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聖ヴァイトの戒律

237話



 トゥラーヤ枢機卿はペンと紙を取り出し、俺の前に置いた。

「今修復している教典は、異教との関わりについて記したものです。書名は『続・聖ザハキト戦記』にする予定です」

 異教、異端、そして魔族や魔物。あらゆる異質なものと戦った聖人ザハキトの戦記。

 どうやら彼の晩年をつづったものにするらしい。



「聖ザハキトなどという人物は実在しません。ですので、そこに書かれている内容も全て捏造ということになります」

 トゥラーヤ枢機卿が笑顔で危険な発言をするたびに、マオが嫌そうな顔をしている。

 一介の交易商にしてみれば、こんなリスクばかりでリターンのない秘密はいらないよな。



 だが俺にとっては、これは面倒な政争を打開する一手になる。

 トゥラーヤ枢機卿は俺を見て微笑んだ。

「この続編は『異教徒や魔族と戦った後、私は悟った』という書き出しで始まります。ヴァイト殿は好きなように戒律を作ってください。我々がそれを教典にします」

「いいんですか?」

 戒律を勝手に作る権利をもらってしまったが、トゥラーヤ枢機卿はちょっと譲歩しすぎじゃないだろうか。



 すると彼は苦笑した。

「この事態を打開するために必要な知恵を、魔族であるあなたからお借りしたいのですよ。ですからこれはむしろ、輝陽教にとっては借りになります」

「なるほど」

 俺の記す一文が、この国の運命を決めるという訳か。

 ……いや、責任が重すぎるから。



 俺は困ってしまったが、極星教にはロルムンドの人狼たちがいる。

 彼らの未来を守るのも、魔王の副官としての使命だ。魔族の保護が最優先だからな。

 何か良い知恵を絞らなくてはいけないな。

 そもそも、輝陽教と極星教が対立してるのが問題なんだ。

 輝陽教は「夜が明けるまで、力を合わせよ」が教義だ。しつこいぐらいに協調を求めてくる。



 そして極星教は「天はただ示すのみ、至高の頂を」が教義だという。わかりやすく言えば「真理は示してやるから、後は勝手についてこい」というところだろう。

 正解にたどりついた者が指導者になって、後から来る者を導いてやるスタイルらしい。だから協調よりも自己研鑽が大事だ。

 話が合うはずがない。



 しょうがないので、俺は前世の先人たちをお手本にすることにした。

 こういうときは、両者の境界線をうやむやにしてしまうに限る。極星教の考え方を輝陽教に取り込み、そのまま内包してしまおう。

 となると、輝陽教側に必要な戒律が見えてくるな。



「トゥラーヤ殿」

「なんですか?」

「極星教は魔族を味方にしています。私は同じ魔族として、彼らをこちら側に取り込むつもりです。ボリシェヴィキ公が頼みとする極星教勢力を切り崩しましょう。そのための戒律を作ります」



 正直そんな自信はなかったが、ここは俺が責任を持つべきところだ。

 トゥラーヤ枢機卿はうなずいた。

「わかりました。あなたがそう仰るのなら、お任せします。しかしそう簡単にいくでしょうか?」

「魔族は極星教に協力していますが、極星教徒ではありません。魔族は魔王にしか従いませんから」

「なるほど……」



 いかに聡明とはいえ、魔族の思考はトゥラーヤ枢機卿には理解しにくいだろう。

 魔族は力を伴わない信仰は持たない。

 圧倒的な力こそが正義なのだ。

 人間の極星教徒にしても、ボリシェヴィキ公と同じ考えの者ばかりではない。どっちの宗派でもいいよという者も相当数いるはずだ。

 うまく切り崩すことができれば、ボリシェヴィキ公の力をそぐことができるだろう。



 だから俺はこう続けた。

「そのために極星教の教義や戒律ごと、彼らを取り込んでしまうのが良策だと思います。例えば彼らの祝祭は輝陽教の祝祭にしてしまい、同じ日に祝ってしまうのです。彼らの歴史的な偉人には適当に理由をつけて、輝陽教の聖人にしてやりましょう」

「なんと……」

 トゥラーヤ枢機卿は驚いた表情を浮かべたが、すぐに力強くうなずいた。

「いいでしょう。それぐらい安いものです」



「そう思われますか?」

「もちろんです。今回は魔物や異国の軍隊が攻めてきた訳でもなければ、飢饉や疫病に苦しんでいる訳でもありません。これで丸く収まるのなら、輝陽教は全てを包み込みましょう」

