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巨悪の双璧

236話



 トゥラーヤ枢機卿はイスに座り、俺とマオを交互に見ながら語り始めた。

「輝陽教は太陽信仰を原点とする、農民の宗教です。農民の生活に必要な知識や決まり事を、戒律という形で残してきました。と同時に、異教徒との戦いにも備えてきました」

 俺はうなずき、こう返す。

「土地に定住する以上、土地を守る戦いには絶対に負けられませんからね」

「はい、そうなのですよ」



 前世でちょっと聞いた話だが、領地絡みの戦争になると一番本気で戦うのが農耕民族だという。遊牧民族や狩猟採集民族と比べて、住み慣れた土地を失ったときのダメージが大きいからだそうだ。

 本当かどうか俺は知らないが、少なくともロルムンドではそうだったらしい。



「ロルムンドの輝陽教徒たちは、気候や魔物だけでなく、異教徒とも激しい戦いを繰り広げました。最大の異教勢力が漁民や猟師たちの宗教、極星教です。夜間も移動する彼らは北天の極星を信仰し、我々と対立しました」

 どうやら両者の確執は、「定住する人たちと移動する人たちの対立」あたりが発端らしい。



 トゥラーヤ枢機卿は溜息をつく。

「そこから先は大変だったそうです。先祖たちは農地を守り、さらに敵からも奪うために戒律を乱発しました。そうしないと生き残れなかったからではありますが、おかげで負の遺産が積みあがってしまいました」

「時代に合わない戒律のことですか」

「ええ。今さら無かったことにはできませんし、整合性を保つのに苦労しています」



 トゥラーヤ枢機卿はまじめな表情で、俺に語りかける。

「これが最善の方法でないことは明らかですが、かといって聖句を唱えていれば問題が解決する訳でもありません。我々の先祖がロルムンドの厳しい自然の中で生き残るには、徹底した現実主義が必要でした」

