。



 そこにエレオラが現れ、アシュレイの前に膝をつく。

 アシュレイは寂しそうに微笑みながら、彼女に告げた。

「エレオラ・カストニエフ・オリガニア・ロルムンド。あなたに帝位を授け、オリガニア朝を開くことを認めます」

 アシュレイは宝冠を彼女の頭にそっと載せた。



 エレオラは降り注ぐ陽光の中、静かに立ち上がる。

 そしてアシュレイに会釈した後、一同に向き直って宣言した。

「これよりエレオラ・カストニエフ・オリガニア・ロルムンドが、神聖ロルムンド帝国皇帝となる。異議ある者は申し出よ」

 もちろん異議など出るはずもなく、会場は万雷の拍手で沸き返る。

 掌返しもここまでくると清々しい。



 とはいえ、どんな反乱もあっさり鎮圧してしまう上に、ミラルディアとのパイプも太く、天才技術者でもあるエレオラだ。

 こつこつと内政で実績を積み重ねてきたアシュレイが気の毒だが、エレオラの「戦争に強い」というのは、この世界ではやはり大きい。

 敵に怯えなくて済むのなら、安心して仕事に励めるからな。



 そこにクシュマー枢機卿が杯を携えて登場した。

 戴冠式恒例、「渋杯の儀」だ。

「どうぞ、エレオラ陛下」

 クシュマー枢機卿が微笑みながら杯を差し出すと、エレオラも笑みを浮かべてそれを受け取った。

 渋い液体が注がれた杯を、彼女はくっと一息であおってみせた。



 エレオラは空の杯を掲げる。

「これしきの苦渋、アシュレイ殿や先人たちの味わってきた苦しみに比べればどうということはない。皆、私に力を貸してくれ。今一度、良い国を作ろう」

 美貌の女帝に、貴族たちも喝采を惜しまない。

「エレオラ陛下、万歳!」

「帝国に栄光を!」

「我らの女帝陛下!」

 うーん、清々しい。

 宮廷は魑魅魍魎の巣だな。



 戴冠式の後、新皇帝エレオラは先帝のアシュレイを自室に招いた。俺も彼女の副官として同席する。

 退位したアシュレイは、なぜかさっぱりとした表情だった。

「後のことは頼みました、エレオラ殿。いえ、エレオラ陛下」

「ええ。即位したからには、やれることは全てやろうと思います」

 エレオラはそう言って微笑み、それからふと首を傾げた。



「アシュレイ殿は、これからどうなさるおつもりですか?」

 皇帝が引責辞任で退位するケースは過去にもあったそうだが、だいたいは懲罰的なものだったらしい。僻地に領地を与えられ、流罪同然で追いやられることが多かったようだ。

 しかしエレオラにそんなつもりはないので、アシュレイの身の振り方は未定のままだ。



 するとアシュレイは俺のほうを見て、にっこり笑う。

「この国では、もはや私は必要とされていないでしょう。せっかくですから、ミラルディアに渡りたいと思います」

 俺は思わず口を開く。

「本気ですか、アシュレイ殿?」

「ええ、もちろん。ロルムンドとミラルディアの関係を良好に保つためにも、外交官の一人ぐらいは赴任していたほうが良いかと」

 確かにそうだが、それにしても思い切りのいい先帝様だ。



 アシュレイは俺を見て、意味ありげに笑っている。

「それにこの御仁が帰国されるのでしたら、誰かが見張っておかないと危ないでしょう?」

「どういう意味ですか……」

 俺がぼやくと、エレオラまで皮肉っぽく笑った。

「貴殿の悪企みは有名だからな」

 ひどい言われようだ。



「ときにヴァイト殿、ミラルディアの首都は、リューンハイトでよろしいのですか?」

「はい、魔王ゴモヴィロア陛下はリューンハイトにおられますので。それに実質的な最高権力者である魔人公アイリア殿も、リューンハイトの太守です」

 早く帰らないと魔人公との約束が果たせなくなるぞ。

 政治問題だ。



 アシュレイはリューンハイトに来て、ロルムンドとの外交問題を解決するのに尽力してくれるようだ。

「そうそうエレオラ陛下、つい先日ですが騎士百合の件をお聞きしました」

 北ロルムンドの農業問題か。

 アシュレイはにっこり笑うと、こう続ける。

「騎士百合は本来青い花ですが、赤くしたいときには土壌に灰を使います。詳細については後ほど、宮廷庭師のほうから説明があるでしょう」



 俺とエレオラは顔を見合わせる。

 灰を使うということは、土壌をアルカリ化すると騎士百合は赤くなるということらしい。やはりアジサイと同じか。

 どうやら本格的に、解決の糸口が見えてきたかもしれない。



 エレオラが不思議そうに口を開いた。

「アシュレイ殿、なぜそれを私に?」

「この技は古来より宮廷庭師たちの秘伝とされていますが、今の皇帝はエレオラ陛下ですからね。早くお伝えしようと思っていたのですが、機会がなくて……。これが皇帝としての最後の務めですね」