 トゥラーヤ枢機卿がそう言ってくれたので、俺は覚悟を決めてペンを取った。

 ちょっと考え、こんな風に記す。



『力を合わせて恐るべき魔物を倒した後、我々は寒さに震えながら夜明けを待った。北天の極星を見つめる者たちは北の空を見上げ、我々は東の空を見つめていた。

しかし東の空に輝ける太陽が昇ったとき、全ての者は東の空を仰ぎ、生き残ったことに感謝した。

東天を仰ぐ者も、北天を仰ぐ者も、共に夜明けを待つ者はいずれ皆、輝く陽の光を浴びるのだ』



 こんな感じでどうだろうか。教典風の文章にしてみました。

 輝陽教に対して協力的な者は、信徒でなくとも輝陽教の恩恵を受ける資格がある。

 そういう戒律だ。

 ロルムンドでは輝陽教は圧倒的なシェアを誇る訳だし、トップ企業として懐の広いところを見せてやったほうが得だろう。



 俺の書いた文章を、トゥラーヤ枢機卿はじっと見つめる。

 それから笑顔を浮かべた。

「大変いいと思います。前後の物語はこっちででっち上げますから、こんな感じでいきましょう」

 教典捏造という大悪事に手を染めてる割に、口調が恐ろしく軽いな。



「いいんですか?」

「もちろん枢機卿の中でも、これについては意見が分かれることでしょう。輝陽教はいかなる異端も認めてきませんでしたから。ですがこれは『夜が明けるまで、力を合わせよ』という教義そのものです」

 トゥラーヤ枢機卿は穏やかに微笑む。



「さすがにヴァイト殿は、よく教典を研究されていますね。後のことは私にお任せください。他の者は私が説得します」

 トゥラーヤ枢機卿はそう言って、俺の書いた紙を懐にしまった。そしてこう続ける。

「今後は異教徒や魔族に対しても、協力的であれば迫害はしないことにします。時間をかけて取り込む方針に切り替えましょう」



 彼はそう言ってくれたが、言うほど簡単ではないはずだ。

「本当にできますか?」

 トゥラーヤ枢機卿はまじめな顔になる。

「できますし、できねばなりません。輝陽教が今後も変わらずに続いていくためには、変わり続けなければならないのです。川魚が同じ場所に留まるために、上流に向かって泳ぎ続けるように」



 それから彼はふと、遠い目をした。

「とはいえ、この方法自体も変えていかねばなりません。作りすぎた教典も、いずれは整理して時代に合わせる改革が必要になるでしょう。……ま、それは後任に押しつけますが」

 トゥラーヤ枢機卿は肩をすくめて笑う。ちょっとまじめなことを言ったかと思うと、すぐにこれだ。



「ではヴァイト殿、輝陽教側で極星教徒たちの受け入れ態勢を整えておきますので、彼らの切り崩しをお願いできますか?」

「お任せください、トゥラーヤ殿」

 俺も立ち上がり、マントを翻した。



 他のことはあまりできないが、敵を無理矢理寝返らせることには定評のある俺だ。何とかなるだろう。

 ボリシェヴィキ公弟のジョヴツィヤ、それに人狼の長ボルカとはコネがある。

 あのへんから切り崩していくとしよう。

 ふふふ、悪役っぽい。



 それにしてもトゥラーヤ枢機卿、末席という割には重役感があるな。

 俺はちょっと質問してみる。

「トゥラーヤ殿はもしかして、枢機卿の中でも高位であらせられるのではありませんか?」

 すると彼は軽い口調で笑いながら答えた。



「いえいえ。教典庁に在任中の枢機卿は決して教皇になれませんし、教典庁以外に転属になることもまずありません。ここは出世の終着点ですよ」

 彼のその手には騙されないぞ。

 俺はニヤリと笑った。



「これだけの権限を持っている者が教皇になれば、完全な独裁になってしまいますからね。それに教典庁の長が頻繁に交代すれば、最高機密を知る者がどんどん増えてしまいます。つまり要職ですよ」

「確かにそう言えるかもしれません。どのみち汚れ仕事ですから、私みたいな者がやるのがちょうど良いでしょう」

 特に気負う様子も誇る様子もなく、トゥラーヤ枢機卿は微笑みながらうなずいた。



「ということで、最高の教典を捏造いたします。輝陽教内の意見の取りまとめはお任せください」

 曇りのない、いい笑顔だった。

 確かにこの人でなければ、この職責には耐えられないな。

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― 新着の感想 ―
[一言]  まあ、紀元後に成立した法華経なんかも、釈迦が晩年に説いたものとされているし、モルモン書なんかは「5世紀に地中に埋められたいたものが19世紀に掘り出された」ことになっているし。  そういや、…
[一言] ゴルゴ⑬の少年ジャンプ版のような緻密さです。時折、こち亀的な要素が幅広い年代にもわかりやすいよう文章化されている印象を受けました。
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