「『冷たいミーチャ』のような?」

「そうです。よくご存じですね」

 エレオラのトラウマだからな。



 深刻な表情をしていたトゥラーヤ枢機卿だが、彼は俺に穏やかな笑顔を向けた。

「しかし戒律を無かったことにはできませんが、新しく『発見』することはできます」

「それは後でまた困りませんか?」

「そうならないよう、最近は戒律に幅を持たせてあります。方法はいろいろありますが、例えば適用する条件を狭く限定するなどですね」



 そして彼はこう続ける。

「そういう訳ですから、我々は魔族やミラルディア連邦、そしてエレオラ殿下に対して柔軟な姿勢を取ることが可能です。戒律は新しく『発見』できますから」

 嬉しそうに言うな。

「では輝陽教はアシュレイ皇子ではなく、我々と組むということですか?」

 とても聖職者相手の会話とは思えないが、こういうビジネストークなら俺もやりやすい。



 トゥラーヤ枢機卿は首を横に振った。

「我々は世俗の勢力と組む訳ではありません。ロルムンドの秩序と平和を維持するために必要な、あらゆる手段を模索します」

 聞きようによってはかなり怖いぞ、それ。

 彼はこう続ける。

「ただどちらにせよ、今のアシュレイ殿下は我々の協力者にはなれないでしょう。帝国と輝陽教を揺るがすほどの危機が迫っていますので」



「いったい何ですか、それは?」

 俺が尋ねると、トゥラーヤ枢機卿はそっと答えた。

「式典庁からの報告によると、アシュレイ殿下の姉上・ディリエ皇女に縁談が来ているそうです。それはいいのですが、相手がボリシェヴィキ公なのですよ」

 何考えてんだあいつ。

 いや、考えていることはわかる。



 ボリシェヴィキ公はエレオラの配下でいることに満足せず、アシュレイ皇子の姉と結婚することで国政の中心部に乗り込もうとしているのだ。

 アシュレイ皇子はもうすぐ戴冠して皇帝となる。皇帝の義兄となればボリシェヴィキ公も安泰だ。

 しかしこんな縁談、まともに通るとは思えない。



「誰も反対していないのですか?」

「当事者以外では輝陽教の最高幹部にしか知らされておりませんから。それにアシュレイ殿は今、贔屓目に言っても落ち目ですからね」

 ひどいことを言う。

 しかし事実でもあるな。

 アシュレイ皇子はドニエスク家の反乱を阻止できず、鎮圧もできなかった。鎮圧したのがエレオラ派だというのは、誰もが知っている。



 トゥラーヤ枢機卿は溜息をついた。

「アシュレイ殿は今後、『戦に弱い皇帝』という風評を免れないでしょう。アシュレイ派も単に数だけで、まるで役に立たないことがわかってしまいました。いくら内政で業績があっても、身内の反乱ひとつ処理できないようでは困ります」

