「公弟ジョヴツィヤの苛立ち」
238話(公弟ジョヴツィヤの苛立ち)
「ふむ、暗殺には失敗しましたか……」
我が兄・ボリシェヴィキ公シャリエは、暖炉の前で両手を組んだ。
兄の視線の先には、目つきの鋭い老婆・ボルカがいる。北ロルムンドに代々隠れ住んでいる、暗殺者一族の長だという。
「踊る魔女」の異名を持つ彼女は、首を横に振った。
「ダメだったねえ。桁違いの強さだった。それにまさか、全員が『クロ』だとは思わなかったよ。それならそうと、言っておいてくれなきゃ困るね」
「それは私も知らなかったのですよ。ただ懸念はしていましたので、今回はあなた方に依頼したのです。おかげで今回は誰も失わずに済みました」
兄はそう言って笑うが、ボルカはおもしろくなさそうな顔だ。
「冗談はおよし。アタシたちの前で嘘をつけるとは思わないことだね」
「おっと、そうでした。まあ同族でも、強さにはずいぶんと差があるでしょうからね。あなた方のほうが強ければそれでよし、弱いのなら……」
ボルカの眼光が鋭さを増す。
「見捨てるってことかい?」
「あなた方は強さが売りでしょう? 弱かったら存在する意味がありませんよ」
ボルカの一族は気まぐれで、依頼を必ず引き受けてくれるとは限らない。ひどい場合は依頼を断って依頼者のほうを殺したりもする。油断できない相手だ。
しかし兄はそんなことにはまるで頓着していない様子で、平然と答えていた。
「まあおかげで、敵の強さはわかりました。あなた方も全員無事に戻ってきてくれましたし、今後もよろしくお願いしますよ」
ボルカは不服そうな顔だが、渋々うなずいた。
「わかってるよ。軒先を借りてる身だからね。だが先代と比べると、アンタはずいぶんと小物臭いねえ」
国内有数の大貴族であるボリシェヴィキ公に対して、この言いようだ。ボルカも負けていない。
すると兄は肩をすくめてみせた。
「なにぶん小心者でしてね。それにリューニエ皇子追撃で、子飼いの隠密たちを半分以上失ってしまいました。残った隠密では、悪名高い紅雪将軍の暗殺を企んでも無駄でしょう」
ボルカは鼻で笑う。
「ま、アンタの正規兵を全部使っても無駄だろうね。ヴァイトと手下たちを倒したいのなら、最低でも一万は用意しな」
ボリシェヴィキ家の郷士と自由民による長槍隊は六千。騎兵や弓兵はいない。
兄は顎に手を当てて、少し考え込んだ。
「一万、ですか……まあ考えておきましょう」
それから兄は、俺のほうを向く。
「ジョヴツィヤ。コルゾフから連絡はありましたか?」
兄が次兄の名を口にしたので、俺は知っていることを答えた。
「コルゾフ兄貴からは、『予定通りだ』とだけ」
「結構。しかしその様子だと、コルゾフも不満そうですね」
次兄は長兄とあまり仲が良くない。俺もそうだ。
ボルカが腰に手を当てて、俺を向いて笑う。
「こっちの子が跡目を継いだほうが良かったんじゃないかい? 目が先代にそっくりだよ」
「あいにくとロルムンド貴族は、長男が家督を継ぐ決まりでしてね。弟たちに譲れるものなら、とっくにそうしてますよ」
兄の言葉は嘘ではないだろう。
家督を継ぐのを嫌がっていたのは確かだ。
だが兄は家督と継ぐと決めたとたん、猛然と行動を開始した。
父を隠居させ、誰にも相談せずに次々と陰謀を実行に移した。おかげで俺やコルゾフ兄貴は振り回されたが、ボリシェヴィキの家名は今も無事に残っている。
だから俺も、兄に従わざるをえない。
とはいえ、兄は俺に何も教えてくれない。自分の名代として俺を派遣するが、裏の目的は絶対に教えてくれないのだ。
「兄貴、いったい何を企んでるんだ……?」
「まだ不確定なことが多すぎるので、私自身もどうするか見極めているところですよ。進むか退くか、決断しかねています」
また曖昧にごまかされてしまった。
