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凶星消ゆ

259話



 ボリシェヴィキ公、いやシャリエは棚から蒸留酒の瓶を取るとグラスに注いだ。赤みの強い北ロルムンドの地酒だ。

「我がボリシェヴィキ家はもともと、極星教の保護を目的として勢力を拡大した豪族でした」

 彼はグラスの中で揺れる赤褐色の液体を見つめながら、そうつぶやいた。



 ボリシェヴィキ家が誕生したのは、輝陽教と極星教の争いが終わりかけていた頃だという。

 既に大勢は決していて、組織力に優れた輝陽教が信徒を増やしていたとシャリエは語った。

「極星教の聖職者はみんな、自分の修行で忙しいですからね。極星の頂にたどりつくまで、他のことをしている余裕がないんですよ」

 布教よりも修行を優先するスタイルのせいで、極星教は衰退していったらしい。



 初代ボリシェヴィキ公が元から極星教徒だったのか、それとも輝陽教から改宗したのかはわからない。

 ただ彼は表向き、輝陽教徒として活動していた。

 やがて輝陽教徒の国ができあがり、共和制から帝政へと移行していったが、その間もボリシェヴィキ家は極星教徒たちを秘密裏に保護していたようだ。



 シャリエはそう語った後、苦笑してみせた。

「で、とうとう私の代になった訳です。しかし正直なところ、私は次の代までボリシェヴィキ家と極星教を守り抜ける自信がありませんでした」

「貴殿が?」

 これだけ陰謀に長けた男が弱気になっても、簡単には信じられない。

 するとシャリエはますます苦笑する。



「私には誰もついてこないんですよ。無理もありません、長年つきあいのあったドニエスク家をあっさり見捨てるような男ですからね」

「わかっているのなら、なぜ裏切ったのですか?」

「他に方法がありませんでしたし……」

 シャリエは肩をすくめてみせる。



 どうやらこいつ、頭は切れるが根回しの類は苦手らしい。

 シャリエはグラスを傾け、中の酒をくっと飲み干す。

「私の、いえボリシェヴィキ家の使命は『極星の教えを絶やさぬこと』です。私は必死に考え、確実にそれを成す方法を考え出しました」

「それが帝位簒奪ですか」

「ええ」

 この人、慎重なのか大胆なのかわからないな。



 俺はグラスを手にして、赤みの強いウィスキーのような酒を掌中に転がす。

「そんなことをなさらずとも、エレオラ殿下の庇護があれば十分だったのではありませんか?」

「今でこそエレオラ様は輝陽教と深くつながっておいでですが、あの頃はディリエのシュヴェーリン家のほうが輝陽教に影響力がありましたからね」

 そういやそうだった。

 だから俺も輝陽教とのパイプ作りに奔走したんだよな。



 シャリエはグラスに酒を注ぎながら、ふと苦笑する。

「ただ、極星教徒である私が不穏な動きをすれば、あなたが輝陽教と接触するだろうとは思っていました。あなたは調略を最大の武器にしています。自分にも相手にも利のある条件を用意して、味方に引き込むのですよ」

 ウォーロイ皇子やリューニエ皇子のことか。



「だから私が今回も同様に、極星教徒にとって利のある条件を整えると思ったのですか?」

「はい。他の極星教徒をエレオラ殿下の味方にするために、そうなさるだろうと信じていました」

 参ったな、本当に全部お見通しか。

 シャリエは微笑んだが、こうも言う。

「もちろん、そうでない可能性も考えていました。元々、本気で帝位簒奪を考えていましたしね」



「アシュレイ帝を退位させ、ディリエ皇女を即位させる計画ですか?」

「そうです。極星教が輝陽教を打ち負かせる、最大にして最後の機会でした。……とはいえ」

 シャリエは困ったような笑顔を浮かべた。

「今さら極星教を国教にできるはずもありません。この陰謀の先に待っているのは、ふたつの宗教の争いだけです」

「確かに」



 俺は前世で多少は歴史を学んだから、シャリエの陰謀がどういう結末になったかは想像がつく。よほどうまく舵取りをしない限り、泥沼の内戦だ。

 しかしほとんどの極星教徒には、それはわからないだろう。

 そして幸か不幸か、シャリエは俺と同じぐらいには先の展開が読めていたようだ。



「だから私は、陰謀が失敗したときのことも考えねばなりませんでした。どう転んでも極星教が存続できるように手を尽くす。それが私の役目ですから」

「ということはやはり、私はうまく利用された訳ですな」

 まあいいけどさ。

 シャリエは無言で笑っているので、俺も笑いながらグラスを軽く持ち上げてみせた。



 シャリエも同じ仕草をした後、こう続ける。

「しかしどれほど頑張ったところで、今の極星教に輝陽教を駆逐する力はありません。今回の件で、極星教徒も納得したでしょう。彼らは自分が納得しない限り、決して従いませんからね」