 オフレコだからって好き放題言い過ぎじゃないですかね。同感だけど。



「困ったアシュレイ殿にすり寄ってきたのが、ボリシェヴィキ公です。彼は周辺貴族から疎まれていますが、広大な領地を持つ大貴族ですからね」

「疎まれ者同士、仲良くやろうじゃないか……と?」

「そんなところでしょう。溺れかけた者同士が手をつないでも、一緒に溺れるだけだと思うのですが」

 だからもう少しオブラートに包む努力をしようよ。



 しかし俺は少し気になった。

 ボリシェヴィキ公は同盟相手を次々に変え、こうして生き延びている。義理より実利を取るタイプだ。

 その彼がアシュレイ皇子に接近したとなれば、もちろん実利のためだろう。

 彼には何か、勝算があるに違いない。

 それもおそらく、普通の人がドン引きするような方法が。



 俺はそう考え、ぽつりとつぶやく。

「危険ですね。自分の信仰と領地を守るだけなら、ここまでする必要はありません。もっと大きなことを企んでいそうですな」

「やはりそうお考えですか」

 トゥラーヤ枢機卿はうなずいた。

「我々も危惧してます。輝陽教は皇帝の協力者としてロルムンドの平和を守ってきたつもりですが、異教徒が皇帝の義兄になれば、それも難しくなるでしょう」

 ボリシェヴィキ公が妻を通じてアシュレイ皇子にあれこれ吹き込めば、人の好いアシュレイ皇子は断りきれないだろう。



「縁談はまとまりそうなのですか?」

「ディリエ皇女は大変乗り気だそうです。アシュレイ皇子はまだ躊躇しておられるようですが、時間の問題だろうと式典庁の者が言っていました」

 エレオラのような例外を除けば、ロルムンドの皇女たちはみんな政略結婚の道具だ。変な虫がつかないよう、厳重に箱入り娘にされている。

 これは箱入りお嬢様が悪党にコロッと騙されたパターンか。

 どういう方法を使ったのかわからないが、厄介だな……。



 表沙汰になれば大問題になるので極秘になっているが、輝陽教としてはこの結婚を阻止する方法が見あたらないのだという。

 ボリシェヴィキ公は表向きは輝陽教徒で、ちゃんと入信の儀式も受けている。彼が異教徒だという確実な証拠は何もない。

 家の格式なども問題ないし、当人たちが乗り気なら誰も阻止できない。

 せめて先帝が存命なら封建時代の父親権限で「ちょっと待て」と言えるのだが、弟のアシュレイ皇子ではどうにもならないだろう。



 俺はトゥラーヤ枢機卿を見つめる。困り果てている顔だ。

「新しい教典を『発見』して、婚約を阻止してみてはどうです?」

「そんなに急には作れません。人口維持政策のため、我々は信徒同士の結婚には寛容です。そのため過去の教典との整合性が取れません」

 彼はつぶやき、苦笑する。



「この件は決して宗教界だけの争いではありません。世俗にも深刻な影響を及ぼします」

「どういうことですか?」

 マオが問うと、トゥラーヤ枢機卿は丁寧に説明した。

「例えば輝陽教徒同士の争いなら、いざとなれば我々が仲裁できます。しかし異教徒相手の戦争は誰も仲裁できません」

 そうなんだよな。



 俺は納得し、こう返した。

「もし帝国が輝陽教と極星教に二分されるようなことがあれば、次に起きる戦争は数十年、数百年に渡る泥沼になりますね」

「ええ。そのときはおそらく、帝国が分裂してしまうでしょう」

 ミラルディアにとってはそれも悪くない気がするが、そこから先がどう転ぶかわからない以上、あまり歓迎もできない。



 負けた方がミラルディアに難民として押し寄せてきて、それを口実にロルムンドがミラルディアに再侵攻、なんてこともありえる。

 特にまずいのが、輝陽教が勝った場合だ。その場合、輝陽教勢力は「ミラルディアは一番大変なときに協力してくれなかった」ということをずっと根に持ち続けるだろう。

 ここはやはり輝陽教に恩を売り、エレオラにも皇帝になってもらって、数十年はおとなしくしててもらおう。

 何よりあんまり死人を出したくない。



「わかりました。彼は我々にとっても厄介な敵になりつつあります。できる限り協力したいと思いますが、なぜエレオラ殿下ではなく私に?」

 トゥラーヤ枢機卿は満面の笑顔で答えた。

「あなたが異邦人で、いざとなればトカゲの尻尾切りができるからですよ。私も末席の枢機卿で、教皇様にとってはトカゲの尻尾のようなものですから」

「ああ、なるほど」



 本来なら立腹するところなのだろうが、とても論理的なので別に腹は立たなかった。

 エレオラと教皇が密約を結ぶよりは、俺と枢機卿が密約を結ぶほうが何かあったときのダメージは小さい。双方ともに「部下が独断でやりました」で片づけられる。



 しかしこの人、ハリウッド映画に出てくる悪役ボスみたいだな。必要なら自分が犠牲になることも全く躊躇しないようだし、見方によっては本物の狂信者っぽい。

 だが俺は、こういう相手は嫌いじゃないぞ。

 なんせ話が早いからな。



 俺はうなずいて、彼に提案をする。

「では致命的な事態が発生した場合は、私が全ての責を負った上で国外に退去します。それでよろしいか?」

「はい、帝室の威信に傷がついては困りますので、ぜひそのようにお願いします。……しかしあなたも不思議な人ですね。ここまで言われれば、普通の方なら激怒しますよ?」

「副官らしい仕事ですので、むしろ誇りに思っていますよ」



 どうせ用事が済んだら俺はミラルディアに帰国して、もう二度とここには戻らないつもりだ。だからこれはリスクにならない。

 ボリシェヴィキ公を何とかするのも、俺にとっては本来の仕事だ。

 せっかくうまく計画が進んでいるのに、邪魔されてたまるか。

 だから俺の主観では、これといって負担は増えていない。



 トゥラーヤ枢機卿はにっこり笑うと、俺に握手を求めてきた。

「ザナワー大司祭の推挙は、やはり間違っていませんでした。聡明にして理性的なあなたとの出会いを、改めて神に感謝いたします」

「こちらこそ、魔族の私を信用していただいて感謝していますよ」

 悪党同士、がっちりと握手する。

 話のわかる悪党は最高だな。



 マオがぼやいている。

「お二方とも、私なんかが霞むぐらいの巨悪ですね」

「そう言われると悪い気はしないな……」

「どういう神経してるんですか」

 教典を捏造する枢機卿と、異国からやってきた魔王の副官。お似合いの悪党同士だ。

 じゃあ具体的な陰謀を企てるとしようか。

 この国の平和のためにも。

※明日3月13日(日)は更新定休日です。

※次回予告:第237話は「聖ヴァイトの戒律」です。

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[一言] 教会と魔王軍が繋がってるなんて良くある話だ。マッチポンプともいう
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