 ここのところお互い大変だったからなあ。



 アシュレイは立ち上がると、エレオラに穏やかな微笑みを向ける。

「この国の民はもはや私を必要としていませんが、私はこの国の民を大事に思っています。エレオラ陛下、どうか後をお願いします」

 エレオラはアシュレイをじっと見つめ、真顔でうなずいた。

「はい、一命にかえましても」



 アシュレイが退出した後、俺はエレオラと二人だけになった。

「ヴァイト殿」

「なんだ?」

「アシュレイ殿を頼む。彼の肩書は外交官だが、実質的にはミラルディアの人材だと思って活躍させてほしい。彼ほどの男を、このまま埋もれさせたくない」

 同感だな。

「それはありがたい。ではミラルディアで農業指導などをしていただくことにしよう。もちろん最高位の貴人として遇させていただく」

 ちょうど今、ミラルディアには開拓予定の場所があるからな。

 ウォーロイの驚く顔が目に浮かぶぞ。



 それからエレオラは机上の報告書を手に取った。

「ボリシェヴィキ公とディリエ皇女の行方はわからずじまいか。ミラルディア領には行ってないだろうな?」

「山脈越えは無理だろうし、クラウヘンに通じる坑道は厳重に警備されている。不可能だろう」

 さすがにあいつらに来てもらっても困る。

「それもそうだな。では北端の凍土地帯か、氷結海に逃げたか」

 北端は耕作不能の極寒の地だ。今はいいが、冬になれば恐ろしい場所になる。



 俺にも二人の行方はわからないが、もうあの二人に政治的・軍事的な力は残っていない。だから好きにさせておく。

 エレオラはふと苦笑した。

「貴殿は残酷だな」

「何がだ?」

「貴族にとって、領地と家臣は生きるために不可欠なものだ。名誉と爵位もな」

「ああ」

 一応なんとなく理解しているつもりではあるが、俺は平民出身なのでよくわからない。



 エレオラは少し同情するような口調で、こう続ける。

「ボリシェヴィキ公は全てを奪われて、最後に残っていた魔族の忠臣たちも取り上げられた。これを残酷と言わずして何と言おう?」

「俺は人ではないからな。無慈悲な魔族ゆえ、そのような仕打ちも平気でする。魔族の忠誠を得られたのは思わぬ僥倖であった」

 悪役っぽい笑顔を浮かべる俺。

 少数とはいえ、人狼と吸血鬼が配下に入ったのは大収穫だ。



 エレオラは紅茶を一口飲み、表情を緩める。

「死すべきときに死ねないのはつらいことだ。……もっともそのおかげで、私の場合は皇帝になれたのだがな」

「そうだな。生きていれば、そのうちいいこともあるものだ」

 俺は一度死んだけど、二度目の人生はいいことだらけだからな。

 充実してるし毎日が楽しい。それに気楽だ。

 エレオラはそんな俺の顔を見て、ちょっと苦笑した。

「また妙なことを考えているだろう?」

「そんなことはない」



 するとそのとき、式典の警備をしていた連中が戻ってくる。

「エレオラ様、ただいま戻りました!」

 びしっと一列に並んでいる中には、例の人狼三姉妹もいた。ぴかぴかの近衛兵制服を着ている。

 ロルムンドの人狼たちは、約束通りエレオラの配下になっている。

 とはいえ年寄り連中はまだボリシェヴィキ家のことが忘れられないらしく、ここにいるのは全員が若い女の子だ。

 若い男連中も来ているが、そっちはボルシュ副官が預かっている。



 三姉妹の長女・マーシャがエレオラに人なつっこい笑みをみせる。

「エレオラ様、宮殿周辺に異状ありません!」

「ご苦労。ナタリア、この者たちにも紅茶を」

「やった! エレオラ様、クッキーも開けていい?」

