欺瞞の反乱
245話
北ロルムンドのボリシェヴィキ領近くで農奴の反乱が起きたという噂を、俺は部屋の片づけ中に聞いた。
エレオラ邸の一室を間借りしてずいぶん経つので、無駄な書類が結構溜まってしまったのだ。
俺は書類をあまり捨てずに取っておく性分なので、リューンハイトの下水工事の報告書まである。
俺は書類箱をごそごそ漁るのを中断し、報告に来たボルシュに向き直った。
「農奴の反乱というのは間違いないのか、ボルシュ殿?」
「いえ、事はそう単純ではなさそうです」
エレオラを軍事面でサポートするボルシュは、いかつい顔に険しい表情を浮かべる。
ボリシェヴィキ領の隣には、エレオラ派貴族であるペーティ卿の小領がある。反乱鎮圧の功績で、旧ドニエスク領の一部を拝領したのだ。
彼は武功もあったが、それ以上に補給や人事に能力を発揮した。
旧来ならそれほど恩賞をもらえる立場ではないが、俺とエレオラは「こういう人物こそが占領地の領主にふさわしい」と意見が一致している。
周辺には同様にエレオラ派の若手貴族たちが領地を持ち、エレオラ派の勢力圏を確立していた。
反乱を起こしたのがどこの農奴か情報が錯綜しているのだが、確実にわかっているのは「ペーティ領が攻撃を受けている」ということだ。
「ペーティ卿は書簡で、反乱を起こしているのは自領の農奴たちではないと断言しておいでです」
「それなら反乱ではなく、所属不明の勢力による襲撃ではないか」
「そういうことになります」
おい待て、冗談じゃないぞ。
状況的に考えて、これはボリシェヴィキ公の陰謀だ。
俺はエレオラと協議し、人狼隊から偵察を派遣した。
翌々日に戻ってきた偵察からの報告は、ちょっと予想外のものだった。
「敵はボリシェヴィキ領にいた農奴でほぼ間違いないようですが、武装と練度が正規兵の水準に達しています」
帰還したハマームが、淡々と報告してくれる。
一緒に行ってきたウォッド爺さんも、額を撫でながら苦笑を浮かべる。
「この国の農奴はいっさい訓練を受けとらん素人のはずじゃが、どうも違うようじゃな。隊列を組めるし、武器の扱いにも習熟しとる」
ロルムンドにおいて農奴の軍事訓練や武装化は、輝陽教の戒律によって禁じられている。
だが異教徒であるボリシェヴィキ公には、そんなものは関係ない。
宗教や文化が違うと、戦争のルールまで違ってくる。
俺はエレオラと協議したが、結論はすぐに出た。
「陽動だな」
エレオラは地図を広げ、ペーティ領を示す。
「私はペーティ卿を救援するため、出兵の準備中だ。しかしペーティ領へ向かうために、ボリシェヴィキ領を通過する必要がある」
北ロルムンドの街道は、要所要所をボリシェヴィキ公が抑えている。北ロルムンドで軍事行動を取るためには、ボリシェヴィキ領を無視できない。
エレオラはさらに続けた。
「現状、今回の件は『旧ドニエスク領にエレオラ派の若手貴族が着任し、反乱を起こされた』という体裁になっている。ドニエスク公の反乱とは全く意味が違う。領主個人の問題だ」
もちろん実際は全く違うが、農奴がボリシェヴィキ公の配下だという証拠がなにもない。
皇帝の軍隊である帝国軍や、他の貴族の私設軍隊には期待できなかった。
「帝都にいる私の兵力が少数なのを知った上で、その兵力を帝都から引き離そうという魂胆だな」
帝都のエレオラ派兵力が少なくなれば、それだけボリシェヴィキ公も行動しやすくなる。
かといって、このままペーティ卿を見殺しにもできない。
ペーティ卿はまだ、農村を幾つか治めているだけの小領主だ。兵も数十人しかいない。
エレオラは俺に、レコーミャ卿から届いた手紙を見せてくれた。
「近隣からレコーミャ卿たちが駆けつけてくれたようだが、それでもまだ兵力が足りんな。農村は砦ではない。野戦のつもりで兵を集める必要がある」
「となればやはり、貴殿が援軍を出す必要があるか」
「ああ。悔しいが、乗らざるを得ないな」
エレオラは決して部下を見捨てない。
それを逆手に取られた形だ。
俺はそこで少し考える。
俺には人狼猟兵五十六人とパーカーがいる。エレオラを守るだけなら俺たちだけでも何とかなるが、同時に宮殿で何か起きた場合は厄介だ。警備が手薄になってしまう。
あ、そうか。
それならもう、エレオラがいないほうがいいな。
「エレオラ殿、もういっそのこと貴殿も援軍を率いて北ロルムンドに行ってしまうのはどうだ?」
「私がか?」
エレオラは驚いた顔をするが、すぐに納得したようにうなずく。
「なるほど。私がいなければ、貴殿は自由に動ける。それにボリシェヴィキ公にとっても、最高の好機となる訳だ」
「そういうことだ」
エレオラが配下を率いて帝都を離れれば、ボリシェヴィキ公の邪魔をする者は俺しかいない。
もちろん俺もいないほうが嬉しいだろう。
そう考えながら、俺は上着のポケットに手を突っ込む。
折り畳まれた紙片が出てきた。
ああこれ、おととい整理してたリューンハイトの下水工事の報告書だ……。犬人たちの丸っこい文字が踊っている。