「しかし危ういところではありましたよ」

「ええ、いいところまで行けたとは思っています。ですがやはり、あなたには勝てませんでした」

 敗北を認めるシャリエは、妙に楽しそうだ。



「もう極星教徒も反抗など考えないでしょうし、彼らの安泰は輝陽教とエレオラ殿下が保証してくれるでしょう」

 そして彼は俺の目をじっと見つめて微笑む。

「後は『ディリエ皇女を傀儡にして帝国の支配を企んだ大罪人』の私が死ぬだけです。それで綺麗に片がつきますよ」

「だから逃げなかったのですか?」

 ディリエ皇女の件で初めて知ったが、極星教徒は自殺が許されていないようだ。

 後始末を俺にやらせようという魂胆らしい。



 シャリエは微笑んだままだ。

「私は異教徒の守護者となるボリシェヴィキ公爵位など、継ぎたくはありませんでした。責任が重すぎます。しかし投げ出す訳にもいきませんでした」

 そして彼はほっと溜息をつく。

「あの後もここでボリシェヴィキ領や帝都の動向を見守っていましたが、もう心配はいらないでしょう。極星教のために再起する必要もなさそうです。私の役目は終わりました」



 俺は少し考えて、彼に問う。

「今さらこんな質問をするのも愚かですが、他に方法はなかったのですか?」

「あったかもしれませんね。ですが私も、やれるところまでやってみたかったのですよ。極星の輝きが、どこまで太陽を脅かせるかをね」

 そこにあったのは「クーデターに失敗した政治犯」ではなく、「全てをやり遂げた勝利者」の笑顔だった。

 参ったな。



 するとシャリエは、俺に質問をしてきた。

「ところでディリエは今、どちらにいますか? 今の私には、そこまで調べる力は残っていないのです」

「知ってどうするのです。彼女にもう利用価値はないでしょうに」

 俺がわざと冷たく言うと、シャリエは少しだけ不服そうな顔をした。

「まさか私が、利用するためだけに彼女に接近したとお思いですか?」

「違うのですか?」



 シャリエはグラスを弄びながら、寂しげな表情を浮かべる。

「彼女が帝位を継いだら、私は彼女と生涯を共にすることになっていたのですよ。いくら私でも、好意を抱けない女性とは無理です」

「もしかして、結構気に入っておられるのですか」

「ええ。運命に抗おうと苛烈に突き進む彼女の性格、私は好きですよ。それに美しい」

 物好きもいたものだ。



 俺は溜息をつき、立ち上がる。

「ディリエ皇女ならクリーチ湖上城に幽閉されていますよ。北西の塔の最上階です。殺される心配はないと思いますが、釈放されることもないでしょう」

「そうですか……ありがとうございます。おや、ヴァイト卿? どちらに?」

 俺は彼に背を向けながら、こう言ってやった。

「私はたった今、ボリシェヴィキ公シャリエを討ち取りました。用事が済んだので帝都に帰ります」



 シャリエは驚いたように立ち上がった。

「私を見逃すのですか!? それはエレオラ様への裏切りですよ?」

「私はエレオラ殿下ではなく、魔王陛下の副官ですので。ロルムンドの魔族たちを保護してきたあなたを殺せませんよ」

 ロルムンドの人狼や吸血鬼たちがシャリエを慕っている以上、彼は魔族の味方だ。

 いくら俺でも魔族の味方は殺せない。



 ただし俺は魔王の副官として、彼に申し渡しておく。

「ロルムンドの魔族についても、今後はエレオラ殿下が責任を負ってくださいます。エレオラ殿下に忠誠を誓うよう、彼らを説得してください。それが条件です」

「それは私としても望むところですが……」

 人狼や吸血鬼の忠誠を得られれば、エレオラの支配力は格段に上がる。彼らは秘密警察としても護衛としても優秀だ。

 どうせ公式にはシャリエはここで死亡したことにしてしまうし、彼の助命で済むなら安い買い物だろう。



 シャリエは立ち上がったまま、俺をまじまじと見つめる。

「本当にいいのですか?」

「構いませんよ。もしあなたが邪心を抱いて再び反乱を起こしたとしても、エレオラ殿が何とかするでしょう。そうでなければ皇帝など務まりません」

 俺はあいつを信じてるからな。

 今のエレオラなら、爵位を失った逃亡犯の反乱ぐらい苦もなく片づけられるだろう。



 それを聞いたシャリエは、あきれたような笑みをみせた。

「あなたはつくづく不思議な人ですね。……本当に何者なんですか?」

「ただの副官ですよ」

 ボリシェヴィキ公シャリエは歴史から消えた。もう二度と表舞台に現れることはないだろう。

 俺のロルムンドでの仕事も、これでようやく終わるな。

 早く帰ろう。


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