ボルカもそれが不快なのだろう、大仰に溜息をついてみせる。
「やれやれ。策士気取りも結構だがね、必要なことは教えてもらわないと仕事ができやしないよ」
そのとき彼女の手下が部屋に入ってきて、何か耳打ちした。
ボルカはニヤリと笑い、小さくうなずく。
「ちょいと失礼するよ。若いもんが呼んでるからね」
兄が無言でうなずくと、ボルカは手下を連れて部屋を出ていった。
「彼女たちがもう少し乗り気だといいんですが、どうにも扱いづらいですね。金と名誉以外のものを求められても、私の金庫には入っていませんよ」
ボルカの一族は仕事を選ぶ。リューニエ皇子追撃の際にも依頼をしたが、「子供を殺すだなんてふざけるんじゃないよ!」と一喝されてしまったそうだ。
もっとも俺に至っては、兄がリューニエ皇子を追撃していたことすら知らなかった。用心していたので今回はヴァイト卿に密告できたが、兄ながら油断も隙もない。
だいたいリューニエ皇子は従兄の息子だ。俺たち兄弟にとっては大事な身内といってもいい。
かくまうのならともかく、わざわざ追いつめて殺そうという神経が理解できない。
俺がいらつきながら兄を見ると、兄は苦笑しつつ俺を見返した。
「私に人徳も人望もないのはわかっています。そういうものをぶら下げていると、どうもやりづらいので構いませんが……」
ふと溜息をつく兄。
「極星教の内部でも温度差があるのは、どうにかなりませんかね。ドニエスク家が倒れた今、我々の安寧は我々自身で守らねばならないのですよ」
「兄貴がウォーロイを裏切るからだろう?」
俺はつい不満を漏らしてしまったが、兄は笑う。
「あそこでボリシェヴィキ家が戦いを続けていたとして、この流れが止まったと思いますか? 紅雪将軍ヴァイトと戦争皇女エレオラを退けられたとでも?」
「勝機は十分にあったと思うが」
だが兄は首を横に振る。
「六千人もの信徒を戦場に送り込む以上、『勝機が十分にある』ではダメなんですよ。『ほぼ間違いなく勝てる』でなければ」
「それは……そうだろうが」
負け戦は悲惨だ。だから兄は勝敗が見えなくなったところで即座に裏切り、敵であるエレオラに取り入った。
確かにこの方法なら、ほぼ確実に生き残れる。
「しかし兄貴……」
アンタのやり方は不名誉で恥知らずだ。
そう言いたかったのだが、兄は俺の反論を封じるように話題を転じた。
「それにしても、あのヴァイト卿はおもしろい。閉塞したロルムンドに、大きめの風穴を開けてくれました。おかげで我々も好機を得たといえるでしょう」
「好機? せっかく今まで平穏に暮らしてきたのに、兄貴は何を言ってるんだ?」
すると兄は薄く笑った。
「戦うにしても、敵はよく選ばねばなりません。エレオラ皇女、アシュレイ皇子、それにヴァイト卿。三人とも理性的で私欲は持たず、そして己の立場に忠実です。こういう人物は非常に手強い反面、我々に確実な勝利をもたらしてくれるのですよ」
「確実な勝利? 兄貴は彼らに勝てるのか?」
「もちろんです」
兄は嬉しそうに笑った。
「ヴァイト卿にお会いして、この人物ならば絶対に大丈夫だという確信を抱きました」
「悪いが俺には、兄貴が勝てるほど甘い相手ではないと思ったが……」
「そうですね。その通りです」
兄は納得したように何度もうなずいた。
意味がわからん。
兄は暖炉の前でくつろぎながら、ふと遠い目をする。
「私にとっての『勝利』は、お前が思っているものとは少し違うのですよ」
「どういうことだ?」
「教えてあげません。言えば絶対に反対されますからね」
兄は笑って、棚からグラスを二つ取った。
「春が近いとはいえ、夜はまだ冷えます。今宵はもう休むことにして、軽く一杯やりなさい」
「……ああ」
俺は兄の真意を問うのをあきらめ、グラスを受け取った。
勝手にしろ。