そのときふと、俺の頭にひらめいたものがあった。
ボリシェヴィキ公が悪企みをしやすいよう、俺も帝都を離れるか。
「ついでだ。俺も人狼隊を率いて帝都を立つ」
「どういうことだ?」
エレオラが怪訝そうな顔をしたので、俺は笑う。
「少し思いついたことがあるんだ」
俺は下水工事の報告書を見て、思わず苦笑する。
予想外のところで役に立ってくれるな、犬人たちは。
俺は人狼隊のうち、少年兵の兄弟で構成されているスクージ隊をエレオラの護衛につけた。
「いいか、お前たちは従者のふりをしてエレオラ殿の護衛をしろ」
十代半ばの四兄弟は、一斉に不満を漏らす。
「えー、やだよー!?」
「ヴァイト兄ちゃんの命令でも、それはなんか……あのお姉ちゃん怖いし……」
人狼にまで怖がられてるぞ、エレオラ。
するとボルシュ副官と話し込んでいたエレオラが、スクージ隊の少年人狼たちに歩み寄る。ビクッとするスクージ四兄弟。
「スクージ兄ちゃん、怖いの来た!」
「オレも怖いよ!?」
だがエレオラは意味ありげに微笑むと、四人を手招きする。
「菓子をやろう」
彼女は棚からキャンディの小瓶をもってきて、掌の上に小さな丸いキャンディを四つ取り出した。
「スクージ殿たちは四人だから、飴は四つだ」
「う、うん」
何が始まるのかと不安そうなスクージ隊。
予想がついた俺は、壁にもたれてニヤニヤ笑いながら見守ることにした。
「だが私は怖いお姉さんだからな。ひとつ取ってしまうぞ」
エレオラはキャンディのうち、ひとつを自分の口に入れてしまう。
「あっ!?」
「食べちゃうの!?」
飴を口に入れたエレオラは、ごくんと飲み込む仕草をする。
それから無言のまま掌を差し出し、残り三つになった飴玉に上からハンカチを被せた。
そして何か祈るような仕草をすると、厳かな仕草でハンカチを取る。
「ああっ!?」
「えっ!?」
スクージたちがエレオラの掌をのぞき込む。
キャンディは四つに増えていた。
「飴が四つに戻ってるよ! どうやったの、これ!?」
「口の中から戻したの!?」
そんな訳ないだろ。
飴は四つとも、一口も舐めた形跡がない。
エレオラはニヤリと笑ってから、澄まし顔になる。
「どうやって飴を四つに戻したか、教えてほしいか?」
「うん!」
「教えてよ!」
「魔法!? 魔法だよね!」
スクージたちが口々に叫ぶが、エレオラは意地悪そうに笑う。
「教えてやってもいいが、私は怖いお姉さんだからな……」
即座にスクージたちは掌を返して、エレオラを讃え始めた。
「怖くないよ! ぜんぜん怖くない!」
「優しい!」
「あと美人!」
「飴もちょうだい!」
なんか犬人みたいなリアクションしてるぞ、お前たち。
エレオラは四人に飴をあげながら、こう言った。
「今のは簡単な小細工だ。魔法は使っていない」
「わかんなひはー」
飴を口に入れたスクージが、ボリボリかみ砕きながら首を傾げる。弟たちも同様だ。
エレオラは微笑み、キャンディを瓶ごと彼らに手渡した。
「これをやるから、道中で食べながら練習してみろ。正解したらもう一瓶やるぞ」
「ほんと!?」
キャンディの瓶をわっしょいわっしょい掲げながら、兄弟でああでもないこうでもないと議論を始める少年兵たち。
俺は彼らがこちらを見ていないことを確認し、エレオラと視線を交わす。
俺はポケットから自分のハンカチを取り出すと、彼女に向けてヒラヒラ振ってみせた。
今の手品のタネはこいつだろう。
あらかじめハンカチの中に、飴を一個隠していたのだ。
するとエレオラはちょっと残念そうな顔をして、無言のまま舌をぺろりと出してみせた。
溶けかけのキャンディが一瞬だけ見える。タネ明かしのつもりだろうが、いちいち見せなくていい。
彼女は再び唇を閉ざすと、楽しげに微笑んだ。
なんていうか……ミラルディアで出会った頃とは別人のようだな。
でも今のエレオラのほうが、ずっと王者に相応しいと思う。
俺も笑いつつ、エレオラに言う。
「スクージ隊は、ボリシェヴィキ公配下の人狼たちと面識がある。あちらの長のボルカとは話をつけているから、スクージ隊がいれば安全だろう。念のためにもう三個分隊つける」
「わかった。世話になる」
ボリシェヴィキ公の手駒と策略で最大の脅威なのが、人狼によるエレオラ暗殺だ。
ボルカはエレオラ派につく選択肢を温存しておきたい考えなので、暗殺にくる可能性はかなり低いが、一応警戒しておく。
後はパーカーとリュッコに、ちょっと面倒な仕事を頼むだけだな。
そうだ。エレオラにはもう一点だけ注意しておこう。
「ただし、あんまり子供たちに甘い物をやって甘やかさないでくれ。ミラルディアは砂糖の値段が高いから、帰国した後が困る」
「わかった、わかった。まるで父親のようだな、貴殿は」
彼らの上司ですから。
※第13話初出の少年兵4兄弟は「シュレイン隊」ではなく「スクージ隊」でした。お詫びと共に訂正いたします。