「まあ待て、ボルシュ副官が戴冠式を祝ってパイを焼いてくれている。あれから食べよう」

 なんだこのアットホームな女帝と女子親衛隊。



 うちのスクージ隊の一件でコツをつかんだのか、エレオラは子供を味方に取り込むのがうまくなった。

「エレオラ様、早く切り分けて!」

「ミーシャ、皇帝陛下に失礼だってば!」

「でも陛下の前でナイフは抜けないでしょ?」

「包丁はいいんじゃない?」

 わいわい騒いでいる人狼たちを、エレオラが笑いながら制する。



「古来より、食べ物を切り分けるのは主の役割だ。私がやろう。……ところでミーシャ」

「はい、エレオラ様!」

「私のことが好きか?」

 パイに添えた包丁の切っ先をちょっとずらして、ミーシャをちらりと見るエレオラ。



 言葉の意味を理解したミーシャが、立ち上がって叫ぶ。

「好き! 大好きです! お慕いしています、陛下!」

「よろしい」

 パイにスッと包丁が入る。

 おいそこ、中心から意図的にズレてるぞ。



 すぐさま他の人狼少女たちがわいわい叫びはじめた。

「ズルい! エレオラ様、私も陛下のこと大好きです!」

「私のほうが好きです! あっ、そこ! イチゴ載ってるとこください!」

 みんな今まで森暮らしで、砂糖たっぷりの甘いパイなんてなかなか食べられなかったのだろう。

 それだけに甘いものへの執念がすごい。

 もちろん、エレオラを慕っているというのもある。

 彼女は人狼の扱い方がよくわかっているから、好感度もうなぎ登りだ。



 エレオラはパイを切り分けながら、わざとらしく首を傾げてみせた。

「ありがとう。しかし困ったな。全員に多めにパイをやりたいが、そうなると平等になってしまうな」

 そしてエレオラは悪戯っぽく笑った。

「ボルシュ!」

「はっ、ただ今!」



 背後のドアがバーンと開いて、歴戦の副官である屈強な中年軍人が入ってきた。軍服の上からエプロンを着てる。

 そして彼は巨大なパイを捧げ持っていた。なんだあのメチャクチャな大きさは。どうやって焼いたんだ。

 そうか、こっちが本命だったのか。



 エレオラは楽しげに笑い、人狼少女たちに告げる。

「人狼が健啖なのは我々もよく知っている。あれを皆で食べよう。それと気のきくボルシュに礼を忘れずにな」

「はい! ありがとうございます、ボルシュさん!」

 全員の声がきれいにそろった。

 みんな、すっかり飼い慣らされちゃって……。

 娘ぐらいの年頃の少女たちに礼を言われて、ボルシュ副官も嬉しそうにしてる。



 ロルムンドの人狼たちとうまくやっていけるかどうか少しだけ心配だったが、エレオラにとってはこれぐらい簡単だったようだ。

 彼女の周囲には今、頼れる人材が山のようにいる。

 どうやら俺の仕事も、そろそろ終わりだな。

 ようやくミラルディアに帰れそうだ。


※今週から書籍化作業期間に入るため、更新が「月・水・金+α」になります。

※次回更新は4月20日(水)です(タイトル未定)。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 後半の姦し娘with皇帝陛下が可愛すぎてニヤニヤが止まらん
[気になる点] 218部分より 農作物には酸性に強いものと、そうでもないものがある。 たとえば稲は酸性土壌でも平気だ。日本は酸性土壌だから、実に頼もしい。 一方、麦はどれも酸性にあまり強くなかったはず…
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